老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

2白菊特攻隊

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           神風特別攻撃隊 第二御楯隊 出撃(香取基地)


白菊特攻隊
          38、神風特別攻撃隊 第二御楯隊 出撃
 
 館山基地の南側には百〜二百メートル前後の小山が連なっている。この山頂付近を中心
にして、対空陣地が構築されていた。第二波の空襲から盛んに発砲していた。だが、弾丸
はほとんど後を追う形になり、一機の敵機も撃墜することができなかった。これは、射手
が慣れないため、飛行機の予想進路を狙うべきなのに、飛行機そのものを狙うからである。
そのうえ、最後には敵機でなく、お粗末にも味方戦闘機を撃墜してしまったのである。

 それは、数波にわたった空襲も一段落した夕暮れ近くのことであった。南方向から二機
編隊の零戦が帰投してきた。高度は約五百メートルである。帰投した飛行機は風向を確か
め着陸する方向を決定するため、編隊のまま飛行場の上空まで進入してから解散し、「誘
導コース」に入るのが決められた手順である。

 ところがこの編隊は、飛行場南側の対空陣地の上空あたりで、急激に右降下旋回を始め
た。着陸を急ぐあまり高度を下げながら、東西滑走路の「誘導コース」に直接入ろうとし
たのであろう。これに対して、湾内に停泊していた小型輸送船に装備していた機銃一挺が、
《パンパンパン……》と、乾いた音をたてて撃ち始めた。これは輸送船の射手が、終日に
わたる空襲で極度の興奮状態にあったのと、敵機か味方機かを形式で識別することができ
ず、急に自分の方向に突込んできたので、とっさに敵機と勘違いしたものと思われる。

 ところが、今まで敵か味方かと半信半疑で見詰めていた対空陣地の全機銃が、これにつ
られて、《ダダダダーーーー》と、一斉に撃ち上げたからたまらない。その零戦は慌てて
脚を出し、バンクを繰り返したが間に合わず、オレンジ色の炎を噴いて、館山の町の真ん
中に墜落した。一機だけは辛うじて退避することができた。一瞬の悪夢であった。

 われわれにしても、グラマンやシコロスキーの実物に見参するのは初めてである。しか
し、搭乗員は日ごろから写真や型式図などの資料を使って、味方識別の訓練を受けている。
対空陣地の指揮官や配置されている兵隊にしても、当然味方識別の訓練は受けているはず
である。まして零戦は、毎日上空を飛んでいて見慣れているはずの味方機である。間違い
ではすまされないのだ。後味の悪い事件であった。

 この事件があったため、翌日から経験のある搭乗員を、味方識別の要員として、対空陣
地に派遣するようにとの要請があった。だが、既に後の祭りである。

 この零戦にやや遅れて、西側海上から低空を這うように、脚を出して小刻みにバンクし
ながら、天山艦攻一機が進入してきた。この味方識別も鮮やかな帰投は、ベテラン柏原飛
曹長の操縦する索敵機であった。

 夕暮れが迫ってきたが、水偵隊の索敵機で未だ帰還しないのがいる。先程、天山艦攻が
帰投した西側の海上を、皆が気にしながら眺めていた。すると、逆光線の夕日を浴びて、
何百とも数え切れない機影が北上しているのが目に映った。

「ウワアー! また来たぞー!」
と、誰かが叫んだ。その声はもう悲鳴に近いものであった。
「ウファー! ハッハッハッ……」
次の瞬間、これは照れ隠しの爆笑に変わった。よくよく見ると、敵機の大編隊と見えたの
は、ねぐらに急ぐ水鳥の大群であった。

      *
 艦攻隊は人員機材とも無事であった。ところが未帰還機のある水偵隊や、列線で焼かれ、
空戦では墜とされ、更に、味方討ちまでされた戦闘機隊のデッキは大変である。その夜は、
大荒れに荒れていた。

 艦攻隊のデッキでも、敵機動部隊に対して雷撃をやるんだと息巻く者がいた。しかし、
聯合艦隊の直接指揮下にない九○三空には、雷撃出動の命令は出なかった。九○三空の
艦攻隊が、鹿児島県串良基地に進出して、第五航空艦隊の指揮下に入り、沖縄周辺の敵
艦船攻撃に参加することになったのは、四月二十日以降のことである。「雷風雷撃隊」と
呼ばれ、夜間雷撃や昼間強襲雷撃にと、艦上攻撃機本来の任務である雷撃に出動して、
全滅に等しい大損害を受けたのは後々のことである。

 翌十七日も早朝から、数波にわたる空襲を受けた。ところが慣れとは恐ろしいもので、
前日に比べて余裕のある応戦ができた。また事前に飛行機の分散遮蔽などを行っていたの
で、被害も僅少であった。

 横須賀航空隊から「S作戦」支援のため派遣されていた一式陸攻は、十六日早朝、対潜
水艦索敵に出発し、「ヒヒヒヒ・・・」を発信したままついに帰らなかった。残る一機は、
東西滑走路の北側に駐機されていたが、掩体壕もなく丸裸のため、グラマンによって繰り
返し繰り返し銃撃を受けた。しかし、最後まで炎上しなかった。聞けば、第一波の空襲の
あと、すぐに燃料を抜いていたとのことである。ところが、機体は穴だらけで、恐らく修
理不能ではないかと思われる惨状であった。

 また、最初に炎上した零戦の残骸は、金属がこれ程よく燃えるとは信じられないくらい
で、翼端と尾翼の一部を残して完全に焼け落ちていた。ジュラルミンの溶けたのと、黒焦
げのエンジンが転がっているだけであった。

 水偵隊では、地上での損害は軽微であったが、野村大尉の心配が現実となり、出発した
索敵機の半数が未帰還となった。同期生羽成英夫二飛曹(三重航空隊・神奈川県出身)が
搭乗した水偵も、ついに帰還しなかった。それに比べて艦攻隊には、人員にも飛行機にも
被害がなかったことは、不幸中の幸いであった。

 敵機動部隊の空襲が終わり、ホッと一息ついた十九日、敵はついに硫黄島に上陸を開始
した。これに対応して、香取基地に待機していた六○一空で「神風特別攻撃隊・第二御楯
隊」が編成され、この敵に向かって「体当たり攻撃」を敢行した。相当の戦果を挙げるこ
とができた様子であったが、上陸を阻止する事はできなかった。

2-37、対空戦闘の経過

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           ボートシコロスキー F4U戦闘機。



白菊特攻隊
         37、対空戦闘の経過
      
 その日、私は当直下士官の配置にあったので、終日指揮所付近で勤務していた。その間
に見聞した戦闘の経過は次のとおりである。

 早朝、予定どおり対潜水艦索敵に出発した、 横須賀航空隊から派遣された一式陸攻から
「敵駆逐艦二隻発見」 の電報が届いた。だが、 距離的にあまりにも近い地点なので、何か
の見違いではないかと、 半信半疑でいた。

 ところが、続いて「ヒヒヒ・・・」と、発信したまま消息を絶ってしまった。この電報
は「敵機の攻撃を受けつつあり」との緊急略語通信である。そこで初めて事の重大さに気
がついた。しかし、敵の位置や勢力などが分からないため、対応処置ができないでいた。
それでも、戦闘三○四飛行隊に対しては《敵機空襲の公算大なり》と、通報した。戦闘機
隊では、この情報を受けて直ちに迎撃準備を始め、試運転を開始した。ところが、これが
裏目に出た。試運転の爆音で、敵機の近づく爆音を聞き漏らす結果となったのである。

 また戦闘機隊の隊員の中に、飛行場西側上空の雲の切れ間に機影を認めた者がいたら
しい。しかし、彼は新しい飛行機を受領するため出張していた者が、その朝帰隊する予定に
なっていたので、ちょっと早すぎると思いながらも、その飛行機が帰ってきたのだと思い
込んで、気にもとめなかったそうである。

 艦攻隊にしても、第一波の空襲を受けてから、初めて事の重大さに気づき、慌てて飛行機
の分散防護を指示する混乱ぶりであった。ただ、第一波の空襲が戦闘機の列線を狙った
ため、艦攻隊の飛行機に被害がなかったのは幸いであった。

 肝心の対空陣地も準備不足で、対空射撃が開始されたのは、第二波の空襲からであった
と記憶している。ここでも、内地が敵機動部隊の空襲を受けるとは思いもよらぬ事で、油断
していたと思われる。

 飛行指揮所では、横須賀航空隊から派遣されて、早朝対潜索敵に飛んだ一式陸攻の予定
コースと、電報の発信時刻をもとに、敵機動部隊の位置を予測して、この方面に対する索敵
が立案された。計画は天山艦攻二機と水上偵察機六機であったと記憶している。水偵隊の
隊長野村大尉が、白昼それも敵機動部隊の空襲下における水上偵察機の使用に難色を示し
たが、容れられなかった。

 直ちに「搭乗割」が示され、出発準備が進められた。天山艦攻は列線をとらず、掩体壕
からそのまま発進した。それでも準備が遅れ、既に、正午を過ぎた時刻であった。操縦員
柏原飛曹長、偵察員西山上飛曹(先任下士官)電信員(失念)のベテランを揃えたペアは、
敵機空襲の合間を見計らって敢然と発進して行った。

西山先任下士は、日ごろ「搭乗割」に名前があっても、何かと理由を付けては他の者に
交替を命じて、自分が搭乗することはなかった。ところがこの日ばかりは、若い偵察員に
準備させた航法図板と用具袋を持って、平然と出発したのはさすがであった。

      *
 柏原飛曹長機が出発した前後のことである。九〇三空司令官野元為輝少将が飛行指揮所
に来られた。野元少将は航空母艦瑞鶴の艦長として、第二次ソロモン海戦や南太平洋海戦
を戦った歴戦の勇士である。一種軍装を着用し鉄帽を被っている。飛行隊長などと協議さ
れている後ろ姿を見ていると、鉄帽の後面にも錨のマークが画かれている。司令官のよう
に偉くなると、マークを前後につけた特製の鉄帽を被るのかと思っていた。

 やがて打ち合わせが終わり、指揮所を出られるのを敬礼して見送った。ところが、鉄帽
の正面には錨のマークなど付いていなかった。さすがに歴戦の司令官でも、予期せぬ空襲
に戸惑い、少々慌てている様子であった。

2-35、戦死と殉職

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              若桜福祉会館の内部。


白菊特攻隊
          35、戦死と殉職

 ある日対潜哨戒に出た飛行機が予定時刻を過ぎても帰還しない。数日経っても何の手掛
かりもなかった。その時期敵機動部隊の来襲もなかったので、エンジンの故障による不時
着と認定された。百里原航空隊の衝突事故と違い、遺体のない「海軍葬」である。洋上で
は墜落場所も確認できないのである。

 仮に現場が推定できたとしても、 当時は遺体の捜索や収容などは積極的ではなかった。
搭乗員の戦死の空しさを実感として味わった。デッキでは、遺品の整理も終わり、海軍式
のお通夜が行われた。遺影を飾ってその前に毛布を敷き、 車座になって酒盛りを始めたの
には驚いた。

「馬鹿野郎! エンジン故障なら、何で電報一本打ってこないんだ……」
「何を言う、奴ら居眠りしていたんだ、電報なんて打てるもんか」            
「それにしてもどのあたりで落ちたんだろう、漁船でも見ていれば……」
「それより、戦死扱いになったんだから、よしとしなけりゃ……」

 古参の連中に言わせれば居眠りが原因だと断言する。それぞれ経験があるらしい。長時
間飛行すれば確かに眠くなる。最終のコースで基地に近づけば更に緊張は緩む。しかし、
だれか一人でも事前に気が付けば事故は防げたはずである。

 またある日、八丈島派遣隊へ要務飛行で飛ぶ準備をしている飛行機があった。見ている
と六番(六十キロ爆弾)を搭載している。人員輸送が目的なのだから爆弾を積まない方が
身軽なのにと思った。ところが、これには別の魂胆があった。空身(からみ)で飛行して
不時着などで死亡すれば殉職である。しかし、爆弾を搭載して飛行目的を「対潜哨戒」に
しておけば、事故によって死亡しても戦死として処置できるからである。

 これ以外にも、夜間飛行での墜落事故による殉職などで「海軍葬」は再三実施された。
新入りのわれわれは、海軍葬の準備や遺品の整理それにお通夜など、雑用に追い回される
日々が多くなった。そして、死に対する感覚が次第に麻痺してしまったのである。

2-34、記録係と酒保係

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              航空記録(搭乗員は個人毎に全ての搭乗を記録)


白菊特攻隊
        34、記録係と酒保係

 私は九〇三航空隊で、記録係という配置を与えられていました。理由は、商業学校出身
で算盤ができるかららしい。艦攻隊の「搭乗命令」は、飛行士(飛行隊付士官)が起案し
て飛行隊長の決裁を受け、関係搭乗員に伝達します。

 この場合「搭乗割」と呼ばれる黒板が利用されます。この黒板には機番号と、操縦員・
偵察員・電信員の氏名それに要務内容などが記入されます。各自はこの「搭乗割」を見て
自分の任務を確認します。搭乗割の氏名欄は姓の頭文字を、士官は○准士官は△で囲みま
す。下士官は頭文字に山形を被せ、兵は横棒を引きます。同姓の場合は名前の最初の文字
を小さく記入します。

 記録係はこの「搭乗命令」の原簿と、担当整備員がすべての飛行機について、機体番号
ごとに飛行実績を記録している「飛行野帳」を基にして、飛行機の種類・機体番号・発着
時刻・搭乗命令に示されている要務内容などを照合整理して、それぞれの搭乗員が個人別
に所有している、 「航空記録」に記入するのが仕事です。作戦飛行や試飛行それに夜間飛
行など、危険を伴う飛行は、赤インキで記入していました。

また毎月末にこれを締め切り、機種別に飛行回数、飛行時間などを集計し、月計と累計
を記入します。そして、飛行隊長と飛行長の確認印をもらいます。また、全員の作業別飛
行時間の集計表を作成して、主計科に提出していました。これを基に、航空加俸が支給さ
れる仕組みでした。

 搭乗勤務のない日は、指揮所の二階にある記録係の事務室で仕事をしていました。忙し
いのは月末ぐらいで、あとは遊び半分でした。相棒は「銀ちゃん」こと、 藤原銀次飛行兵
長で二人で仲良くやっていました。房総半島南端の館山でも真冬は寒い。他の者が野外で
兵器の手入れや機体の清掃など寒そうに働いているのに、暖かい事務室での勤務は天国で
した。

また記録係の役得として、他人の航空記録を読むことができました。搭乗員は階級以上
に飛行時間がものを言います。五百時間を越して一人前、三百時間未満では若(じゃく)と
呼ばれ食卓番などの雑用に追われます。当時のわれわれは、下士官でありながら食卓番や
甲板掃除にこき使われていました。

 また飛行時間と並行して実戦経験が箔をつけます。休憩時間の雑談では、話題の中心は
実戦体験です。特に雷撃経験者の話は貴重でした。日ごろ大言壮語していても、飛行時間
に似合わず実戦体験のない者や、飛行時間の少ない割に航空母艦勤務経験者だったりして、
航空記録を見れば各自の実像が見えてきます。

 特に参考事項摘録(五号様式)に記載された初陣の記録に、「訓練どおりに……」とか、
「演習と同じように……」などの言葉が見受けられ、訓練の重要さを実感しました。

 指揮所二階正面の部屋は、電波探信儀の整備室として使用されていました。物珍しさに
暇をみては出入りしていました。丸くて一升瓶の底ほどの太さのガラス管の中央部に、青
白く光る蛍光線が、 チリチリッと小さな波形を作っています。確か「オシロスコープ」と
呼んでいました。

 担当の永田兵曹が機械を調節しながら、
「これが富士山だ……」
そう言いながら、比較的大きな波形を示しました。それは、富士山の近くを飛んでいる飛
行機ではなく、富士山そのものの反射波です。

 顔を上げると、真正面遥かに真っ白に雪を被った富士山を望むことができます。
「電探ってこんな物ですか? 富士山なら電探が無くても、あそこによーく見えますよ」
と、口をすべらしました。

「なにいっ! お前いくら目がよくても、真夜中にあれが見えるというのか!」
なーるほど、やはり電探は必要なのです。

 百里原航空隊時代は、同じような理由で酒保係を担当していました。当時の酒保(食堂
兼売店)は、物資不足のため各自が自由に買い物したり、飲食する時代は過ぎていました。
酒保で営業しているのは、散髪屋と洗濯屋ぐらいで、酒保物品は各分隊ごとに配給される
仕組みになっていました。これらの物品を受領して配分し、代金を集めるのが酒保係の仕
事です。

 菓子類など全員に配られる場合もありますが、石鹸やタオルなどの生活必需品は、一度
に全員に渡るほど潤沢ではありませんでした。だから、その配分には苦労しました。だが、
主計科に出入りするので、それなりの役得もありました。

 ある日、夕食が終わるとすぐに酒保物品を受け取るため主計科倉庫へ急ぎました。本来
なら、課業終了前に行くのですが、その日は飛行作業が遅くなり、夕食後になったのです。
「何しに来た! 今頃来たって何も残ってないぞ!」
と、主計科の下士官に散々嫌みを言われ、それを拝み倒すようにして、どうにか品物を受
領することができました。

 「皆はもう風呂にでも入っているのに、損な役割を当てられたものだ……」
と、鹿児島出身の福迫練習生と二人で愚痴をこぼしながら帰ってきました。

 すると、デッキの様子がおかしい。ペッタンペッタン餅つきの音がします。バッターの
制裁を受けている様子です。しまった! これはまずい、そーっと引き返して、しばらく
時間を潰しました。頃合いを見計らって素知らぬ顔をしてデッキに帰りました。甲板整列
はすでに終わり、同僚は大半が風呂に行き、残った連中は浮かぬ顔をしています。こちら
も、何だか後ろめたい気持ちで、配給された菓子を黙ってテーブルの上に並べました。

 考えてみると、酒保係は損な役割のようですが、主計科の兵隊とも仲良くなって、 結構
得をしていたのかも知れません。主計科の倉庫に出入りするので適当に「銀蝿」もしまし
た。「銀蝿」とは海軍の伝統的悪習の一つで、食料や嗜好品などを、正規の手順によらず
手に入れることです。酒保係の役得でした。
      

2-33、カラスとカモメ

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            「馬鹿者! そんなことは理由にならん!」


白菊特攻隊
         33、カラスとカモメ
    
 館山基地の付近にはカラスの大群がいた。特に烹炊所の洗場付近には、真っ黒になるほ
ど群がって、「ガーア、ガーア」と、残飯を漁っていた。人が近づいても、ちょっと避け
る程度で、逃げようともしない。また、海岸の近くではカモメが群れをなして飛んでいた。

 ある日、同期の吉田二飛曹が、短い南北の滑走路を使い、夜間飛行に備えて定着訓練を
実施していた。第二旋回を終わり沖の島を過ぎた付近で、突然エンジンが停止した。慌て
て左に降下旋回してどうにか飛行場に滑り込むことができた。だが、無理な横滑り着陸を
したため、接地の際に脚を折損してしまった。

 原因は、キャブレーターの空気取り入れ口にカモメを吸い込んだためである。駆けつけ
た整備員に、飛行機の処置を任せて指揮所に帰り、飛行隊長に状況を報告した。後席に同
乗していた内田二飛曹は証拠のカモメを提げて帰り、これを示して、事故の原因がカモメ
であることを力説した。ところが、

「馬鹿者! そんなことは理由にならん!」
と、飛行隊長から一喝された。吉田二飛曹は飛行機を壊したことに責任を感じて恐縮して
いる。ところが、内田二飛曹は不服であることを態度に現している。

 私も、エンジンが停止したにもかかわらず、墜落もせずに飛行場まで持ち込み、怪我人
も出さなかったのだから、飛行隊長の叱責は厳し過ぎると思った。それから間もなく、彼
ら二人はそれぞれ別の派遣隊に転属となった。事故が原因の異動だと噂された。

 飛行隊長の叱責も深く考えてみると、「誘導コース」では、いつエンジンが止まっても
確実に着陸できるように、常に細心の注意を払って操縦桿を握れと教えていたのであろう。
エンジン停止の原因よりも、操縦員としての、その後の処置を問題にしたのかも知れない。
実施部隊では、このように厳しい一面があった。

 この事故以外にも、カモメに体当たりされた話は数回聞いたことがある。それに比べて
カラスの方は頭が良いのか、烹炊所付近での残飯漁りが専門で、危険な飛行場へ侵入する
ことはなかった。


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