老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

2白菊特攻隊

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2-22、海 軍 葬

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                 珊瑚海からは生きて帰れたのに!

白菊特攻隊
          22、海 軍 葬

 収容した遺体は一カ所の火葬場だけでは処置できず、 私たちは一部の遺体を水戸市まで
運んで荼毘に付した。翌早朝、遺骨を納めて帰隊した。そして、早速役割を分担して海軍葬
の準備が始められた。

 私は酒保係をしていた関係で主計科に顔が効くとでも思ったのか、遺族係に指定された。
主計科から茶菓子などを受け取り、ご遺族の接待に当たった。だが、ご遺族の方々は突然
の事故の知らせで様子も分からず駆けつけられ、接待を受ける余裕などなく、事故の様子
を詳しく説明して欲しいとの発言ばかりであった。

 しかし、操縦していた者と後席に同乗していた者、それに、衝突の原因に直接関係した者
と衝突された者などのご遺族が同席している場所での説明には、憚られるものがあった。
だから、
「墜落の原因はただ今調査中ですから……」
と言葉を濁す以外に方法はなかった。

 堅田飛曹長の父親が、遺骨に取りすがって、
「珊瑚海からは生きて帰れたのに、なんでこんなことで死んだ……」
と慨嘆された。甲飛四期の先輩である堅田飛兵曹長は、珊瑚海々戦に雷撃機操縦員として
出撃し、敵空母ヨークタウンに肉薄雷撃を敢行して嚇々たる戦果を挙げられた方である。
しかし、 訓練中の殉職では、昇任や叙位叙勲などはない。

「こんな事故で死ぬくらいなら、珊瑚海々戦で戦死して欲しかった」
というのが、父親の願いであろう。

 また、遠く長崎から駆けつけられた同期生浅井君の父親が、
「なんとか戦死にしてください、殉職では遺骨を持って故郷には帰れません……」
と、涙ながらに訴えられる姿に貰い泣きした。

 当時の世相としては、戦死は軍人の最高の名誉であるに反し、事故による殉職はややも
すると身の不始末と考えられ、恥辱とされた時代である。立派な飛行兵となって故郷に錦
を飾って欲しかったのに、志し半ばに倒れ、親が遺骨を引き取ることになろうとは……。

      *
 海軍葬は厳粛にしかも簡素に実施された。格納庫の中に黒白の幕を張り巡らし、その奥
に祭壇が設けられた。そして、遺骨が安置され遺影が飾られた。関係者の整列が終わると、
ご遺族が入場され最前列に着席された。そして、司令をはじめ飛行隊長及び分隊長が次々
に弔辞を述べた。

 同期生を代表しての弔辞は江藤練習生が読み上げた。鹿児島航空隊の予科練入隊から、
谷田部航空隊の飛練と、共に猛訓練に耐え抜いた過去の思い出などが切々と述べられた。
そして、卒業を目前にしての別離に、同期生一同ただただ頭を垂れるのみであった。
 
 次に、礼式曲「水漬く屍」が吹奏され、整列した衛兵が弔銃を発射した。空包ではある
が格納庫の内部に反響し轟音となって響き渡った。
 
 終わって士官バスに遺骨を抱いたご遺族が乗車された。格納庫から隊門までの道路に、
総員が整列して見送る中、礼式整列した衛兵の「捧げ銃」の礼を受け、ラッパ「葬送行進
曲」の調べに送られて寂しく離隊された。初めて体験する事故処理や厳粛なる海軍葬に、
改めて飛行機搭乗員としての身の処し方に自覚を求められた思いであった。

       *
 事故の起きる数日前のことである。私は堅田分隊士に呼ばれた。そこで長兄が戦死した
との公電があったことを知らされた。そして「兄貴の仇を討て」と激励された。  その時は
その意味を深く考えなかった。ところが、飛練卒業直前に発表された実施部隊の配属先が、
九○三航空隊であったので、分隊士のご配慮を理解した。それは長兄が敵潜水艦の攻撃
を受けて戦死したので、対潜水艦部隊に配属させるから「仇を討て」という意味であった。

2-21、空中衝突事故

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                あゝ俺ら空行く旅烏 明日の命を誰が知る。
    


白菊特攻隊
         21、空中衝突事故
   
 昭和十九年十二月二十一日(木)、飛練の卒業を間近に控えて、最後の仕上げである、
「襲撃運動」の訓練が実施されていた。「襲撃運動」とは、単機で行う魚雷発射訓練と違
い、実戦を想定した雷撃訓練である。編隊を組んで標的に向かって進撃し、編隊を解散し
て雷撃を敢行する。次に、予定の集合地点で再び編隊を組んで帰投する訓練である。訓練
計画の説明が終わり、飛行訓練は開始された。

 当日の「搭乗割」には、第一回目の四番機操縦に私の名前があった。直ちにエンジンを 
起動し、試運転を開始した。プロペラピッチを低ピッチに切り替え、ブースト計、回転計、
油圧計、燃圧計等の作動を確認した。左右スイッチの切り替えによる回転落差の確認も、
手順どおりに実施したが特に異常はない。

 だが、ブースト圧力計マイナス百五十での回転数が、基準の千二百回転に対して五十回
転ほど不足している。これは、機材が古いための馬力不足が原因で、故障と名の付くもの
ではない。以前から同じ機番号の飛行機を使っていたので、その点は納得していた。だが、
その日に限って、この回転不足が気になった。

 それは、当日の訓練科目が、単機ごとに行う「発射運動」ではなく、編隊の集合解散が
訓練の主体となる「襲撃運動」だからである。そのうえ、指定された編隊の位置が四番機
であってはなおさらである。仮に、二番機か三番機であれば、馬力の不足をそれほど気に
せずに出発したかも知れない。

 それには理由があった。約二週間ほど前の十二月上旬、《敵機動部隊、関東地区来襲の
公算大》との情報で、稼動飛行機を一時的に、宮城県の松島基地に退避させた。その時の
使用機がこの日と同じ機番号で、編隊の位置も同じ四番機であった。

 故障ではないにしても、使い古して馬力の落ちた飛行機のため、離陸してから一番機に
追い付くのに時間がかかった。そのうえ、編隊を組んでからも、定位置を保持するための
エンジンの使い方で苦労した。

 二番機や三番機は、一番機に直接付くので、一番機との関係位置だけを確保して操縦す
ればよい。ところが、四番機は二番機との関係位置を保持するため、二番機が一番機に合
わせるための動きに、倍加する操作を強いられる。そのため、燃料の消費量も増大する。

 松島基地へ移動の際は、日立市上空を経て洋上に出るまで、風防の天井に頭を打ち付け
るほどの悪気流であった。上下左右にがぶられながら、編隊の定位置を確保するのに泣き
たいぐらいの苦労であった。

 そのうえ、北上するにつれて雲が厚くなり、ついに陸地が見えなくなった。後席は専門
の偵察員ではない。機付きの整備員二人と整備工具を積んでいる。当然ながら独自の航法
はやらない。 だから、編隊を離れると、どこを飛んでいるのか分からなくなる。そのうえ、
先ほどまでの悪気流で、搭乗に慣れない二人の整備員は既にのびている。

 一番機は、遅れがちな四番機を気遣ってやや速度を落としている様子である。そのため、
他の編隊とは大分距離が開いてしまった。編隊を組みながら、チラッチラッと陸地の方を
見るけれど、真っ白い雲に覆われて何も見えない。だから、今どの辺りを飛んでいるのか
見当もつかない。洋上では雲が消えるので、東側の海上は晴れている。眼下の海上を眺め
ると、一面に白波が立って、相当荒れている様子である。

 やがて到着の予定時刻が近づいた。だが、依然として陸地は見えない。前の編隊はいつ
の間にか姿を消している。飛んでいるのは、われわれの編隊だけである。遥か右方向にチ
ラッと島影が見えた。牡鹿半島の金華山あたりであろう。前面にかぶさるように雲が近づ
いた。一番機が高度を下げながら、大きく右旋回を始めた。

 いよいよ松島基地である。だが、未だ陸地が見えない。編隊は高度を五百メートルまで
下げて、二回〜三回と旋回を続けながら進入の機会を窺っている様子である。今度は燃料
が心配になってきた。普段の訓練飛行では、燃料コックの切り替えを省略するため、メイ
ンタンクのみを使用していた。だから、満タンにしても八百リットルである。燃料ゲージ
を引張って残量を確認する。

 スロットルレバーを一定の位置に固定して、経済速度で飛べる一番機とは、燃料消費量
に相当の開きがあるはずである。残量から推定して、もう百里原基地へ引き返すのは無理
のような気がする。どうしても、松島基地に着陸しなければならない。

 編隊飛行では、列機の操縦員は一番機と違い、編隊の定位置確保に専念するため、四囲
の状況を十分に観察する余裕がない。本来なら、後席の偵察員がこれを補い、現在位置や
目的地への到着時刻など必要な情報を提供する。ところが、今日の後席は偵察員ではなく
半病人の整備員で頼りにならない。チャート(航空図)は持っているが、ゆっくり見る暇
もない。

 やがて意を決したかのように、一番機が高度を下げながら真っすぐ雲の中へ突込んだ。
パーッと、白いものに包まれた。よく見ると、雲と思っていたのは吹雪であった。陸地が
微かに見える。一番機のバンクで編隊を解散した。単機になって改めて地上を見回すと、
真下に十文字の滑走路が黒々と見える。芝生の部分は真っ白になっているが、積雪の状況
は上空からでは分からない。

 風向きを確認して誘導コースに入る。南側から着陸するので再び海上に出てパスに乗る。
視界が悪いうえに、初めての飛行場である。慎重に操縦して無事に着陸することができた。

 以上のような伏線があったので、その時の苦労が蘇ったのである。馬力の弱いエンジン
と、四番機という条件の重なりに、
「馬力の弱いこの飛行機で、今日の訓練に参加したくない……」という気持ちが働いた。

 整備員に予備機を要請した。だが、当時は機材が古いため故障機が多く、予備機を準備
する余裕などあろうはずがない。古参の整備下士官が代わって試運転を行った。
「特に悪いところは無いと思うが……」
と、不審顔で言う。

「四番機で回転が上がらないと、編隊には付いて行けません!」
空中でのことについて、整備員に発言力は無い。
「それでは点火栓でも交換してみるか……」
そう言いながら、しぶしぶエンジンを止めた。

 その間、出発準備の整った三機は、一番機を先頭にして次々と離陸して行った。指揮所
に帰り、地上指揮官橘大尉に出発取り止めの状況を報告した。指揮所にペアの吉池教員が
待機していたので、搭乗割の変更について指示を受けた。そして、次回の組に参加するこ
とになり、指揮所で休憩していた。

 しばらくすると、艦攻が一機着陸して、列線に向かわずに真っすぐ指揮所前に乗り着け
てきた。何となく様子がおかしい。「 スワ何事!」と、指揮所にいた者は総立ちになった。
見れば、尾翼の大部分が切り取られた様に破損している。分隊士平野中尉が、顔を引きつ
らせて飛び降りてきた。
「空中衝突で二番機と三番機が墜落しました!」
と、指揮官に報告している。

 指揮所に居合わせた、中西中尉が、
「状況確認に出発しまーす」
と、地上指揮官橘大尉に報告して、列線に置かれていた、私が乗る予定であった飛行機に
飛び乗った。後席にはベテランの春原上飛曹が乗り込んで、直ちに離陸した。

 これは大変に事故になった。早速整備隊長の指揮で救難隊が編成された。練習生の一部
も加わって地上から現地に急行した。しかし、生存者はいなかった。そして、夕方までに、
堅田飛曹長以下五名の遺体を収容し、破壊した機体の一部も回収してきた。初めて体験す
る事故の悲惨さに衝撃を受けた。

 二番機 飛行兵曹長    堅田 瑞穂(和歌山)
       二等飛行兵曹  浅井 勇三(長崎)
       同         石徹白郁夫(福井)
          茨城県東茨城郡大谷村大字稲荷

 三番機 一等飛行兵曹  横倉 茂樹(東京)
       二等飛行兵曹  中根 良夫(愛知)
           茨城県鹿島郡旭村大字上釜

 横倉一飛曹は甲飛十一期生出身の先輩である。病気治療のた卒業できず、 われわれの期
に編入されて共に訓練を受けていた。不幸にもその日、 三番機の後席に同乗したため卒業
を目前にして殉職されたのである。

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             「桜花」を抱いた七二一航空隊の一式陸攻。と「桜花」。


白菊特攻隊
         20、「マル大」の投下実験を目撃

 昭和十九年十月三十一日(火)、それは二等飛行兵曹への昇任を翌日に控えた日の出来
事であった。既に任官の内示を受けていたので、練習生一同ご機嫌であった。

 その日は飛行作業もなく、午後の課業整列のために、庁舎前に集合していた。すると、
課業整列のため庁舎から出てくる士官連中が、しきりに、上空を気にしている様子である。
何事かと振り返って見上げると、一式陸攻が二機、三千五百メートルぐらいの上空を旋回
している。

 見ていると、突然一番機の胴体から何かが落下した。爆弾にしては大き過ぎる。
「アアッ! 小型飛行機だ!」
次の瞬間、真っ白な噴煙を引き始めた。そして、爆音もたてずに真一文字に降下してきて、
アッ! という間に着陸した。今まで見たこともない、特徴のある垂直尾翼を二枚もった
小型の飛行機である。

 午後の座学が終わるのももどかしく飛行場に行った。しかし、例の小型飛行機は一番北
側の格納庫に納められて、銃を持つた番兵を付けて一般の立ち入りを禁止している。とこ
ろが、情報屋はどこにでもいる。あの小型機が噂の人間爆弾「マル大」で、七二一航空隊
が当百里原基地で編成中であると聞き込んできた。「マル大」とは大の字を丸で囲んだ符
牒で、正式に「桜花」と命名されるまでの秘匿名称である。
oka.jpg人間爆弾「桜花」

 フィリピン方面における「神風特別攻撃隊」の「体当たり攻撃」については、まだ聞か
されていなかった。(実際には十月二十八日に発表されていたが、われわれが教官から説
明を受けたのはこの後である)ラジオは聞けない、新聞なども読む暇のない練習生の生活
では、教官や教員から戦況などの説明を聞く以外に、正確な社会情勢の知識などを得られ
る状態ではなかったのである。

 忽然として眼前に現れた新兵器に、戦局の重大さをひしひしと感じた。思えば八月下旬、
「マル大」と呼ぶ「体当たり機」の乗員を募集しているとの噂があり、二、 三の者が志願
を申し出たことがある。しかし、訓練途中の練習生は対象外で、お呼びはかからなかった。

 ところが、「マル大」の飛翔する姿を眼前に見るに及んで、「体当たり攻撃」を現実の
ものとして、認識させられることになった。戦局はそれほど逼迫してきたのであろうか。
それにしても、「体当たり攻撃」とは狂気の沙汰ではないか。

 飛行場には垂直尾翼に斜めの白線を画いた、七二一航空隊所属の一式陸攻が翼を休めて
いる。胴体の下には魚雷の投下器に似た形の、大きな懸吊装置が装着されている。これに
「マル大」を吊すらしい。「マル大」の乗員は発射前に母機である、一式陸攻の胴体から
乗り移るのであろう。                  

 また、「マル大」には到達距離を延ばすため、ロケットを装備しているとの話である。
だが、今回の投下試験ではそのロケットは使用していないと言う。われわれが、ロケット
の噴煙かと思ったのは、機体のバランスを保つため頭部の薬室に爆薬代わりに充填してい
た水を、降下の途中で放出したものらしい。それなら、実際にロケットを噴射すれば大変
なスピードになるはずである。そんな機体を操縦して、 果たして目標に命中することが可
能なのだろうか。

 更に重要なことは、例え命令だからといっても、爆弾そのものを操縦する「体当たり攻
撃」に、平気で出撃することができるのだろうか。技術的な問題もさることながら、精神
的な問題の解決が必要ではないかと強く感じた。

 寄ると触るとこれらの話で持ち切りとなった。「体当たり攻撃」は、志願さえしなけれ
ば直接自分には関係ないと思いながらも、せっかく二等飛行兵曹に任官したのに、その喜
びも半減した感じであった。

 人間爆弾「マル大」は、投下試験の成功により「桜花」と命名された。そして、編成中
の七二一航空隊は、数日後に神ノ池基地へ移動し、「神雷部隊」として本格的な実戦訓練
を開始したのである。

2-19、男度胸は雷撃隊

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                  雷装した九七式艦上攻撃機。


白菊特攻隊
         19、男度胸は雷撃隊

 九月十八日(月)、待望の雷撃訓練が開始された。雷撃は艦上攻撃機の御家芸である。
だから、編隊飛行以上に重要視されていた。最初は単機で行う「発射運動」から始める。
離陸して高度をとりながら鹿島灘に向かう。標的は民謡「磯節」で有名な大洗崎の突堤で
ある。

 標的を左九十度方向に見ながら、高度二千メートル距離約一万メートルの位置から左に
降下旋回しながら突撃を開始する。高度百メートル距離千メートルで魚雷発射。そのまま
標的の上空まで直進し、次に左上昇旋回で退避する。距離はすべて目測である。

 操縦員は照準器で標的を狙い、                          
「発射ヨーイ、テー!」
と呼称して投下把柄を引く。後部座席に同乗している練習生はストップウォッチを発動し
て、標的の上空に到達までの秒時を計る。これで標的までの距離を測定することができる。
百六十ノットで突撃した場合、十秒間で八百メートル進む。千メートルだと十二・五秒で
ある。

 雷撃で最も重要なことは、魚雷発射の際に飛行機を横滑りさせないことである。横滑り
しながら発射した魚雷は、海面に突入する際に角度が微妙に変わり、標的に直進しない。
同じ機首角度を保ちながら横滑りさせず、真っすぐ飛びながら発射することが、魚雷命中
の必須条件である。

 ところが、防禦側の対空砲火から見れば、低空を横滑りもせずに至近距離まで真っすぐ
に向かってくる飛行機ほど、照準し易いものはない。だから、雷撃機に被害が多いのは、
宿命的なものである。

 上達すると、高度五十メートル距離八百メートル程度で発射できるようになる。高度が
低いほど風の影響も少なく、標的に近いほど命中率は向上する。訓練が進むにつれて練習
生だけの互乗が多くなる。教員が同乗しないので物見遊山にでも行くように、ウキウキし
た気分である。

 いくら低空飛行をしても、自分が操縦桿を握っていれば安心できる。だが、他人の操縦
に身を任せるのは怖いものである。後席に同乗して高度計を読んでいるとマイナスを指す。
「おい! 大丈夫かっ!」
と叫びたくなる。百里原航空隊の標高は三十メートルである。出発の際に高度計はゼロに
合わせている。だから実際にはマイナス三十メートルまで余裕がある。ところが、当時の
気圧高度計はそれほど精密ではなく、一目盛りが十メートルである。だから、目測と勘に
頼ることになる。お尻がむずむずしてくる。

 後ろを振り返って海面を見る。プロペラの風圧で水しぶきが揚がっていれば、接水寸前
である。
「おい! 引き上げろっ!」
と、本音で叫ぶ。

 もちろん教員には内緒の超低空飛行である。「発射運動」訓練で指示されている魚雷発
射の高度は五十メートルである。だから、計器高度が二十メートルで海面の見え具合など
を会得するのである。ところが、教員が同乗していないと途端に超低空飛行を始める。事
故が起きないのが不思議なくらいである。

 最後の仕上げとして「襲撃運動」が実施される。これは実戦形式の雷撃訓練である。離
陸して飛行場上空を旋回しながら編隊を組み、鹿島灘に向かって進撃する。標的を左前方
に見ながら、一番機のバンクを合図に編隊を解散する。「単縦陣」を作りながら、標的に
向かって突撃を開始する。魚雷発射後は標的上空まで直進する。次に左上昇旋回しながら
退避する。そして、指定された空域に集合して再び編隊を組む。

 百里原航空隊での雷撃訓練はこの「襲撃運動」までである。後は実施部隊で錬成訓練が
行われる。実際の軍艦を標的にして、機数も中隊編成から大隊編成へと多くなる。機数が
多くなるにつれて襲撃の陣形も変わり、編隊の位置による各機の行動要領も複雑になる。

 雷撃は敵艦に対して発射角九十度(真横)で実施するのが理想である。六十度以下や百
二十度以上になると命中率は低下する。しかし、転舵しながら高速で回避運動を実施する
敵艦に対して、最良の射点を占めることは非常に困難である。そのため、多数機で取り囲
んで一斉に攻撃することで、その内の何機かが最良の射点を占めることができるような陣
形を作る。

 各種の陣形を作る要領は地上で教育を受け、編隊の位置により各機ごとに決められた行
動要領を理解する。またその当時「母艦戦闘法」と題する、搭乗員教育用の映画があった。
これは、索敵に始まり各機種が協同して実施する攻撃要領などを映画にしたものである。

 編隊を組んで進撃中、「敵発見」で指揮官は、一万メートル付近まで近寄り、「トツレ
トツレ(突撃準備隊形作れ)」を発令する。中隊から小隊へ、そして単機へと編隊を解散
し「単縦陣」になりながら、敵艦を中心に円を描いた陣形を作る。

陣形が完成する時期を見計らって指揮官は、「トトト(突撃せよ)」を発令する。全機
一斉に敵艦に向きを変えて突撃を開始し、魚雷を発射する。この陣形を「馬蹄形包囲陣」
と呼んでいた。

 ところが、この陣形では突撃準備隊形を作るのに時間がかかるので、その間に敵の直衛
戦闘機に各個撃破される恐れがある。だから陣形は迅速に作る必要がある。新しい戦法は、
「敵発見」と同時に距離にかかわらず指揮官は「トツレ トツレ」を発令する。 指揮官機
は敵艦に向かって方向を変え進撃を開始する。 第二中隊はその左側へ各機ごとに決められ
た間隔をとりながら横隊に開いて増速して先行する。第三中隊は同じく右側に展開しなが
ら増速先行する。第一中隊も当然解散して左右に間隔を開く。そして、左右両翼が指揮官
機よりも前方に出て、敵艦を両翼から包み込む陣形を作る。

 頃合いを見計らって指揮官は、「トトトト」を発令する。全機が一斉に敵艦に向かって
方向を変え、海面すれすれまで高度を下げながら全速力で突撃して魚雷を発射する。この
陣形を「扇形挟撃」又は「鶴翼の陣」と呼んでいた。

 この陣形での訓練では、標的艦の前方で参加した全機が低空で一瞬に交差することにな
る。天山艦攻が魚雷を発射するのは高度五十メートル以下で速度は二百四十ノット前後で
ある。 したがって、距離八百メートルで魚雷を発射すれば、標的艦の上空を通過するまで
に僅か七秒間である。この訓練で空中衝突事故を起こして殉職した者も多い。夜間だとな
おさらである。

 百里原航空隊でも夜間飛行は度々実施された。「薄暮定着」に始まり「夜間定着」「夜
間編隊飛行」と夜間飛行は重視されていた。当時の戦訓から、白昼の強襲は損害が多いの
で夜間雷撃が重要視されていたためと思われる。ただし、百里原航空隊では夜間の雷撃訓
練は実施されなかった。恐らく安全を考慮してのことと思われる。


♪雷撃隊の歌

一、狂乱怒涛の飛沫浴び
    海原低く突込めば
  雨霰降る弾幕も
    突撃肉薄雷撃隊

二、我が猛襲に怯えたる
    敵艦隊は逃げ惑う
  何んぞ逃さん小癪めと
    疾風迅雷追い迫る

三、真心こめて放ちたる
    魚雷は後を引き受けて
  敵艦目がけてまっしぐら
    忽ち上がる水柱

四、大轟音と諸共に
    敵艦一瞬影もなし
  ドット挙がる勝どきも
    嬉し涙の男泣き

五、あゝ皇国の華と咲き
    七つの海に翼はり
  敵を索めて幾千里
    往くぞ必殺雷撃隊

2-18、待望の実用機教程

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                  九七式艦上攻撃機。


白菊特攻隊
          18、待望の実用機教程

 「航空記録」によれば、百里原航空隊での飛行訓練開始は八月二日(水)となっている。
だから、エンジン起動や試運転などの地上教育は月曜と火曜の二日間実施されたことにな
る。地上指揮官は分隊長の橘大尉である。艦攻隊の指揮所は飛行場北側にテントが張られ
ていた。このテントは谷田部航空隊と違い張りっ放しであった。だから、見張用の双眼鏡
や椅子などを準備するだけで指揮所の設営や撤収は谷田部航空隊に比べて簡単であった。

 飛行隊長の後藤大尉や、飛行隊付きの中西中尉も、暇をみては指揮所に顔を出される。
飛行隊長は開戦劈頭の真珠湾攻撃に際し、航空母艦「赤城」の飛行隊士の配置にあって、
雷撃隊第二小隊長として参加された方である。中西中尉は平野中尉と海軍兵学校七十二期
の同期生である。

 飛行訓練は、九七艦攻(九七式艦上攻撃機の略、九七式とは皇紀二千五百九十七年即ち
昭和十二年に正式採用されたことを意味する)を使用する関係で谷田部航空隊とは手順も
内容も大幅に変わる。格納庫から飛行機を出して列線に並べる。ここで折りたたんだ主翼
を延ばす作業が加わる。燃料も積載量が多いので時間がかかる。        

 当時の海軍では工具類をはじめ、飛行機の部品なども日本語に訳さず、英語がそのまま
使用されていた。航空揺籃期の大正九年、海軍は霞ケ浦に陸上飛行場を開設した。そして、
翌十年「臨時海軍航空術研究講習部」を編成し、イギリスからセンピル大佐以下三十余名
を招聘してその指導を受けた。

 だから飛行機の部品や工具はもちろん、運用面にまでも英語がそのまま使用されていた。
エルロンやフラップ、それにラダーをはじめ、スロットルレバーにACレバー、スチック
(操縦桿)、フットバー(踏み棒)タブ(修正舵)、カウリング、スピンナーなどカタカ
ナでそのまま呼んでいた。チョークとは黒板に文字を書く白墨のことではなく、車輪止め
のことである。

 折りたたんだ主翼を延ばす際の掛け声は、「レッコー」である。燃料を積載する手順は
翼の上に乗り、横付けされた燃料車からホースの筒先を受け取って燃料タンクの注入口に
当てる。次に、燃料車の運転手に「ゴーヘー」と、指示する。運転手は燃料ポンプを駆動
させる。満タンになる直前に「スロー、スロー、ストップ!」と、叫んで燃料ポンプを止
めさせる。タイミングを失するとオーバーフローする。

 エンジンを起動して試運転を行う。プロペラピッチの変更も中練にはない手順である。
これを忘れて高ピッチのままだと回転数があがらない。「搭乗割」も三座の艦攻では中練
と異なる。前部の操縦席に練習生が乗り、中央の偵察席を改造し連動の操縦装置をつけた
所に教員が座る。この連動の操縦装置を付けた機体をディアルと呼んでいた。後部の電信
席にはもう一人の練習生が乗る。そして、操縦席の練習生と教員のやり取りを聞きながら
自己研鑚を行う。

 次に、操縦席の練習生と交替して操縦桿を握る。電信席には、次の順番の練習生が乗り
込む。三名のペアで二名が同乗するので、指揮所に残るのは各ペア一名である。だから、
全部で十名にも満たない。そのため、見張員などの指揮所要務や雑用などで休む暇もない。

 飛行訓練は「離着陸同乗」から始めるのは九三中練と同じである。ところで、九七艦攻
は引込脚になっている。そのため、離陸と同時に脚上げの操作を行い、第二旋回が終わる
と今度は脚を出す。第三旋回が終わって降下に移った所でフラップを降ろす。これに連れ
てタブを巻き上げる。九三中練に比べてスピードが早いので、「誘導コース」を回る時間
は短縮される。そのうえ、脚とフラップの操作が増えるので忙しくなる。

 第四旋回の高度は九三中練よりも高い。グライドパスの速度も九三中練の五十七ノット
に対して、九七艦攻は六十五ノットである。そして、最後の引き起こしも、眼高七メート
ルで九三中練よりも高い。それだけ機体の沈みも大きいのである。しかし、慣れれば特に
問題はない。また機体の重量も九三中練に比べればはるかに重く、脚の緩衝装置もオレオ
(油圧式)のため、中練に比べあまりジャンプはしない。

 離着陸の単独飛行(実際は練習生同志の互乗)が許可されると、次は編隊飛行に移る。
記録によれば、八月二十二日から既に編隊飛行を開始している。九七艦攻は九三中練に比
較して機体が重いので惰性も大きくなる。だから、その分早め早めの修正をしなければ、
キチンとした編隊が組めない。

 艦攻の水平爆撃は、先頭の爆撃嚮導機に列機はガッチリと編隊を組む。爆撃の照準をす
るのは嚮導機だけである。列機は嚮導機の合図で一斉に爆弾を投下する。だから、水平爆
撃の訓練は主として編隊飛行であり、編隊飛行の訓練は、即ち水平爆撃の訓練なのである。

 艦攻の実用機教程で編隊飛行の訓練を特に重視するのはそのためである。霞ヶ浦での低
空編隊飛行訓練ではプロペラで水面を叩いて、墜落寸前の事故を起こした者もいる。また、
小さな編隊灯だけを頼りの夜間編隊飛行訓練も徹底的に実施された。


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