老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

4特攻くずれ

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           「平和祈念の碑」建立記念。

特攻くずれ
        4-15、「平和祈念の碑」の建立

平成元年四月、会員の話し合いで基金を持寄り、公民館の庭に戦没者の慰霊碑の横に「平和祈念の碑」
を建立しました。碑文には、撰ばれて私の詩が刻まれました。

   永遠の 平和を念じ集いたる
      さきの戦に 征きしともがら

碑の裏面には、上弁城区出身の戦死者、二十三名と会員七十三名の氏名が刻まれています。

4-14、昭和戦友会

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               昭和戦友会の集まり。


特攻くずれ
         4-14、昭和戦友会

方城村でも一番山奥に位置する上弁城区は戸数七十戸余りの集落です。われわれが子供の頃は
一戸当たり数名の子供がいるのが普通でした。支那事変から大東亜戦争にかけて大勢の若者が
この集落から出征しました。総勢九十六名です。そのうち、私の長兄を含めて二十三名が戦死し
ました。そして、七十三名が無事に帰還することができました。

わが家のように、男兄弟三名がすべて出征した家庭も珍しくありませんでした。七十戸余の集落から
九十六名の者が出征したのです。年齢的に該当する者はすべて召集されていたのです。これが戦時
中における農村の平均的な姿でした。

戦争中ここ上弁城区から出征して無事帰還した者が集まり「昭和戦友会」を結成しました。そして毎年
正月の第三日曜日に集まり、総会と懇親会を行っています。

この会合には、家業を継いで田舎に残った者も、古里を遠く離れて他所に居を定めた者も、万障繰り
合わせて参集します。横だけの関係である同窓会と違って、縦の繋がりを含んだ構成なのです。

年齢的には相当の隔たりがありますが、何の違和感もありません。同じ古里の同じ環境で育ち、同じ
方言で話し合える者同士が、年齢を超えての交流です。

この会は「戦友会」の名称とは裏腹に、軍歌も歌はなければ戦功の自慢話もありません。話題の中心
になるのは、晩春の神事「祇園祭り」の山笠や、夏の夜の「盆踊り」、「六夜待」と呼ぶ青年団主催の
田舎芝居など、集落共通の四季折々の行事です。皆が共有している楽しかった思い出を語り合いな
がら、昔日を偲ぶのです。

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            「六夜待」出演記念。
特攻くずれ
         4-13、「六夜待」について

私の故郷上弁城では、「七月二十六日(旧暦)には三体のお月様が、山の端から上がる」との言い伝え
があります。このお月様を拝むため、昔の人は右京畑の堤の土手にムシロを敷いて、月の出を待って
いたうです。ところが、ご承知のように新月に近い二十六夜の月は、夜半を過ぎないと昇りません。

そこで集落の人々は、ご馳走を食べながら世間話をしたり、座頭唄(琵琶の弾き語り)を聞いたりして、
月が出るのを待ちました。「座頭唄」は私の子供の頃まではよく唄われていました。香春岳落城の物語、
「香春岳くずれ」や、高野山に出家した父を尋ねて旅をする「石童丸」の物語などです。それが浄瑠璃
や左衛門語り(浪曲)と次第に派手にり、舞台掛までして歌舞伎役者まで呼ぶようになったそうです。

この季節は農作業も一段落し、実りを待つ間の骨休めが目的で、月見は口実にしか過ぎません。明治
のころ日露戦争に出征した若者が、戦陣の合間に覚えた素人芸を持ち帰り、他所者を雇わずに自前の
芸を披露するようになりました。これが毎年青年団が行う「六夜待」行事として定着したのです。

「石童丸」 http://homepage2.nifty.com/amida/ishidoumaru2.html

4-12、平家再興の夢

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             西日本新聞「こだま」

特攻くずれ
         4-12、平家再興の夢
        
私は先祖伝来のある口伝を親から受け継いでいます。それは平家の落人たちが氏素姓を隠して農民
となるに際し、何時の日か平家再興のため挙兵することを誓って、武具や軍資金にするための財宝
を隠匿したというのです。口伝はその場所を伝えるものです。

これは文章や図面ではなくて、一定条件の者に対して、先祖代々口伝として伝えられたものです。
一度現場を確認して置きたいと思いながら、なかなか実現できずにいます。
 
我が家は長男が戦死したため次兄が家を継ぎました。今は次兄の長男が家を護っています。その甥
から、毎年税金を払っているのに、自分の相続した山林の場所を知らないと言うので、現地に案内す
ることにしました。この土地は元々は竹林で、子供の頃は筍かぎによく行っていました。

そして、その一部の比較的平坦な場所を選んで父親と杉の苗木を植え、下草刈りにも度々行ってい
ました。その杉も60年以上経っているので大きくなっているはずだし、場所はすぐに確認できる
と思って出かけました。

ところが私が村を離れてから50年、山の様子は激変していました。山道が無くなっていたのです。
子供のころ庭先同様に往来していた里道が跡形もなく、山は想像以上に荒れ果てていました。近年
は山菜などは見向きもされず、薪を焚く家庭など一軒もありません。だから、山に入る人など誰も
いなくなっていたのです。

平家再興の夢もさることながら、生まれ育った故郷の山々の荒廃を目の辺りにして、寂寥の念一入
でした。

藤湯の里 http://www.fujiyunosato.com/

4-11、弁城と伊方の由来

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              最盛期の三菱方城炭鉱。


特攻くずれ
         4-11、弁城と伊方の由来

福智山系の峰続きで、私の生まれた集落の端に「シロヤネ」と呼ぶ竹林に覆われた山があります。
山城の跡をしめす礎石や空堀が今も残っています。古老の話を総合すると次のようになります。
 
この城は源平の昔(保元三年)、平家の手によって築城されました。そのとき、杵島姫の命(弁財天
厳島神社)を祀り、居城を「弁財天」を戴して「弁天城」と名づけました。そして、城主として
「永野新九郎貞恒」が派遣されました。

今でもベザイテン(弁財天)の地名があり、その近くには、ヤノドンやオコンドンなどの屋号が残っ
ています。ヤノドンは矢野殿の意味で、矢野伝左衛門宗冬という武将の屋敷跡と言われ、オコン
ドンは右近殿のことで、右近少監友房の屋敷跡と言い伝えられています。

永野新九郎貞恒は、平家が壇ノ浦で滅亡したとき、その落人を導いて匿くまったそうです。その
場所は平家屋敷と呼ぶ地名で今も残っています。

また彼の一族は平家の滅亡により武士を捨て、農民となって暮らすことにしました。その家系は
今も永野姓として弁城の地に残っています。また平家の落人も氏素姓を捨て、武具を農具に変え
て農民として生きる道を選びました。

当時「弁天城」と呼ばれたこの里も、のちの人々が地名に「天」は恐れ多いと「弁天城」から天を
抜いて「弁城」と呼ぶようになったそうです。

中哀天皇は熊襲の反乱を平定するため、九州に兵を進めました。そのときこの地に弓矢に長じた
者が多いと聞き、召し出されて先鋒の軍に加えました。そしてその強さを認められこの里から毎年
5名の「射方(イカタ)」を出させて国役に就かせることにしました。それからこの地は「射方の里」
と呼ばれるようになりました。それが「伊方」の地名のはじまりだそうです。

方城村は明治22年伊方村と弁城村が合併して誕生しました。当時の人口は 3,332人と記録され
ています。その後、筑豊炭田の一角であるこの地に、三菱が炭砿を開発しました。三菱方城炭砿
です。黒ダイヤと呼ばれた石炭景気に支えられて、人口も逐次増加しました。

戦後の昭和31年8月1日、町制が施行されました。当時の人口は16,783人に増加していました。
ところが、エネルギー政策の転換による廉価な石油の輸入に対抗することができず、石炭の生産
は激減し炭砿は次々に閉山しました。そして、さしもの石炭景気は鉱害のみを残して終わりを告げ
たのです。

炭砿が無くなれば農業以外には生計の道がない所謂過疎の村です。国の施策による鉱害復旧
工事が細々と続けられましたが、昭和32年の 17,016人をピークにして町の人口は激減しまし。
平成3年4月には8,209人までに半減し、その後も減り続けています。

私の育った上弁城区もご多分に漏れず、農業以外にこれと言った生産手段を持ちません。その
農業にしても、生産性の乏しい山間の段々畑での耕作では後継者が育つわけもなく、典型的な
過疎の村となりました。

戦後の核家族化と若者の都会への流出で、農村の衰退は目を覆うばかりです。ことある毎に帰省
していますが、老人ばかりが増えて子供の数は極端に少なくなりました。戸数こそあまり減った感
じはしませんが昔の面影はすでにありません。

方城町 http://www.simo3-gappei.jp/

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