老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

5航空自衛隊

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

              山本五十六海軍大将。


航空自衛隊 http://www.warbirds.jp/senri/jasdf/
       5-164、神風特別攻撃隊員の精神基盤について(2)  


      本 論 

一、神風特別攻撃隊編成までの経緯 
              
南洋諸島の一角であるマーシャル群島が占領され、 聯合艦隊司令長官山本五十六大将に
続いて、古賀峯一大将も戦死された昭和十九年三月、私たちは甲種飛行予科練習生の課程
を卒業した。 そして、操縦員と偵察員に分かれて飛行術練習生の課程へ進み、飛行訓練を
開始した。猛訓練を受けること半歳、まず偵察員が課程を卒業して実戦部隊に配属された。

次に操縦員は七月末に中間練習機課程を終了、引き続き戦闘機、艦上爆撃機、艦上攻撃機
及び陸上攻撃機に分かれて実用機による訓練を受けた。 そして、機種によって多少の差は
あったが、 十九年末までに飛行術練習生を卒業し、 一人前の搭乗員として偵察員の後に
続いて、各地に展開している実戦部隊に配属され逐次戦闘に参加していったのである。

そして、昭和十九年十月の台湾沖航空戦がわれわれの初陣であり、初めての戦死者を出す
にいたった。この戦闘を皮切りに、七百余名の同期生のうち特攻戦死を含めて、二百数十名
の者が一年足らずの間に大空の彼方へ消え去ったのである。

私は操縦員に選ばれて谷田部空で中間練習機、次に百里原空に移って艦上攻撃機の操縦
訓練を受けた。卒業後は海上護衛部隊の中核である、九〇三空に配属され、艦上攻撃機の
操縦員としての配置についた。 ここでの日課は対潜哨戒と艦隊や船団の直衛である。また
数次のS作戦(対潜水艦制圧)にも参加した。 その間、B29の爆撃や敵機動部隊の空襲を
受けるなど、実戦の非情さを身をもって体験した。

当時は戦闘による戦死者以外にも、 訓練中の事故による殉職者も相当な数にのぼった。
ところが、身近に死傷者を見ながら、不思議に自分自身の死について真剣に考えることは
なかった。これは、現在自動車を運転する者が、交通戦争と呼ばれるほど事故が多発して
いるのに、自分だけは別だとか、 自分は絶対に事故など起こさないと思うことで、事故を
自分のものとして真剣に考えないのと同じ心理である。

俺の飛行機は大丈夫だ、俺には弾は当たらないんだと無理に思い込むことで、死につい
て考えることの繁雑さを故意に避けていたのである。また死に対する恐怖から逃れていた
のかも知れない。

昭和二十年二月、 海軍は基地航空戦力を強化するため航空艦隊の編制替えを実施した。
南西諸島(沖縄)方面に備えるため、第三航空艦隊の第二十五航空戦隊と連合艦隊直属の
第十二航空戦隊を主体にして、新たに第五航空艦隊を編制して九州方面に展開した。また、
今まで練習航空隊であった第十一、十二、十三の各聯合航空隊で、第十航空艦隊を編制し
第五航空艦隊の予備兵力として実戦に使用することにした。              

三月下旬、私は九〇三空から新編制の第十航空艦隊隷下の大井空に転属を命じられた。
ところが、同時に転属を発令された者はすべて操縦員に限られていた。だから、誰からと
もなく特攻要員ではないかとささやかれていた。

アメリカ軍の沖縄侵攻が開始され、 三月二十六日に「天一号作戦」が発動された。 当時
われわれ転属組は機種転換による操縦訓練を実施していた。ある日、飛行隊の搭乗員だけ
が講堂に集合を命じられた。そして、航空隊司令立ち会いのもとに艦隊参謀から聞かされた
ことは、部外はもちろん部内にも秘匿されていた聯合艦隊の現実の姿であった。

即ち、ミッドウエー海戦をはじめマリアナ海戦そしてレイテ沖海戦における、わが聯合艦隊
の壊滅的な損害と、 通常の手段では挽回することのできない彼我の戦力差であった。
そして、「一機で一艦を沈める体当たり攻撃」のみが残された手段であり、第十航空艦隊は
全機をもって「特別攻撃隊」を編成すると告げられたのである。

ここに至って、 初めて死を自分自身のものとして考えざるを得なくなった。  いくら危険
の比率が高くても、普通の出撃であれば万が一にも生還の可能性が残されている。だから、
「俺は生還できる」 「俺に弾は当たらない」 と信じることで不安を克服することができた。
だが、必死の「体当たり攻撃」ではこの考え方は通用しない。今まで心の片隅で恐れてい
ながら、極力考えまいとしていた死を現実のものとして解決する必要に迫られたのである。

イメージ 1

            特攻隊の体当たり攻撃。


航空自衛隊 http://www.warbirds.jp/senri/jasdf/
       5-163、神風特別攻撃隊員の精神基盤について(1)  


航空自衛隊に在職していた当時「戦争体験による教訓」との課題で提出した論文です。

   昭和四十五年一月十五日
                   第一教育部  一等空尉  永末千里

      序 論

自衛官の精神の基盤となるものは健全な国民精神である。わけても自己を高め、人を愛し、
民族と祖国をおもう心は正しい民族愛、祖国愛としてつねに自衛官の精神基盤となるもの
である。……と、 自衛官の心がまえに記されている。しかし、正しい民族愛や祖国愛とは
具体的にどの様なことかといえば、はなはだ漠然としたものである。

勇敢さでは定評のあるフランスの外人部隊や、 アメリカの選抜徴兵制度において、外国人
留学生を徴兵する状況などを考え併せると、民族愛や祖国愛が必ずしも軍人の精神基盤の
必須要件であるとは限らないと思われる。

また思想としての愛国心は、それぞれの立場で理論づけされるのだから、政治家をはじめ
学生活動家や反戦運動家にもそれぞれの主観に基づく愛国心があるはずである。だから、
抽象的に愛国心を強調することは、かえって混乱を招く結果となりかねない。

文化人と称する人で、戦争中は別段なにもしなかったのに、敗戦と同時にいかにも自分は
戦争に反対した愛国者であったような言動をする人がいる。 またこれに同調するように、
先だって佐藤首相の「国民各自が銃をとって国を守る気概をもってほしい」。旨の発言に
対して、「銃をとることだけが愛国心ではなく、銃を拒否した人が、より祖国愛に燃えた人で
あったことを、この前の戦争で学んだ……」との新聞投稿があった。

また一方の発言として、「腐敗、堕落した現代の日本は愛する価値がない。 愛せない」と
主張する人もいる。確かに汚職に明け暮れ国民不在の政治家や、私利私欲を貪る経済界
など、現代の日本社会には種々の欠陥が見受けられる。だから、この主張が間違いだとは
断定できないかも知れない。人はそれぞれの立場で民族愛や祖国愛を主張するのだから、
理論的に解決しようとしても結論は出せないのではなかろうか。

これによく似た例として、大東亞戦争末期における「神風特別攻撃隊」に対する評価がある。
同じ日本人が同じ行為を評価するのに、「真の愛国者」から「馬鹿げた無駄死」に至るまで
千差万別である。 これも、 それぞれの立場や思想などから止むをえないと思われる。
しかし、その大部分は「体当たり攻撃」を単に結果からのみ評価し、その精神基盤について
考察されていないきらいがある。またこれに言及している者も、当時の軍国主義的な教育を
問題とし、特別攻撃隊員個々の精神状態を追求しているものがほとんど見当たらない。

私は、 昭和二十年四月上旬から沖縄決戦の期間中と、本土決戦に備えて七月下旬から
終戦に至るまで、二度にわたって「神風特別攻撃隊」に編入されて出撃待機した。 そして、
死の瀬戸際に立ったぎりぎりの生活を体験した。この貴重な体験を当事者の立場から
記述してみたいと思う。そして、これが自衛隊での隊員指導の参考になれば幸いである。

5-162、 停年退職

イメージ 1

さらば航空自衛隊・・・・・


自衛隊うら話    
          5-162、 停年退職          

昭和52年2月、航空自衛隊を停年退職致しました。海軍時代、航空自衛隊時代の
思い出話を、長々と綴ってまいりました。しかし、ここで昔話はおしまいにして、
今後は新しい書庫に移りたいと思います。昔話に興味をお持ちの方は、次のサイト
にお立ち寄りください。

「蒼空の果てに」  http://www.warbirds.jp/senri/  
「自衛隊こぼれ話」 http://www.warbirds.jp/senri/jasdf/  

イメージ 1

            4級賞状受賞当時の会計隊一同。


自衛隊うら話    
          5-161、事故処理には万全を期しました

現在自衛隊の「殉職」に対する考え方は、旧軍におけるそれと大きな開きがあります。それは、
旧軍のように「戦死」と比較対照されないからです。また公務か非公務かの判断にも部隊指揮
官の人格が反映されます。だが、同じ公務死亡と認定されても、その内容は千差万別です。

航空機事故についても同様です。スクランブルの指令を受けての行動中で、止むを得ない事故
もあるし、これに準ずる訓練実施中の事故もあります。これらは、自衛隊の任務遂行のための
貴い犠牲であり、またそれによって貴重な教訓が遺されるのです。

ところが、中には疑問の残る事故もあります。例えば、本来の任務を逸脱し、上司の許可も受け
ずに意識的に訓練空域を遠く外れて飛行し、同乗させた整備員に迎合して気象状況も考慮せず
に低空飛行を行って山腹に激突した事例です。

当時者は生命で代償を払います。部隊側は貴重な飛行機を喪失したうえ、捜索や遺体収容それ
に後始末と、費用と時間の浪費を重ねる結果となります。 そのうえ新聞種にでもなれば、恥の
上塗りです。 関係者はこれらの対応に悪戦苦闘します。航空自衛隊の正常な発展のためにも、
この種の事故は撲滅したいものです。

それには、 訓練中の「殉職」は名誉ではなく恥辱であるという旧軍時代の考え方を復活させる
必要があると思います。 死者を鞭打つ気持ちは更々ありません。しかし、公務中であればいく
ら本人の不注意が原因の事故であっても、すべて名誉であるかのように取り扱う現在の風潮は
改めるべきではないでしょうか。

自衛隊最後の勤務地、第12飛行教育団は思い出多い場所でした。編成単位部隊としての功績
が認められ、空幕より「4級賞状」が授与されたのです。 自衛隊最後の勤務に華を添えました。
これも部下隊員の協力によるものです。ありがとうございました。

イメージ 1

             戦死と殉職の違い。


自衛隊うら話    
          5-160、部隊指揮官の判断  

練習生を卒業して、実施部隊で勤務するようになり、いろいろな事例に遭遇しました。 903空で
の出来事です。早朝に対潜哨戒に出発した一機が予定時刻を過ぎても帰投しません。その時期
敵機動部隊の来襲はなかったので、エンジン故障による不時着と判断されました。それにしても、
電報一本打つてこないとは不思議でした。

古参の搭乗員に言わせると、原因は間違いなく居眠りだと断言します。一人でも不時着前に目が
覚めれば事故には至らず無事に帰投できたのです。数日が過ぎても消息が不明で「戦死」と認定
されました。

単調な哨戒飛行が5〜6時間も続けば眠くなるのは当然です。特に最終コースで基地が近付くに
したがって気も緩んできます。

私も経験があります。903空時代に筑波派遣隊を離陸し館山基地の本隊に帰る1時間足らずの
コースでの出来事です。天気も良く目視飛行で航法の必要もないので、 安心して盛んにお喋りし
ていた後席が急に静かになりました。振り返って覗き込むと、偵察席も電信席も共に白河夜舟で
した。

また、要務飛行で八丈島派遣隊に飛ぶ準備をしている飛行機がありました。見ていると60キロ
爆弾を搭載しています。人員輸送が目的だから、爆弾を積まないほうが身軽なのにと思っていま
した。ところが、これには別の魂胆があったのです。爆弾を積まず単なる要務飛行で不時着など
の事故を起こして死亡すれば「殉職」扱いです。しかし、爆弾を積んで飛行目的を「対潜哨戒」に
しておけば、たとえ不注意による事故であっても「戦死」として取り扱うことができるからです。                                        

最近、戦没同期生の名簿作成のため当時の死亡状況の調査を行いました。個々に状況を調べる
と、訓練中の事故で明らかに「殉職」と思われる事例でも「戦死」と認定されています。 その反面、
当然「戦死」と認めてもよいと思われる状況でも「殉職」と厳しく判定している事例も見受けられます。
これは当時の部隊指揮官の人格や、人事担当分隊士の性格などに因る判断の差であると思われ
ました。


.
sen*i0*20
sen*i0*20
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

ブログバナー

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事