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旅立ちまで…。

この旅を思い立ったのは4月くらい、それまで「夏は山口!」と決めていたが大学の年間行事予定で試験と丸被りしていたので断念、そんな中、新潟地区にキハ58・52を置き換える目的で秋からキハE120を投入するとある場所から情報をキャッチしたので国鉄派な僕として「またか…」とうなだれた。しかし、それと同時に撮りたい欲求を覚え、山口の代わりに新潟でも行くかという事でプロジェクトを立ち上げた。

そして5月の近畿遠征が終わった時からどういう感じで撮影を行うかを時刻表の索引地図を見ながら考え、米坂線・磐越西線に入って撮ろうと計画していた。

そしてそのまま8月、試験が終わると真っ先に大学図書館で時刻表を開いた。しかし米坂線の坂町口は本数が少ない事を知っていて、案の定この辺りの乗り方に苦労し、かなり悩んだ時だった。頭をよぎったのは高校1年生の時、当時計画したのは九州・中国地区遠征、ムーンライト九州を使って九州へ、広島に戻って芸備線、伯備線経由で岡山から帰郷するプラン、最大の目的は2005年に少年ジャンプで掲載され、ブームになった「いちご100%」に登場した「東城綾」という名前、この「東城」が芸備線に存在し、行こうと計画したが、夏を前にエヴァにシフトし計画もいつの間にか自然消滅。あれから3年、また今回もかと思ったが今回は「行きたい」気持ちが勝り、計画を進め、米坂線の列車も羽越線で新津まで来る事を知り、それから新潟地区の行程はほぼ固まり、その中に「ばんえつ物語」を入れても何ら問題はなかった。そして「新潟に行くなら長野も行こう」という事で長野には115系長野・しなの鉄道色を見に行くことにした。

出発前にホテルが既に満室という事で一週間出発を遅らせるというトラブルがあったがそれにより、片道しか撮れなかった「ばんえつ物語」が往復で撮れる状況になり(既に新潟口では復路が厳しい状況)、これもシナリオの1つだったかもしれない。



しょにち

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いよいよ出発の時、朝6時に自宅の最寄り駅を出て金沢を出るのは朝7時前、実際のところ7時半に出ても直江津につく時間は一緒でこんなに早く出ても時間を持て余す以外に方法は無いのだかあまり来ることの無い北陸本線の富山以北で撮影してみようと言うことで先ずは富山8時19分発の糸魚川行きで親不知へ、その折り返し電車で隣の市振駅まで少々戻る。貴重な機会をこうして使い、そして親不知では4076レ、市振では北越2号を撮影していよいよ直江津へ。

ここで前日の東海集中豪雨のために91レがウヤということを知り、直江津では普通に乗り換え、これまでの記録だった青海川駅を通過、いよいよ記録の更新を狙う。
そして長岡で乗り換え、新津では3098レを撮りに途中下車したらなんとここで新潟までの回送、6両編成の先端にキハ52 123が、これは幸運と新津での停車中に撮影しまくり、回送を見送り16時26分発の普通新潟行きで新潟へ、そして重い着替えと日曜日のTBN録音のためのラジオが入ったバッグをホテルに預けて身軽になった僕は翌日の「SLばんえつ物語」撮影のために馬下へ移動することに、そしたらなんと列車(2238D)の最後尾は先ほどのキハ52 123ではないか。

暑い+ほかの車両は冷房が入っているにも関わらず迷わずこの車両に乗って窓は全開、自然の風をどんどん車内に送り込む、しかしいくら冷房が効いていない不利な車両でもラッシュ時となればお客は続々乗ってくるもの。僕の座っていた4人掛けは満席、車両では立ち客が出るほど、でもこれも亀田、新津、五泉と過ぎるうちにどんどん減っていき、ついには猿和田駅でこの車両に乗っているのは僕ひとりに…貸切状態になればもう撮影モード、車内を見ていろいろ撮影してきたがその光景を見ていた車掌に終点の馬下駅に着くなり「君、どこから来たの?」と訊かれ「金沢から10時間かけて来ました」と言うと「それはお疲れ様です」と半ば呆れ顔で言っていた。
そしておよそ12分の撮影時間のうちにバルブをしたりしていたがここで雷と雨が…。山に近い馬下、山には稲妻、そして山の形が見えるほどに光り、怯えながらの撮影となったが定時で着た新津行き(233D)に乗車して馬下を離れる。結局下見どころではなく少々不安が残る感じにはなったが19時27分、新潟駅に着くと「らくらくトレインシリーズ」から越後路の普通列車までバルブ撮影…すると先ほど馬下で撮影していた列車が新潟駅に入線、車掌と目が合った瞬間、互いに「おっ!」と言う展開に…。
そして「快速べにばな」の時間まで途中で一度駅を出て松屋で牛飯を食べて夜の新潟を満喫。そして「べにばな」が入線…なんとキハ52 127でした。1日で3両もキハ52を見れる(残り1両は昼間の新津でキハ47と48に挟まれる122番でした)とはなんという強運の持ち主、と自画自賛しつつその運用を辿り22時の新津行きを撮影して、「きたぐに」と「ムーンライトえちご」を明日に回す形でこの日は終えることにした。



ふつかめ

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ホテルの有料チャンネルの案内を見て誘惑に負けそうになった1日目の夜、零時に布団に入ったのにもかかわらず1時間後には目が覚め、体力が足りなくなりそうだと不安になりつつ結局深い眠りにつたのも束の間、すぐに朝を迎え、2日目の始まり…。
この日は朝から新潟近郊を細かく移動、先ずは朝6時45分の電車でさつき野へ、ここで約2時間主に下り電車を撮影、キハ47の4両からキハ110の5両、「きたぐに」に貨物から「ばんえつ物語」の送り込み回送まで、しかしこれが先行貨物の影響で少々送れ、本当は新潟に戻って少々撮影してから馬下に逃げるはずが安全策のため新潟には戻らず先回り。ここで宇都宮の人と出会い、彼もここで撮影しているのだが「いつもひとりで、ここで初めて会ったのは君だった」とのこと、まあ、土曜日と言うこともあり沿線は人出も少なく一番驚いたことはあの「早出川橋梁」に撮影者がゼロだったこと。
それはともかく、昨年10月の「北びわこ」以来のSL撮影と言うことで気合も入り、そして定刻の10時40分、爆煙を上げながら通過して行った。そして宇都宮の彼は妻子を列車に乗せていると言うことですぐに高速道路のほうに向かって車を走らせて行った。
そして僕はと言うと11時10分発の新津行きまで30分の待ち時間、すると馬下駅にSLを見に来た幼稚園児とそのおばあさんに出会う。列車好きということもありこれまで撮影してきた写真を見せ、子供はいささか興奮気味。そうしているうちに30分なんてあっという間に過ぎ、列車に乗り込む。子供に手を振ってあげると子供は手を振り、おばあさんは深々と頭を下げていた。

さて、新津に戻ってからが暇な時間、狙いは16時の3097レと3098レ、それまでの時間をどう過ごすか…一先ずお昼を新津駅近くの中華料理屋で食べ、小阿賀野川橋梁がある荻川駅へ。しかし蒸し暑かったのと住宅街の入り組んだ道、どんどん体力は消耗しここでの撮影は30分もしないうちに切り上げ。荻川駅の冷房が効いた待合室でしばらく休み、ここから田上駅へ行くも構図取りが難しく、1時間待って次の電車で保内駅へ向かった。ここで狙いの3097レと3098レを捕獲、カマ番は76号機と129号機…ここでも運が味方してくれたようだった。

そして時間になったので新津に戻り、磐越西線は五泉駅で入線・停車中の列車を狙うこととした。すると昨日乗った馬下行きの列車が五泉の駅で交換することを知った。なるほど、昨日五泉の駅で交換も無いのに停をかけたのにはそんな理由があったのかと思っていると後2両は昨日の「べにばな」に入っていたキハ52の国鉄色+キハ47のタラコ色。そしてSLのヘッドライトが見えると遠方からシャッターを切り出し、いい収穫となった。しかしここまでいろいろな強運に巡り会えていてこの先、青海川で土砂降りになったりしないだろうか…天気予報を見ると日曜日の上越地方の天気はあまり芳しくなくあまり撮影も出来ないかとあきらめつつ新津行きの普通列車を待ち、ここからは新潟まで昨日と同じ行程で行くことにしたが昨日は20時から22時まで攻めたのでこの日は21時から23時まで攻めようと空き時間はホテルで24時間テレビを見ているとちょうど久本雅美が石川県の穴水町を訪ねているところだった。

そして「べにばな」から撮影をして昨日撮り残した「きたぐに」「ムーンライトえちご」を撮影したがここで卒倒されそうな出来事があった。まあ、これを詳しく言うと閲覧している大概の人がどん引きしそうなので伏せておくとしてこの日の活動も終了した。



みっかめ

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やはり疲れがピークに達していたのだろうか、ホテルに戻るとベッドになだれ込んだ昨晩。おかげでそれなりに熟睡できて体力も回復したので気合を入れなおして挑む3日目は基本は移動。新潟から長野まで隣県のはずなのに自分の行程では新潟を8時41分に出て長野に着くのは16時30分…。それでも1日目から見て2時間近く違うのでそれほど苦ではなく、個人的にはこの日が1番楽しみな日でもあった。

さて、新潟を8時41分に発車するのに僕が新潟駅に現れたのは朝7時、ここでも狙いがあった。一度新津に行き、昨日しっかり撮れなかった「ばんえつ物語」の客車部分をゆっくり撮影しようと言うもの。しかし日曜日と言うこともありそこそこの人出があった。それでも約30分、のんびり撮影して再び新潟へ戻る。そしてまだ撮っていなかった下りの快速「べにばな」を撮影して昨晩卒倒しかけた急行「きたぐに」を撮影して8時41分、新潟を離れることにした。
しかし8月31日で夏休み最終日とはいえ、大学生はまだまだこれからが夏休み本番。乗り込んだ列車には大学生のカップルがいて網棚には青いバッグとピンク色のバッグ…自分の三脚を上に乗せたバッグを見て何だかうらやましさと情けなさを感じた。

そして越後平野を見ながら列車は長岡へ。ここで乗り換えて長鳥、北条を過ぎたところで6月の大糸遠征の時にお世話になった地元のカメラマンにメール。青海川へ行き、一度長鳥へ戻るのでそこで会いませんかと訊いたところOKを貰った。一先ず青海川へ向かい、駅に降り立つと潮風を感じ、天気予報がいい方向に外れ、瑠璃色の水平線と重なる空は蒼く感動を覚えつつ来る列車を撮影していった。と、ここで東京から来た大学生と大学院生の男女に出会い、そのふたりの写真を見せてもらうと米坂線で乗った列車がキハ58の青色…正直うらやましかった…。そして彼らは13時の電車で長野に行くということで約1時間のお付き合いを頂き、別れが惜しかったがこの出会いで今回の旅行の意味を改めて発見したようだった。

そしてカメラマンと合流し、地元の「明治饅頭」をご馳走になり長鳥へ行くとなんと彼のお父さんも合流、3人での撮影となりここでも充実した時間を過ごすことができた。そして直江津からは少しでも楽に移動しようと「妙高」を利用、各駅停車なので当然青春18きっぷでも利用OK。特急型での旅を楽しんだ。そして16時30分、長野に着くと善光寺口から出て、ホテルにチェックイン。しかし、後々思ったことが自分が歩いていた歩道で「欽ちゃん」コールと「FREE TIBET」コールが交錯していたんだよなと…。その当時から思っていることが「FREE TIBBET」と言っていた人間もランナーである欽ちゃんを知っていたら「FREE TIBET」の旗を掲げながら「欽ちゃん」とコールしていただろうと…。

そして夜になるのを待って篠ノ井線の普通列車で姨捨駅へ…。いやあ、本当に長野市内の夜景が綺麗だったこと。夜景をバルブしたのは5月の大津サービスエリア以来、以前からここの夜景はきれいだったという情報があったがそれは本当で信越本線の山線移動の疲れもこれで吹き飛んだ。そしてわずか30分の時間なんてあっという間に過ぎたが姨捨から稲荷山に向かう列車の窓から飛び込む夜景を見て、飛行機で空を飛んでいる感じさえした。そして20時29分、長野駅に戻りこの日の行程も終わった。

そして列車移動こそ終わったがあとホテルでやらなければならない仕事があった。いつも石川県で聴いている「林原めぐみのTokyo Boogie Night」を聴くこと。これも毎週の恒例行事でこれを聞かなければ日曜を終われないので23時を待って録音開始。放送時間やCMのときに「がんばって!」が流れると言う放送形態が違うことも遠征ならではであった。



よっかめ(最終日)

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何らかんら言っても今日で最終日、幾分寂しい気がするけどこの日もほとんど移動に費やすことになり、とりあえず昨晩感動を覚えた篠ノ井線の姨捨駅、この筋を行程作成段階で入れていたのもここへ行きたいと言う「憧れ」だったのだろうか。しかしその前にとりあえず湘南色でなくてもいいのでしなの鉄道の169系を撮影したく朝の長野駅へ、それにしても遠征先の運用データなんて持っているはずもなく、知識としてあったのは「しなのサンライズ」、以前にTOMIXから限定品として発売されていたのを覚えていたので時刻表で調べて待っていたら予想通り169系9両が。それでも放送では「この電車の後ろ3両にはご乗車できません」と、とりあえずここは臨機応変に長野〜篠ノ井間で駅撮りできる場所へ移動すべく8時13分の小諸行きに乗車。JR区間ならしなの鉄道車両に乗っても何ら問題ないんだもんね〜。
と、思っている暇もなく「かぶりつき」しながら撮影地検索。それでもJR線内は横を新幹線の高架が走っていて影の串刺しになり、まあダメだろう。とりあえずしなの鉄道線、屋代高校前駅で撮影するかと思っていたらひとつ隣の安茂里駅の線形が微妙にセクシーで、新幹線のおかげで逆光にもならないと思い迷わずこの駅で下車。セットしていると手前の線路に115系6両が、客扱い終了と同時に向こう側の線路の果てから115系長野色が、上手い具合に被ってくれた。

そして定刻どおりに169系が来たがなぜか9両のまま、まあ長いほど嬉しいのだが「何で?」って思っていたらその理由は単純明解、安茂里駅の客扱い許容範囲が6両までだったからだ。しかし、6号車に車掌が乗務し、ホームから3両だけはみ出す光景は「ナニコレ珍百景」だったなあ。そんなことを思いつつ一路姨捨駅へ、やはり夜に見る風景と昼に見る光景は違うなあと思いつつ、「最長片道切符」関口さんが田植え体験をしていた棚田も見てきたがまだ稲刈りには少々早かった。そして時間なんてあっという間に経過するのさと言うくらいに帰りの時間。ここで入ってきたのがJR東海の313系電車だったことに驚き、折り返し快速天竜峡行きに順当される光景を見たら飯田線もJR化かという現実に向き合うこととなってしまった。まあ、平成も20年経ったことだし、逆に国鉄型車両が生き延びているのも奇跡と思わねばならないと駅前のスタバでバニラクリームフラペチーノを飲みながら考えていた。

そして長野から直江津に戻る途中で北長野を車窓から眺めていたが201系の中央線色はいなく、113系の房総色、209系の京浜東北色がいて、それは直江津にも疎開回送されていた。そして直江津で209系の京浜東北色を撮って思わぬ産物と思いつつJR東日本に別れを告げ、久しぶりに475系に乗車した。そして富山に着くと荷物を預けて越中八尾へ、混色なキハ58などを見て金沢に着いたのは19時を少々回った頃。そしてラストランナーは475系A16編成、もちろん帯なしのクハに乗り今回の旅を終えた。



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