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先妣のらくがき帖より
明治・大正・昭和の思い出などが雑然と・・・

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「三十三間堂棟木の由来」(*1)を六代目菊五郎(*2)が八幡で公演したのは 開闢以来の珍事

そのわけは 当時の長官(*3)が大の菊五郎の贔屓の旦那だったので 是非にとの希望で実現したのだそうな

今月は顔見世月(*4)で思出した

(*1)卅三間堂棟由来:さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい。
     人形浄瑠璃の一。
     「祇園女御九重錦」の三段目柳のお柳の件りだけを上演した時の題名。
     以後、もっぱらこれが行われる。

(*2)六代目菊五郎:六代目 尾上 菊五郎(ろくだいめ おのえ きくごろう、
     1885年(明治18年)8月26日 - 1949年(昭和24年)7月10日)は
     大正・昭和時代に活躍した歌舞伎役者。屋号は音羽屋。
     定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。俳名に三朝がある。
     本名は寺島 幸三(てらしま こうぞう)。
     初代中村吉右衛門とともに、いわゆる「菊吉時代」の全盛期を築いた。
     歌舞伎界で単に「六代目」と言うと、
          通常はこの六代目尾上菊五郎のことを指す。
         (ウィキペディア2016.7.8)

(*3)長官:官営八幡製鐵所の長官

(*4)顔見世:昔を偲ぶだけの季語である。
     今でも京都南座では十二月に顔見せ興行があるが、
      勿論、本當の仕来たりを守ったものでなく、
     東京でも顔見せ興行といふ名を冠する芝居をこの頃見かけるが、
      これも名のみのものにすぎぬ。
     昔は十一月に新らしい歌舞伎の座組が出来たので、
      その一座の顔見せとして興行が人気を呼んだのである。
   (『新編 歳時記』水原秋櫻子編 (株)大泉書店 昭和49年2月1日 35版)


《巷の凡人の雑感》

昭和57年の12月頃に書かれたものです。

文章の内容は
大正の終わりか昭和のはじめのようですが、よくわかりません

したがって、製鐵所の長官の名もわかりません

『卅三間堂棟由来』は歌舞伎でも上演されているようです。
…が
六代目菊五郎が八幡で、この演目を上演したかどうか…もわかりません

全体に、私では確認できない内容です。(^^ゞ

亡母は歌舞伎も文楽も好きでした。
私は文楽を何度か観ましたが、
 歌舞伎はテレビだけで、舞台は一度も観たことがありません。


博多座十一月 花形歌舞伎「石川五右衛門」
の公演案内をみました…
うーん(゜-゜)

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(「勧進帳 六代目菊五郎」と書かれた亡母のきりぬき帖より)

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