昨夜、NHKで津波(TSUNAMI)の番組が放送されていました。
この画像は、もう何年も前に知人から頂いたもので、HPにも載せているのですが、
改めてUPさせていただきます。
南海地震 昭和21年(1946年)12月21日 午前4時19分発生
[[attached(1)]]
以下、原文のまま。
私が、高校時代に徳島測候所の方に頂いた写真ですが、数値が、判るデータはありませんでした。
多分、変位計の記録だと思われます。
南北動の記録が、針が振り切れて飛んでいます。これは、一般の地震計で記録出来ないほど、
地震動が、大きかったことを示しています。
私の高校時代は、紀北で群発地震が発生していたことと、高校の地学の先生に熱心な方がいて、
地方の測候所と同じか、それ以上の地震計・傾斜計などの設備が設置されていて、徳島測候所から
データを欲しいと言われ、送ったときに返礼に送られてきた写真です。
参考:当時の地震計は、滑らかな紙を石油の煤でいぶし、その煤を削って、動きを記録していました。
記録後は、煤を固定するためにニスで固めています。 何かでこすったような白い傷は、記録を取るために慌てたため、ニスをかける時にどこかに触ったので無いかと思われます。
今は、殆ど電気信号にして記録しています。このようなことも無いし、記録を直ぐ解析できるのですが、
当時は慌てても、ニスを乾かすのに30分くらい掛けていましたし、急がない時は、一日後にデーターを
読み取っていました。
|
昭和東南海地震。
揺れや津波の範囲がこれ以前の「東海地震」よりも西寄りで狭く、駿河湾付近は震源域にならなかったとされている。このことが、昭和期に駿河湾のみを震源とする東海地震の発生が危惧された原因となった。
紀伊半島から伊豆半島にかけての沿岸に津波があり、羽鳥(1979)によると紀伊半島東岸で6-9mに達したが、遠州灘では1-2mであった。
被害は東海地方が中心であり、飯田(1977)によると死者・行方不明者1223人、住家全壊約1万8千棟・半壊約3万7千棟・流失約3千棟と記録されている。
戦時中のため当時は詳細不明で、後になってから被害状況が分析されている。
御前崎市、津市で震度6、中部・近畿の計8県で震度5を観測。
約2年後の昭和南海地震との時間差連動と見られ、合わせて昭和地震と呼ばれることがある。
2018/12/8(土) 午後 5:59 [ 地震・雷・火事・津波 ]
> 地震・雷・火事・津波さま
ご訪問ありがとうございました。(お礼が大変遅くなり申し訳ございませんでした。)
2019/5/14(火) 午後 10:30 [ 瀬音 ]