瀬音の写真集

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※ 2013/11/30 撮影時のデータです。
 
 
※ 晩秋〜初冬の旅でしたので、紅葉の写真があります。(今の時期に変ですがお許しを)
 
 
ひとつ前の記事は下記のリンクからご覧頂けます。
 
『大興善寺と熊野神社1 自然石彫像板碑など (佐賀県三養基郡基山町園部) 』
 
 
イメージ 14
 
大興善寺、御本堂での参拝を終えて、境内を散策です。
 
上は、九州四十九院薬師霊場、結願所のお堂。
 
こちらのお堂を拝見し、御本堂の方へと戻ろうと思ったのですが、そばの石段が気になり上がってみると…。
 
 
イメージ 1
 
 
このような建物に。
 
 
イメージ 2
 
 
このような表示です。
 
『許可なく拝殿の使用を禁ず。 熊野神社』
 
萱葺き屋根の御本堂にも驚きましたが、まさか熊野神社が鎮座しているとは露知らず、2度目のびっくりです。
 
こちらは御拝殿ですね。
 
 
イメージ 3
 
 
そして、山側、一段高くなった場所に石造りの御本殿だと思われます。
 
 
イメージ 4
 
 
御拝殿の中には絵馬が奉納されていました。
 
 
イメージ 18
 
4基の石神について説明がありました。( 案内板より)
 
「昔から子孫の繁栄を願って性神を祭る風習がみられますが、この石神も氏神様の境内に陰陽の二神を祭ったものと思われます。」
 
 
イメージ 17
 
 
左側の2基をアップで。
 
左、梵字のような印と辨財天(弁財天)の文字が刻まれています。
 
右、白い模様が入った石。
 
 
イメージ 5
 
 
大興善寺の山門の脇から熊野神社へと続く階段があったことに気がつきませんでした。
 
写真、右奥(階段下)に鳥居が見えています。(熊野神社境内から撮影)
 
その左側の屋根は鐘楼の瓦屋根。
 
 
イメージ 6
 
 
こちらは、大興善寺の御本堂方面から見下ろしたお寺の境内です。
 
右手の屋根が先ほどの鐘楼の瓦屋根。
 
 
イメージ 8
 
 
ピンボケですが、こちらが鐘楼です。
 
熊野神社の境内には御由緒の案内板が見当たりませんでしたので、後日ネットで調べてみたところ、既に、み熊野ねっと様サイト・全国熊野神社参詣記への投稿がされていました。
 
また、私は気がつかなかったのですが、山門のそばには、平重盛の家臣が重盛公の遺髪を埋めたと伝わる供養塔・小松内府の塔が建立されているそうです。
 
大興善寺のご住職のブログにには、異説もあるとのことですが、小松の名の地名もそのことに由来するといわれていると書かれていました。(※ 境内には、九州三十三観音霊場、第四番札所、小松山つつじ寺大興善寺と記された案内板も設置されていました。)
 
家族か私のいずれかが、小松内府の供養塔を写していないかと、デジカメやスマートフォンの写真をチェックしたのですが、紅葉の隙間に供養塔の囲いが三本ほど写っている程度でした。
 
 
み熊野ねっと様サイト 全国熊野神社参詣記 熊野神社(大興善寺境内社)
 
 
 
イメージ 7
 
 
左の隙間に囲いが見えています。
 
事前の調査不足ですね。
 
遠くまで出掛けたのに残念です。
 
 
イメージ 9
 
 
御本堂の右手に向かうと、契山(ちぎりやま)の散策路マップが設置されていました。
 
私達は午後の遅い時刻に訪れましたので、そちらの方を見学する時間がありませんでした。
 
契山観音、堅い契りのハート、弁財天の池などがあるそうです。
 
案内板の左下には、契山は恋人たちの聖地に認定されていると書かれていました。
 
 
イメージ 10
 
 
こちらの屋根は、お寺の庫裏だったと思います。
 
帰りは例の階段は使わず、右手の坂道を利用しました。
 
 
イメージ 16
 
 
植栽で、つつじ寺と記されています。
 
あちらが大駐車場のようです。
 
 
イメージ 11
 
 
坂道で見つけた道標です。
 
「基肄城址への最短歩道 3.3k」と書かれています。
 
『基肄城』 ウィキペディアよりコピー
 
基肄城(きいじょう)は天智天皇4年(665年)に大宰府防衛のため、基山(きざん)に築かれた古代山城。現在の佐賀県三養基郡基山町から福岡県筑紫野市にかけて城跡が残っている。」
 
 
その下は、「きのくに歩(古)道」。
 
和歌山県に縁のある方なら、私でなくても読み返してしまうと思います。  
 
基肄、椽(ウィキペディアより)、紀ノ国? 紀伊国? 3度目のびっくりです。
 
 
先ほどの道標付近に、基肄城跡と周辺のハイキングコースについて記されたA4サイズのちらしが置かれていました。
 
上記、基肄山歩会(きいさんぽかい)様発行のちらしより要約させていただきますと…。
 
・ 自然地形を利用、基山(きざん)(404m)とその東峰(327m)にかけて谷を囲み、約4.3㎞の土塁(尾根沿い)と石塁(谷部)を巡らし、途中に4箇所の城門お置いている。
 
・ 南側の石塁には、谷水を流すための水門。
 
・ 城内には、武器や食料などを備蓄するための倉庫と思われる建物跡。(尾根部を階段のように整地して建設)
 
・ 大野城や基肄城など同時期の城は、朝鮮の山城と同様の造り、朝鮮式山城と呼ばれている。
 
・ 城は戦闘用のみでなく、付近の住民などが避難するためのものでもあったと考えられている。
 
「わが国最初の本格的な朝鮮式山城として、歴史的・学術的に極めて貴重な遺跡です。」と結ばれています。
 
 
 
イメージ 13
 
※ 画像拡大の仕方 → 画像にカーソルを当て、右下に表示される虫眼鏡マークをクリックしてください。 
 
ひとつ前の記事とほぼ同様の地図ですが、頭を整理したいので印をつけてみました。
 
鳥栖市の文字も上あたりのオレンジ色の丸が基肄城跡(7世紀)、太宰府市付近の紫色の丸が大野城跡(7世紀)、糸島市付近の紫色の丸が怡土城(いとじょう)(8世紀)、福岡市の文字に掛かった赤色の弧が元寇防塁のライン(13〜14世紀)、唐津付近の青色の丸が名護屋城跡(16世紀)。
 
 
イメージ 12
 
 
臨時バスにてJR&甘木鉄道基山駅へ。
 
JRにて博多駅へと向かう車中、水城駅を通過。(車窓から)
 
 
イメージ 15
 
博多駅に到着。
 
向かい側に停車中のハウステンボス号(回送列車のようでした)。
 
この日も内容の濃い1日となりました。
 
 
案内板やちらし設置に感謝いたします。
 
 
本日もお付き合い頂きありがとうございました。
 
 
天台宗別格本山大興善寺様 だいこうぜんじ  住所 佐賀県三養基郡基山町大字園部3628 
公式サイト http://www.daikouzenji.com/
 
佐賀県基山町様サイト 基肄城とは  基肄城 史跡巡りコースマップ 
(山城とのことです。お出掛けはお怪我や事故のないようにお願い致します。)
 
 
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関連記事は下記リンクにてご覧頂けます。
 
『秋月散策1 西鉄天神駅〜西鉄甘木駅〜甘木観光バス(福岡県朝倉市) 』
 
『史実と歴史ロマン 甘木鉄道 卑弥呼 HIMIKO号(宝くじ号)など(福岡県甘木駅〜佐賀県基山駅) 』
 
 

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こんばんは。
いいお堂と石神ですね。
こちらの紅葉もいいですね。
この辺りも昨日は大雪だったのかな?

2014/2/15(土) 午後 9:19 こまっちょ 返信する

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こまちょさま 大興善寺やこちらの熊野神社は、博多からも近い場所に位置しますので秘境ではありませんが、山寺の雰囲気ですよね。
九州地方も場所によっては雪の積もる場所もあるようです。佐賀や福岡方面、今回はどうなのかな。大雪は本当に困りますね。ナイス恐縮です。

2014/2/16(日) 午前 9:25 [ 瀬音 ] 返信する

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