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写真の整理中です。 ※ 2015年9月撮影時のデータです。 無窮洞入口 地図で確認しますと、川を挟んで、対岸の建物は、宮中学校だと思われます。 中学校の近くには、宮小学校もあるようです。 無窮洞 むきゅうどう 無窮洞は、戦争中に宮国民学校の先生と生徒たちによって掘られた防空壕です。 岩壁に「無窮洞」と大きく彫られた下にある「工事概要」には「本工事ハ昭和十八年八月二十九29日起シ、同二十年八月十五日炊事場ヲ未完成ノママ停止セリ。作業ハ一切外部ノ労力ヲカラズ爆薬をソ用イズ、職員生徒児童ノ手ニヨリ つるはし、のみ、かなづち、くわヲ使用セリ。底面積凡七十坪 内四十坪ヲ板張リトシ映画場ノ設備ヲモ施セリ…」と書いてあります。 「無窮」とは、「きわまりのないこと」「かぎりないこと」で、日本と子どもたちの将来がいつまでも栄えることの願いを込めて書いているのでしょう。 当時、小学生だったお年寄りの話によると、小さな体で鍬やツルハシで少しずつ掘り、先がつぶれたツルハシは学校の工事場で、鍛冶屋さん宅の児童が修理したということです。 女子もホゲなどで、土運びをして手伝い、全校生六百人が入れるような広い地下壕ができました。 板張りの教室には、石の教卓やローソク立てがあり、書類棚、倉庫、炊事場、トイレもあり、防空壕で生活できるよう準備されていたようです。 入口は川の方向に二つあり、山へ出る非常口は、通風口でもありますが、山から下の方へ掘るものと、中から上に掘るものが、つながった時は大変喜んだということです。 無窮洞は、子どもたちの労力で完成させたとは思えないような立派なものです。 平成6年の水不足は深刻で、無窮洞は立派な文化財なので惜しむ声もありましたが、貯水池に利用されました。 後に別の場所に貯水池ができたので、平成14年の佐世保市政百周年記念行事に、無窮洞の復元整備工事をして一般開放することになりました。 宮地区青年事業会猪の会製作(平成19年7月) 寄贈 佐世保中央LC 五島LC 佐世保東LC 佐世保南LC 佐世保みなとLC 佐世保えぼしLC (案内板の設置に感謝致します。) 周辺の様子 (いいところですね) 防空壕を掘る少年と少女の石像
(案内板より) この石像は戦後の青年団事業として茶園を造成して活動したのであったが、後に、その茶園を売却することとなり。その資金の中から、当時、無窮洞、掘削に関与した同士の好意により、当時の思い出として、作成・建立し、寄贈したものである。 平成19年 10月吉日 宮村の先覚者 長野常道 ながのつねみち氏 (現地案内板より) 長野常道は、慶応2年(1866年)宮村に生まれた。 梅ヶ枝酒造(国指定登録文化財)で育ち、常に正義節操を尊び、漢学の素養深く、若くして政治運動に熱心で、憲法発布の促進をされた。 明治31年、推されて宮村村長になられた。 原野の植林をすすめ、村有林を持つ財政豊かな村にされた。 明治34年、当時としては壮大な二階建て教室を新築し、隣村に先駆けて高等科を設置。 江上村、崎針尾村、川棚町からの通学も受け入れて、教育の振興に努められた。 明治30年より24年間、県会議員に連続当選。 大正4年からは県会議長になられた。 議会でのめざましい活躍が「長崎県議会史」に記載されている。 昭和6年(1931年)に逝去。 功績を顕彰し、教育上の効果を期待して、昭和30年に胸像が建てられた。 平成20年7月 宮地区青年議会 猪の会製作 平和の鐘 (案内板より) この鐘は米海軍佐世保基地司令官より、平和の鐘として寄贈していただきました、 岩を掘って造った階段
佐世保市の米軍基地前にて
私は、防空壕内の見学はさせて頂きましたがが、写真を撮しておりません。 内部の様子や場所は、長崎旅ネット様のサイトを見せて頂いてください。 長崎旅ネット様サイト 無窮洞のページ https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/61274/ 最後までご覧頂きありがとうございました。 ☆案内板の設置に感謝致します。 |
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