瀬音の写真集

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只今、写真の整理中。

※ 2017年3月撮影時のデータです。


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一つ前の記事、嬉野温泉シーボルトの湯 駐車場前に設置されている嬉野温泉の周辺案内地図。

画像、上方の白い○が豊玉姫神社の場所です。


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豊玉姫神社の鳥居


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振りかえる感じで(奥が参道入り口)


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豊玉姫神社 鳥居〜御拝殿


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手水舎


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美肌の神様 豊玉姫神社 縁起 (現地案内板より)

豊玉姫神社の歴史は古く、天正年間(1573〜92年)兵火のために焼失してしまいましたが、元和年間(1615〜24年)には、社殿を再建し、藩主、鍋島直澄の祈願所となりました。

以来、歴代藩主を始め、地元住民の尊崇を集めています。

豊玉姫様は海神の娘で、竜宮城の乙姫様としても有名であり、古来より、水の神、海の神として広く崇敬を集めています。

豊玉姫神社のお使いは、「なまず」です。

嬉野川を支配し、郷の守りについていて、国に大難あるときには、六尺の大なまずが現れて、神託を告げると語り伝えられています。

この「なまず様」は、古来より「肌の病」にご利益があるといわれています。

豊玉姫様は乙姫様であり、その肌は美しく、嬉野の温泉の効能と相まって、「美肌の神様」として、広くしたしまれています。

(案内板の設置に感謝致します。)



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神様のお使い 白鯰の像

豊玉姫神社 大神のお使い 美肌の神様 なまず社 とのことです。
 

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なまず社の案内板には、  嬉野地区では、古来より「なまず様」を粗末に扱ったり、危害を加えると、祟りがあるので、食用にすることさえ禁じている と記されています。


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境内社 素戔嗚尊をお祀りされていたように思うのですが、半年前のことですので記憶が曖昧です。
(写真を放置してしまい、すみません。)

この記事は、以上です。

最後までご覧頂きありがとうございました。



只今、写真の整理中。 

※ 2017年3月 撮影時のデータです。

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嬉野温泉 シーボルトの湯

すぐ近くに シーボルトの湯駐車場がありました。


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薬師如来堂 シーボルトの湯に隣接


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薬師堂 (現地案内板より)  (かなり傷んでいて判読が難しい箇所あり、入力ミスはご容赦ください。)

薬師如来は嬉野最初(?)の如来として
古くから此の地に鎮座し、お湯の神様
として町民に敬崇され、毎年八月十二日には
薬師祭が行われている。
大正十一年一月四日の嬉野大火に御堂
ならびに○○発見(?)と共にあったと伝
えられてい○千古の○樹大くすの木も
災禍に会い、その後再建され現在に至っている。

嬉野雑詠

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薬師堂の石段


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薬師堂裏手 長崎街道 嬉野湯宿 上使屋跡の石碑


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上使屋跡 (現地案内板より)

江戸時代、嬉野町は、佐賀藩蓮池支藩の支配地でした。

当時は長崎街道、嬉野宿(嬉野湯宿)と呼ばれ、大村領から佐賀領に入った、第1番目の重要な宿場でした。

上使屋(御茶屋)とは、大名、長崎奉行、幕府役人、他藩の上級武士を休憩宿泊させ接待するためのもので、
佐賀藩では、二十ヶ所ほどが用意されていました。

嬉野湯宿の上使屋は、武雄御茶屋とともに、温泉つきの特別のもので、現在の湯遊広場から、この場所あたりまで設けられていました。

文久二年(1862年)、豊玉姫神社境内の一部を取り入れ拡張され、新上使屋が完成しましたが、江戸幕府が倒れ、廃藩となり、明治四年、民間に払い下げられて、塩屋という嬉野第一の温泉となりました。

塩屋は、大正十一年の嬉野大火の折りに焼失しましたが、上使屋の門は、嬉野町下宿の明元寺の山門として現存しています。

平成十二年 嬉野町

(案内板の設置に感謝致します。)


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岩戸川に掛かる鉄橋


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南無薬師如来と書かれた幟 と 石門(鳥居風?)


嬉野市 公衆浴場シーボルトの湯 
http://www.city.ureshino.lg.jp/sightseeing_culture/458.html

嬉野市様 公式サイト
http://www.city.ureshino.lg.jp/top.html


最後までご覧頂きありがとうございました。 

☆テスト表示の際、なぜか1〜3枚までの画像が表示されていなかったようです。正式UPでも表示されていなければご容赦ください。


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※ 写真の整理中です。  2017年3月 撮影時のデータです。

嬉野温泉、轟の滝の近くに祀られている熊野神社に参拝させて頂きました。


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熊野神社 石段

この地を訪れて感じたのは、那智の大門坂バス停辺りの雰囲気に似ているということ。

場所 佐賀県嬉野市嬉野町大字岩屋川内


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熊野神社 石垣


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鳥居


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鳥居の扁額


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御拝殿


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稲荷社


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境内の様子 土俵


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昭和十二年 熊野神社再興千百年式年祭祈念碑 


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境内の祠


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『熊野神社 御由緒沿革』 現地案内板より

所在地及び社名

旧:佐賀県藤津郡東嬉野村岩屋川内

現在:佐賀県嬉野市嬉野町大字岩屋川内

村社  熊野神社

末社  正一位 稲荷大明神


御祭神

伊弉諾大神 いざなぎのおおかみ

伊弉冉大神 いざなみのおおかみ

事解之男神 ことさかのおかみ

菊理媛命 きくりひめのみこと (案内板の通りに入力致しました)

由来

大権現が天竺国より西大(さいだい)(岩屋川内藤川祭代)にお降りになられ、
「これ吾が有縁の地」と暫くご滞在された処といわれ、今もこの地を祭代(さいだい)と
呼んでお祭りしている。

平安時代、日本の諸神も仏の化身だとする神仏混合説で阿弥陀如来を熊野大権現と称え、
夫婦の結びが厚く『阿弥陀如来熊野大権現』として富貴神寿命神(ふきのかみじゅみょうのかみ)
として信仰が続いた。

時代は遷り、徳川幕府が天下を治め、万治三年庚子霜月、肥前蓮池初代藩主、鍋島直澄公は、
領内の安穏と五穀豊穣・武運長久を祈願され、現在地(下岩屋亀頭六きづろく)に遷宮再建された。

その後、明治維新により藩政が奉還され、明治政府の神仏分離によって、当宮も十二所権現宮
熊野神社と改名、村社として現在に至る。


行事

二月十九日  祈年祭

十月十七日  例祭

十二月十八日 新嘗祭


式年祭

再興千百五十年式年祭 (昭和62年11月)を挙行する。


(案内板の設置に感謝致します。)

こちらの記事は、 み熊野ねっと様 『全国熊野神社参詣記』への投稿とjほぼ同じ内容です。

み熊野ねっと様のサイトへのリンク
http://www.mikumano.net/


轟の滝は、2017/3撮影時、河川の改修工事中で水が濁っていました。白黒にしてUPしておきます。ご参考まで。

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このグラウンドの圓両山に、役行者を祀る神社(祠? 御嶽三所大 神? 明神?)がありました。


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最後までご覧頂きありがとうございました。


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ゲバラが愛用したカメラ(ロビー展示)

☆ ロビーでの撮影のみ可能とのことでした。


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ゲバラ語録(ロビー展示パネル)


恵比寿ガーデンプレイスにて、写真展 『写真家チェ・ゲバラが見た世界』 開催中。 2017/8/27(日曜日)まで 

時間の等、詳細は、下記、公式サイトにてご確認ください。 ※ 8/27は、15:00 最終入館 との記載あり。
http://che-guevara.jp/


ウィキペディア チェ・ゲバラ 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%90%E3%83%A9

自分の為のメモ 朽ち果てた草葺き屋根の家屋  古代遺跡


※ 2017年7月撮影時のデータです。

短い記事ですが、宜しければご覧下さい。


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油山(あぶらやま) (現地案内板より)

油山は、福岡
市の中心部から南西に10㎞ほどのところに位置しています。

緑にあふれ、鳥や小動物なども多く、市民が気軽に楽しめる憩いの場になっています。

また、この片江展望台はじめ、所々に展望台が設けられ、市街地から、はるか玄海灘へと続く眺望を楽しむことができます。

油山の名は、油山観音の寺伝によれば、敏達元年(572年)に、油山観音を開いた清賀上人が、自生する椿の実から灯火用の油をしぼり、筑前各地の各寺へ送ったことに由来するといわれます。

仏教にちなんだ史跡も多く、僧達が学んだ鎌倉時代の学問所は、九州で当時、最大と今に伝えられています。

油山には、油山16景などの歴史を探訪したり、木漏れ日を楽しみながら山頂を目指したりできる、いろいろなハイキングコースがあります。

それぞれの目的や体力に合わせて、心地よい山歩きをお楽しみください。


油山16景

昭和の初期頃、油山観音の境内にある十六羅漢にちなんで、麓に住む人達が中心になって、油山の歴史や伝説の舞台を示す「油山十六景」を定めたといわれています。

現在、福岡市が各所に、いわれを記した表示板を立て、道標で場所を案内しています。

1.六地蔵
2.坊住跡
3.鎮西国師学寮跡
4.新羅式石門
5.光ヶ滝

6.油谷
7.浩然台
8.妙見岩
9.国見岩
10.姫ヶ淵

11.夫婦岩
12.山笠岩
13.白波の滝
14.天狗岩
15.道徳坊の谷
16.夫婦滝


(案内板の設置に感謝致します。)


野鳥観察の案内板によりますと、油山は、ハチクマ(渡り鳥) という鷹の仲間の『渡り』(9月下旬〜10月上旬)を観察できる貴重な場所とのことです。
※ 渡りのピークは、秋分の日前後頃で、11時〜15時の間に最も多く確認でき、多いときには、1時間に200羽ものハチクマが上空を通過すると記されています。


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北側 博多湾方面

志賀島〜海の中道が、うっすらと見えています。


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西側


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福岡空港を飛び立つ旅客機


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さらに右へ 南側

画面奥は、左右から山が迫っているので、大野城市〜太宰府市方面かと思われます。

(水城の場所が気になりますね…)


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片江展望台から坂道を少し下り、レストランMORI テラス席利用にて、ちょっと一息。

アイスカプチーノ だったかな。

美味しく頂きました。ごちそうさまでした。


(最後までご覧頂きありがとうございました。)

Yahoo!blog瀬音の写真集『特別史跡 水城跡 水城の構造 断面(福岡県大野城市 太宰府市 春日市)』記事へのリンク 
https://blogs.yahoo.co.jp/seoto_kisyuu/63631672.html

福岡市 油山市民の森・自然観察の森様 公式サイトへのリンク
http://www.shimi-mori.com/index.html

眺望の良い レストランMORI モリ様 公式サイトへのリンク 
http://www.restaurant-mori.com/


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