瀬音の写真集

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2016年11月に、長崎県島原市の温泉熊野神社に参拝させて頂きました。


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左手が普賢岳、右手が眉山かと思われます。

眉山右手を回り込むように進むと、島原城。


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島原城内(現在地と記されている箇所)に設置されている観光地図より、緑色の円が温泉熊野神社の鎮座地。

※ 島原市内に音無川の地名あり。



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温泉熊野神社鳥居

近くに島原鉄道バスの熊野神社バス停がありました。


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社額


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温泉熊野神社の湧水池と小さな石橋


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不老門


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温泉熊野神社の御拝殿


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天然記念物の大楠


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『長崎県指定 天然記念物 熊野神社の大楠』 (現地案内板より)

雲仙山麓の代表的な大楠として古くから有名な神木です。
樹高約19メートル、目通り幹回り8メートル。

天正12年(1584年)島津・有馬の連合軍と佐賀の龍造寺隆信の率いる軍が沖田畷(なわて)で
戦いました。

島津氏の将、伊集院田忠棟は兵一千を率いて、ここに陣地を置き、龍造寺軍を破って大勝することが
できました。

その戦勝の記念に大椋とともに献木したのが、この大楠と伝えられています。

昭和35年7月13日指定
長崎県教育委員会
島原市教育委員会

☆案内板の設置に感謝致します。


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境内の社殿(石段下)


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石碑

右から
普賢神社
温泉熊野三柱大神
國玉神社


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左手、大工棟梁と刻まれています。


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温泉熊野神社境内の祠と滑り台


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天満宮石碑

奉寄進石燈籠
天満宮 廣前
元文五年三月吉祥日
と刻まれています。


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周辺の様子

右手が諫早湾方面、左手が普賢岳方面。

普賢岳の東側には諫早湾の穏やかな海の景色が広がります。


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周辺の山を別角度から。こちらは、左手が眉山方面、正面が普賢岳かと思われます。(噴煙?)


温泉熊野神社の 御由緒案内板を現地でみつけることはできませんでした。
長崎県神社庁様のサイトを拝見しますと、旧社格は村社、御祭神は白日別命外8柱と記されています。

長崎県神社庁様公式サイト
http://nagasaki-jinjacho.or.jp/index.html


☆この記事は、み熊野ねっと様、全国熊野神社参詣記への投稿とほぼ同じ内容です。

み熊野ねっと様サイト
http://www.mikumano.net/index.html



2016年11月、熊本県天草市に祀られている亀川熊野坐神社に参拝させて頂きました。

(また久し振りに記事UPさせて頂きます。)

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熊野坐神社が祀られている場所は、亀川小学校前の道路を300mほど南下した右手山側です。(九州産交バス通山バス停近く)


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熊野坐神社の鳥居


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熊埜社と刻まれた鳥居の社額


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社叢


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熊野坐神社 社殿

気持ちの良い風が吹いていました。


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扁額

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『亀川(かめがわ)熊野坐神社』 (現地案内板より)

1.御祭神

 熊野速玉神(伊邪那岐尊)  熊野夫須美神(伊邪那美尊)  
 家都御子神(素戔嗚尊)

2.神社の由緒

 熊野坐神社は全国各地に数多くまつられ、紀伊の国(和歌山県)の熊野三社を根本社としています。
 万治3年(1660年)の天草検地帳に「亀川村産社(うぶしゃ) 亀川熊野権現」と記載してありますが、その由緒は極めて古く、創立年代は不詳です。

 古来より亀川の地は、天草上島と下島の接点であり、有明海と不知火海とを結ぶ陸海交通の要衝です。
 土器や古墳の発掘などより、天草 の中では、いち早く立派な村落を形成したものと思われます。

 この亀川の地を開発した祖先の人々が熊野の信仰に生き、陸海要衝の交通安全守護、
 農耕山林殖産興業など家内安全・五穀豊穣・商売繁盛の守り神として、亀川の里の氏神様・産土(うぶすな)様として、この神社を創建し、鎮祭されたものです。

 現石鳥居は天保9年(1838年)、本殿は文久2年(1862年)の建立です。

 ※ 産社・産土様とは、生まれ育った土地・地域の鎮守の神様のことです。

3.主な行事・お祭り
 1月 正月元旦初詣       6月 初旬 虫追い祭り
 10月15日 秋の例大祭    12月 初旬 願成就祭

 秋の例大祭は毎年10月15日、亀川各地が交替で当元を受け継いで勤めています。
 伝統のふるさとあげての神楽、獅子舞、神幸行列は盛大です。

 各家に子どもが生まれた際には、男の子なら31日目、女の子であるなら33日目にお参りする
 「髪立て(宮参り)」のならわしが古来よりあります。

 亀場地区振興会
 亀場町公民館  平成21年3月作成

☆案内板の設置に感謝致します。


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御本殿の屋根に鴟尾シビの飾り。


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狛犬さん


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狛犬さん

現地を訪れるまでは、熊野坐神社 くまのにいますじんじゃ と読むと思い込んでいましたが、熊野神社を探すため道に迷ってしまった際、地元の女性の方に尋ねますと、読み方は くまのざじんじゃ とのことでした。
(詳しい道順を教えて頂きありがとうございました。ご親切に感謝致します。)


☆この記事の内容は、み熊野ねっと様の全国熊野神社参詣記への投稿とほぼ同じ内容です。

み熊野ねっと様サイト
http://www.mikumano.net/


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背振山系の峠を越え、富士しゃくなげ湖〜佐賀大和(Yamato)の與止日女神社よどひめじんじゃへと向かってみました。

宜しければご覧下さい。

※ 以前ご紹介させて頂いた、淀姫神社(佐賀県武雄市朝日町大字中野)とは別の神社です。


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福岡、糸島・白糸の滝からの眺望。前原方面かと思われます。(画面奥が北、背後が南)


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糸島・白糸の滝

過去記事 Yahoo!blog瀬音の写真集『福岡県の白糸の滝・小蔵寺・熊野神社(福岡県糸島市白糸)』は下記リンクからご覧下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/seoto_kisyuu/63322717.html


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福岡県と佐賀県の県境付近です。

峠越えの道路はかなり狭くヒヤッとする箇所もありました。事故の無いよう安全運転を心がけたいですね。

自分の為のメモ 地名 富士町無津呂 獅子舞岳 羽金山 藤瀬 神水川 麻那古 石渡 


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富士しゃくなげ湖 (道の駅あり)


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富士しゃくなげ湖周辺見どころマップ (現地案内板より)

1.塩嘗地蔵しおなめじぞう?

2.副ダム

3.子安神社

4.栗並運動公園 夫婦石(子安神社近く)

5.たなかのパン

6.神水川パークゴルフ

7.大野のアジサイ

8.大野代官所跡 (幕末から明治期)

9.金福寺 明治の偉人、江藤新平蟄居の地。

10.大野茶屋

11.中原公園

12.中原の薬師如来堂 平安時代中期の一本造りの仏像。

13.音無湿地

14.藤瀬神社の藤

15.嘉瀬川ダム管理支所

16.ダムの駅富士『しゃくなげの里』 地元農産物や加工品販売。レストラン『風樹』

17.西畑瀬の弘法大師・滝・水 おちゃっさんの水

18.太閤石 豊臣秀吉が一休みしたときに座った石と伝わる。

19.あやめ橋 花崗岩の眼鏡橋。富士町では一番長い石橋。(ダムに水没する橋を移築)

20.森の香 菖蒲御膳

21.神代勝利公墓 (安土桃山時代に、山岳戦において龍造寺軍を悩ませた武将の墓)。

22宮の淵散策路 斎藤茂吉歌碑

23.古湯温泉街 「日本の温泉百選」に選ばれた温泉地。

24.小説家・笹沢佐保記念館

25.釣りスポット

26.松森稲荷神社 産土神

(案内板の設置に感謝致します。)


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自分の為のメモ 
佐賀 Saga 大和 Yamato 古湯Furuyu市街 池原 Ikebaru 樫原湿原


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古湯温泉トンネル


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堰? 一部石造りの橋


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熊の川温泉の地名


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鮎の瀬水力発電所


イメージ 9上熊の川小学校付近

この写真には写っていませんが、左側に熊川大明神が祀られているようです。


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採石場?


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白玉饅頭(ご当地の銘菓とのこと)

大きく写っていますが、実際は一口サイズの可愛らしい和菓子(餡入りの白玉団子)です。


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川上峡温泉

川の名は、嘉瀬川かせがわ とのこと。

(與止日女神社境内から撮影)


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與止日女神社


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歴史公園 はがくれの里と記された案内マップ


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『歴史公園 はがくれの里』(現地案内板より)
瀬音の写真集管理人が入力させて頂きました。
1.銚子塚 4世紀後半に作られた佐賀県内最大級の前方後円墳。

2.金立神社外宮きんりゅうじんじゃ 祭神は秦の徐福ほか二伸で、五穀豊穣、雨ごいの神として有名。

3.島義勇しまよしたけの墓
  維新佐賀の七傑の一人で、文政5年(1822年)佐賀城下、精しらげに生まれた。安政年間、藩主鍋島直正の命で、蝦夷・樺太を巡視し、明治は北海道の開拓史判官として札幌建設に大きな功績を残した。

4.葉隠発祥の地(朝暘軒跡)
  山本常朝は元禄13年(1700年)2代藩主鍋島光茂の死後、ただちに剃髪し、黒土原の朝暘軒に隠棲した。   田代陣基が、この地に常朝をたずね、享保10年(1710年)から7年間、佐賀の歴史や人間の生き方につい    て、常朝の談話を筆記したものが『葉隠』である。

5.古賀穀堂の墓 古賀穀堂(1778〜1836)は佐賀藩の藩校・講道館の教授で、儒教者として全国に名をなし  た。文政2年(1819年)鍋島直正の御側頭として、その教育に当たり、直正が藩主となってからは、藩政に参  加、幕末の佐賀藩興隆の礎を築いた。

6.西隈古墳 封土の経30m、高さ約4mの円墳で、幾何学的線刻紋様を有する石棺を待つ装飾古墳である。

7.肥前国分寺跡 聖武天皇の発願によって全国に創建された国分僧寺。すなわち金光明四天王護国寺の跡で  ある。寺域は東西2町(約216m)、南北2町におよぶ。

8.築山古墳 6世紀頃に築成された前方後円墳で封土から円筒埴輪や形象埴輪とみられる小破片が出土して   いる。


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『歴史公園 はがくれの里』(現地案内板より)
瀬音の写真集管理人が入力させて頂きました。
9.印にゃく社 地元では「インニャクさん」と呼ばれ、肥前国衙の印鑑とカギを保管してあったところであろうと推定  される。


10.甘南備社 肥前国府の近くにあって、貞観12年(870年)に正六位上から従五位下に叙された古社である。

11.高城寺 春日社の山麓にある。文永7年(1270年)に執権北条時宗が土地山林を寄進し、朽井(久池井)    の地頭国分次郎忠俊が創建し、開山は円鑑禅師である。

12.春日御墓所 佐賀藩10代藩主直正及び11代藩主直大の遺髪を葬る。うしろに直正の側近に使えた
   古河松根の墓がある。直正は川上峡をこよなく愛し、遊息地として十可亭を建てたが、その遺命によってこの   地に墓所が営まれた。

13.河上神社 一名、與止日女神社とも呼ばれ、肥前国府近くに鎮座し、平安末期には肥前国一之宮として崇    敬された。

14.実相院 実相院は郤3年(1089年)河上神社の社僧円尋がその裏山を開き、御堂を建てたことに始まる   と伝えられる。

15.十三塚古墳 十三塚と呼ばれる。一帯は、かつて古墳群を形成していた。現在1基の横穴式石室を内部主    体とする円墳が残っている。

16.万寿寺 宋から帰国した神子栄尊が、仁治元年(1240年)に創建し、翌年聖一国師を招いて開堂式を行っ   た。

17.大願寺廃寺跡 佐賀県内における数少ない奈良朝廃寺跡の一つとして注目される遺跡である。


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『歴史公園 はがくれの里』(現地案内板より)
瀬音の写真集管理人が入力させて頂きました。
18.健福寺 和銅年間に行基によって創建されたと伝えられている古寺である。この寺にある銅鏡は、
   建久7年(1196年)の鋳造銘を有し、国の重要文化財に指定されている。

19.今山古戦場 元亀元年(1570年)、豊後の大友宗麟と佐賀の龍造寺隆信との合戦場で、この戦に勝利を
   得た龍造寺氏は、島津・大友氏とともに九州を三分する大勢力となっていった。

20.船塚 5世紀後半につくられた県内で最大の前方後円墳である。この古墳には、7基の陪塚がある。

21.石田一鼎いしだいってい閑居跡 石田一鼎は、儒・仏・神三道に通じ、若くして初代藩主鍋島勝茂の近侍を    勤め、その遺命によって2代藩主光茂の御側相談役となり、藩政の基礎を固めた、のち下田に閑居したが、   『葉隠』を口述した山本常朝をはじめ多くの人が一鼎の教えを受けた。

22.腹切り地蔵 佐賀藩2代藩主鍋島光茂は、湛然たんねん和尚を高伝寺に連れ帰るように、使者2名を派遣したが、
   湛然は聞き入れなかったので、使者は責任をとって切腹した。のち地蔵尊がまつられた。

23.華蔵庵跡 もと鍋島家の菩提寺高伝寺の第11世住持であった湛然は、延宝8年(1680年)に華蔵庵で
   入寂したが、仏道と武士道に精通し、『葉隠』を口述した山本常朝に大きな感化を与えた。

24.通天寺は万治元年(1658年)に深江信渓が再興した。信渓は、楠木正成父子の甲冑像を京都の仏師に
   製作させ、湛然と親交があり、晩年は通天寺でおくり、天和2年(1682年)62歳で没した。

(案内板の設置に感謝致します)

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與止日女神社の鳥居


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手水舎 手水鉢にあたる部分は、六角形の石造りのタンクのような形。


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與止日女神社 御拝殿

『與止日女神社 略記』 (現地案内板より)
瀬音の写真集管理人が入力させて頂きました。
鎮座地 佐賀市大和町大字川上一番地

御祭神 與止日女命(神功皇后の御妹) また豊玉姫命(竜宮城の乙姫様)とも伝えられている。

御神徳 海の神、川の神、水の神として信仰され、農業を初め、諸産業、厄除開運、交通安全の守護神。

御由緒 欽明天皇25年(564年)創祀され、延喜式内社で、のち肥前国一之宮と崇められ、弘長元年(1261年)正一位を授けられた。朝廷の御崇敬あり、また、鎌倉幕府をはじめ、武門、領主、藩主の尊信を受けた。明治4年、県社に列す。

祭日  春祭 4月18日
     秋祭 10月10日頃
     新嘗祭 11月18日

指定文化財 河上神社文書 国重要文化財 247通    西門 県重要文化財 元亀4年(1573年)造立
        三の鳥居 町重要文化財             肥前鳥居 慶長13年(1608年)初代鍋島勝茂寄進

平成元年1月 大和町

(案内板の設置に感謝いたします)  
  

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御本殿


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優美さを感じる御本殿。
素晴らしいですね。


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『大楠の由来』(現地案内板より)
瀬音の写真集管理人が入力させて頂きました。
日本武尊巡り幸(おでま)しし時、樟の茂り栄えたるを覧まして、勅りたまえし、「此の国は栄の国と謂ふべし」とのりたまひき、因りて栄えの郡といひき。後に改めて佐嘉と号く。 新・肥前風土記より

今からおよそ370年前、明国の僧如定は、この大楠を見て「珍しい大木である。大唐四百余州広しといえども、おそらくかかる大木は見られまい。」と感嘆したと言う。

鍋島初代勝茂は、これを聞いて、かかる銘木であれば、周囲に高く石垣を築かせ国の霊木として保護したとあるから、今の石垣がそれであろう。

大楠の大きさは、高さ30m余り、幹の周りは27m、弓の弦を15筋繋いでも、なお足りなかったと言われる程の大木であった。

昔から御神木として人々は、この木を拝んでいたという。

1813年(江戸時代 文化10年 仁孝天皇)落雷により火災。今に及んでいる。  記/2014年4月


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與止日女神社 西門


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石の祠群


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與止日女天満宮


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河上神社(與止日女神社)金精さん


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與止日女神社の大楠

説明欠きに、樹齢1400年とありました。(別の説明書きは、樹齢1450年)


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以上、最後までご覧頂きありがとうございました。

※ 入力時のタイプミスがございましたらご容赦ください。


Yahoo!Blog瀬音の写真集 『淀姫神社(佐賀県武雄市)』の記事は下記リンクにてご覧下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/seoto_kisyuu/63685777.html


また久し振りに記事UPさせていただきます。


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元乃隅稲成神社の駐車場

山の上の方(中腹にも駐車場がありました)から鳥居近くの駐車場までの道幅が非常に狭く、運転は要注意だと思います。


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この日は、体が持って行かれそうな大風と荒波。

かなり寒かったことと、強風に危険を感じたため、海岸の方に降りていくのは止めました。


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『元乃隅稲成神社 Motonosumi-inari Jinjya Shrine』
 (Yamaguchi View Spot現地案内板より)

元乃隅稲成神社は、昭和30年に白狐のお告げにより、島根県津和野町にある太鼓谷稲成神社から分霊された神社です。

日本海の大パノラマを背に、連なる123基の鳥居の景色は圧巻。

参道出口に建つ大鳥居の上部に設置された賽銭箱にみごと賽銭を投げ入れることができたら願いが叶うと言われています。


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☆案内板の設置に感謝致します。


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元乃隅稲成神社


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元乃隅稲成神社からの眺望(右奥が角島方面)


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ベンチ背後の崖側は転落防止のフェンスがありますが、いずれにしても足元は要注意かと…。


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岩肌に咲く黄色い花


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見たことのない岩の色。


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鳥居近くに置かれていた岩


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日本海の波は、大きなうねりの印象。


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第一種 津黄漁港と記された看板

地名 長門=ながと 油谷=ゆや 津黄=つおう


以上、簡単ですが、この記事はここまで。
最後までご覧頂きありがとうございました。

皆様もお出掛けの際は事故のないよう安全運転&無理のない散策で!



※ 2015年9月撮影時のデータですが宜しければご覧下さい。


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佐賀県武雄市朝日町大字中野付近 昭和バス 川上バス停の様子


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※ 2015年9月撮影時の時刻表です。

昨年、武雄市内を走行中、淀姫神社を見つけましたので参拝させて頂きました。


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『淀姫神社』 (現地案内板より)
(Yahoo!blog瀬音の写真集管理人が入力させて頂きました)
御祭神 淀姫命 (よどひめのみこと)  外六柱

例祭 7月29日

おくんち 10月23日

創建年 不詳

御由緒

淀姫神社はの祭神は、神功皇后の妹の淀姫命で、またの名を豊姫ともいい、朝日村の村社であった。

神社の創建のいわれは、神功皇后の朝鮮出兵の時、妹の淀姫が後をしたって武雄温泉に来られ、丸山の風景をながめ、長旅の疲れを慰められたという。

皇后の旅立たれた後、淀姫は二十二歳の若さでここ川上の地で亡くなり、御霊を祀るため建てられたと伝えられている。

この神社に明神鳥居と呼ばれる鳥居が二つあり、一の鳥居は、正徳6年(1716年)建立。

二の鳥居は、大正6年(1917年)に建てられている。

平成20年4月吉日
淀姫神社 川上区 宮司 


(案内板の設置に感謝致します)


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立派な石燈籠です。


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神橋(石橋)


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明治四十二年十月架設と刻まれているようです。


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境内圓鯲れる小川。

映画『佐賀のがばいばあちゃん』のロケ地とのこと。(現地案内板より)


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淀姫神社境内、土壌の色。


以上、簡単ですがUPさせて頂きました。


自分の為のメモ 武雄市の地名 鹿路峠 ろくろとうげ 黒尾 真手野 川古 百堂原


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