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久し振りに記事UPさせて頂きます。 神倉神社駐車場
ごとびき岩・神倉神社は画面奥の岩山に鎮座します。(駐車場に隣接する建物は別の神社のようでした。) 国道42号線から駐車場までは2〜3分ですが、地元の皆様の生活道を通ることになりますので事故のないようにお願い致します。 『神倉神社かみくらじんじゃ』(新宮市)(現地案内板より) 日本書紀で熊野神邑の天の磐盾と記された千穂ヶ峰西端のゴトビキ岩を御神体として祀る神倉神社。高台から望む朝日は熊野川河口一帯を金色に染め神々しいくらい雄大。 駐車場の向かい側に神倉神社参拝者用のトイレを建設しているようでした。(2016年8月撮影) 『神倉山かみくらさんと、お燈祭り(おとうまつり)』 (現地案内板より) (新宮ライオンズクラブ) 日本書紀に記された『天の磐盾』と伝えられる岩上に鎮座する神倉神社。 原始時代の巨岩信仰から始まるが、神武東征の折、窮地に立たされた神武軍を救出したと神話が伝える高倉下命タカクラジノミコトを祭る。 明治の神社合祀で、一時、速玉神社に合祀されたこともあるが、まもなく摂社に。 神仏習合が一般的であった頃、山上に張り出した「籠り堂」としてのお堂があった。 明治期の台風禍と廃仏毀釈運動によって、壊されたままうち捨てられ、今日、わずかに礎石のみを残す。 例祭のお燈祭りは、旧暦1月の行事であったのが、今では2月6日に執り行われ、俳句の季語としても定着、中上健次が『火まつり』と呼んだことから『火まつり』の呼称も広くゆきわたるようになった。 案内板写真の絵解き … 「山は火の海 下り龍」と歌われたお燈祭り 神橋を渡り振り返って
背後が神倉神社、画面奥が国道42号線方面。(熊野速玉大社の西側に鎮座) 先程の駐車場は中央の建物の脇にあります。 石段下の手水鉢
『神倉神社』 (案内板より) 御祭神 高倉下命 タカクラジノミコト 天照大神 アマテラスオオミカミ 例祭 2月6日 夜 御燈祭りという、古儀の特殊神事として名高い。 白装束に身を固めた祈願者が神火を松明にうけて急坂(源頼朝公ご寄進の鎌倉式石段)を駆下る壮観な火祭りである。 ご由緒 熊野権現として有名な熊野速玉大社の摂社である。 熊野三山(速玉、那智、本宮)の主神降臨の霊地。 熊野信仰の根本とも申すべき霊所である。 ご祭神、高倉下命は建国の功臣。熊野三党(宇井・鈴木・榎本)の祖として知られ、農業、漁業の守護神としてご神徳が高い。 『天磐盾あまのいわたて』 (案内板) 手前の木のせいで看板を撮しきれていませんでした。 猿田彦神社
猿田彦神社の右手に小さな滝があるようでした。 『猿田彦神社』 『神倉三宝荒神社』 (案内板より) 御由緒 神倉山麓には、天孫降臨に『導きの神』のご神徳が高く、『天狗さま』として親しまれた猿田彦命の神社が、明治の御代まで鎮座していました。 また、三宝荒神社(火産霊神・誉田別命)は立里(高野山)にあり、願望成就・商売繁盛のご神徳が高い。 昭和56年、氏子有志のご協力で、社殿・鳥居・境内整備・参道などの諸工事を施工して、両神社をご奉斎した次第です。 中略 猿田彦神社 三宝荒神社 敬仰会 熊野速玉大社 かなり急な石段。 ゴトビキ岩への参拝は小学生の時以来です…。(大丈夫か運動不足の私?) ※傾斜の緩い女坂の案内板もありましたが、未舗装の細い山道のようでした。 ※足元の他に、夏から秋は蜂にも要注意だと思います。 サイドの石組みはこのような感じ。 途中の手水鉢。 寄進の文字が読み取れます。 左 火神社 右 中ノ地蔵堂(?) ※石段下から、ここまでの所要時間6〜7分。 ※女坂の出口付近。 石塔 白玉石が供えられているようです。 ゴトビキ岩近くの手水鉢
石段の終点。 ※階段下から、ここまでの所要時間16〜17分。(途中で少し休憩) 『神倉神社の手水鉢ちょうずばち』 新宮市指定文化財(指定年月日 平成元年 1989年 3月 25日) 新宮城主第2代の水野重良(1596年〜1668年)が、下野国(栃木県)那須城主の大関高増の母の延命と繁栄を祈願して寄進したものです。 「大関高増の母」は、重良の姉 【()の中の文字は妹と記されているのかもしれません】 にあたります。 黒雲母花崗岩の巨大な石を加工して作られており、正面には、寛永8年(1631年)2月、重良が寄進したことが刻まれています。 阿須賀神社にも同様のものが奉納されています。 (案内板の設置に感謝致します。) ようやくフラットな石畳みの参道へ。ゴトビキ岩はもうすぐ。 ゴトビキ岩と神倉神社
磐座いわくら ですね。 ゴトビキ岩からの眺望。眼下に拡がる新宮市(和歌山県)の街並みと太平洋(熊野灘)。 花の窟はもっと左(東)。 ※階段下から、ここまでの所要時間17〜18分。(途中で写真撮影や少し休憩したので、健脚の方なら10分強/12〜13分程度ではと思われます。) 熊野川河口とお椀を伏せたような姿の蓬莱山(和歌山県)。丹鶴城跡(新宮城)は画面左端方面。中央付近の緑は、浮島の森(おいの伝説)。 工場の煙が見えているのは、対岸、三重県の鵜殿方面。 ※自分の為のメモ (日本の古代遺跡 46 和歌山県 森浩一企画 大野嶺夫 藤井保夫共著 保育社 より) 蓬莱山ほうらいさん 徐福伝説 阿須賀神社境内に徐福の宮 阿須賀神社遺跡(3世紀後半〜4世紀後半)竪穴式住居跡10棟、掘立建物4棟、溝状遺構、100個余りのピット。(炉跡のある住居 竃跡のある住居) 神倉山銅鐸出土地 市田川(熊野川の旧流路)左岸/神倉神社境内、1956年(昭和36年)5月、ゴトビキ岩の下、経塚最下層から銅鐸片大小22個の出土。 熊野速玉大社遺跡 縄文前期末〜晩期にかけての縄文土器&土器片(大歳山式土器 諏訪方面の踊場式に近似する土器 鷹式土器 瀬戸内地方の船元Ⅰ式・黒木Ⅲ式 関東地方の五領ガ台式・加曽利E式 瀬戸内の中津式に近似する深鉢型土器 北白川上層式 元住吉山式) ゴトビキ岩の山側の部分
ゴトビキ岩の背後付近にも小さな社殿が見えていたのですが、「もういいでしょ… ※石段は上りより下りの方が緊張しました。足元は履き慣れたスニーカーなどが宜しいかと思われます。 皆様もお怪我のないように。 路地と水路
最後までご覧頂きありがとうございました。 神倉神社については、いつもお世話になっている、み熊野ねっと様のサイトに詳しく紹介されています。 http://www.mikumano.net/index.html ***************************************** 近況 新海誠監督の映画 「君の名は。」を観ました。 感想→「君の名は」でも「君の名は?」でもなく、「君の名は。」である訳が解ったような気がします。 前作『言の葉の庭』も良かったですが、今回の作品も丁寧に作られた物語で気に入りました。 ***************************************** Yahoo!ブログ瀬音の写真集 神倉神社の関連記事 『国東半島をゆく 熊野磨崖仏と熊野神社、真玉海岸の夕景(大分県)』 (鬼の石段) http://blogs.yahoo.co.jp/seoto_kisyuu/63464755.html 『熊野武士団の伝承 香山園かごやまえん(神倉龍蔵宗家) (東京都)』 ※香山園は、ネット情報によりますと、2016年9月現在、閉鎖されているそうです。 http://blogs.yahoo.co.jp/seoto_kisyuu/61849488.html |
熊野の写真(山)
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那智山の狛犬さん(階段上から)。
前の投稿と同じ狛犬さんを上側から撮影。
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那智山の狛犬さん(階段下から)。
以前、撮りそこなったので。
(夏に撮影)
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こちらは、金剛力士像の裏側にまつられている木製の狛犬。
金剛力士像=お寺、狛犬=神社のイメージですが、それが山門の表と裏に背中合わせ状態でまつられています。
狛犬さんは、もともとは彩色されていたようで、所々にその名残が見てとれます。(ブルーっぽい塗料?)
毎度のことですが、家族が先を急ぐため一枚ずつ写すのがやっとでした…。
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青岸渡寺山門の金剛力士像。
現地で購入したガイドブックによりますと、湛慶(1213年)の作だそうです。
ガラスに景色が写り込んでしまい見づらくてすみません。
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