瀬音の写真集

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宮古島市の写真2013、2017

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引き続き写真の整理中です。

宜しければご覧下さい。

☆ 2017年1月撮影時のデータです。 (沖縄県宮古島市 宮古島島内)


イメージ 1

ナス科の植物でしょうか?

照葉樹に絡みついた、朝顔の葉に似たの蔓性植物に、二つの実が付いています。

話に聞く、 イラブナスビ か?と思って撮しておいたのですが違うようです。 


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三つに割けた葉。(朝顔の葉に似ている)

葉と茎に毛が生えている。

葉の付け根の部分、根元から花柄(かへい)。先端に実。(同じ場所から二つの花柄)

実に白い斑点。

実とガクの間に隙間があるように見える?


☆ネット検索させて頂いたところ、イガホウズキ、アオホウズキ、ヒヨドリジョウゴ、アメリカイヌホウズキ、ウルピカ(ULUPICA 唐辛子)などに若干似ているようですが、異なる植物のようです。

ご覧頂きありがとうございました。 



写真の整理中です。

※2017年1月撮影時のデータです。


イメージ 1
宮古島市熱帯植物園(入場無料とのこと。 2017/1撮影時)

宮古島市熱帯植物園の敷地内に、陶芸、染色、織物、カゴ編みなど民具作り(チガヤ工房)などの体験ができる、宮古島市体験工芸村あり。


イメージ 2

以前から、スカリ(秩父地方の背負い袋)が気になっていたため、チガヤ工房 を訪問。

左が アダン(アダナス) 右が 月桃げっとう の葉をより合わせた細ヒモ。
 (作家さんやサポートスタッフさん、から伺ったお話をもとに。)


イメージ 3

左 アダン(野生的な感じ) と 右 月桃(きめ細か 光沢あり) では、色と質感が微妙に異なるそう。(月桃は、芳香あり)

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アダン


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月桃


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野山で葉を採取するとことから始まり → 乾燥 → 細かく裂いて


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水で手を湿らせながら撚り合わせて、細い紐作る。


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編み方の例

そして、ようやく袋や道具を作る(編む)。


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編み方の例

作家さんのお話では、昔の漁具(漁網?)の製法をご高齢の方などから苦労して調査・復活させ、カゴ、袋もの、小物などの作品を作っているとのこと。

☆ガラス製の小型(球形)の浮きを草紐の網で包み込むような作品作りも体験可。(ブイ 浮き玉)


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園内の植栽 月桃

宮古島のゆるきゃら みーやちゃん の案内板によりますと。

月桃げっとう 
科名 : タデ科
学名 : Alpinia zerumbet (Pers) Burtt & Smith
開花時期 : 4月 〜 7月

多年生常緑草本。
熱帯から亜熱帯アジアに分布し、日本では沖縄から九州南部に分布。
名前は、漢名の「月桃げっとう」の読みから。
沖縄では、旧暦の12月8日に月桃の葉で餅を包む「ムーチー」を作る。
香り付けを兼ねて饅頭の包装に使用したり、肉や魚を包んで蒸し焼きにするなど幅広く利用される。

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アダン(アダナス) 園外にて


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画面奥 月桃 園外にて

簡単ですが、この記事はここまで。

最後までご覧頂きありがとうございました。


宮古島市体験工芸村様 公式サイトへのリンク
http://miyakotaiken.com/

宮古島市熱帯植物園様 公式サイトへのリンク
http://www3.miyakojima.ed.jp/shokubutsuen/

Yahoo!Blog瀬音の写真集『作業着や道具(埼玉県立歴史と民俗の博物館)』記事へのリンク (スカリに関して)
https://blogs.yahoo.co.jp/seoto_kisyuu/61985183.html


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カヤ


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カヤの茎の内部は空気に触れると赤色になり、その後、色が薄れてゆくと聞いた覚えあり。

それでは、また。


写真の整理中です。

※ 2017年1月 撮影時のデータです。

(皆様のご訪問、ナイスを下さった皆様に感謝致します。 


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まずは、池間島(宮古島とは池間大橋で繋がっています。) カイミールさん(土産物&軽食)の屋上展望台からの眺望。

奥に見えている島の名は、大神島です。 


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池間大橋を宮古島側へと渡り、南下、狩俣地区の「東の大門」は、県道230号線から、すぐの場所にあります(大神島側)。


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現在(2017年1月) 東の大門


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現地案内板


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(案内板より過去の 東の大門 … 1923年に撮影された写真とのことです。個人名は控えます。)


狩俣自治会指定文化財 東の大門 あーぬ ふじゃー (現地案内板より)

狩俣集落は、古い時代に系統の異なる、三つの小集団が渡来し定住した。

時代が進み、住居が増えると、散在していた人々は暮らしの便や安全をはかる上から集落をつくり、周りを石垣で囲い、東、西、北に石門を設け、居住区域を限定し,外敵に備えた。

こうして島内では、他に例のない、「城郭集落」が形成されたのである。

人口が増加すると、居住区は前方に広げられ、門の場所も約50メートル先(現位置)に移された(写真)。

この石門は、「あーぬ とぅーりゃ(東の通門)」とも呼ばれ、集落の表門にあたる主要な出入り口で、昔から村の伝統的な祭事と深くかかわってきた。

戦後、集落内の交通事情により撤去され、その後、コンクリート製になったが、老朽化したため、今回、建て直すに当たり、元の形に戻すべく、旧来の工法で地元の石材を用い一回り大きめに復元した。

伝承によれば、「城郭集落」を構築した主要人物が、14世紀頃、中国から渡来し狩俣で一生を終えた、「くばらばあず」で、神通力を持つ、占いの名人、預言者であったという。

中国の陰陽道に通じ、風水や易学の知識を有し、石工、木工の技にも長けていたようである。

「くばらばあず」は、狩俣では、「すまぬぬす」(島の主、村の守護神)として尊敬されている。

石の大門は、狩俣集落の発生と変遷を知る上で貴重な存在である。

歴史民俗文化材として後世に遺したいとの思いから、この度、建立した。

2010年4月 狩俣自治会


☆案内板の設置に感謝いたします。 
 
☆生活道ですのでマナーを守って見学させて頂いてください。宜しくお願い致します。


イメージ 2

県道230号線にもどり、少し南下。(東の大門からの所要時間は車で3〜4分だったようです。)

狩俣〜島尻付近「四島の主の墓」の案内標識。

こちらも、左折してすぐの場所にあります。


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夫婦の樹?


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「四島の主の墓」入口の門


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石門 左手上部


イメージ 11

石門 右手上部


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門から中は、草が生い茂って、これが限界。(外郭のみで、すみません。)

興味のある方は、草刈りされた頃の写真をネット検索してみてくださいね。


イメージ 15

市指定文化財 四島の主の墓
 (案内板より)
Yahoo!Blog瀬音の写真集管理人が入力させていただきました。
指定年月日 昭和53年(1978年) 3月6日

現在、狩俣には、「四島の主の墓」といわれている墓が、四ヶ所ある。

この墓は、そのうちの一つである。

この墓は、島尻、大神、狩俣、池間の四邑が遠望できる丘陵上にある。

この墓の構造は、ツガ墓に似ており、周囲には石積みの外郭が二重にめぐらされ、南南西に向かって一枚岩を乗せたアーチ門が築かれている。

また、墓室は一室で墓口が二つ設けられている。

この墓は、近年まで「四島の主」の子孫により、代々使用されてきたと伝えられている。

「四島の主」とは、狩俣、島尻、大神、池間邑の支配者の俗称で、「雍正旧記ようしょうきゅうき」には、「昔、狩俣村四島の親童名百佐盛と申す人は、狩俣、島尻、大神、池間合わせて四ヶ村壱人にてかけ候に付き、四島之親と為申由候」と記されている。

また、「四島の主のあやぐ」には、「何からが如何からが親なたよ、墨からど筆からど親なたよ」と歌われており、「四島の主」は文筆にすぐれていたことがうかがわれる。

「四島の主」は、仲宗根豊見親の支配下にあって仁政を施したが、その業績としては、狩俣・島尻を結ぶ「渡池橋」築造のほか、農道の改修、狩俣・平良間の休憩所設置および井戸の掘削などが伝えられている。


☆案内板の設置に感謝いたします。


イメージ 13

付近の植生。

先端部が3枚セットの葉。 黒いとげ。


イメージ 14

この記事は、ここまでです。

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イメージ 16
池間島 カイミールさん しぼりたてサトウキビジュース。(注文後に、一杯ずつ搾ってくださいます。)

最後までご覧頂き、ありがとうございました。

☆南国ですが、草深い場所の散策は、長袖長ズボンの服装が宜しいかと思われます。念のため。


Yahoo!Blog瀬音の写真集『仲宗根豊見親の墓』の記事へのリンク
https://blogs.yahoo.co.jp/seoto_kisyuu/61708801.html

Yahoo!Blog瀬音の写真集『アトンマ墓』の記事へのリンク
https://blogs.yahoo.co.jp/seoto_kisyuu/61714016.html


写真の整理中です。

※ 2017年1月 撮影時のデータです。


イメージ 1

レンタカーにて、宮古島の県道83号線を吉野海岸方面から北西へ(北上する感覚)。

進行方向、左側、高腰城跡 と記された看板を見逃さぬように。

写真は、看板の分岐点を左折したところ。

※ 場所の見当がつかず、ちょっとウロウロ。 必死にネット検索。
  情報をUPしてくださっていた方に感謝致します。


イメージ 2

畑の中を道なりに進みます。

ここか?と思いましたが、違いました。

右手は、行き止まりでした。

素直に直進です。

あの、貯水タンクのようなものがランドマークになるでしょうか。


イメージ 19

貯水タンク?の模様です。


イメージ 20

僅かに海が見えています。


イメージ 3

途中、頭穴御嶽 つづぴかうたき と記された案内板に遭遇。


イメージ 4

指された方向に目をやりますと…。

このような景色。

御嶽は聖域とのことですので、立入は控えさせて頂きました。


元の進行方向に視線を戻し、道なりに進みますと、高腰城跡と記された標識が見え、左折。


イメージ 5

史跡の案内板が見え、ホッとしました。


イメージ 6

高腰城跡 たかうすじょうせき 石碑


イメージ 7

県指定史跡 高腰城跡 たかうすじょうせき 
指定年月日 平成3年 (1991年) 8月2日
Yahoo!Blog瀬音の写真集管理人が入力させて頂きました。
宮古島の東海岸側、比嘉集落北の丘陵(高さ113m)の頂上部分に造られた城跡である。

東西約70m、南北約40mの大きさで、自然の石をそのまま積んだ城壁の礎石が残っている。

「雍正旧記ようせいきゅうき」 (1727年)や「宮古嶋記事仕次みやこしまきじしつぎ(?)」(1748年)等の宮古旧記類には、この城の城主が高腰按司たかうすあじ であったことや、城の大きさなどが明記されている。発掘調査によって、13世紀〜15世紀の土器、陶磁器、古銭、鉄製品などが確認されている。

グスクとしての遺構をよく残し、また、琉球王国の勢力が及ぶ前の宮古のようすを知るためにも重要な遺跡である。


The Ruins of Takausu Castle

Designated a Prefectural Historic Site on August 2, 1991.

Takasu Castle was built at the top of a 113m high hill located north of Higa villge on the east coast of Miyakojima.

The ruins are situated east to west with a length 70m and awidth of 40m.

A castle wall made of undressed stone can still be seen on the site.

It is believed that the castle was built during the time of Lord Azu Takausu.

The dimensions of the castle are document in ole historical records, such as Yosei Kyuki (1727) and Miyakojima Kiji Shitsugi(1748).

Artifacts such as earthenware pottery, old coins and iron implements dating from the 13th to 15th centuries have been excavated on the site.

The ruins provide a good example of a castle in ancient times and are significant in understanding the culture of Miyako before it was influenced bu the Ryukyu Kingdom.


☆案内板の設置に感謝致します。入力ミスがございましたらご容赦ください。


イメージ 21

県指定史跡 高腰城跡 
所在地 : 宮古島市城辺町字比嘉仲尾嶺   (城辺の読み方=ぐすくべ)
指定年月日 : 平成3年8月2日
Yahoo!Blog瀬音の写真集管理人が入力させて頂きました。
高腰城跡は、比嘉集落北方の高腰嶺(標高113m)に形成された13〜15世紀中葉頃のグスクです。

城の北東部には、按司の泉(湧水)、西方約600mには、城主の高腰按司を祀った高腰神社(御嶽)があります。

城の大きさは、東西約70m、南北約40mです。

城壁は主に野面積みで、現存する石積みの高さは約40〜50㎝程度です。

城門は南東部にあり、城内は3ないし、4つの郭(間仕切り)に分かれています。

「雍正旧記ようせいきゅうき」(1727年)には、城の大きさ、門の位置、城壁の状態についての記録があります。

伝承によると、城主の高腰按司は、この一帯を支配していたが、中喜屋泊村なかきやとまりむら の 内立按司うつだてぃあず の裏切りによって与那覇原軍ゆなぱばらぐん に滅ぼされたといわれています。

城跡からは、地元産の土器を中心に、中国製の青磁・白磁・褐釉陶器、徳之島産と思われる類須恵器、玉、鉄製の鏃、中国製の古銭などが出土しています。

なお、この地域において無断で現状変更することは、県条例で固く禁止されています。

沖縄県教育委員会
城辺町教育委員会


☆案内板の設置に感謝致します。


イメージ 8

先ほどの案内板の裏手が、高腰城跡かと思ったのですが、どうも違うようで…。

車を置いて、さらに奥へ進みますと。


イメージ 10

このような、高腰城跡復元予想図 が設置されておりました。

現在地は、予想図内の右端、赤い☆印です。


イメージ 9

少し、下がって撮影。


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予想図看板の左手から撮影。


イメージ 12

高腰城址?


イメージ 13

琉球石灰岩の石積み?


イメージ 14
付近の植生

1月でしたが、スミレが咲いていました。

城跡の記事はここまで。

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おまけ


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おなじみ、島の安全のため不眠不休で勤務する、宮古まもる君。(兄弟かも)


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砂山ビーチ



イメージ 18
ヤドカリくん


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宮古案山子くん


最後までご覧頂きありがとうございました。 



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※ 2013/1 旅行時の古いデータです。
 
料理の写真は写さなかったのですが、『福屋』様のご紹介です。
 
 
イメージ 1
 
 
宮古空港付近の幹線道路です。
 
最初、『古謝そば屋』様(古謝本店様とは別の店)に向かいましたが、駐車場が満車状態でした。進路を変え行ってみたい候補の中から『福屋』様へ。
 
店の前に車2台ほどの駐車スペースがありました。(トイレは店の外の右手にあるようです。)
 
こぢんまりした店内中央に椅子席、それを取り囲むようにL字型に座敷席。
 
カウンターにセルフサービスの冷水器とコップが置かれていましたが、初めて訪れたのでシステムが分からず椅子席で待っていますと、女性の店員さんが水を出して下さいました。
 
先に店内におられた作業着姿の地元の男性グループは、私達をちらちら見ながら低い声でひそひそと会話。方言なんでしょう。全く意味が解らず、外国に来た気分になり、ちょっと緊張しました。
 
連れ合いは、ネットで調べた「カツカレーそば」、私は壁に貼られていたメニューから「茄子の味噌炒め」を注文。
 
待ち時間に店のTVを観ていますと、関東地方の大雪のニュースが流れていました。前日からの大雪で首都の交通が大混乱していたのでした。
 
私達も当日の始発の電車にて住む街を発ち、羽田に向かいましたが、数日前からタクシーを予約しておいて良かったと胸をなで下ろしていました。(飛行機は1時間以上遅れての出発。)
 
ほんの数時間前まで東京にいたとは思えず、宮古島皆さんと一緒に食堂で人ごとのようにTVを観ているのが不思議でした。
 
さて、運ばれてきた「カツカレーそば」は、宮古そばの上にカツとカレーの順。
 
「茄子の味噌炒め」(正式名称違うかも)は、ご飯とお味噌汁と漬け物がセットになっていたと思います。味噌味でも、こってりしたものではなく、スープ煮の肉をほぐしたものと茄子を油で炒めて味噌で味を調えた、あっさりした素朴な一品でした。(茄子の皮は軽く剥いてあったようです)
 
量が多かったため満腹になるも、残すと厨房してくださったもう一人の女性に申し訳なく、頑張って完食しました。
 
島の味を体験したかったので、お袋の味というのでしょうか、気取りのない家庭料理に出会えた気がして嬉しかったです。
 
途中、地元の方と思しき中年女性と高校生くらいの娘さんが入ってこられ、お母さんのほうが男性グループに「何がおいしい?」と尋ねたとき「何でも美味しいよ」と返事されていました。(チャーハンもボリューム満点だそうですよ)
 
料理の写真を写したかったのですが、作業の合間に昼食を済ませに来られている皆さんに申し訳なくなり、遠慮しました。(我が家も久々の遠出でしたが)
 
場の雰囲気に浸るのもいいですね。
 
 
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平良港(ひららこう)です。昔は漲水港(はりみずこう)と言ったのかな。
 
 
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海上保安庁の巡視船、PL42 『でわ だと思います。 (既に紹介済みの写真かも)
 
巡視船を見ると、やはりTVニュースが頭に浮かんでしまい心が引き締まりました。
 
 
『福屋』  沖縄県宮古島市平良久貝1060-3
http://okinawasoba.ti-da.net/e1389751.html   沖縄そばを食べ歩く様
 
『古謝そば屋』  沖縄県宮古島市平良字下里1517-1
 
『古謝本店』  沖縄県宮古島市平良字西里165
 
 

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