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先日、『聞き書 和歌山の食事』日本の食生活全集№30(社団法人農山漁村文化協会 1989年2月25日 第一刷発行)を購入しました。 和歌山県の地域ごとの郷土料理や調理方法が記されています。 県内に共通して愛される茶がゆのような食べ物もあるようですが、地域が異なると食文化も違うようで、私などは初めて知る伝統料理(福わかし=雑煮)、お菓子(いりぼら焼=黒糖を用いた素朴な焼き菓子)も紹介されています。 自分にとって大切にしたい本になりそうです。 目次 (章番号はありません。) ※ ()内は瀬音の管理人による。 ☆ 紀ノ川流域の食 − 紀ノ川の豊かな恵みと多彩な茶がえ − (茶がゆ ではなく 茶がえ となっています。) ☆ 和歌浦沿岸の食 − 魚ずしつくり、漁の安全を祈る − ☆ 熊野山間の食 − 茶がゆ、山菜、渓流の魚など、山の恵みの生きる木の国 − ☆ 田辺湾の漁法と魚の料理 − 一本釣りのかつおがはねる、小引網のしらすがあふれる − ☆ 熊野灘の食 − 黒潮の恵みを享受する魚好きな浦人たち − ☆ 鯨のまち太地の食 − 熊野灘の荒波に鯨を追い、台地ではサツマイモづくり − ☆ 和歌山の宗教風土と食事 ・ 熊野三山の食 ・ 高野山の食事 ☆ 人の一生と食べ物 ☆ 和歌山の食とその背景 ☆ 和歌山の食 資料 執筆ご担当者ならびに関係者の皆様に感謝致します。 オリンピック平泳ぎ金メダリストの故兵藤秀子(前畑秀子)さんや女優の故太地喜和子さんからのメッセージも感慨深いです。 ☆ カバーデザインの三角の奇岩を拝見すると、南紀大島・樫野崎近くの海金剛や鷹ノ巣展望台を思い浮かべてしまいます。太地なのかもしれませんが。 ********************************************* 2004年11月撮影
上の写真は、以前ご紹介済みのものなのですが、『うけじゃ』というお粥です。 『聞き書 和歌山の食事』では、『おけじゃ』の名称で紹介されているようです。 自分ではあまり作ったことはなかったので、母の見よう見まねで作った品です。 以下、簡単に作り方をご紹介致します。 『うけじゃ(煎り米とサツマイモのお粥)の作り方』 刃物や火の取り扱いに気をつけてお作りください。 材料 (2〜3人分程度) (調理時間は30分弱) 瀬音の写真集管理人が記しました。 ◇ 米 半合(カップ半分程度) 煎ってから使いますので、水分を吸ってかなり膨張します。控えめの分量が宜しいでしょう。 ◇ サツマイモ 中くらいの大きさのものなら1個程度 ◇ 水 適量 ◇ 塩 適宜 調理方法 1.鍋で湯を沸かす。 ・ 鍋は中〜少し大きめの鍋が調理しやすい。 ・ 水の量は、できあがりを想定し、中程度の鍋なら半分より多め程度。 2.水洗いしたサツマイモの皮をむき、2〜3㎝程度の角切りにする。 3.1の鍋の中に切ったサツマイモを入れて煮る。 4.空煎りしても大丈夫な鍋(フライパンなど)で米を煎る。 . 米は水洗いせず、乾いたまま。 ・ 火加減は弱火でじっくり。 . 煎り加減の目安は狐色になるまで。 ※ 大量に作りたいときは何度かに分けて煎る。 5.3の鍋の火を弱め、火傷に注意しながら、沸騰している鍋の中に4で煎った米を静かに入れる。 ・ 熱いままの煎り米を沸騰している鍋に入れるのがポイント。 ・ 米を煎っている間にサツマイモに火が通るはずですが、念のためご確認を。 ※ 煎り米投入時、鍋の湯が細かく泡だって持ち上がる感じになりますが、慌てないこと。 6.弱火のまま、煎り米がふわっと膨張するまで数分煮る。 ・ 煎り米の膨張=(米の)「花が開く」。 ・ 煎り加減が浅いと花が開かないこともあるそうです。 その場合は、もう少し長く煮た方が宜しいかと思われます。 7.塩で味を調え、火を止めて調理完了。 ほんのり甘味のある香ばしいお粥ですので、お子様や食欲のない方にも喜ばれるのではないでしょうか。 写真は10年ほど前のものなので、私もそれ以来、作っていません。久しぶりに作ってみようかな…。 ☆ サツマイモの切り方に関して 本来の作り方は、洗って皮をむいたサツマイモを片方の手に持ち、もう一方の手で持った包丁(ながたん)の刃をカッカッと芋に入れて食べやすい大きさに切りながら、沸騰した鍋(湯)の中に落としていく、かなりダイナミックな調理法ですが、慣れないと危ないので、まな板を使ってください。 ※ よい子は真似しないでね。 私は、母の包丁さばきというのでしょうか、サツマイモを次々に切って鍋に落としている姿が格好良くて、いつか自分も真似してみたいと思っていました。 このような切り方(調理法)が書き記しておくべき重要な内容だと感じています。 ☆ 調理器具に関して 煎り米は、昔ですと、ホウラクという調理器具を使っていたそうです。 ウィキペディアで調べますと、焙烙(ほうろく)と同じ物のようです。 ホウラク(あるいは、ほうろく)に関しては、私は鳥羽の民宿ひょうすけさんで、焙烙料理を頂いたことがあります。ホウラクとは、素焼きの平べったい蓋付き土鍋のようなもので、その時は魚介類を蒸し焼きに調理していました。ちょっと古代食っぽくって楽しいですよね。 ☆ 煎り方に関して 昔の人は何をするにしても縁起が良い、悪いにこだわったようです。 母は、米やゴマを煎るときに、一度で煎ると縁起が悪いので二度に分けてと言います。 私は面倒だと思い、一粒だけ煎る真似をして、二度風?にしてしまいます。 ただ、二度に分けてというのは、少量ずつ煎った方が失敗が少なく、こんがり煎り上がるという先人の知恵なのかもしれないと受け止めています。 ☆ うけじゃ=仙人の食べ物? うけじゃは、仙人のお粥と母などから教わりましたので、子どもの頃は「仙人のお粥」作ってとせがんだ記憶があります。 私は戦後の生まれですが、煎り米は水分で膨張しますので、米が貴重だった時代(今も大事ですが)、庶民が食料のかさ増しを工夫したアイデア料理なのかもしれませんね。仙人も食べていると信じれば印象が良くなります。 本日もお付き合い頂きありがとうございました。 |
熊野備忘録
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※ 2014/01/14 撮影時のデータです。
鬼王神社(稲荷鬼王神社)の記事をUPさせて頂きます。
昨年、ネットで新宿に熊野関連の神社がないか調べているときに、ウィキペディアのページで見つけた神社です。
鬼王神社は紀州熊野から勧請された神社だそうです。
上の写真は、新宿 職安通り 鬼王神社交差点の様子。
右手が都営大江戸線東新宿駅方面・明治通り方面です。
付近に設置されていた地図。
鎮座の場所は、先ほどの鬼王神社交差点から歌舞伎町側に入ったところです。(職安通りからはビルの裏手)
住所 東京都新宿区歌舞伎町二丁目十七番五号
手水鉢です。
鬼王神社の水鉢は、新宿区指定有形文化財とのことです。
(案内板より)
文政年間(1818年〜1829年)の頃に制作されたもので、うずくまった姿の鬼の頭上に水鉢を乗せた珍しい様式で、区内に存在する水鉢の中でも特筆すべきものである。
水鉢の左脇には、区内の旗本屋式にまつわる伝説を記した石碑があり、これによると、
「この水鉢は文政の頃より加賀美某の邸内にあったが、毎夜、井戸で水を浴びるような音がするので、ある夜、刀で切りつけた。
その後、家人に病災が頻繁に起こったので、天保4年(1833年)当社に寄進された。
台石の鬼の肩辺には、その時の刀の傷跡が残っている。……」 とある。
この水鉢は、高さ1メートル余り、安山岩でできている。
平成5年1月 東京都新宿区教育委員会
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境内に掲示されていた、別の案内文によりますと、
通称「力様」(リキサマ)。
鬼形の水盤石は、相撲の力士が四股を踏んで病や苦しみを人に与える邪鬼を追い払っている姿です。
伝説は、次の通り。
「伝え云う。盤石もと加賀美某の庭園なる池汀にあり。
文政3年の頃、その処を更へした奇異を現し、連夜庭内にて水浴の音す。
加賀美某大に怪しみ一夜家宝の名刀を抜いて、これを斬(斬の手偏が口)れり。その後、奇変息(火と息)みたるも家人病災頻りなるより、恐怖の念を生じ、天保4年、盤石斬りたる宝刀(鬼切丸と称す)と共に盤石を当社に寄進せりという。
今も鬼形の肩辺に刀痕あり。實者盤石をこれに注ぐと熱病又子供の夜泣き等は平癒すると言い伝えられ、今に至るも信者皮(皮と頁)多し。
因みに鬼切丸は翌天保5年盗み去られて今、その所在地をしらずとぞ。」
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水鉢の隣の井戸は、稲荷鬼王神社霊泉とのことで、古来より水が湧き出し続けているそうです。
稲荷鬼王神社の御拝殿。
左手に社務所があり御札やお守りを授けていただけます。
(狛犬は明治35年奉納とのこと。 御由緒案内より)
社紋(神紋)は、三つ巴と…。
稲荷紋(稲束)です。
(案内板より)
『稲荷鬼王神社の御祭神』
お稲荷様(おいなりさま) = 宇賀能御魂命(うがのみたまのみこと)(新宿の厄除け稲荷)
生成発展 商売繁盛 家内安全 子孫繁栄 福招き の神様
※ 職安通り付近の案内板によりますと、「もと戸塚の諏訪神社境内に勧請した」福瑳稲荷と鬼王権現を合祀と書かれていました。(瀬音の写真集管理人)
鬼王様(きおうさま)(全国一社福授け) =
☆ 月夜見命(つきよみのみこと) 人の運命を司りツキを与えてくれる神様
☆ 大物主命(おおものぬしのみこと)(別名 大黒天 とも呼ばれています。)
商売繁盛 心願成就 病気平癒 心身健全 縁結び
☆ 天手力男命(あまのたじからおのみこと) 開運 武運長久
『稲荷鬼王神社の御由緒』
瀬音の写真集の管理人が入力しました。
鬼というと私達はとかく悪いイメージを持ちがちですが、古来、鬼は神であり、力の象徴でもありました。
又、「鬼は悪慮を祓う」といわれ、すべての災禍を祓う力があります。
その為、鬼を祀ったり、鬼の名のつく社寺は全国にいくつもあります。
しかし、その鬼の王様という意になる「鬼王」という名の社寺は全国で当社のみです。
この為、江戸時代は近在の農家の人達だけでなく、江戸から武士や商人、職人と多くの人が参拝にまいりました。
現在では地図にみる新宿の中央にある唯一の神社としても注目を集め、全国から当社の御神徳を得ようとする方々が詣られております。
又、この全国一社福授けの稲荷鬼王神社の由来は左記の通りです。
古来より大久保村の聖地とされたこの地に、承応2年(1653年)当所の氏神として稲荷神社が建てられました。
宝暦2年(1752年)紀州熊野より鬼王権現(月夜見命・大物主命・天手力男命)を当地の百姓田中清右衛門が、旅先での病気平癒への感謝から勧請し、天保2年(1831年)稲荷神社と合祀し、稲荷鬼王神社となりました。
それ故、当社の社紋は稲荷紋と巴紋の二つがあるのです。
紀州熊野に於いて鬼王権現は現存せず、当社はそれ故、全国一社福授けの御名があります。
この鬼王権現は、湿疹・腫物を初め諸病一切に豆腐を献納し、治るまで本人或いは、代理の者が豆腐を断ち、当社で授与される「撫で守り」で患部を祈りつつ撫でれば必ず平癒するといわれ、明治15年頃まで社前の豆腐商数軒がこの豆腐のみにて日々の家計を営んでいたといわれたほどでした。
今日でも広く信仰されています。
この信仰については江戸時代の『新編武蔵風土記』だけでなく、時代は下って文豪、永井荷風も書き記しております。
尚、当社では『鬼王様』の御名に因み、節分時、鬼を春の神として「福は内、鬼は内」と唱えます。
追記 明治時代に、旧大久保村に散在していた、火の神である火産霊神の祠や、盗難除けの神などの大久保村の土俗の神々が合祀されました。 大祭は9月18日で、神輿はその前後の日曜・祝日に出御します。この宮神輿は鬼の面の彫られた珍しい御神輿です。
追記 江戸時代に既に特異な『鬼王』という名の神社を勧請するのに地元の抵抗感が無かったのは、この土地が − 文書では残っていませんが − 平将門公(幼名・鬼王丸)に所縁があったのではないかとも言われています。
瀬音の写真集の管理人が入力しました。
境内神社
☆ 三島神社 御祭神名 事代主命(ことしろぬしのみこと)(別名 開運恵比須)
御神徳 開運・商売繁盛・豊漁・人招き
文化年間に松平出雲守邸内より出現した神像を御後室の居間に安置してあったものを
松平氏より松平家の祈願所である二尊院(東大久保)に奉納されました。当時、大久保村の
社寺の多くを、代々稲荷鬼王神社社家大久保家が神職或いは別当職として守ってきましたが、
この二尊院も大久保家が代々別当職を兼ねており嘉永6年10月に同院が火災にあい、
当時の別当大久保家12世政光がその恵比須神を大久保家に遷し、大久保家14世義道が
稲荷鬼王神社境内に奉斎し、今日に至っています。
この恵比須神は新宿山之手七福神の一つに数えられ、今日、正月7日は七福神巡りで
賑わっております。10月19日(宵宮)10月20日(大祭)は新宿えびす祭として境内で
「べったら店」が出店されます。
御詠歌 「うみ山の数の宝の大久保の恵比須大神守り給へや」
その他 『かえる石』 水を掛け、恵比須様に お参り後、その『かえる石』をさすると、
金運がかえる。良き縁がかえると、いう信仰があります。
☆ 浅間神社 御祭神 木花開夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと) (別名 西大久保の厄除け富士)
瀬音の写真集の管理人が入力しました。
古より当地にあった浅間神社に(に?)、明治27年、稲荷鬼王神社に合祀され、昭和5年
西大久保の魔除け富士として復興される事になり、霊峰不二の石をはじめ全国からの銘石を
とりよせ建立されました。
そのつくりは、境内の自然地を利用せず、すべて石で造りあげた為、非常に特色のある浅間神社
(富士山)でした。
しかし、戦中、帝都空襲の為、石の基盤石がゆるまり、縮小・移動を繰り返した結果、現在の
形に落ち着きました。
1合目から4合目、5合目から頂上までと参道を挟んで二つにわかれた形になることによって
参道そのものが、富士の胎内に通ずる道となっております。
この参道から頂上の社をお参りする事は霊峰富士に籠ってお参りするのと同じ利益が
ございます。
泰平寺
江戸時代、神仏習合の時代に稲荷鬼王神社では当山脈修験青山風閣寺の末寺で、不動明王を祀る三宝山大乗院泰平寺というお寺があり、代々稲荷鬼王神社社家大久保家にて奉仕していましたが、明治の初め還俗して廃寺となりました。
瀬音の写真集の管理人が入力しました。
※ 他にも地域の寺社の多くは、大久保家が代々神職や別当職として奉仕されていたと記されています。
大久保の地名(字名)と大久保家(家名)の由来 大きい窪地の意味の伝承。
江戸時代、内藤家(内藤新宿の領主)の信任厚く、病気平癒など、祈祷を行ったとの伝えもあるそうです。
年中行事
1月 お正月
※ お正月三が日の昇殿参拝時に授けて頂けるご祈祷府を一緒に置くとより一層ご利益を得ることが
出来ると記されています。(元旦から3日までは社殿に上がって参拝可能とのこと。)
2月 節分
4月 鎮花祭(はなしずめのまつり)
非公開だが 4月18日〜月末まで境内に多数の桜草展示(現存の全ての桜草と記されています)。
春、桜の散る頃に悪病が流行ることから、それを防ぐよう昔からおこなわれ来た祭り。
9月18日 大祭 その前後の土日に縁日および、神輿渡御。(大人神輿は宮神輿。鬼面の彫り物。)
10月20日 恵比須祭 (19日から宵宮)
12月13日 すすはらひ
6月30日 12月31日 大ばらい
※ 2014/01/14撮影時のデータです。最新の情報は各自でご確認下さい。
浅間神社(富士山信仰) 社殿側。
石碑、南無妙法連と読み取れます。
塚の石は様々ですが、主に富士山の溶岩石が使われているように感じました。
浅間神社 社務所側。
小御岳石尊大権現、屏風岩、御胎内、馬返しなどと刻まれています。
別の石碑などには、丸の中に谷、十七夜講、廿六夜、理髪師などの文字もありました。
水琴窟。
大久保方面の繁華街。
韓国関連のお店が沢山軒を連ねていました。
すれ違う人、追い抜いて行く人達、スーパーマーケットのスタッフ、それらの人々の会話のほとんどがハングルや中国語のようで、海外にいるような不思議な気分。
今このときも変化し続ける東京都心・新宿の街。
稲荷鬼王神社社務所の女性のお話…、
☆ 鬼王神社は、鬼を祀る神社ではない。
☆ 紀州熊野 の 紀 → 鬼 の文字とした。
※ 紀王権現 ? → 鬼王権現 ?
(自分のためのメモ 紀国 きのくに 紀州 木州 紀伊の国 きいのくに 紀伊国 木国 紀伊○○ )
☆ 鬼は強い存在。
☆ 鬼は カミ kami とも読む。
☆ 九鬼水軍 通常は クキ kuki と発音するが、九鬼水軍の大将は、九鬼 と書いて クカミ kukami
と読む。
とのことです。(勉強になりました。)
ネットで見つけて以来、随分月日が経ってしまいました。
歌舞伎町と言う場所に馴染みがないため、参拝を戸惑っていたのですが、平日の昼間お天気にも恵まれ、それほど心配することなく訪問させて頂きました。
(路地にはなるべく入らず、鞄類はしっかり身につけてひったくりなどからガード!)
紀州熊野の本の宮はどちらに存在したのでしょうか。
とても気になります。
そしてまた、今回も神仏分離や廃仏毀釈などの影響を感じる結果となりました。
参拝させて頂けたこと、案内板などの設置に感謝致します。
(入力ミスがありましたらご容赦ください。 )
以上です。
本日もお付き合い頂きありがとうございました。
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久しぶりに、和歌山県の話題をお届け致します。
頂き物の牛蒡巻(ごぼうまき蒲鉾)です。
外見は地味ですが…。
切り口はこのような感じ。
牛蒡、蒲鉾(魚のすり身)、表面は魚の皮を巻き付けています。
魚の皮と聞きますと、生臭いと思われる方も居られるかと思いますが、表面をかりっと焼き上げた、鰻の蒲焼きのような甘辛い醤油味で香ばしい仕上がりです。
慶事の食べ物のイメージかと思います。
牛蒡巻のほかに、なんばやき(南蛮焼蒲鉾=見た目はハンペンに焦げ目を付けたような姿で弾力のある歯ごたえの上等な蒲鉾)も慣れ親しんだ味の一つです。
上の商品は、芝菊商店様の牛蒡巻ですが、他の蒲鉾屋さんでも製造販売されていると思います。
紀伊白浜温泉場 芝菊商店様 (和歌山県 南紀白浜温泉)
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ネット検索しているうちに辿り着いたことを羅列してみます。
☆ 白樺湖=音無川を堰き止めてて出来た人造湖。 (熊野神社との関連は?)
☆ 上川(滝湯川・音無川・渋川・柳川など)、宮川 → 諏訪湖 → 天竜川
天竜川総合学習館「かわらんべ」様(かっぱの意)
☆ 天竜川上流に現存する教訓・伝承事例一覧 (国土交通省 中部地方整備局様)
辰野町横川 大滝沢の兄弟竜の喧嘩による土砂災害発生。大蛇の親子が身を挺して民を守る。
熊野権現様が兄弟竜を封じ込める。 大蛇の『蛇石』
☆ 熊野諏訪神社(長野県上伊那郡辰野町小野) いくつかのサイト様
☆ 鶴岡諏訪神社(京都府南丹市美山町) 八ヶ岳原人様
狼を神使とし、猪鹿退治の守護神。 (1月5日 御狩の日)
http://yatsu-genjin.jp/index.htm フロントページ
☆ 狼に関連? 玉置神社
山岳信仰用語集 (山歩きアラカルト様)
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いつものピンボケ写真、「十月桜」の幼木。 一輪咲いていました。
本日の活動成果は、以上です。
では、おやすみなさい。
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三州民話の里・早川孝太郎研究会』様のページ、早川孝太郎著 『三州横山話より』 『猪・鹿・狸より』 『郷土随筆』 『おとら狐』 『猪の話』 『鳥の話』 『地狂言雑記』 『山村手記』 などを少しずつ拝読しています。
(リンク先ページの下の方)
その中で「鹿を追う蛇」が気になり、ネット検索してみました。
八畔鹿(ヤクロシカ)・龍に似た悪鹿(8本足、8又の角) 八久呂太鼓
(島根県鹿足郡吉賀町様)
鹿笛(蟇ひきがえるの皮を使うと蛇が来る) いくつかのサイト様
夜間、笛や口笛を吹くと蛇が来る(こちらは自分自身の記憶から。南紀にいた頃よく注意されました。)
鹿笛で蛇をおびき出す話 (三重県海山町様 種まき権兵衛の里)
鹿笛で鹿をおびき寄せるのなら理解できるのですが、鹿笛で蛇をおびき寄せるとは、蛇は鹿の声を好むのでしょうか。(周波数?)
同時に、気になっているのは、狼信仰です。
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写真は、季節外れのツツジかサツキかの蕾。道路脇にて。寒そうで気の毒です。
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