瀬音の写真集

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九州の写真2013〜2018

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皆様、大変ご無沙汰しております。
久し振りの投稿ですが、宜しければご覧下さい。

下は、お土産に頂いた 宮崎県椎葉村(しいばそん) 蕎麦の実を使用した洋菓子 フロランタン です。

イメージ 1
椎葉のスウィーツ 果-teri 蕎麦の実フロランタン
 
個包装のお菓子ですが、ずっしりとした存在感。


イメージ 2
キャラメルの中に蕎麦の実とアーモンド


イメージ 3
クッキー生地の上に先ほどのキャラメル部分

下層の生地の中に蕎麦粉を用いているのでしょうか。
香ばしくて、ザクザウとした食感も良く、一切れでも食べ応えのあるお菓子。


イメージ 4

世界に一つだけの椎葉
人も自然もみんな「かてーり」

「かてーり」とは
助け合うこと
山に咲く花、畑の作物
雨、土、生き物、働く人、
みんなで作る
優しさのスウィーツ   (包装紙(帯)より)


文言の通り、作り手の皆さんの思いが伝わるお菓子だと感じました。


イメージ 5
製造者 よこい処しいばや様 宮崎県東臼杵郡椎葉村 

椎葉村、どのようなところなのでしょうか。
いつか訪問させて頂きたいですね。

ごちそうさまでした。
美味しいお菓子をありがとうございました! 


よこい処しいばや様 (椎葉村観光協会様内 紹介ページへのリンク)

椎葉村観光協会様 公式サイトへのリンク

宮崎県椎葉村様 公式サイトへのリンク

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写真の整理中です。

※ 2015年9月撮影時のデータです。


イメージ 1
無窮洞入口


イメージ 2

地図で確認しますと、川を挟んで、対岸の建物は、宮中学校だと思われます。

中学校の近くには、宮小学校もあるようです。


イメージ 5

無窮洞 むきゅうどう

無窮洞は、戦争中に宮国民学校の先生と生徒たちによって掘られた防空壕です。

岩壁に「無窮洞」と大きく彫られた下にある「工事概要」には「本工事ハ昭和十八年八月二十九29日起シ、同二十年八月十五日炊事場ヲ未完成ノママ停止セリ。作業ハ一切外部ノ労力ヲカラズ爆薬をソ用イズ、職員生徒児童ノ手ニヨリ つるはし、のみ、かなづち、くわヲ使用セリ。底面積凡七十坪 内四十坪ヲ板張リトシ映画場ノ設備ヲモ施セリ…」と書いてあります。

「無窮」とは、「きわまりのないこと」「かぎりないこと」で、日本と子どもたちの将来がいつまでも栄えることの願いを込めて書いているのでしょう。

当時、小学生だったお年寄りの話によると、小さな体で鍬やツルハシで少しずつ掘り、先がつぶれたツルハシは学校の工事場で、鍛冶屋さん宅の児童が修理したということです。

女子もホゲなどで、土運びをして手伝い、全校生六百人が入れるような広い地下壕ができました。

板張りの教室には、石の教卓やローソク立てがあり、書類棚、倉庫、炊事場、トイレもあり、防空壕で生活できるよう準備されていたようです。

入口は川の方向に二つあり、山へ出る非常口は、通風口でもありますが、山から下の方へ掘るものと、中から上に掘るものが、つながった時は大変喜んだということです。

無窮洞は、子どもたちの労力で完成させたとは思えないような立派なものです。

平成6年の水不足は深刻で、無窮洞は立派な文化財なので惜しむ声もありましたが、貯水池に利用されました。

後に別の場所に貯水池ができたので、平成14年の佐世保市政百周年記念行事に、無窮洞の復元整備工事をして一般開放することになりました。

宮地区青年事業会猪の会製作(平成19年7月)

寄贈 佐世保中央LC 五島LC 佐世保東LC 佐世保南LC 佐世保みなとLC 佐世保えぼしLC


(案内板の設置に感謝致します。)


イメージ 3

周辺の様子

(いいところですね)


イメージ 4
防空壕を掘る少年と少女の石像

(案内板より)

この石像は戦後の青年団事業として茶園を造成して活動したのであったが、後に、その茶園を売却することとなり。その資金の中から、当時、無窮洞、掘削に関与した同士の好意により、当時の思い出として、作成・建立し、寄贈したものである。

平成19年 10月吉日


イメージ 6

宮村の先覚者 長野常道 ながのつねみち氏 (現地案内板より)

長野常道は、慶応2年(1866年)宮村に生まれた。

梅ヶ枝酒造(国指定登録文化財)で育ち、常に正義節操を尊び、漢学の素養深く、若くして政治運動に熱心で、憲法発布の促進をされた。

明治31年、推されて宮村村長になられた。

原野の植林をすすめ、村有林を持つ財政豊かな村にされた。

明治34年、当時としては壮大な二階建て教室を新築し、隣村に先駆けて高等科を設置。

江上村、崎針尾村、川棚町からの通学も受け入れて、教育の振興に努められた。

明治30年より24年間、県会議員に連続当選。

大正4年からは県会議長になられた。

議会でのめざましい活躍が「長崎県議会史」に記載されている。

昭和6年(1931年)に逝去。

功績を顕彰し、教育上の効果を期待して、昭和30年に胸像が建てられた。

平成20年7月 宮地区青年議会 猪の会製作


イメージ 7

平和の鐘 (案内板より)

この鐘は米海軍佐世保基地司令官より、平和の鐘として寄贈していただきました、


イメージ 8
岩を掘って造った階段


イメージ 9
佐世保市の米軍基地前にて


私は、防空壕内の見学はさせて頂きましたがが、写真を撮しておりません。 
内部の様子や場所は、長崎旅ネット様のサイトを見せて頂いてください。

長崎旅ネット様サイト 無窮洞のページ
https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/61274/


最後までご覧頂きありがとうございました。 

☆案内板の設置に感謝致します。



写真の整理中です。

※ 2017年3月撮影時のデータです。

イメージ 1
国指定史跡 山ノ鼻1号墳(今宿古墳群) の案内板 
(JR九州 筑肥線 九大学園都市駅の南側)

山ノ鼻1号墳から、西側の 丸隈山古墳まで徒歩で向かいました。(途中、イオンモール福岡伊都にて休憩)


イメージ 2

少し上り坂になっている道路。(背後が、さいとぴあ西交差点方面)


イメージ 3

湯溜池 (マピオン地図より)を右手に見ながら進みます。


イメージ 4

国指定史跡 丸隈山古墳 に到着。

さいとぴあ西交差点からの所要時間は、10分程度なので、九大学園都市駅からですと、15分弱程度かと思われます。(写真を撮りながら、ゆっくりめの歩調で。)

イメージ 5

国指定史跡 丸隈山古墳 (現地案内板より)
THE MARUKUMA-YAMA TUMULUS
(A HISTORICAL SITE DESIGNATED BY THE NATIONAL GOVERNMENT)

江戸時代の初めに発見されたこの古墳は、5世紀前半に築かれた前方後円墳で、後円部が三段に、前方部が二段(一部は三段)につくられ、各段の斜面に葺き石を敷き、テラス部に埴輪をたて並べています。

埴輪には、円筒のほか、朝顔型、盾、水鳥などの形象埴輪があります。

後円部の中央には、初期の横穴式石室があり、石室の中に中央の壁を共有する二基並列の組合式箱式石棺があります。

その中には、男性人骨と鏡二面(仿製二神二獣鏡)、巴形銅器、玉類(勾玉・管玉・小玉)、刀、剣、鉄鏃の副葬品が残っていたことから、この地域を代表する首長の墓と思われます。

昭和62年3月 福岡市教育委員会

(案内板の設置に感謝いたします。)


イメージ 6
墳丘復元図


イメージ 7
石室復元図



イメージ 8
前方部 西側・斜めから


イメージ 9
一つ前の画像より若干右手(西側)


イメージ 10

階段を上って墳丘の上部へと。

正面奥に石室   左手の建物は観音堂か地蔵堂かだったかな…。



イメージ 11
丸隈山古墳の石室

これまで見学させて頂いた、巨石を組み合わせた古墳とは異なりますね。

煉瓦のように整えた石を積み上げた壁面です。

天井部は板状の石。


 
イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15
石室の入口左 お不動様の石像 と 手水鉢

イメージ 16
石室入り口右の様子

イメージ 17
墳丘 南側 後円部

イメージ 18
先ほど上ってきた階段からの眺望 墳丘北側

イメージ 19
階段の杯状穴

イメージ 21

国指定史跡 丸隈山古墳 (現地 別の案内板より)

この古墳は、5世紀前半の前方後円墳です。

階段を上がると、横穴式石室があり、いつでも見学できます。

石室の前は広場になっており、毎年8月17日には、この場所で、宇田川原豊年獅子舞(うだがわらほうねんししまい)(福岡県無形民俗文化材)が、奉納されます。

ここから東には、山の鼻1号古墳、若八幡宮古墳、大塚古墳や鋤崎古墳(すきざきこふん)が続き、古墳めぐりが楽しめます。

『※これらの古墳をあわせて、「今宿古墳群」として、平成16年4月5日に国指定史跡に指定告示されました。』(この箇所は上からテープにて追加記載されていました。)

図の説明 石室と石棺 丸隈山古墳から出土した仿製六獣鏡 宇田川原豊年獅子舞

平成13年3月 西区区役所


イメージ 20
案内表示 若八幡宮まで800m  JR周船寺まで850m

イメージ 22

※ 丸隈山古墳前の道路は、見通しの悪い箇所があったり、道幅が狭いために歩道が確保されていない場所もありました。  散策の際は交通事故にご注意ください。

この日は雨脚が強まったため、これ以上の古墳散策は中止。九大学園都市駅へと戻りました。


イメージ 23
天神地下 ベーカリーカフェ アペティートにて (キッシュ)

☆最後までご覧いただきありがとうございました。

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2017/08/27追記

イメージ 24

長崎県西海市大瀬戸町雪浦 雪浦地区公民館  2015年9月撮影


イメージ 25

雪の浦を通過中、車窓から撮影。(ぶれてます)

おもしろい石積みだったため、記憶に残っていました。

場所も時代も異なりますが、丸隈山古墳の壁の積み方(石の割り方 積み方)に似ているような気がします。


イメージ 26
角力灘

以上、追記しました。



写真の整理中です。

※ 2017年3月撮影時のデータです。


イメージ 1
JR九州 筑肥線 九大学園都市駅 駅舎 (南側のロータリー前) 

関東地方の太平洋側に住んでおりますと、おおまかには 海が南 、 よって 海と平行に走る路線は、海の反対側が北 と刷り込まれてしまっているのですが、福岡県の北部、玄海灘方面は、海が北側、山が南側となり、普段とは方向感覚が逆になる感じですね。 (北側には、糸島半島の山もあるのですが)


イメージ 13
山ノ鼻古墳公園 (このときは、未だ工事中のエリアがありました)


イメージ 2
山ノ鼻古墳公園 利用上の注意書き看板


イメージ 4墳丘の斜面の様子 西


イメージ 5
墳丘斜面 左手が東側方面


イメージ 3

振り返って、イオンモール福岡伊都(九大学園都市駅に隣接)。


イメージ 7


イメージ 21

墳丘斜面の土壌の色(芝生を植栽している箇所もあるのですが)


イメージ 8



イメージ 11



イメージ 6
山ノ鼻1号墳


イメージ 9

国指定史跡 山ノ鼻1号古墳 Yamanohana Kofun 1 (今宿古墳群いまじゅくこふんぐん) (現地案内板より)

山ノ鼻1号古墳は、4世紀につくられた古墳です。

地表を観察しても、古墳の形は、はっきりしませんでしたが、発掘調査により古墳の裾にあたる部分に葺き石の一部を確認し、(右下写真)、墳丘の長さ約37m、後円部の径約21mの前方後円墳であることが分かりました。

また、古墳のまわりからは、赤色の顔料の付いた板石(いたいし)などが見つかっており、埋葬施設は竪穴式石室(穴の中に石を積み上げてつくった墓室)であったかもしれません。

現在地は、丁度、古墳(後円部)の上にあたり、盛り土をした部分が古墳の位置と大きさを示しています。

今宿平野の南側に広がる高祖山(たかすやま)などの山麓一帯には、12基の前方後円墳が見つかっています。

中でも、山ノ鼻1号墳を含む7基の前方後円墳は規模も大きく、この地で大きな力をふるった首長の墓であったのでしょう。

首長たちは、古墳時代(4〜6世紀)を通して、今宿地域を中心とする限られた場所に、自分たちの墓をつくり続けました(右上図)。

これは、全国的に見ても珍しいことで、平成16年(2004年)、7基の前方後円墳は、まとめて史跡「今宿古墳群」として、国の指定を受けました。


イメージ 10

以下、現地案内板&からの情報。

画面中央、今宿バイパスの向こう、小山の辺りが、若八幡宮古墳(4世紀) さらに、さらにその奥手には下谷古墳があるとのこと。


イメージ 12

距離感が掴めないのですが、若八幡宮古墳の南東方面に、女原C14号墳。

案内板地図から、ざっと、文字おこししておきます。

背振山 高粗山 雷山 羽金山
鋤崎古墳(4世紀) 木村A1号墳 谷上B1号墳 大塚古墳(6世紀) 山ノ鼻1号墳(4世紀) 若八幡宮古墳(4世紀) 下谷古墳 丸隈山古墳(5世紀) 飯氏B14号墳 兜塚古墳(5世紀)

自分の為のメモ
マピオンの地図より 福岡県西区の地名など
湯溜池 女原(みょうばる) 石川県白山市の場合はオナハル 女原神社 女原1号公園 一宮神社(濠?)  飯氏(いいじ) 都橋 周船寺1号公園  塞神社 伊観神社 北原 徳永 横浜 西都 江の口橋 上新田 田尻 富士見 泉 高田 板持 千里 


イメージ 14
周辺の様子

福岡市西側のベッドタウンといった印象。


イメージ 20
山ノ鼻1号古墳 西側から

以下、土砂、石など。 元から、この土地にあったのか、公園整備工事のため運び込まれたものなのかは不明ですが…。


イメージ 19

こちらは砂っぽい。


イメージ 15

やはり赤土が目立ちます。


イメージ 16

この石が気になった。


イメージ 17


イメージ 18



イメージ 22

イオンモールにてランチの後、丸隈山古墳へと向かいます…。


この記事は、ここまで。

最後までご覧頂きありがとうございました。


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只今、写真の整理中。

※ 2017年3月撮影時のデータです。


イメージ 8

一つ前の記事、嬉野温泉シーボルトの湯 駐車場前に設置されている嬉野温泉の周辺案内地図。

画像、上方の白い○が豊玉姫神社の場所です。


イメージ 1
豊玉姫神社の鳥居


イメージ 2
振りかえる感じで(奥が参道入り口)


イメージ 3
豊玉姫神社 鳥居〜御拝殿


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手水舎


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美肌の神様 豊玉姫神社 縁起 (現地案内板より)

豊玉姫神社の歴史は古く、天正年間(1573〜92年)兵火のために焼失してしまいましたが、元和年間(1615〜24年)には、社殿を再建し、藩主、鍋島直澄の祈願所となりました。

以来、歴代藩主を始め、地元住民の尊崇を集めています。

豊玉姫様は海神の娘で、竜宮城の乙姫様としても有名であり、古来より、水の神、海の神として広く崇敬を集めています。

豊玉姫神社のお使いは、「なまず」です。

嬉野川を支配し、郷の守りについていて、国に大難あるときには、六尺の大なまずが現れて、神託を告げると語り伝えられています。

この「なまず様」は、古来より「肌の病」にご利益があるといわれています。

豊玉姫様は乙姫様であり、その肌は美しく、嬉野の温泉の効能と相まって、「美肌の神様」として、広くしたしまれています。

(案内板の設置に感謝致します。)



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神様のお使い 白鯰の像

豊玉姫神社 大神のお使い 美肌の神様 なまず社 とのことです。
 

イメージ 5

なまず社の案内板には、  嬉野地区では、古来より「なまず様」を粗末に扱ったり、危害を加えると、祟りがあるので、食用にすることさえ禁じている と記されています。


イメージ 7


境内社 素戔嗚尊をお祀りされていたように思うのですが、半年前のことですので記憶が曖昧です。
(写真を放置してしまい、すみません。)

この記事は、以上です。

最後までご覧頂きありがとうございました。


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