旧ただ若き日を惜しめ

新・ただ若き日を惜しめに移転しました。http://blogs.yahoo.co.jp/sakaisouga

全体表示

[ リスト ]

コース探索 (2)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

90年前少年本田宗一郎が自転車での飛行機ショー見学を再現するシリーズ。

今回は「山東〜二俣町」までのコースを探索する。

宗一郎がどの道を走って浜松練兵場へ行ったかを示す文献は全く無い。

従って当時の地図を参考にコースを推測するしかない。

地元出身の私は、山東から二俣の辺りは自分の庭みたいな場所なので大体の推測がつく。

当時宗一郎が住んでいた光明村山東と現在との大きな地図上の違いは二俣川の流れである。

宗一郎は写真の白線で示した道を浜松へ向けて走り始めたものと考える。

当時の道はもちろん凸凹道、幅員は当時自動車が走り始めた時代だから3m程度はあったのだろうか。


【写真1】
大正時代の二俣川の流れは大きく蛇行していた。
赤い点が当時宗一郎が住んでいた家、青い点線が後年付け替えられた二俣川の流れ。
写真の左に工兵演習宿舎の表示がある、ここが陸軍の諜報員を養成した中野学校の場所である。
ルバング島から帰還した小野田少尉はここで教育を受けた。

【写真2】
現在の地図。

【写真3】
当時の地図に、宗一郎が走ったと思われるコースを白線で示す。

【写真4】
現在の地図に、宗一郎が走ったと思われるコースを白線で示す。

【写真5〜9】

5.宗一郎が当時住んでいた自宅付近、正面の木が父親が植えた柏の木。
6.すぐ近くの「追分橋」、来年の5月25日にこの橋の上からスタートしたいと考えている。
7.光明村山東の車道付近、宗一郎が初めて自動車を見たのはこの付近であろう。
8.車道の名前を残すバス停。
9.車道を過ぎて「とどろきばし」を渡り真っ直ぐ進むと通っていた二俣高等小学校。
 次の路地を左に曲がると二俣の町の中心部を走る道に繋がっている。

閉じる コメント(5)

顔アイコン

先日、沼津に仕事で行きました。
時間があれば本田宗一郎の墓参りに行きたかったんですが
行くことができず残念!
仕事で旨くいかないときは「本田宗一郎語録」を読んで、
励まされてるといった感じです。

2007/7/24(火) 午前 10:52 [ KEN ]

顔アイコン

私は一度だけ墓参りに行った事があります。
こんど行く機会があったら方位磁石を持って行うと思います。
他の墓と異なり本田宗一郎の墓は西向きとの事ですが、自分で確かめて見たいです。

2007/7/24(火) 午後 6:12 [ sera ]

顔アイコン

へ〜西向きなんですか?

多分、重要な意味があるんでしょうね!

2007/7/26(木) 午後 9:34 [ KEN ]

顔アイコン

私も後になって聞きました、同郷出身の私としては生まれ故郷の光明村の方向を向いているのだと思ってます。

2007/7/27(金) 午後 8:19 [ sera ]

顔アイコン

はっは〜ん なるほど!勉強になりました。

2007/7/28(土) 午後 6:12 [ KEN ]


.
sera
sera
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事