旧ただ若き日を惜しめ

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コース探索 (4)

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90年前少年本田宗一郎が自転車での飛行機ショー見学を再現するシリーズ。

宗一郎がどの道を走って浜松練兵場へ行ったかを示す文献は全く無い。

従って当時の地図を参考にコースを推測するしかない。

今回はいよいよ天竜橋を渡る。


宗一郎の住んでいた磐田郡光明村は天竜川の右岸にある。

戦国時代に徳川家康が武田信玄に対じする為に左岸の浜松に城を造り、

遠州地方の中心地が右岸の磐田から浜松に移ってからは、

天竜川に橋を掛け浜松側である左岸に自由に渡る事は、光明村や二俣町の悲願であったであろう。

ここに木造の立派な白い橋「天竜橋」が掛けられたのは明治44年のことであった。

この橋によって浜松から様々な文化が田舎の町にもたらされた。

宗一郎が初めて目にした自動車もこの白い橋を渡ってやって来た。


当時、天竜川を渡ると言う事は異なった文化圏に足を踏み出すことであっただろうと思う。

その意味からすれば少年宗一郎が1917.5.28単身で天竜橋を渡りきって対岸に一歩を記した時こそが、

世界のHONDAに向かって踏み出した第一歩と言うことになるのである。


[写真説明]

1.写真中央の鹿島橋は昭和12年に完成した。
 この橋の完成により、右側に写っている白い天竜橋はその役目を終えて取り壊される事となる。

2.天竜橋が掛けられていた付近の現在の状況。
 この写真の中央部分の対岸に向けて天竜橋は掛けられていた。
 橋脚跡等、当時を偲ぶ痕跡は残っていない。

3.当時の天竜橋付近の写真。

4.天竜橋を渡る親子連れ。

5.昭和12年に完成した現在の鹿島橋、来年の5月にこの歩道部分を渡って浜松練兵場を目指す。

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