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宗一郎は90年前、何時頃自宅を出発したのだろうか。
本田宗一郎自らの手記「私の手が語る」ではたった1行、
「その日の朝、二俣から浜松の練兵場まで二十キロあまりの道のりを、私はこっそりとひっぱりだした
父の自転車に三角乗りをして出かけた」
とあるだけで、出発時間を特定する様な表現は一切無い。
宗一郎が浜松までカーチス複葉機の曲芸飛行を見に行ったエピソードがインターネットで紹介されている。
その中では、
第5話
http://www.web-contents-service.com/M20030105_234237/M20001223_235341.html
第6話
http://www.web-contents-service.com/M20030105_234237/M20001225_052504.html
この文章の中で、
「深夜満天の星空の下」に出発し、「何度も転び、転んでは起きて重い自転車を立て直し、すりむいた膝ににじむ血も気にかけず、宗一郎は暗い山道をひたすら走った。遠く浜松の町が見えてきた頃、あたりは夜明けの光に染まろうとしていた。」
どう解釈しても出発した時間は逆算すると午前12時か1時と思わせる表現なのである。
しかも本人は「疲れた」としか書いてないのに「傷だらけ」でたどり着いた事になってしまっている。
これは不自然だ、美し過ぎるエピーソードに脚色されている。
5月頃は朝4時ころから空が白み始める。
当時の人々、とくに天竜川の船頭達もこの4時頃から仕事を始めている。
舗装されていない凸凹道を、11才の少年が未知の目的地に向かって、
前照灯も付いていない当時の自転車で、真っ暗な道を走る事は考えにくい。
しかもコースは山道ではなく、比較的平坦な道である。
浜松まで約20km、平均時速5kmとして所要時間は4時間。
従って、宗一郎が出発した時間は早くても空が白み始める4時頃(5時頃の可能性もある)に家を出て、
4時間から5時間かけて浜松の練兵場へ9時頃着。
この辺が常識的な様な気がする。
この様に、宗一郎のエピソードを必要以上に美しく脚色する文章を私は相容れない。
宗一郎の没後、その言動は美化され過大に脚色されている傾向がある。
これは宗一郎本人が一番嫌がる事であろう。
今回、私が同じコースを走ろう度思い立ったのも、文献を鵜呑みにしないで自ら体で感じ取りたい。
そんな思いからである。
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