|
90年前、11才の本田宗一郎が20km離れた浜松市で行われた複葉機の飛行ショーを、
単身自転車で見に行ったエピソードを再現するシリーズ。
コース探索の最終回、いよいよ陸軍練兵場(現和地公園)までを探索する。
1.二俣街道〜姫街道〜気賀街道
【写真1】
90年前に宗一郎が走ったと思われるコースの全体地図。
【写真2】
小松村を過ぎ、さらに軽便鉄道の線路沿いに南下し、西ケ崎村を過ぎると、
やがて前方に宗一郎が走った時には存在しなかった東名高速道路が見える。
【写真3】
東名高速道路を過ぎるといよいよ前方に姫街道が直角に交差する地点に差し掛かる。
この交差点を右折(西進)すれば姫街道に入る。
現在の遠州鉄道の線路は写真左手を並走しているが、当時はもう少し西側を走っていた。
つまり写真の道路付近に路面電車の様な軽便鉄道の線路が敷かれており、
この交差点辺りに市場駅があったようだ。
http://homepage3.nifty.com/mp5pdw/entetsu/57_old_shinmura.htm
【写真4】
姫街道に入り西進する。
しばらく進むと馬込川に架かる「五枚橋」と言う名前の橋に行き着く。
この名前は、その昔川の飛び石に5枚の板を掛け橋とし、大雨の時には
板を外して流失を防いだ事に由来する。
宗一郎が走った時にはどんな橋だったのだろうか。
【写真5】
急な坂を一気に上り、三方が原台地の上に登る。
この坂はかなりキツイ。
変速機が付いていても厳しい坂であるから宗一郎も押して登ったことであろう。
【写真6】
三方が原台地を西進する、近くに姫街道の一里塚(日本橋より66里)がある。
【写真7】
前方の信号が追分交差点。
東西を結ぶ姫街道と浜松市街地から北へ向かう気賀街道(本坂道)が交差する地点。
ここの地名は小豆餅と言う。
本田宗一郎の著書「わたしの手が語る」の中の「肌のぬくもり」で紹介されている。
宗一郎が幼い頃に、祖父が話してくれた徳川家康が三方が原の戦いで武田信玄に敗れ、
敗走途中に、お腹が空いて小豆餅を食べたと言う場所である。
歴史が好きな宗一郎はここの地名に胸をときめかせた事であろう。
【写真8】
追分の交差点を左折すると気賀街道に入る。
まっすぐに進むと浜松市街、浜松城の方向だ。
暫く進むと本田技研の浜松製作所が右手に見えてくる。
この道は浜松城に向けて徳川家康が敗走した街道で、この先に銭取と言う地名があり、
小豆餅で代金を払い忘れた家康が、お金を払った場所との事である。
宗一郎は祖父の昔話をたどりながら、走ったに違いない。
【写真9】
この先、気賀街道から少し右手に入ったところに目的地の陸軍浜松練兵場がある。
90年前、アート・スミスが操縦する複葉機のショーが行われた地である。
現在は和地公園として市民の憩いの場になっている。
来年の5月、このルートでこの地を目指す。
|