|
90年前、11才の本田宗一郎が20km離れた浜松市で行われた複葉機の飛行ショーを、
単身自転車で見に行ったエピソードを再現するシリーズ。
光明村山東から浜松練兵場までいったい何kmあるのだろうか。
地元出身の私は、感覚的に二十キロとは到底思えなかった。
本田宗一郎自身の著書「私の手が語る」
二俣から浜松の練兵場まで二十キロあまりの道のりを・・・・。
中部博著「本田宗一郎伝」
光明村から浜松までおよそ二十キロ・・・・。
どの文献をみても二十キロ程度で統一されている。
この距離情報の出所は宗一郎の著書の中にある「二十キロあまり」からであろう。
しかし、宗一郎が「あまり」と表現しているのに、何故か「およそ二十キロ」に置き換わっている。
この「あまり」が曲者だ。
だれも本当は何キロだったのかを実際に確かめた人はいなかった様だ。
こんな事にこだわる物好きは少ない。
今回当時のコースを探索し、ほぼ宗一郎が走った可能性が強いコースを特定した段階で、
距離が何キロなのか自動車で計測してみた。
因みに私はこのコースを来年の5月まで自転車では一切試走しないことにしている。
このコースは当時の最も整備された道で(写真1)、これより短いルートは考えにくい。
方法は自動車のTRIPメーターによる計測である。
結果はやはり違っていた。
宗一郎が「あまり」と表現した距離は約5km(実測値4.7km)程度であった。
従って、光明村山東から浜松練兵場までの距離は約25km(24.7km)だったと言う事になる。
もちろん宗一郎亡き現在、確認する手立ては無い。
しかし、これはとても重要なことだと思う。
11才の少年が25km近い距離を走って飛行機を見に行った事になるのである。
その暑い情熱こそが世界のホンダの原点と言えるからである。
改めて宗一郎の凄さを感じさせる結果であった。
|
>seraさん
検証、いつも楽しみにしております。
さて、宗一郎さんの年齢ですが、満年齢で9歳では無いでしょうか?
1906年11月生まれで、アートスミスが飛んだのが1916年ですので・・・11月よりは前でしたよね。
2007/11/7(水) 午後 9:04
TONYさん。
ご指摘ありがとうございます、とても励みになります。
アート・スミスが最初に来日したのは1916年ですが、札幌で墜落して太腿を骨折し、翌年再来日。
浜松練兵場での飛行ショーは1917年5月28日のはずです。
従って年齢は満年齢で10才と6か月になると思います。
昔は「満年齢」ではなく、1才多い「数え年齢」が一般的でしたから、私は切り上げて11才と言う表現をしています。
実際、私の三角乗り経験と浜松までの走行コースの下見結果から、いくら宗一郎が凄くても9才ではとても無理な距離だと思います。
2007/11/7(水) 午後 10:55 [ sera ]
>浜松練兵場での飛行ショーは1917年5月28日のはずです。
そうでした!
すみません!
2007/11/8(木) 午前 8:18