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【真珠湾攻撃エピソード1】 もうひとつの計器の存在 発送連絡の過程で出品者のT・ジャスティス氏から、父親が亡くなったとの連絡がありました。 そして、既に送付していた私からの購入資金は、「父親の葬儀費用に使えるので、とても助かった」との、 丁重なお礼の言葉が添えられていました。 L・ジャスティス、享年89歳。 思えば、L・ジャステス氏は、自分の葬儀費用に繋がる品を、69年前の真珠湾で入手した事になります。 そして、葬儀費用の一部は、当時の敵国である日本から提供された事になります。 なんとも不思議な因縁ですが、これも戦後65年が経過した日米間の平和な関係があったからこそです。 かくして「ブースト計」は海を渡り69年ぶりに祖国に戻る事になりました。 二週間後「ブースト計二型」が私の手元に届きました。 届いた計器を手にとってみると、そこには写真では気が付かなかった現実がありました。 こ計器は、マイナス頭のビス4本で計器板に取り付けられていましたが、 左上のビスはドライバーで緩まなかった為か、無理やり引きちぎられていました。 前面には墜落時の衝撃によると思われるキズがありました。 被弾後、この計器を最後まで見ながら操縦し、戦死された搭乗員の命の重みを痛切に感じました。 さらによく見ると目盛板の下部(30.40の文字付近)の方が状態が悪く、脱落した目盛の蛍光塗料が、 粉状になって、下部に溜まっている事もわかりました。 これ以上の検証は、素人の私には困難ですので、この解析を友人に依頼する事にしました。 私は少年時代から憧れている零戦の計器板の復元を夢見ています。 その最大の協力者で、理解者でもある千葉県のA6M232さんに依頼する事にしました。 A6M232さんは、零戦計器板マニアの世界で知らない人はいない程の有名な方で、 ホームページ「零式艦上戦闘機計器板」を、開設されている方です。 事前に計器の写真をメールで送っており、A6M232さんからの印象は、 「この計器の汚れは、海水に浸かっていた可能性があります」とのコメントを頂いていました。 「ブースト計」は私の手を離れ、千葉県のA6M232さんに渡りました。 A6M232さんは、固まっていた前面のガラス部分を緩める為に、専用の治具を作成して見事に外しました。 そしてふたつの事実を確認しました。 1.やはり海水に浸かっており、その残留水分と塩分によって目盛部分が侵されている。 2.目盛板下部の程度が悪いのは、水分が完全に抜けきれないまま展示したので、水分が下に溜り、 下部がより侵された。 本当に海水に浸かっていたかどうかは、残留塩分を分析すれば確認できます。 A6M232さんは汚れた計器板をクリーニングし、今後の塩分分析に備えて内部の白い粉を採取しました。 いずれにせよ、地上に墜落した機体ではなく、海上に墜落し沈んだ機体から取り出した計器である可能性が 高い事がわかりました。 この後、A6M232さんはこの計器調査の私の力強いパートナーとなり、協力してくれる事となります。 そして、後日この「ブースト計」は、感謝と友情の証として、A6M232さんに譲渡する事になります。 出品者のT・ジャスティス氏から、お礼のメッセージと共に、重要な情報が私に伝えられました。 父親のL・ジャスティス氏は、真珠湾の同じ機体から、もうひとつ計器を持ち帰っていたのです。 私が入手した「ブースト計二型」だけでは、機体の絞り込みまでは困難です。 もし、もうひとつの計器があるならば、点が線となり真珠湾攻撃機から取り出した計器である事が 証明出来るかもしれません。 T・ジャスティス氏は、 この二つの計器が、父親の大切な思い出の品で、家宝として大切にしていた事。 子どもの頃から39歳になる現在まで、何度も何度も同じ話を繰り返し聞かされた事。 計器を手放す事は、父親との思い出を手放す事になる為、とても辛かった事。 しかし、父親の医療費を用意する為に、やむをえず1個だけ手放した事。 もうひとつの計器は、父親との思い出を大切にしたい為に、保有し続けたい事。 等の経緯の説明がありました。 私にもT・ジャスティス氏の亡くなった父親と同じ89歳の父がおりますので、 父親との思い出を大切にしたいとのT・ジャスティス氏の気持ちが、よく理解できました。 私は、無理にもうひとつの計器をの売却を勧める事は出来ませんでした。 その代わりに、将来お金が必要な時期が来て、売る決心がついた時、 その時は、是非、私に譲ってほしいと伝え、私はその日を待つ事にしました。 ・
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