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【真珠湾攻撃エピソード1】  零戦である可能性の検証

T・ジャスティス氏から、もうひとつの計器が入手出来るかは分かりませんでした。

そこで現在ある情報の中で、どの機体の可能性があるかを検証してみる事にしました。
※入手した計器が、真珠湾から回収された計器である事を前提にしての検証です。

前述の様に、真珠湾攻撃に出撃した日本海軍の機体は、
「九九式艦上爆撃機」、「九七式艦上攻撃機」、「零式艦上戦闘機」です。


ここではまず、「零式艦上戦闘機」の可能性について検証してみたいと思います。

イメージ 6

ここまでに分かっている「ブースト計」に関する情報は、
  1. 名称が一般的な「吸入圧力計二型」では無く、その前身の「ブースト計二型」である事。
  2. 製造年月日が、昭和14年10月である事。
  3. 計器が水没した可能性が高い事。
この条件に零戦が該当するかどうかの検証です。


終戦と共に、国内や海外の基地に残存していた陸海軍機は徹底的に破壊されました。
図面等も同様に焼却処分されました。
 
陸軍の名機「隼」は日本に1機も残存していません、同様に「飛燕」も鹿児島県知覧に1機あるのみです。
海軍の名機「零戦」は、さずかに国内に何機かは復元展示されています。
しかし、海外からスクラップに近い機体を寄せ集め等によって復元したものであり、外観はともかく
計器板については必ずしも正しく考証されてはいません。

太平洋戦争中の日本軍機の計器板を知ろうとする時、私たちがまず頼りにするのが米国で出版された
ROBART C.MIKESH 著の「JAPANESE AIRCRAFT INTERIORS」です。
終戦直後に撮影された多くの機体写真が満載されており、当時の機体を知る上でのバイブル的な存在です。

イメージ 1

そしてもうひとつ、頼りにしているのはインターネット上のサイト「船津航空計器博物館」です。
http://gunsight.jp/b/english/index1.htm

この「船津航空計器博物館」は「JAPANESE AIRCRAFT INTERIORS」誌をベースに、さらに日本国内にある
資料を加味して作成されており、その情報量には圧倒されます。


今回、私が知りたいのは真珠湾攻撃当時に生産された「零戦二一型」の極初期型です。

太平洋戦争中に日本が開発生産した飛行機は数多く、その情報量は膨大なものであり、
さすがの「JAPANESE AIRCRAFT INTERIORS」や「船津航空計器博物館」でも、この頃の情報は不足しています。
とくに戦後に残存した機体を基に資料が作成されていますので、太平洋戦闘開始当時の情報は、
あまり、反映されていません。
初期の機体は3年8ケ月の戦争で、終戦までには全てが墜落、破壊されて失われていたからです。
従って、この二つのメディアからは限られた情報しか得る事が出来ませんでした。


【ブースト計と、その生産年月からの検証】

「ブースト計二型」が真珠湾当時の、どの機体についていたかどうかを見極める事は極めて困難です。
しかし、いくつかの情報を組み合わせると、その可能性に近づく事が出来ます。

まず、いつ頃から「ブースト計」が「吸入圧力計」に名称変更されたかです。
吸入圧力計は「ブースト計二型」→「吸入圧力計二型初期型」→「吸入圧力計二型」と変化していきました。

イメージ 4

※左「吸入圧力計二型初期型」、右「吸入圧力計二型」、指針の形状と目盛の夜光塗料塗布が異なります。

名称の変更時期は、確証はありませんが、大まかには
  1.昭和15年頃迄の生産が「ブースト計二型」。
  2.昭和16年頃の生産が「吸入圧力計二型初期型」。
  3.昭和17年以降の生産が「吸入圧力計二型」。
と変化して行ったと考えられます。

これに対し、零戦の生産機数は、
  1.昭和15年11月、12月    計35機
  2.昭和16年1月、2月     計46機
  3.昭和16年3月、4月     計57機
  4.昭和16年5月、6月     計55機  累計193機

真珠湾攻撃に参加した4隻の航空母艦には各18機の零戦が搭載されていましたから、計72機です。
零戦二一型の生産は1940年(昭和15年)11月から始まり、1941年(昭和16年)6月までに193機が生産されました。
上記から、零戦には頭書から、新型の「吸入圧力計二型」が使用されたと考えられます。

因みに、「ブースト計二型」が、何故「吸入圧力計二型」に変わったかはよく分かりませんが、
「ブースト計一型」は存在しませんので、反米に傾いていった当時、英語の表現を嫌ったのかもしれません。
今回、私が入手した1939年(昭和14年10月)製の「ブースト計」は、零戦生産開始1年以上前に生産されたもの
ですから、零戦に取り付けられていた可能性はありません。



【計器が水没した可能性による検証】

真珠湾攻撃に関する情報はMULTIPLYの「japanese model aircraft」で詳しく紹介されていますので、
参考にさせて頂きました。
http://japaneseaircraft.multiply.com/photos

私もこれまで多くの計器を見ていますが、水没(海没)した計器を見たのは初めてです。
機体をサルベージして引き上げるには大変な手間が掛かるからです。
よほどの理由が無い限りそこまではしません。

但し、その手間を掛けてでも回収したい場合があります。
真珠湾攻撃の時が、まさにそれでした。

米軍は、最新の日本の海軍機の情報を掴みきってはいませんでした。
初めて見る「引き込み脚」の日本の戦闘機「零戦」は、さぞ驚きだった事でしょう。
真珠湾攻撃が終わると、米軍は直ちに撃墜した日本の攻撃機を回収し、その性能分析に全力を挙げました。
真珠湾内に墜落した機体をクレーンで釣り上げて回収しました。

零戦の場合、真珠湾攻撃で撃墜されたのは8機ですが、記録上有名な機体が3機あります。

 1.平野一飛曹機   オアフ島内、地上激突  
 2.飯田大尉機    オアフ島内、地上激突
 3.西開地一飛曹   ニイハウ島に着陸し、その後の戦闘により炎上

イメージ 2
※最も原形を留めていた平野機は運搬して本格的な調査が行われました。

イメージ 3
※西開地機はニイハウ島で炎上しました。

その他の5機は、私の知る範囲では記録がありません。
オアフ島で撃墜された可能性もありますが、ダメージを受けた機体が母艦へ戻る途中で力尽きて
墜落したり、自分の機位を見失って母艦に帰る事が出来ず、未帰還になった機体もあったでしょう。

零戦に関して米軍は徹底的な調査を行いましたが、「ブースト計」を回収可能なレベルの破損機体が、
海中から回収されたのであれば、必ず記録に残っているはずですが、記録は見当たりません。

イメージ 5
※陸上に激突した平野機の計器板は大きなダメージを受けていました。

従って、入手した「ブースト計二型」の水没した可能性から検証しますと、零戦の可能性は無いと考えられます。


以上、「計器の製造年月日」と「水没の有無」両面から検証した結果、私が手に入れた計器が「零戦」に取付け
られていた可能性はないと考えます。







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