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. 【3】 66回忌の年、祖国日本へ。 私は還暦を迎えた世代であり、太平洋戦争関しては興味があった為、知識はあるほうだと思っています。 そんな私が沖縄戦に関して知っている言葉を列記しますと、 「ひめゆり学徒隊」 「白梅隊」 「地上戦」 「集団自決」 「戦艦大和最期の出撃」 「特攻攻撃」 「平和の碑」・・・等です。 沖縄戦に関わった日本軍人で、名前を知っているのは牛島中将、宇垣中将ぐらいでした。 ですから、大田實少将の旗と言われてもピンと来ませんでした。 私達戦争を知らない世代は、戦争に関する知識をメディア、その中でもテレビや新聞に頼っています。 これまでの沖縄本島での戦いに関する報道は、「ひめゆり」に代表される悲劇を伝えるものや、戦争に巻き込まれた市民を報道するものが多く、沖縄戦で戦った軍に関してはあまり多くはないと思います。 オークションに出品された破れた少将旗が果たして本当に沖縄戦に関わる品なのか、「オークション説明文」が事実なのかの検証をしないと購入する事はできません。 当時の海軍司令部壕内に旗が存在していた事は、地元沖縄を含め日本では誰も知らない新発見であるからです。 当時は後に南雲中将の旗の可能性がある「軍六巾の中将旗」を購入した直後であり、将旗に関する知識がありましたので、同じ大きさの軍六巾の巨大な少将旗が、特別な由来を持つであろう事は想像出来ました。 しかし、この旗が本当に沖縄の海軍司令部壕から持ち出されたものかは「説明文」の真偽確認が必要です。 その為には、「大田實少将」と「海軍軍司令部壕」に関する勉強が必要でした。 【米兵による壕内調査】 オークションに出品された少将旗が説明文の通り、米兵によって海軍司令部壕から回収されたとすれば、それは何時(いつ)の事だったのでしょうか。 その時の様子は、沖縄のドキュメンタリーライター上原正稔氏が「沖縄戦トップシークレット」に詳しく記されています、田村洋三著の「沖縄県民斯ク戦ヘリ 大田實海軍中将一家の昭和史」と合わせて紹介させて頂きます。 米軍が最初に壕内に入ったのは、自決から2日後の6月15日です。 ●昭和20年6月15日 第6海兵師団G2 ウィリアムズ中佐 日本語将校 タド・バンブラント中尉 カメラマン コナリー軍曹 米軍兵士 2名と、若い海兵隊員1名 案内役 山崎少佐と将校1名 計8名 大田司令官他の遺体を確認し写真撮影するも、潜んでいた日本軍兵士の手投げ弾攻撃を受け、米軍兵士2名が死亡しました。 ●昭和20年8月28日 米第10軍情報参謀バーシー中佐 米軍兵士 15名 計16名 この時は司令部壕付近での戦闘が終了して2ケ月が経過していた事と、6月の反省の下に15名の兵士と共に壕内に入ったので、壕内の制圧が可能であり、ある程度落ち着いて壕内を調査出来たと思います。 しかし、この時も日本軍兵士の手投げ弾攻撃を受けました。 この後は、7年後の昭和27年3月4日、日本人3名によって、大田司令官他の遺骨が収集されるまで待つ事となります。 【説明文の中身】 説明文によれば旗のサイズは1フィートが30.48cmからして、おおよそ396cmx243cmとなります。 この寸法に該当すね旗は、測定誤差や縮み等を考慮して将旗としては最大の軍六巾(399cmX266cm)に該当します。 また、添付写真からも「縫い合わせ」旗である事がわかります。 「軍六巾の縫い合わせ旗」に関しては、書庫「南雲中将、最期の中将旗」で解説してありますので参照下さい。 いずれにせよ、将旗としては最大の旗であり、作成枚数も少ない「特別な位置づけの旗」である事が分かります。 旗には縦に連なった穴が開いていましたが、これは折り畳んだ状態で爆発等による火炎を受けた時に、起こりえる形状をしていました。 海軍司令部壕内は米軍の攻撃により水漏れが激しく、後年に行われた遺骨発掘調査の時は水で満たされていたそうです。 折り畳んだ状態で濡れたままの旗の赤色の部分が、白色に転写されているのも、起こりえる事です。 旗が海軍司令部壕から米兵によって持ち去られた日は、6月15日か8月28日のどちらかと考えられます。 6月15日に壕内に入った米兵は2名が死亡しており、また回収したとされる「第六海兵隊の一等兵 Charles Bazoian」の名前がありません。 この事から、旗が米兵によって回収された日は、どちらかと言えば昭和20年8月28日の可能性が大きいのではと考えます。 この回収したとする人物「Charles Bazoian」の裏付けは私の力では取れませんでしたが、私が調べた範囲では「オークション説明文」に否定する要素はありませんでした。 旗に添付されている「説明文書」を詳しく検証すれば、海軍司令部壕から持ち出された旗である確証が得られる可能性が出てきました。 オークションの終了日が迫ってきました。 大田實少将の旗である可能性が考えられる以上、この旗を何が何でも祖国に里帰りさせるしかありません。 オークションには世界中からの入札があります。 他の日本人が、この旗を落札してくれる保証は全くありません。 この機会を逃したら、少将旗は永遠に祖国に戻る可能性が無くなるかもしれないのです。 「南雲中将旗の可能性がある旗」を購入したばかりの年金生活者である私には、重い経済的な負担でしたが、迷わず最高値で入札し、落札しました。 2011年9月11日。 こうして、少将旗は大田司令官の66回忌の年に、祖国日本に向かって送られる事になりました。 ・
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