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. 【5】マグロの缶詰 2枚の添付文書に書かれていた4項目の検証をする事にしました。 1.大田實司令官は喉を切って(切られて)いたか。 2.遺体の近くに、軍刀やその他の品々が揃えて置かれていたか。 3.缶詰が沢山あり、その中にドイツ語が書かれたツナ缶はあったか。 4.当時の沖縄米軍海兵隊にCharles Bazoian(C・バゾイアン)一等兵はいたか。 【 1.大田實司令官は喉を切って(切られて)いたか 】 前述の上原正稔著「沖縄戦トップシークレット」に詳細に書かれています。 遺体が喉を切られていた事は、米軍が6月15日に壕内に入って撮影した写真や証言からして間違いない事実です。 しかし、昭和27年に収集された遺骨には頭蓋骨に拳銃による穴があった為、直接の死因は短銃による自決であり、そのあとで第三者が介錯的に喉を切ったと考えるのが妥当だと思います。 米国陸軍省編 「沖縄 日米最後の戦闘」には6月15日の米軍による遺体発見の様子を次の様に書いています。 「6月15日、海兵隊が小禄で最後の日本軍を求めて掃討にあたったとき、地上司令部の通路で、一段と高くなった所に座布団を敷いて自決した大田少将と五人の参謀の死体を発見した。 部屋のようすから見て、副官が介添えし、大田少将らの死をみとどけてのち死体を整理したことが明らかであった。」 ※この文書及び、この日に撮影された写真から、大田司令官の自決した場所が、現在伝えられている所の 司令官室ではない事は明らかです。 この事については後述します。 当然弾丸による出血量は少なく、喉(けい動脈)を切った方が出血量が多いので、壕内に入った米兵は「THROAT CUT」と報告し、米軍のG2文書では「首が切られていた」となっています。 しかし、日本側からすれば切腹又は短銃による自決ならともかく、喉を切る死に方は「ぶざま」との認識があり、目撃者証言や戦史書では短銃による自決となっています。 従って、旗に添付されていた文書にある「THROAT CUT」は壕内に入った米兵が見た事実と合致する事なにります。 【2.遺体の近くに、軍刀やその他の品々が揃えて置かれていたか】 田村洋三著「沖縄県民斯ク戦ヘリ」に関連文書があります。 自決直前の6月12日の夜、狩俣マサさんの証言に 「司令官室の前に出たので覗いたら、幕僚の方々が日本刀を側に置いて横たわっていた」とあります。 また、8月27日に壕内に入った宮城上曹の証言によれば、 「皆、帽子や肩章を枕元に置いていた」とあります。 従って、この部分も当時米兵が見た事実と合致します。 【3.缶詰が沢山あり、その中にドイツ語が書かれたツナ缶はあったか】 上記ふたつの項目は、事実と合致してますが、戦後発行されたであろう文献に紹介されていた可能性もある為、必ずしも新発見の事実とは言えず、決定的とは言えません。 しかし、このドイツ語の缶詰に関しては関係者しかしらない新事実だと思います。 この事実が説明出来れば、決定的な証拠になるのではないでしょうか。 旗に添付されていたこの部分の全文は、 「マグロ(ツナ)を含む600箱の缶詰があった、箱にドイツのマーキングがあったので おそらくドイツの潜水艦(Uボート)が運び込んだのではないか。」 と言うものです。 この表現には明からな勘違いがあります。 Uボートが搬入したと言う話は、太平洋戦争の概略を知っている人にとっては、にわかには信じられない内容です。 逆に言えば、この内容の不自然な謎を解けば確信に近づけるような気がしました。 当時、ドイツでマグロ漁が盛んだったとは思えませんし、その缶詰をドイツの潜水艦が食料支援として大量に日本に運び込む事はありえないのです。 限られたスペースしかない潜水艦で、遠路缶詰を輸送する事はありえません。 つまりこの文書は、その辺の事実関係を知らない人物によって書かれたものです。 ドイツから日本への潜水艦による輸送は、ロケット戦闘機やジェット戦闘機等の機密図面を運んだものの、帰路米軍によって撃沈されています。 では、このドイツ語が表記された缶詰の存在証言は間違いだったのでしょうか。 これを調べる為に2か所に問い合わせさせて頂きました。 1.問い合わせ先 「沖縄県豊見城市 旧海軍司令部壕事業部」宛 問い合わせ内容 「沖縄戦当時の海軍司令部壕内でマクロのツナ缶を見た方はいないか」 回答 1.壕内には生米や缶詰が沢山あった。 2.缶詰の種類としては 赤飯・大和煮(牛肉)・馬缶・イワシ・シジミ・カツオ などが豊富にあったが、マグロ(ツナ)缶は見ていない。 当時の目撃者の方に問い合わせて頂きましたが、残念ならが当時ツナ缶を目撃した証言は得られませんでした。 当時の缶詰ラベルは現在の様に缶に印刷されたものではなく、紙製のラベルを缶に巻き付ける方式であり、湿気の多い壕内では短期間で劣化する為、終戦後早い段階で壕内に入った人物でないとラベルは確認できなかったと思います。 壕内にあった缶詰の内、どの位の量がツナ缶だったかは分かりませんが、壕内に入った米兵がドイツ語をを理解できた為に(ヨーロッパ系アメリカ人?)、特に印象に残ったものだと思います。 今回沖縄での調査に証言頂いた方が、壕内の軍事施設のどの地域まで入り込む事が出来たかが不明ですので、この回答を以ってツナ缶の存在を否定するものではありません。 2.問い合わせ先 「日本缶詰協会」宛 問い合わせ内容 「太平洋戦争当時のマグロツナ缶の輸出実績」 前述の様にドイツでマグロ漁が盛んだったとは考えにくく、逆に日本からドイツへの輸出用ツナ缶が存在していれば謎が解けます。 ドイツ語のラベルが貼ってあったので、米兵はドイツ製と勘違いしたのではないかと考えました。 回答 1.マグロの缶詰は戦前の有力な輸出品でした。 太平洋戦争開戦前にはアメリカ・カナダ向けが80%を占め、40万箱程が輸出されていました。 2.太平洋戦争開戦の直前にはアメリカとの関係悪化に伴い、アメリカ向けは大幅に減少します。 昭和15年の下期には当時の前半で昭和15年9月27日の三国同盟締結により、ドイツ向けに変更され、 この年だけでも21万箱がドイツ向けとして輸出されました。 ツナ缶詰の輸出実績から、太平洋戦争開戦前の昭和15年には、大量のドイツ向け缶詰が生産されています。 記録にはありませんが昭和16年前半にもドイツ向け缶詰が生産されていたであろうと思われます。 この昭和15年〜16年に生産されたドイツ向け缶詰が、開戦により実際に輸出されたか分かりません。 これらの缶詰は、おそらく陸海軍に徴用された可能性が強いと思います。 この資料により、沖縄の海軍司令部壕にはドイツ語のラベルを貼ったツナ缶詰が運び込まれた可能性が高まり、旗を回収した米兵が見た可能性が十分あり得ます。 以上、3項目に関して検証を進めた結果、旗に添付されていた資料の内容は、いずれも少将旗が海軍司令部壕から持ち出された可能性がある事を示しており、否定的な要素はありません。 この少将旗が、終戦直後に海軍司令部壕から持ち出されたものと判断して良いと考えます。 残された検証項目は、当時の沖縄米軍海兵隊にCharles Bazoian一等兵が実在したかです。 ・
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