旧ただ若き日を惜しめ

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【6】C・バゾイアンと、D・ダベンポート


果たして、沖縄米軍海兵隊にCharles Bazoian(C・バゾイアン)一等兵は実在したのでしょうか。


私にはもう一つ解明しなければならない事がありました。
それは、「旗がどの様な経緯でアメリカに渡り、今回オークションに出されたのか」です。

前述の様に、旗に添えられていた説明文は、博物館等での展示説明に慣れた方が、書かれた印象を受けましたが、この文書を作成した元の持ち主は、どの様な人物だったのでしょうか。


この元の持ち主に関する疑問は簡単に解けました。
旗が無事到着した事を出品者にメールで伝えたやり取りの中に、この様な文章が入っていたのです。

「As you know, My father was curator for the Battle of Okinawa Museum on Okinawa for many years located on Camp Kinser.」

「あなたが知っているように、私の父は長年「沖縄キャンプ・キンザー」にある沖縄戦資料館の館長でした。」

これは全くの初耳でした。

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              ※沖縄県浦添市キャンプ・キンザー Battle of Okinawa Museum
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直ちにインターネットで「出品者のファミリーネーム」と「沖縄」(Davenport OKINAWA)で検索した所、数多くヒットし、彼の足跡を知る事が出来ました。
彼はアメリカ人による沖縄戦研究に関しては第一人者だったのです。

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出品者の父 Dave Davenportは1944生まれで、1965年21歳の時に沖縄に赴任しました。
60年代の後半、彼は精力的に沖縄の戦跡を調査して収集した数千点の遺品を寄贈し、沖縄県浦添市のキャンプ・キンザー内に「沖縄戦争資料館 Battle of Okinawa Museum 」を設立しました。

Dave Davenportは、生涯沖縄戦の研究に関わり2006年、癌で亡くなります。
享年62歳でした。



これですべての「点」が繋がった事になります。

整理しますと、大田少将旗は沖縄戦の遺品を集めていたDavenport氏が、海兵隊ルートを通じて元海兵隊員のCharles Bazoian 一等兵(司令部壕からの回収者)から購入、もしくは寄贈されたものと考えられます。

Davenport氏は、収集品の中でも超一級品の資料と言える大田少将の遺体近くから回収されたこの旗だけは、設立した「沖縄戦争資料館」に寄付する事はせず、個人で秘蔵していたのでしょう。

旗に添付されていた説明資料は、間違いなくDave Davenport氏が作成したものです。
おそらく元海兵隊員で、壕から旗を回収したCharles Bazoian 氏から直接当時の話を聞いて作成したものと思います。
そして、ドイツ語が書かれたツナの缶詰があった事や、旗が遺体から5フィート離れていた場所にあった事を、添付されていた説明資料に盛り込んだのだと思います。
その時期は、説明資料の変色状況からしておそらく20〜30年以上前の事だったと推測します。

また、説明資料が汚れ防止のカバーを被せられている事からして、一時期 Dave Davenportが館長をしていた沖縄の戦争資料館に展示されていた可能性もあります。

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そして2006年にDavenport氏は癌で亡くなり、その旗を引き継いだ息子さんが5年後に遺品を整理し、オークションに出品したものと考えられます。




さらに確証を得る為には、司令部壕壕から旗を回収した海兵隊員 Charles Bazoian が当時沖縄に配属されていたかを確認する事が重要です。

しかし、素人の私が出来る検証はこれまでが限界であり、これ以上は困難でした。

この調査は、サポート頂いていた報道機関の方が協力してくれました。


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                         Charles Bazoian (1925-2009)

66年前に旗を司令部壕から持ち出した米軍海兵隊一等兵「 Charles Bazoian」は、
1943〜1946年まで軍に在籍し、1945年当時沖縄に配属されていた事が確認出来ました。
同時にC・バゾイアンが、2009年10月25日に亡くなっていた事も判明しました。


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                           1945当時  C・バゾイアン 

C・バゾイアンは沖縄戦当時20歳の若者でした。
昭和20年6月15日に司令部壕内に入った人物の内、唯一名前が判明していない若い兵士とは、後に体型の違いから別人である事が分かります。
従って、C・バゾイアンが司令部壕内に入ったとすれば、8月28日に壕内に入った16名の米兵の内の一人である可能性があります。

C・バゾイアンは晩年(2003.11 78歳の時)インタビーに応えて、沖縄配属当時の思い出を語っています。
残念ながら少将旗を発見回収した時の回想は残されていませんでしたが、当時の海兵隊では日本の旗が米国への土産として、とても人気があった事を語っています。

回想中の「Big white flag with a red ball in the middle」は少将旗の可能性もあります。

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Now during the war, in battle, all soldiers like to find certain souvenirs, maybe an enemy flag or whatever. But I remember the first time I came across a Japanese flag. Big white flag with a red ball in the middle,

戦闘中にすべての兵士たちは、信頼できるお土産を欲しがります、敵の旗やそのほか何でもです。
私は日本の旗に初めて出会った事を覚えています。中央に赤いボール(日の丸)がある大きな白い旗でした。

Flag of Japanese forces has a lot more value. Sure enough, we sold two three like it.

日本軍の旗はとても価値があります、私達は確かに2〜3枚売却しました。



C・バゾイアンは実在していました。
これで、少将旗に添付されていた説明資料の、全ての項目を確認する事が出来ました。
証言の中の、「中央に赤いボール(日の丸)がある大きな白い旗」が少将旗を指すのか、それとも日章旗を指すのか定かではありません。
沖縄で数多くの旗を見た中で、特に記憶が残っている事からして、相当大きな旗だったであろうことは推測出来ます。
C・バゾイアンがダベンポートに少将旗の所有権を引き継いだことを考慮すれば、この大きな旗が少将旗であった可能性が高いと考えます。


しかし、67年という年月はあまりにも長く、C・バゾイアンと、D・ダベンポート共に亡くなっており、家族からの証言を含め、このルートからこれ以上の情報を得る事は出来ませんでした。







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