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. 【10】 6月12日の夜 (フィクション) このブログはノンフィクションを基本としていますが、6月12日夜の司令官室の様子を、現在確認されている史実に、一部フィクションを加えて紹介させて頂きます。 この文書の中で、現在自決の場所は司令官室内とされていますが、私はあえて自決の場所を隣室の「従兵控室」として描いています。 素人が書いた稚拙な文章ですが、お読み頂ければ幸いです。 昭和20年6月12日夜。 司令部壕内の状況は、断末魔の絶叫や、うめき声で、まさに阿鼻叫喚の状態でした。 司令官室となりの従兵控室では、参謀たちが自決の準備を進めていました。 通路は、遺体や怪我人、脱出する大勢の人がひしめき合っていました。 壕内は、砲弾の爆発音がとどろき、馬乗り攻撃によって流し込まれたガソリンの炎、投げ込まれたガス弾で、呼吸すら困難な状況でした。 その中で、司令官室は不思議な静寂の中にありました。 司令官室内は、大田司令官ただ一人でした。 大田司令官は東壁の棚の上の御真影に拝礼し、その横に折り畳んで置かれていた「軍艦旗」と「少将旗」の内、「軍艦旗」を取り出して机の上に広げました。 そして、軍艦旗に「昭和二十年六月十二日」、「沖縄の日没」と書き込みます。 狭い壕内ですから、海軍の象徴である軍艦旗を、掲げる事は出来ません。 大田司令官は、机の全面に軍艦旗を広げたままとし、その代わりとしました。 次に大田司令官は、司令官室の下座である西壁前に立ちました。 そして、現在の心境を最も表わす愛称歌を書込みました。 「大君の 御はたの元に死してこそ 人と生まれし 甲斐ぞありけり」 書き終わって筆を置いたころ、隣室の従兵控室から「司令官、準備が整いました」との声が掛かります。 生粋の軍人である大田實少将は、壕内では常に公人であり、大田實個人を見せる事はありませんでした。 しかし、司令官室を出た時、重い根拠地隊司令官の鎧を脱いだ、人間大田實の顔がそこにありました。 従兵控室の一段高くなった場所に腰を降ろし、そっと瞼を閉じました。 戦闘中は省みる事すらなかった家族の顔が一気に浮かびあがりました。 22年間連れ添って苦労ばかり掛けた妻かつ。 そして11人の子供達。 末子の豊は一度として抱いてやる事が出来ず、父親としての温もりを伝えてやる事が出来ませんでした。 家族との思い出に包まれながら、大田實は静かに短銃の引き金を引きました。 傍らには、沖縄赴任直前に家族全員で撮った写真がありました。 享年54歳でした。 . |

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