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本田宗一郎の生誕100周年に当たり、静岡県の旧天竜市(光明村)での少年時代の足跡をたどるシリーズ。
人は年を重ねると生まれ故郷が無性に懐かしく感じる事がある。
宗一郎は後年に東京の自宅の庭に人工の川を造り、鮎を放って友人をもてなした。
それは少年時代に父儀平に連れて行ってもらった天竜川の鮎取りを再現したのだろう。
故郷の船明に何度かヘリコプターで飛んで来たりもした。
望郷の思いがあったのであろう。
いまから100年前、宗一郎はどこで生まれたのだろうか。
私は、「生誕は船明」という説を採っている。
その根拠は、
1.「私の手が語る」の中で宗一郎自身が、船明生まれの山崎夘一の生家と、宗一郎の生家が近かったと書いている事。
2.父の儀平が修業を終えて初めて鍛冶屋を開いたのは船明の山下地区であり、みかと結婚し、新婚生活を始めたのも山下地区である事実。
3.宗一郎は結婚の翌年に誕生しているから、十月十日を考えれば宗一郎の生命が宿ったのは間違いなく船明である事実。
等があげられる。
また宗一郎没後に、さち夫人がわざわざ山下地区の旧大隅嘉一宅跡を訪れている事実もある。
さらに宗一郎が後年に山下地区に街路灯5灯を寄付している点も判断材料のひとつとしている。
船明村で街路灯が灯ったのは家屋の多い上町地区ではなく家屋が少ない山下地区が最初である。
生誕地を本田家は当然把握していると思われるが、公表されていないので、船明か山東なのか現時点では断定出来ない。
せめて、思い出の多い船明の船明小学校跡地に「本田宗一郎の思い出の地」の看板ひとつでも建ててもらいたいものである。
写真左 船明にヘリコプターで降り立った晩年の本田宗一郎、出迎えているのは山崎夘一(左側)。
写真右 山下地区全景
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