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南雲中将、最期の中将旗(4)   もう一枚の将旗


私が軍六幅の「縫い合わせ旗」が別格な存在であると考える根拠となっている、もう一枚の「将旗」について
触れておきたいと思います。

私はこの旗を購入しましたが、残念ながら事情があってこの旗を一度も手にとって見た事がありません。
手元に何枚かの写真がありますので、それを基に紹介したいと思います。
(注)旗は2012年2月、無事到着しました。


その旗は、海軍の沖縄方面根拠地隊司令官大田實少将の「少将旗」です。
戦史に詳しい方であれば、その様な旗の存在は確認されていないと思われるかもしれません。
この旗の存在は、地元沖縄県を含め日本では全く知られていません。


昭和20年4月1日、連合軍は沖縄本島への上陸作戦を開始しました。
沖縄の守備にあたっていたのは、陸軍32軍の牛島司令官(中将)と、海軍大田實司令官(少将)でした。

イメージ 2
                            ※大田實海軍少将

圧倒的な戦力の差により、次第に追い詰められ海軍部隊は、小禄(現在の那覇空港近く)にあった海軍
司令部壕で最期の戦いをしました。
そして、昭和20年6月13日力尽きた大田司令官は、沖縄海軍司令部壕内の司令官室で幕僚5名と共に
自決されました。
沖縄戦では20万人の方々が亡くなり、海軍司令部壕では4000人が亡くなりました。

大田司令官は自決に先立ち、海軍次官に宛に「沖縄県民斯ク戦ヘリ」との有名な電文を送りました。
伝文の最後には「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と結んでいます。

海軍司令部壕付近での組織的戦闘が終わった6月15日、アメリカ第六海兵団トーマス・ウイリアム中佐
以下6名の将兵が、投降した日本兵の案内で壕の中に入りました。
この時、大田司令官以下6名の遺体を確認しましたが、壕内の残存日本兵の手榴弾攻撃を受け、
2名が死亡しました。
次にアメリカ軍が壕内に入ったのは8月28日、バーシー中佐他15名でした。
終戦後でしたが、この時も壕内で日本兵から手投弾攻撃を受けました。

このどちらの日かは確認できていませんが、大田實司令官の遺体から5フィート(1.5メートル)の位置に折り畳んだ状態で置かれていた少将旗を発見回収したのです。
この旗は、アメリカに個人の戦利品として持ち帰られ、以後65年間人知れず保管されていました。
そして昨年、その兵士が高齢により亡くなり、家族が売りに出しました。

旗には、回収された時の様子が書かれた文書が添付されていました。
その文書には、発見回収者の所属部隊、氏名、発見者しか知らない壕内の様子が書かれています。

また、旗は折りたたんで壕内に置かれていた為、縦方向に連なった火炎による焦げ穴があります。
壕内は爆風によって水漏れがあり、旗は水に濡れたまま一定期間放置された為に、赤色が白地部分に
転写されています。

イメージ 4
      ※海軍壕内から65年前に回収された少将旗(六幅 400cm X 266cm 縫い合わせ旗)

イメージ 1
          ※添付されていた文章(現時点では文章の公開は控えさせていただきます)

現時点では断定までは至っていませんが、私は旗の状況と添付書類から、ほぼ間違いなく大田司令官の
「少将旗」だと確信しています。


この旧海軍司令部壕は戦後、沖縄県民の手で修復され、戦争の事実を今に伝える貴重な資料として整備、
保存されています。

     ※旧海軍司令部壕ホームページ http://kaigungou.ocvb.or.jp/top.html

イメージ 3
                  ※大田司令官他が自決した海軍司令部壕指令室

司令官室正面の壁には、大田司令官自身が書いた、

     「大君の 御旗のもとに死してこそ 人と生まれし 甲斐ぞありれり」

という大田司令官の愛唱歌が鮮やかに残されており、「少将旗」はこの御旗に繋がる旗と言えます。

海軍の旗に対する考え方は、司令官によって異なっていたかもしれませんが、少なくとも大田司令官は
「少将旗」、を天皇陛下から拝領した旗との認識があったのだと思います。
旗を司令官室の上座の位置に置いての自決だった事でしょう。

さて、この海軍壕内で発見回収された少将旗は「軍六幅の縫い合わせ旗」です。

この旗の存在が、「軍六幅の縫い合わせ旗」は別格な旗だとの、私の考え方の根拠です。


冒頭で、残念ながら事情があってこの旗を一度も手にとって見た事がありませんと書きました。
実は、私はこの旗を購入しましたが、アメリカの郵便局員のミスでスベインに行ってしまいました。
JAPAN→ SAPAN→ SPAINと読み誤ったものと思います。
追跡番号の記録から、2011年9月20日スベイン着の記録を最後に行方不明となっています。

現時点では、旗が私の手元に届く可能性は厳しい状況にあります。
しかし、いつかこの「少将旗」が私の手元に届いたならば、このブログで紹介したいと考えています。
この旗は本来保管されるべき沖縄の公的な資料館に託し、常設展示してもらいたいとも考えています。





2012.2.4追記

約5ケ月間、スペインへの旅を終え、2012年2月4日、少将旗は66年振りに祖国日本に帰ってきました。
現在、旗は私の自宅で大切に保管しております。
この旗については真偽を検証後、このブログでまとめたいと考えています。


2012.6.23追記
書庫「大田少将、大君の御旗」としてまとめました。
http://blogs.yahoo.co.jp/serasan0620/folder/1049532.html





南雲中将、最期の中将旗(3)   陸軍と海軍の違い

前章で、軍六幅の「縫い合わせ旗」は別格な旗ではないか・・・との私見を述べましたが、
これはあくまでも、将旗として最大である「軍六幅の将旗」についての私の考え方です。

誤解があるといけませんので、海軍の旗に関する考え方について整理しておきたいと思います。

陸軍における軍旗は神聖な存在であり、原則として再発行は許されず、敵軍に軍旗を奪われる事は大変な恥辱
とされていました。
乃木大将が西南戦争の時に、田原坂の激戦で連隊旗を西郷軍に奪われ、その責任を取って明治天皇大葬の日
に自刃したのは有名な話です。
また、サイパン戦では、陸軍歩兵135連隊と136連隊が最期の切り込みをする時に軍旗を奉焼しています。

イメージ 2
                      ※陸軍の軍旗は日の丸が中央にあります。

ではなぜ、海軍の中将旗はサイパンで米兵の手に渡ったのでしょうか。
そこには陸軍とは全く異なる海軍の旗に関する考え方があります。

全くの素人である私は、海軍の旗についても陸軍に準じた旗に関する考え方があるのでは、と考えていました。
しかし、海軍の旗に関する考え方は、全く異なっていました。

海軍の旗に関する知識は全く無く、インターネットで得られる情報も限られていました。
また、参考とすべき文献も見当たりませんでしたので、この分野に詳しい知識をお持ちの方にご教示を
お願いしたところ、面識のない私からのメールにご丁寧な回答を頂く事が出来ました。
ご厚意に深く感謝申し上げます。


回答頂いた内容の要約は以下の通りです。


1.海軍における「旗」の考え方について

 旧海軍における「旗」というものは消耗品に過ぎません。
 言い換えるなら、旗そのものには何の価値もないと言えます。
 つまり、海軍では旗というのは“掲揚された時に”初めて意味を持つということです。
 将旗の場合は、掲揚されることによりその場所(艦)に将官(通常の場合は指揮権を有する指揮官)が
 所在することを示すことになり、その為のものに過ぎません。

2.「将旗」について

 従って、「将旗」についても他の旗章類と同じです。
 掲揚されて初めて意味を持ちますので、現に掲揚されていないものはただの旗に過ぎませんし、
 ましてや誰か(個人)に対して付与される固有のものなどということもありません。
 「将旗」というものは何も将官個人に授与されるものでも、またその司令部だけが保有するものもありません。
 言い換えれば、個人や司令部の“専有”のものではないということです。
 つまり、ほとんどの艦艇や部隊においては、大抵の場合、他の旗章類とともに最低でも一揃いは保有して
 いるものです。
 例えば、司令官クラスが隷下の艦艇や部隊に移る場合(移乗、視察・訪問など)をお考えになれば、
 その必要性がお判りいただけると思います。
 例えば艦隊司令官が他の艦に移る場合、短艇に乗ってその艦の舷梯に足をかけるまでは短艇にその将旗が
 掲揚されており、足をかけた瞬間にその艦のマストに掲揚、短艇は同時に降下しなければなりません。
 一々将旗を持ち歩くわけではありません。

 3.艦艇・部隊で保有する旗の数

 旗というのは消耗品ですから、使用頻度の大きい種類のものほど予備も含めて何枚かを同時に持っている
 必要があります。
 例えば艦艇における軍艦旗などは相当数が必要になることはお判りいただけると思います。
 この消耗品は新しいものが必要になった都度軍需部から受けることになりますが、とは言っても無条件で
 好きなだけ受けられるわけではありません。
 軍需部から受ける消耗品については、各艦・部隊ごとその種別に応じて「年度額」という制限が細かく決め
 られており、この範囲内で各種のものを受けることができます。

 当然ながら旗の場合、大きなサイズほど、そして良質なものほど単価が高くなりますので、縫い合わせの
 大サイズよりは染め抜きの小サイズのものの方を多く受けることになります。
 駆逐艦などの小艦艇は当然年度額は少ないですから、通常であれば将旗などは殆ど使う機会はありません
 ので、精々一組を持っていれば十分で、余程毀損・汚損しない限り割当年度額を使用して新たに受け必要は
 ありません。

 従って、どの艦艇・部隊がいつどの種類・サイズの旗を何枚持っていたかなどは判らない、と言えるでしょう。
 これは陸上司令部についても同じことが言えます。

4.旗のサイズなどの使用法

 旗のサイズは、軍艦旗にしても将旗にしても、何時どのサイズを使用するかについては原則として何も決め
 られたものはありません。
 もちろん、観艦式や儀式などでサイズを統一する必要がある場合には、その都度指定されますが、
 それ以外ではどのサイズを使うかはその艦・部隊が自由に決めます。

 従って、特に何も指定されなければ、儀式などの公式行事の場合、次いで港湾などに碇泊中の場合、
 そして航海中の場合、の順で大きなサイズで見栄えのよいもの(通常は新しいもの)から使い古しの
 ものへと使用することになります。

5.六幅の「縫い合わせの旗」について

 “沢山”かどうかは解釈の問題ですが、複数枚あったことは間違いないでしょう。
 ただし、六幅の縫い合わせのものが何枚あったかなどは判りません。
 単に消耗品として、大きなサイズの上質のもの、ということです。
 任命に際して1枚渡されたということもあり得ませんし、象徴として存在したということもありません。
 将旗は他の旗章類とともに部隊又は司令部で用意するものであり、“掲揚されて”初めて意味を持つもの
 だからです。

 当該中将旗が、南雲中将在任中に指揮官所在を示すものとして使われた(掲揚された)事があるのか
 どうかは、 現にそれを見たことのある生き残りでもいない限り知り得ないでしょう。
 従って、状況からすれば単に“そこに残されていた一枚”と言うことしか判断できません。


6.将旗に関する文献について

 おそらく上記の様なことが書かれた文献は無いと思います。 少なくとも私は見たことがありません。
 公文書としては、その用い方については「海軍旗章令」に規定され、また旗そのものの製法その他物品と
 しての 細かな規定については「海軍会計法規類集」の中に収められています。
 そして、当該中将旗についても、その意味では南雲中将所縁の一枚なのかもしれませんが、
 残念ではありますが現在の情報の範囲ではそれ以上のことは言えないと思います。

7.サイパンで回収された中将旗について

 「サイパンから回収された」ということですから、南雲中将を偲ばせる貴重なものの一つ、と言えるでしょう。
 どうか大切になさって下さい。


 「海軍における旗」という観点で私がお答えできるのは以上です。 何かご参考になることがあれば幸いです。





教示頂いた内容から、海軍の旗についての考え方は、陸軍とは全く事なる事が分かりました。
海軍の旗は消耗品として多く使用され、陸軍の様な絶対的なものではないという事です。

太平洋戦争中に米軍によって多くの日本陸海軍兵士の「寄せ書きの日の丸」が戦利品として持ち帰られました。
そして、66年が経過し、アメリカのオークションには「武運長久」と書かれた、日の丸が多く出品されています。

その中で、時々ですが、海軍の大きな「将旗」や「軍艦旗」が出品されます。
しかし、オークションに出品される旗は、せいぜい軍四幅までの大きさであると言う事です。
この事から、当時最も多く使用された将旗は「軍四幅」の大きさまでだと思います。
軍六幅はまず見ない大きさなのです。

イメージ 1イメージ 3

※この2枚の旗は、共にオークションに出品されていた「軍四幅の縫い縫わせ」の少将旗です。
 軍四幅の少将旗は何度か出品された事があります。


私が軍六幅の中将旗を所有しているので、ひいき目な考え方に立った文章になっているのかもしれませんが、
私は軍六幅の縫い合わせ旗は、別格な旗だと言う考え方を捨てきれません。

将旗は個人に付与されたり専有のものではないものの、軍六幅の将旗は限られた枚数しか作成されなかった
別格な旗であり、儀礼、祝祭、観艦式の公式時の特別な場合のみ掲揚し、普段は保管されているものではないかと思うのです。


私が、この考え方を採るのは、「もう1枚の将旗」の存在があるからです。




※注意
 上記文章は全くの素人が、限られた知識に基づく検証によってまとめたものです。
 また、海軍の将旗に関する資料や文献も限られています。
 従って、このブログに書込みした内容には不確定要素が多い事をご理解下さい。
 このブロク内容は、今後新事実が確認された場合は大幅に書き換えする可能性があります。




南雲中将、最期の中将旗(2) 海軍の将旗について


ほとんどの方が日本海軍の「将旗」に関する知識は少ないと思いますので、ここで簡単に説明させて頂きます。
尚、引用文献は最下段に示します。


1.将旗掲揚の目的
「将旗」は、艦隊司令官や、陸上では連合特別陸戦隊や特別根拠地隊の指揮官だけが、掲げる旗です。
艦船においてはマストの最上段に掲げることにより、司令官が乗艦している事を、周りの艦隊に示しました。
あくまでも司令官が在艦している事を示す旗ですから、たとえば短艇で司令官が船を離れる時は、短艇に
乗り移ったと同時にマストの将旗が降ろされ、短艇のポールに小型の将旗が掲げられる事になります。

イメージ 5

※写真は真珠湾攻撃時の航空母艦赤城の艦橋付近です。
 マストの最上段右舷に掲げられた軍艦旗は「戦闘旗」と言われるもので、戦闘中のみに掲げられる旗です。
 戦闘旗の向こうに上部が少しだけ見えている、ひと周り小さな旗が「将旗」です。
 この時は南雲司令官が在艦していましたので、「中将旗」が掲げられています。
軍艦旗(戦闘旗)の下に、もう一枚掲げられている軍艦旗は艦旗です。
 それぞれの旗の大きさは、戦闘旗が軍六幅、中将旗が軍四幅、艦旗が軍四幅と思われます。


2.将旗の種類
軍艦旗が16条の旭日旗であるのに対し、将旗は8条の旗です。

イメージ 1

イメージ 2イメージ 3 イメージ 4

※上段「軍艦旗」、下段左から「大将旗」「中将旗」「少将旗」
 昭和17年11月時点で、この将旗を掲げる事が出来た司令官は、 大将1名、中将12名、少将53名となります。
例え中将や少将であっても、艦隊司令官や戦隊司令官、もしくは根拠地隊の司令官等、「司令官」でなければ将旗を掲げる事は出来ません。

 
3.旗の大きさ
  軍艦旗の大きさは6種類(軍一幅半、軍二幅、軍三幅、軍四幅、軍六幅、軍八幅)あります。
  将旗の場合、最大は軍六幅までです。
  縦横比は3:2です。
  一巾は昔の反物の巾で66.6cm(二尺二寸)となります。

  従って、軍四幅以上の旗の大きさは、
    1.軍四幅 266cm X 178cm
    2.軍六幅 400cm X 266cm
  3.軍八幅  533cm X 355cm (軍艦旗のみ)

  今回、私の保有している南雲中将由来の中将旗は、軍六幅の大きさです。
  将旗として最も大きいサイズです。
  テレビ番組の「なんでも鑑定団」に出品され、後に大和ミュージアムに寄贈された戦艦長門の
  大軍艦旗は、別格な大きさの「軍八幅」となります。   


4.将旗の作り
軍艦旗や将旗の作り方は2種類あります。
「染め抜き旗」と「縫い合わせ旗」です。

イメージ 7 イメージ 6

左側の「染め抜き旗」は 、以前所有していた「軍四幅」の中将旗です。
横長の布を4枚つなぎ合わせ、赤色を染めたものです。

右側の「縫い合わせ旗」は短艇等に使用する「軍二幅」の中将旗です。
小さくても紅白の16枚の布を手縫いで縫いあげてあります。

この様に旗は大小に関わらず、「染め抜き旗」と「縫い合わせ旗」があり、より手間を掛けた「縫い合わせ旗」は、
普段用ではなく、儀礼、祝祭、観艦式の公式の時に使用されたものと思われます。
四幅の大きさまでは「染め抜き旗」「縫い合わせ旗」の両方ありますが、少なくとも私は軍六幅以上の大きさで、
「染め抜き旗」を見た事がありません。
  
今回私の保有している南雲中将由来の中将旗は、最大の大きさである、軍六幅の「縫い合わせ旗」です。


5.「軍艦旗」と「将旗」との組み合わせ
文献で確認できませんが、司令官が乗艦した場合は「軍艦旗」と「将旗」を同時に掲げる事になります。
この場合、「将旗」は「軍艦旗」の大きさより1サイズ小さな旗を掲揚しています。
冒頭にある真珠湾攻撃時の航空母艦「赤城」の写真でも、六幅と思われる大きさの「軍艦旗」に対し、
一回り小さい四幅と思われる「中将旗」となっています。

イメージ 8


重巡洋艦「愛宕」に掲げられた「少将旗」の写真です。
マスト最上段の「少将旗」の下に、艦旗としての一回り大きな「軍艦旗」が掲げられています。
大きさの組み合わせは、軍艦旗「軍六幅」と将旗「軍四幅」と考えられます。

「海軍旗章令」には、旗の大きさに関する規定は無いと聞いていますが、軍艦旗(艦旗)より将旗の方がサイズが
大きいというのも常識的に変ですから、運用上「将旗」は軍艦旗の1サイズ小さい旗を掲揚したのではないか
と、私は推測します。
冒頭写真の航空母艦赤城の「戦闘旗」「将旗」「艦旗」についても、「軍四幅の将旗」には「軍六幅の艦旗」
ですが、戦闘状態を示す「戦闘旗」が六幅である為、それを優先して艦旗は1サイズ下げて、軍四幅を
掲揚しているのではないかと推測します。
現場を知らないずぶの素人の大胆過ぎる発想かもしれませんが、私には暗黙のルールがあるとしか思えないのです。

この考え方を私の所有している南雲中将由来の軍六幅の「中将旗」に当てはめますと、この旗に見合う「軍艦旗」
は、軍八幅の「大軍艦旗」という事になります。

軍八幅の「軍艦旗」は、戦艦長門や戦艦大和クラスの特別な旗であると思いますから、軍六幅の「中将旗」も、
用途が限られた特別な旗であると推定出来ます。
おそらく、艦船で軍六幅の「中将旗」を使用する場合は、組み合わせる旗は軍八幅の「軍艦旗」であり、
儀礼、祝祭、観艦式の公式な場だったと考えられます。

サイパン島で回収された南雲中将由来の軍六幅の「中将旗」は、どの様な使われ方をされたか分かりませんが、
陸上の司令部にとっても、めったに掲げる事のない、別格な旗だったのではないかと推定出来ます。



※「 5.「軍艦旗」と「将旗」との組み合わせ 」項目は、あくまで私見であり、裏付けとなる文書等はありません。



引用文献
1.「海軍アドミラル軍政物語」 雨倉孝之著
2.「桜と錨のきままなブログ」 戦闘旗について 桜と錨
3.wikipedia 軍艦旗他





南雲中将、最期の中将旗(1) はじめに



私の手元に、「古い大きな旗」が一枚あります。

太平洋戦争当時、日本海軍が使用していた「中将旗」です。

大きさは軍六幅 (畳6.4枚分 266cm X 399cm)で、将旗としては最も大きいサイズです。

イメージ 2

※「将旗」は司令官が在艦している事を艦隊に示す旗で、マストの一番上に掲げます。
  この参考映像にある航空母艦赤城のメインマストには、軍四幅と思われる「中将旗」が掲げられています。




2011年8月、1枚の大きな中将旗がアメリカのオークションに出品されました。

この旗のオークション出品説明文の一部です。

THIS FLAG WAS CAPTURED ON SAIPAN AND BROUGHT BACK BY A MARINE VET. VICE ADMIRAL NAGUMO WAS PLACED IN CHARGE OF NAVAL FORCES IN THE MARIANAS ISLAND AREA.

この旗はサイパンで捕獲され、海兵隊の退役軍人によって持ち帰られた。
南雲中将は海軍のマリアナ群島エリアを受け持っていた。


出品者に対する質問に対する回答。

I bought this from the son of the marine that brought it back from the war..He died several years ago and the family is selling off a lot of the things he brought back including this flag as it was too big to keep in their home.

私(出品者)は、戦争から旗を持ち帰った海兵隊員の息子からこの旗を購入した。
彼(海兵隊員)は数年前に亡くなった。
家族はこの旗を含む、持ち帰った多くの遺品を売却した。
この旗は彼らの家で保管するには大きすぎたからだ。

要約しますと、以下の内容になります。

  1. 玉砕の島サイパンから米軍兵士によって持ち帰られた旗である事、
  2. 南雲中将ゆかりの旗である事、
  3. サイパンから持ち帰った元兵士が亡くなり、遺族が売りに出したとの事、



真珠湾攻撃の空母機動部隊を率いた南雲中将は、昭和19年(1944)7月6日、サイパンで3万人の陸海軍兵士と共に玉砕されました。

私はまさか、あの激戦の島に無傷の「中将旗」が存在したとは考えられませんでしたが、巾が4メートルもある大きな中将旗の出品は経験がなく、何かしらの特別な由来がある旗だと感じました。

オークション出品者が設定している発送先きは、アメリカ国内のみ(Ships to: United States )でした。
既に何人かの入札があり、アメリカ国内からの入札と考えられます。
私は出品者に申し入れ、日本からの入札の了承を取りました。

ここで、私が頑張って入札しないと、この旗は永遠に祖国にもどれなくなるのではとの危機感がありました。

幸いにも最高額で入札した私が落札し、旗は66年振りに祖国日本に戻りました。

旗は形の異なる40枚以上の布を縫い合わせた「縫い合わせ旗」であり、一目で、特別な由来の旗である事が分かりました。

※軍旗や将旗の作り方には「染め」と「縫い」があります。「染め」に比べて「縫い」は遥かに
    手間を掛けた作りです、このブログでは便宜上「染め抜き旗」と「縫い合わせ旗」と表現します。

私は、購入はしたものの、出所不明の「中将旗」として、そのまま自宅で保管していました。

たまたま友人に、この旗の事を話した所、
「その旗なら、インターネットの古い映像の中で紹介されていると」と教えてくれました。

驚いて確認した所、玉砕直後にサイパンに上陸した米軍のカメラマンによって、この旗と同じ旗が回収された時の映像が撮影されていた事が分かりました。


映像を確認した所、私の所有している軍六幅(266cm X 399cm)と同じ無傷の「中将旗」でした。


イメージ 3

    ※アメリカのホームページで公開されているサイパンで回収された「中将旗」。 
     逆さまに掲げられていますが、右側の人物との対比により、軍六巾の大きさである事が分かります。



その時、初めて購入時の伝承は、本当の話だった事を知りました。

私は、大変な旗を入手してしまんたんだ・・・この時の、私の素直な気持ちです。


イメージ 1

     ※サイパンで回収された「中将旗」 縦266cmX 横399cm
                 右下のマークをクリックすると大きな画面になります。 

     ※フラッシュ撮影の影響で白っぽく見えますが、実際の色は黄ばんでいます。








今から70年前、1941年12月8日未明(日本時間)。

南雲中将率いる日本海軍の空母機動部隊は、パール・ハーバー(真珠湾)を奇襲攻撃しました。

出撃した攻撃隊は、第一攻撃隊183機、第二次攻撃隊167機でした。

この攻撃での日本側の航空機被害は、計29機が、未帰還となっています。

内訳は 零戦8機、九七式艦攻5機、九九式艦爆16機 です。


イメージ 1


ほとんどの機体は海に沈んだり、陸上に激突して消失しました。

私の知る限り、現在日本の資料館等で展示されている真珠湾攻撃時の機体に関する遺品は、

靖国神社に展示されている、航空母艦「蒼龍」から出撃した飯田大尉の零戦の機体の一部だけです。


2010年10月、ある品物がアメリカのオークションに出品されました。

イメージ 2

真珠湾攻撃当時、ハワイに配属された若い兵士が母国へお土産に持ち帰ったものです。

それは、真珠湾で撃墜された日本海軍機の計器板に取り付けられていた計器でした。

この「真珠攻撃隊の遺品、祖国へ」は、この計器が70年ぶりに祖国日本に戻った経緯を紹介するものです。


1. はじめに-------------------http://blogs.yahoo.co.jp/serasan0620/43518882.html

2. ブースト計との出会い--------http://blogs.yahoo.co.jp/serasan0620/43521699.html

3. 70年前の出来ごと----------http://blogs.yahoo.co.jp/serasan0620/43523488.html

4. 真偽の確認----------------http://blogs.yahoo.co.jp/serasan0620/43529935.html

5. ブースト計の入手-----------http://blogs.yahoo.co.jp/serasan0620/43531927.html

6. もうひとつの計器の存在------http://blogs.yahoo.co.jp/serasan0620/43534259.html

7. 零戦である可能性の検証-----http://blogs.yahoo.co.jp/serasan0620/43536703.html

8. 九七艦攻、九九艦爆である可能性の検証---http://blogs.yahoo.co.jp/serasan0620/43539505.html

9. ふたつめの計器------------ http://blogs.yahoo.co.jp/serasan0620/43543177.html

10. 未知の計器「油圧計四型」----http://blogs.yahoo.co.jp/serasan0620/43547211.html

11. 坂口機(AII-251)である可能性---http://blogs.yahoo.co.jp/serasan0620/43554089.html

12. おわりに-------------------http://blogs.yahoo.co.jp/serasan0620/43556408.html




※このブロク内容は、今後新事実が確認された場合は大幅に書き換えする可能性があります。







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