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【真珠湾攻撃エピソード1】 九七艦攻、九九艦爆である可能性の検証 次に、「九七式艦上攻撃機」「九九式艦上爆撃機」の可能性について検証してみたいと思います。 http://japaneseaircraft.multiply.com/photos 「零戦」以上に、真珠湾攻撃以前に生産された「九七式艦上攻撃機」「九九式艦上爆撃機」の計器板に 関する情報を見付ける事は困難です。 前述した、ROBART C.MIKESH 著の「JAPANESE AIRCRAFT INTERIORS」では「九七式艦上攻撃機」に ついては鮮明な写真がありますが、それは終戦時134機残存していた最終生産に近い機体と考えられ、 真珠湾攻撃当時の初期レベルの計器板には、どのような計器が使用されていたかは確認できません。 「九九式艦上爆撃機」においては終戦時に135機残存していたと記録にありますが、原形を確認できない 程の荒れた計器板の写真しか掲載されていません。 計器板に取り付けられている計器を固定的なものと考えるとそれは間違いです。 速度計と羅針儀を例にとって見ますと、海軍の速度計は「1号速力計三型」→「速度計三型初期型」→ 「速度計三型」へと変化して行きます。 文献では「九七式艦上攻撃機一二型」に取り付けられていた速度計は「速度計三型」となっていますが、 生産時期から判断して「一一型」には「1号速力計三型」、ですが、「一二型」には「速度計三型初期型」が取り付けられ、その後「速度計三型」へと切り替わって行ったはずです。 従って、真珠湾攻撃時の「九七式艦上攻撃機一二型」には、「速度計三型初期型」だった事でしょう。 同様に、羅針儀についても「九二式羅針儀初期型」→「九二式羅針儀」に変わっていきます。 真珠湾攻撃当時の「零戦」「九七艦攻」「九九艦爆」には、全て「九二式羅針儀初期型」が取り付けられて いたと考えられます。 この様に、計器板に取り付けられている計器は、機体の性能向上や計器の性能向上等により、固定的では なく、常に変更がなされていました。 従って、真珠湾攻撃当時の機体に使用されていた計器は、資料に拘束される事なく柔軟な見極めが必要です。 【ブースト計と、その生産年月からの検証】 入手した「ブースト計二型」は昭和14年10月に生産されたものです。 これに対し、「九九艦爆」と「九九艦攻」が生産開始されたのは、 「九九式艦上爆撃機」 昭和14年12月正式採用 ※皇紀2599年 「九七式艦上攻撃機一二型」 昭和14年12月正式採用 ※「九七艦攻」は一一型が昭和12年(皇紀2597年)11月に正式採用されている。 従って、両方の機体に取り付けられていた可能性があります。 【計器が水没した可能性による検証】 地上に激突した機体は損傷が激しく、米軍が回収して性能分析するには不適当でした。 海に墜落した機体の方が、比較的ダメージが少ないと考えられます。 「零戦」だけは全て陸地に墜落しており、その中で一番ダメージが少ない平野一飛曹機(AI-154)が選択されました。 「九七式艦上攻撃機」と「九九式艦上爆撃機」は海に墜落した機体を、サルベージ船を使用して回収しました。 ※以下の説明文、及び写真は「japanese model aircraft」から引用しました。 「九七式艦上攻撃機」は鈴木三守大尉機(AII-356)が引き揚げられました。 「九九式艦上爆撃機」は坂口登三飛曹機(AII-251)が引き上げられました。 いずれも航空母艦「加賀」の所属です。 もちろんこれ以外にもサルベージされた機体が存在する可能性はありますが、写真が残っていない事から 各1機だけだったのかもしれません。 最も程度の良い1機さえあれば解析出来ますし、手間の掛かるサルベージで多くの機体を引き揚げたとは 考えにくいのです。 もし、引き上げられた機体が「九七艦攻」「九九艦爆」各1機だけだとすれば、この「ブースト計二型」は、 鈴木三守大尉機、もしくは坂口登三飛曹機のどちらかに取り付けられていた可能性があるのです。 ・
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