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【真珠湾攻撃エピソード1】 70年前の出来ごと オークションの説明欄には、出品者が「ブースト計二型」を入手した経緯と、何故手放す事になったかの、 経緯が書かれていました。 出品者によって書かれていた説明文書の中から、この計器の由来に関する部分は、おおよそ以下の通りです。 1. 家族で話し合った結果、私は我家の最も貴重な家宝を売ることにしました。 2. それは、真珠湾攻撃で撃墜された日本の攻撃機「ゼロ」のブースト計です。。 3. 私の父は機体の瓦礫の中からこれを取り出しました、そして69年前のそのままの状態を保っています。 4. 父は、第二次世界大戦に米国が参戦する以前に入隊、6年間米国海軍に在籍し現在89歳になります。 5. 真珠湾は父が最初に配属された場所で、真珠湾攻撃が発生した年は航空機関士の研修を終えた年でした。 6. 父は、立ち入り制限される前に、墜落した「ゼロ」の残骸から計器を取り出しました。 7. 私の父は第一級の下士官、航空機械工でした。 8. 父の誇りは、第一次世界大戦のエースパイロット、エディ・リッケンバッカーを手助けしていた時でした。 9. この商品について、いかなる質問も気軽にして下さい。。 父の記憶は年齢の割りに鮮明で、必要な回答をする事が出来ると確信しています。 この説明文から、この計器が真珠湾攻撃の時に対空砲火等で撃墜された、日本の攻撃機に由来する品である事が分かりました。 今から70年前、1941年12月8日未明(日本時間)。 南雲中将率いる日本海軍の空母機動部隊は、パール・ハーバー(真珠湾)を奇襲攻撃しました。 出撃した攻撃隊は、第一攻撃隊183機、第二次攻撃隊167機でした。 この攻撃での日本側の航空機被害は、計29機が、未帰還となっています。 内訳は 零戦8機、九七式艦攻5機、九九式艦爆16機 です。 出品者の説明が事実であれば、この「ブースト計」は、この中の1機の残骸から取り外された事になります。 また、説明文の内容から、出品者は父親の医療費を調達する為に、売却を決意した事が分かりました。 父親は89歳との事ですから、20歳の時に真珠湾でこの計器を入手した事になります。 偶然にも、私の父と同年齢でした。 私の父と、出品者の父親は、日米それぞれの国の海軍に入隊し、太平洋戦争を戦った事になります。 何か不思議な縁を感じました。 父親を助けたいとの思いが、20,000ドルと言う、法外とも思える出品価格になった事も分かりました。 出来る事なら、私が購入して少しでも出品者の父を思う気持ちの助けになれたらとの思いもありました。 いずれにせよ、まずは真偽を確かめる必要がありました。 ・
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