旧ただ若き日を惜しめ

新・ただ若き日を惜しめに移転しました。http://blogs.yahoo.co.jp/sakaisouga

続・少年時代の本田宗一郎考

[ リスト | 詳細 ]

すべてはあの日から始まった・・・。

1917年5月28日。
浜松練兵場で開催されたアート・スミス氏によるアクロバット飛行ショー。
尋常小学校5年生の本田宗一郎は単身自転車で25kmもの距離を走り抜けた。
この日の衝撃が後の宗一郎の生き方を変えた。
この日がなかったら現在のHONDAは無かったであろう。

あの日と同じ時間に、同じコースを自転車で走りたい・・・。
そんな思いで開催した「第二回アート・スミス メモリアルツーリング」の記録。
記事検索
検索

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

1917年5月28日の夜明け前。
ひとりの少年が朝もやの中を自転車で駆け抜けた。
25km離れた浜松市陸軍練兵場での複葉機飛行ショーを見に行く為に・・・。

少年の名前は本田宗一郎11歳。

この日は少年が初めてカーレースを見た日ともなった。
複葉機のパイロットの名前はアート・スミス。
少年は後にアートの名前を冠したアート商会に就職。

世界のHONDA伝説はこの日から始まった。

91年を経た今年、当時と同じ時間に同じコースを走りたい。
その時、私たちが知らなかった本田宗一郎の新しい姿を発見出来るかもしれない。


         第2回アート・スミスメモリアルツーリング概要

 開催日     2008年5月25日(日)  ※雨天の場合は6月1日(日)に延期

 集合(仮出発地) 船明ダム横駐車場      (現)浜松市天竜区船明

 出発地     旧本田宗一郎宅近くの追分橋 (現)浜松市天竜区山東

 目的地     旧浜松市陸軍練兵場     (現)浜松市中区和地山 和地公園

 時間      集合時間     5時00分
         集合地点発    5時10分
         出発地点発    5時30分
         目的地着     8時頃を予定  ※昼食(朝食)後に帰路出発
         出発地帰着   12時頃を予定
           ※集合、出発時間は若干変更する可能性があります。

 コース     91年前、本田宗一郎が走ったと思われるコースを再現。

 距離      片道 約25km  (往復 約50km)

 参加費     無料

 参加募集枠   若干名
         
参加条件     自転車にて平均時速15km程度で50kmを走行可能な体力のある方。
        

 大会規模予測  このブログのみの募集ですから、限りなく1名(私だけ)に近いと思われます。
         1917年の第1回大会も参加者は本田宗一郎1名だけでした。
         大会規模はささやかですが、本田宗一郎に対する思いはビックです。

 問い合わせ先
 serasan807@yahoo.co.jp

故郷の水。

イメージ 1

90年前、11才の本田宗一郎が25km程離れた浜松市で行われた複葉機の飛行ショーを、
単身自転車で見に行ったエピソードを再現するシリーズ。


私は来年の5月に同じコースを走ろうと考えているが、当然昼食や水分補給は
宗一郎が当時摂った可能性のあるものだけを準備したいと思っている。


人間の体の60%〜70%は水分でできていると言われている。
当日の昼食は「さつまいも」と「おにぎり」とした、次にどうやって水分補給をするかである。
ここまで凝ったのだから、とことん凝ってみたい。

静岡県は全国一位のお茶の産地であるが、それは戦後の話で貧しかった宗一郎の少年時代に
現代の様に気軽にお茶がのめられたとは考えにくい。
ましては貧しい本田家のことだから一番考えられる飲み物は「さ湯」つまり「水」である。

宗一郎は水筒のような容器に天竜の水を入れ持参した可能性は十分にある。

天竜の水。

現在は天竜も市営水道化されて昔の様に山から水を引いている家はもう無いであろう。

一番理想的な天竜の水は宗一郎が生まれた光明村船明の旧本田家の土地に今も残っている
旧本田家の井戸の水である。

この井戸は現在でも清水を湛えている。
この水を当日持参することが出来たらどんなに素晴らしい事だろうか。
しかし、勝手にいただく事は許されない。

であれば、最近は自然水ブームなので天竜の水は市販されていないだろうか。
検索した結果、ヒットしたのは1件のみ。

http://www.gokkun.com/kenkousui.htm

所在地は旧光明村山東北嶺、宗一郎が通っていた光明尋常小学校のすぐ北の水である。

当日の水分はこの水を持って行くことにしよう。

これで、コース、食糧、水が決まった。

あとは往復50kmを自転車で完走する「鍛練」のみ、これが一番重要だ。

【写真】
    旧本田家の井戸。 

イメージ 1

イメージ 2

90年前、11才の本田宗一郎が25km程離れた浜松市で行われた複葉機の飛行ショーを、
単身自転車で見に行ったエピソードを再現するシリーズ。


私は来年の5月に同じコースを走ろうと考えているが、当然昼食や水分補給は
宗一郎が当時摂った可能性のあるものだけを準備したいと思っている。


宗一郎は夜明け前に光明村を出発し日没後に帰宅したのだから、
朝5時出発し夜20時帰宅と仮定して、15時間程度かかったものと推測出来る。
当然お腹が空いて何かを食べているはずである。
前述の通り、所持していた二銭を簡単に使うはずがない。

宗一郎は当然何かしらの食糧を用意して出発したに違いない。
では何を持っていったのだろうか・・・。
今となっては当時を推測するしかない。

宗一郎の著書「私の手が語る」に当時の食糧事情を伺わせる下りがある。
生まれた船明村の名産「ごんぼう(牛蒡)」を使った煮豆が好物である事。
店先にあった鯖の煮付けを食べるのが夢だった事。

宗一郎の住んでいた光明村は山間の村である。
物流が進んだ現代と違って普段食べているものは地元で採れたものがほとんどで、
鯖などの海産物などはめったに食べられない高価な品であったことであろう。

果物は5月と言う季節を考えれば可能性は低い。
バナナなどは存在すら知らない食べ物だっただろうし、みかんや柿等も季節が合わない。

結局、腹に貯まるもと言えば穀類(米、麦、粟)、芋類(さつまいも、里芋、馬鈴薯)となろう。

時代こそ違うが、昭和30年頃、宗一郎のと同じ村出身の私の子供時代には
食卓には常に「ふかし芋」があった。
貧しくていつも腹を空かしていた時代、さつまいもは主食でありおやつでもあった。
当時のさつまいもは現代の金時芋とは違って色も悪く美味しくなかったが、身近な食糧だった。

私は「さつまいも」を来年の5月の昼食として持参しようと考えている。

それから「おにぎり」も少々持参することとしよう。
宗一郎は当日、親に内緒で出発したのだから温かご飯のおむすびは考えられない。
しかし、前日の残り飯でおにぎりを作っておいた可能性はある。
もちろん麦が混ざった飯であり、海産物である海苔は考えられない。
いわゆる「塩むすび」である。

私の当日のおむすびは梅干し入りで、海苔なしの「塩むすび」。
少し軟弱だが、この辺が落とし所と言えるだろう。

「ふかし芋」「塩むすび」「黒飴」、ここまでは決まった。

あとは水分補給をどうするかである・・・。

てっぽう玉。

イメージ 1

イメージ 2

90年前、11才の本田宗一郎が25km程離れた浜松市で行われた複葉機の飛行ショーを、 単身自転車で見に行ったエピソードを再現するシリーズ。

今回から距離を20kmから25km程に変更しています(笑)。


コースの概要は把握した。

次に解明しなければならないことがある。
それは、宗一郎は夜明け前に光明村を出発し、日没後に帰宅したのだから
当然お腹が空いて何かを食べているはずである。
所持していたお金は一銭玉がふたつ。
このお金は家の財布からこっそり持ち出したものだから簡単に使うはずがない。
たとえ入場料が十銭で払えず、木の上から飛行ショーを見物し、二銭がそのまま残っていたとしても、
このお金を昼食代に充てたとは思えない。
宗一郎は二銭を入場料として用意してきたのだから、昼食は最初から別に考えていたはずだ。
二銭はそのまま自宅に持ち帰ったことであろう。

中部博著の「本田宗一郎伝」によれば飛行ショーの新聞広告は3日前の大正6年5月25日から
始まったとのことである。
賢い宗一郎のことだ、直ちに浜松練兵場までのコース調べと共に、
当日の食糧のことも考えたに違いない。

私は来年の5月に同じコースを走ろうと考えているが、当然昼食や水分補給は
宗一郎が当時採った可能性のあるものだけを準備したいと思っている。

http://blogs.yahoo.co.jp/serasan0620/21857656.html

「うなぎ弁当」や「サンドウィッチ」「えびマヨおむすび」「スポーツドリンク」、
90年前当時無かったこれらの食べ物を食べてこのコースを走ることは考えられない。
本田宗一郎とひとつになれないからである。

その候補のひとつが「黒飴」である。
甘いものは疲れた体にはとても効果的である。
前出の中部博著の「本田宗一郎伝」にも黒飴は当時「てっぽう玉」と呼ばれ、
2個で5厘で売っており、宗一郎は母にもらった小遣いで喜び勇んで買いに行ったとある。

「黒飴」。
私はこれを当日、疲れた時の栄養補給用として持参することにしよう。

本当は何km?。

イメージ 1

イメージ 2

90年前、11才の本田宗一郎が20km離れた浜松市で行われた複葉機の飛行ショーを、
単身自転車で見に行ったエピソードを再現するシリーズ。

光明村山東から浜松練兵場までいったい何kmあるのだろうか。
地元出身の私は、感覚的に二十キロとは到底思えなかった。

本田宗一郎自身の著書「私の手が語る」
    二俣から浜松の練兵場まで二十キロあまりの道のりを・・・・。

中部博著「本田宗一郎伝」
    光明村から浜松までおよそ二十キロ・・・・。

どの文献をみても二十キロ程度で統一されている。
この距離情報の出所は宗一郎の著書の中にある「二十キロあまり」からであろう。
しかし、宗一郎が「あまり」と表現しているのに、何故か「およそ二十キロ」に置き換わっている。
この「あまり」が曲者だ。

だれも本当は何キロだったのかを実際に確かめた人はいなかった様だ。
こんな事にこだわる物好きは少ない。

今回当時のコースを探索し、ほぼ宗一郎が走った可能性が強いコースを特定した段階で、
距離が何キロなのか自動車で計測してみた。
因みに私はこのコースを来年の5月まで自転車では一切試走しないことにしている。

このコースは当時の最も整備された道で(写真1)、これより短いルートは考えにくい。
方法は自動車のTRIPメーターによる計測である。

結果はやはり違っていた。
宗一郎が「あまり」と表現した距離は約5km(実測値4.7km)程度であった。

従って、光明村山東から浜松練兵場までの距離は約25km(24.7km)だったと言う事になる。
もちろん宗一郎亡き現在、確認する手立ては無い。

しかし、これはとても重要なことだと思う。
11才の少年が25km近い距離を走って飛行機を見に行った事になるのである。
その暑い情熱こそが世界のホンダの原点と言えるからである。

改めて宗一郎の凄さを感じさせる結果であった。

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
sera
sera
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事