旧ただ若き日を惜しめ

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続・少年時代の本田宗一郎考

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すべてはあの日から始まった・・・。

1917年5月28日。
浜松練兵場で開催されたアート・スミス氏によるアクロバット飛行ショー。
尋常小学校5年生の本田宗一郎は単身自転車で25kmもの距離を走り抜けた。
この日の衝撃が後の宗一郎の生き方を変えた。
この日がなかったら現在のHONDAは無かったであろう。

あの日と同じ時間に、同じコースを自転車で走りたい・・・。
そんな思いで開催した「第二回アート・スミス メモリアルツーリング」の記録。
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自転車の選択。

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90年前、11才の本田宗一郎が20km離れた浜松市で行われた複葉機の飛行ショーを、
単身自転車で見に行ったエピソードを再現するシリーズ。

私があと10才若かったら、光明村〜浜松練兵場まで変速機の付いていない自転車で走りたかった。
現代で言えば「ママチャリ」とか「通勤用自転車」とか。

宗一郎が90年前に走った自転車は重さが20kg以上もあるであろう無骨な大人用の業務用自転車。
マウンテンバイクやロード、折りたたみに子供用などの様々な自転車がある現代と違って、
子供が自転車に乗ろうと思ったら、大人用の自転車に無理やり三角乗りで乗るしかない。

私がこの大人用の自転車に、三角乗りで乗れるようになったのは、
宗一郎が浜松まで走った年と同じ小学校5年の時だった。
友達はどんどん乗れる様になり、取り残されて必死に習った記憶がある。
体格からして子供が三角乗りで大人の自転車の乗れるようになるのは小学校3〜4年生から。
宗一郎もこの頃に乗れるようになったのであろう。

三角乗りはサドルにお尻を乗せないで走るから、恐ろしく疲れる。
この状態で片道20km以上の距離を往復したのだから驚きである。

今回の企画の内容が宗一郎と同じ体験をしたいことから始まったのだから、
私も当時に近い形の自転車を選択して走るのが筋である。

しかし、私も若くはない。
リスクを犯すよりも完走が第一であり、日頃愛用しているモールトン自転車で走ることに決めている。
重さは約11kg。
宗一郎少年から「おじさん、ずるい」と言われる事であろう。

【写真説明】

1.宗一郎少年の母校光明小学校に展示されている、当時(昭和初期?)の大人用自転車。
2.私が来年5月に使用するモールトン自転車。
3.三角乗り。

コース探索 (6)

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90年前、11才の本田宗一郎が20km離れた浜松市で行われた複葉機の飛行ショーを、
単身自転車で見に行ったエピソードを再現するシリーズ。

コース探索の最終回、いよいよ陸軍練兵場(現和地公園)までを探索する。

1.二俣街道〜姫街道〜気賀街道

 【写真1】
      90年前に宗一郎が走ったと思われるコースの全体地図。
 【写真2】
    小松村を過ぎ、さらに軽便鉄道の線路沿いに南下し、西ケ崎村を過ぎると、
    やがて前方に宗一郎が走った時には存在しなかった東名高速道路が見える。
 【写真3】
      東名高速道路を過ぎるといよいよ前方に姫街道が直角に交差する地点に差し掛かる。
      この交差点を右折(西進)すれば姫街道に入る。
      現在の遠州鉄道の線路は写真左手を並走しているが、当時はもう少し西側を走っていた。
      つまり写真の道路付近に路面電車の様な軽便鉄道の線路が敷かれており、
      この交差点辺りに市場駅があったようだ。
      http://homepage3.nifty.com/mp5pdw/entetsu/57_old_shinmura.htm
 【写真4】
      姫街道に入り西進する。
      しばらく進むと馬込川に架かる「五枚橋」と言う名前の橋に行き着く。
      この名前は、その昔川の飛び石に5枚の板を掛け橋とし、大雨の時には
      板を外して流失を防いだ事に由来する。
      宗一郎が走った時にはどんな橋だったのだろうか。
 【写真5】
      急な坂を一気に上り、三方が原台地の上に登る。
      この坂はかなりキツイ。
      変速機が付いていても厳しい坂であるから宗一郎も押して登ったことであろう。
 【写真6】
      三方が原台地を西進する、近くに姫街道の一里塚(日本橋より66里)がある。
 【写真7】
      前方の信号が追分交差点。
      東西を結ぶ姫街道と浜松市街地から北へ向かう気賀街道(本坂道)が交差する地点。
      ここの地名は小豆餅と言う。
      本田宗一郎の著書「わたしの手が語る」の中の「肌のぬくもり」で紹介されている。
      宗一郎が幼い頃に、祖父が話してくれた徳川家康が三方が原の戦いで武田信玄に敗れ、
      敗走途中に、お腹が空いて小豆餅を食べたと言う場所である。
      歴史が好きな宗一郎はここの地名に胸をときめかせた事であろう。
 【写真8】
      追分の交差点を左折すると気賀街道に入る。
      まっすぐに進むと浜松市街、浜松城の方向だ。
      暫く進むと本田技研の浜松製作所が右手に見えてくる。
      この道は浜松城に向けて徳川家康が敗走した街道で、この先に銭取と言う地名があり、
      小豆餅で代金を払い忘れた家康が、お金を払った場所との事である。
      宗一郎は祖父の昔話をたどりながら、走ったに違いない。
 【写真9】
      この先、気賀街道から少し右手に入ったところに目的地の陸軍浜松練兵場がある。
      90年前、アート・スミスが操縦する複葉機のショーが行われた地である。
      現在は和地公園として市民の憩いの場になっている。


      来年の5月、このルートでこの地を目指す。

コース探索 (5)

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90年前、11才の本田宗一郎が20km離れた浜松市で行われた複葉機の飛行ショーを、
単身自転車で見に行ったエピソードを再現するシリーズ。

ここで年表を確認しておこう。

1909年  浜松(板屋町)〜鹿島間 17.6km 軽便鉄道開通。

1915年  本田宗一郎初めて自動車を見る。
        ※全国の自動車登録台数1300台程度。

1917年  アート・スミス飛行機ショー開かれる。
        ※この年の軽便鉄道年間利用者45万人。

1919年  浜松〜天竜 乗合自動車路線開通。

天竜橋を渡り、宗一郎はいよいよ未知の土地を走る事となる。
宗一郎はどのルートで浜松の練兵場へ向かったのだろうか、答えは宗一郎だけしか知らない。
だが、様々な当時の状況を分析すれば、極めて可能性の強いコースが浮かび上がってくる。

1. 二俣街道 
   現代は様々な道路が開通し、天竜から浜松へ行くルートは複数あるが、当時は二俣街道が
   唯一無二の街道であっただろう。
   現代で言えば国道レベルの道路と言える。
   もちろん他に脇道はあるだろうが、舗装されていない凸凹道の当時、大人の自転車を
   三角乗りで走るにはある程度整備された道でないと困難と言える。
   二俣街道は軽便鉄道沿いにまっすぐ南に向かう道であり、11才の土地勘のない少年にとって
   最も安全確実な街道である。

2. 姫街道
   二俣街道をそのまま南下し続けると浜松の市街地に出てしまう。
   陸軍の練兵場は浜松駅の北西、三方が原台地にあるからどこかで西進しなければならない。
   宗一郎はどこで右折し進路を西に取り、三方が原台地を登ったのだろうか。
   当時軽便鉄道に「市場」と云う駅があった、現在の「自動車学校前駅」である。
   ここは二俣街道と東海道の迂回路である姫街道が交差する箇所で、「市場」と云う名称が
   示すように交易の拠点であった事であろう。
   この姫街道は江戸時代、東海道の新居の関所の厳しい女改めを避ける為に、大名の奥方や姫様が
   利用した街道で、一里塚も整備されており、現代の国道レベルの道路と言える。
   この街道以外に11才の宗一郎が選択する道は考えられないと私は思う。
   宗一郎は間違いなく市場から姫街道に入り、三方が原台地に上がったに違いない。   
   
3. 追分の交差点
   姫街道を西に進むと、やがて追分と云う交差点に差し掛かる。
   追分と云う地名は全国に存在するが、ここは姫街道と気賀街道(本坂道)との交わる地点である。
   遠江の国から三河の国に抜ける街道は、太平洋沿いの東海道が最も主たる街道である。
   気賀街道(本坂道)は浜松の宿から浜名湖の北側を通り、愛知県堺の本坂峠に抜ける道である。
   この気賀街道沿いに、目的地の陸軍練兵場がある。
   従って、宗一郎は追分の交差点を左折し、南に進んで目的地の練兵場に着いたのである。

4. まとめ
   宗一郎が当日走った道は宗一郎本人しかしる由もない。
   しかし、当時の街道の状況と、未知の道路を自転車で11才の少年が走る事を考えると、
   最も分り易く、整備されている上記のルート以外にはないと考える。


[写真説明]

1. 地図   赤線が天竜橋を渡った後の走行ルート。

2. 天竜橋対岸
   後方に現在の鹿島橋が見える、昔の天竜橋は写真の電柱付近に掛けられていた。
   橋を渡って左折し、浜松市方向(南)に向かう。

3. 二俣街道と笠井街道の分岐点。
   両街道ともに北方にある秋葉神社参詣として栄えた「秋葉道」である。
   写真の道を直進すると軽便鉄道沿いの道で浜松と天竜を結ぶ主街道となる。
   左折すると笠井村経由となり浜松への遠回りの迂回路となる。
   もちろん宗一郎は間違いなく二俣街道を直進した。
   当時の軽便鉄道終点「鹿島駅」は左手すぐ先にあった。

4. 途中の二俣街道。
   二俣街道は現在パイパスが整備されているが、宗一郎が走った旧道は現在でも道幅が狭く
   正直言ってあまり走りたくない道である。
   来年5月の走行時は朝の6時前の通過となる為、車はほとんど走っていないであろう。

5. 軽便鉄道(現遠州鉄道)沿いの二俣街道は所どころで線路の真横を走っている。

6. やがて左手に小松村の大きな鳥居が見えてくる。
   秋葉信仰の象徴で1822年に建立された鳥居で延長線上に秋葉総本山(浜松市春野町)がある。
   小松村は廣澤虎造の浪曲「清水次郎長伝」の中で、森の石松の兄弟分「小松村の七五郎」で有名。
   都鳥一家の闇うちにあい瀕死の状態で七五郎の家に逃げ込み、そのあと惨殺される。
   年配の方なら知っている「森の石松 金毘羅代参」である。 
   
7. 説明看板。

8. 大鳥居の延長線上に秋葉神社がある。

9. 赤線のコースが90年前に宗一郎が走ったコースである可能性が極めて強いと考える。
  二俣街道南進 〜 姫街道西進 〜 気賀街道南進 のルートである。

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90年前、11才の本田宗一郎が20km離れた浜松市で行われた複葉機の飛行ショーを、
単身自転車で見に行ったエピソードを再現するシリーズ。


自宅から天竜川に架かる天竜橋を渡る迄のコースを整理しておこう。


まずは出発地点である光明村山東の追分橋 (写真1)。
当時宗一郎が住んでいた家は止まっている車の左手、路地の先にある。
出発時間は、ここを早朝の5時過ぎにと考えている。


山東の町を抜け当時の面影が残る町並みがある二俣町に入る (写真2)。
宗一郎が通った高等小学校の近くだ。

二俣町の中心街 (写真3)。
左側にある尾張屋旅館は江戸末期(1857年)の開業であるから、宗一郎が走った時も
この地に存在していた。

鳥羽山トンネル(当時名称未確認)の入り口 (写真4)。
このトンネルは当時のままである。

同トンネルの出口 (写真5)。

田代家前 (写真6)。
右手の白い倉が当時のまま保存されている筏問屋の田代家。
この道のすぐ先で天竜川にぶつかり、天竜橋が架かっていた。

天竜橋が架かっていた場所(鹿島村)、ここまで約2kmとなる。 (写真7)。

この鹿島までは宗一郎は毎年開かれる花火大会を家族で見に来ていた。
また、当時住んでいた山東村から川上の船明村(生家のある村で当時は親戚が住んでいた)まで
使いに出された時に帰りは天竜川の筏に乗せてもらって西鹿島の船着場まで来るのが楽しみだったから
土地勘は十分であった。
この船着場はいかだ問屋の田代家の前にあったと思われる。

ここから先は未知の土地に踏み出す事となる。

すべてはこの日から。

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私が本田宗一郎が浜松練兵場にカーチス複葉機の曲技飛行を見に行った日こそ、

世界のHONDAの原点の日と考える理由はふたつある。

ひとつは宗一郎が飛行機を見て強烈な衝撃を受けた事である。

そしてもうひとつは、後の「アート商会」との出会いに繋がる事になるからである。

「アート商会」は宗一郎が高等小学校を卒業して、進路先に悩んでいる時に手にした誌面の広告から

見つけ出した「アート」と言う名前のついた自動車修理工場の名前である。

すぐさまアート商会宛てに弟子入りを希望する手紙を書き、宗一郎の自動車人生が始まる事になる

のであるが、この「アート」と言う名前こそカーチス複葉機を操縦したアート・スミス氏から

付けられた名前であった。

宗一郎は紙面で「アート」と言う名前を見つけた時に、すぐにあのアート・スミスと結びつけて

この会社を選んだことであろう。

宗一郎は東京の本郷にあるアート商会で腕を磨き、5年後に独立して浜松市にアート商会浜松支店

を開設することになる。

飛行機→アート・スミス→アート商会、とても分かりやすい。


[写真1] 当時のアート商会浜松支店
[写真2] 移転した現在のアート商会、私のマンションのすぐ近くにある。

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