東海自然歩道☆☆☆ 【岐阜編】

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東海自然歩道は、「明治の森高尾国定公園」から大阪の
「箕面国定公園」を結ぶ、全長1347kmの長距離自然歩道です。

この道を、1日行程を単位に、紹介します。
6年にわたり完全踏破した記録です。

当時の記録(文章)ファイルからそのまま載せていきます写真より文章が主になります。

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木曾川を渡り、三河に入った東海自然歩道は、濃尾平野の外周を歩みながら

関が原を目指す。平野の穏やかな歩きが続くが、揖斐川を越えたあたりから、

道は厳しくなり、伊吹山地の麓をたどっていくと、正面に、関が原の戦で毛利軍が

こもった南宮山が見えてくる。関が原の合戦場の真っ只中を自然歩道は通っていく。 

ここで東海道線と離れ、自然歩道は南宮山の後ろに回るように南下する。


不破ノ関←牧田1994.5.6(逆)

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不破ノ関←牧田 3時間05分 小早川秀秋が滞陣した松尾山の登山

牧田→松尾山 ------1H35----牧田街道から松尾山への登山

松尾山→不破ノ関-----50----松尾山から急坂を関が原へ下る

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関ケ原の戦いから、約400年が過ぎた。東海道線の関ケ原の駅からタクシーで牧田に。

ここはその昔、大垣から関ケ原に夜を徹して西軍の軍勢が移動した牧田街道。

養老の滝への道標を横目に、松尾山に向かう。

アスファルトの道を歩いていく。小さな集落を過ぎて、登山道を探すがなかなか見つからない。

5万分の1地図で見当をつけて細いわき道を山に入る。暫く登ると道標がありホッとする。

1時間ほどで松尾山の頂上に着く。ここは関ケ原の昔、西軍の小早川秀秋が布陣した所である。

頂上から関ケ原が展望でき、戦の形勢を見るには絶好である。

ただ、見きりのタイミングが悪く、後世に悪名を残してしまった。

戦国では、大名、豪族は多かれ少なかれこのような行動をしていたわけであるが・・・・。

勝利の立役者、裏切りと評価は正反対。やはり運とタイミング。

今は、訪れる人も少ないのか、誰もいなかった。

松尾山を下り、名神高速、新幹線のガード下をくぐり、不破ノ関に出た。

これでGWの8日間にわたった、この東海自然歩道『関ケ原シリーズ』の完。


いよいよ三重県に入ります。
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東海自然歩道は、「明治の森高尾国定公園」から大阪の
「箕面国定公園」を結ぶ、全長1347kmの長距離自然歩道です。

この道を、1日行程を単位に、紹介します。
6年にわたり完全踏破した記録です。

当時の記録(文章)ファイルからそのまま載せていきます写真より文章が主になります。


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木曾川を渡り、三河に入った東海自然歩道は、濃尾平野の外周を歩みながら

関が原を目指す。平野の穏やかな歩きが続くが、揖斐川を越えたあたりから、

道は厳しくなり、伊吹山地の麓をたどっていくと、正面に、関が原の戦で毛利軍が

こもった南宮山が見えてくる。関が原の合戦場の真っ只中を自然歩道は通っていく。 

ここで東海道線と離れ、自然歩道は南宮山の後ろに回るように南下する。


涼雲寺-不破ノ関1994.5.5

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涼雲寺⇒不破ノ関  7時間30分  「関が原合戦」の戦跡めぐりの歩き


涼雲寺→円興寺     45  草深い、ちょっとした登山道

円興寺→菩提     2H20  山道を下ると景色が開け正面に南宮山

菩提→瑞竜寺     1H45  田んぼのあぜ道を、東海道線と交錯し一路関が原へ

瑞竜寺→ウオーランド   1H15  西軍本陣の笹尾山など戦跡を巡る道

ウオーランド→ビジターセンター  25  小さな丘をこえるとビジターセンター

ビジターセンター→不破ノ関 1H  小高い丘陵を越え大谷吉継の陣跡の山中へ


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近鉄池野駅から電話でタクシーを呼び、涼雲寺まで。円興寺まではちょっとした登山道。

人がほとんど歩かないのか草深い。峠を越え、下ってくると野外活動センタ−で、

テント泊まりの人が出発の準備中。

円興寺からは、細い山道になり、灌漑用の平尾池を左に見て歩いていく。

やがて、景色は開け、正面に南宮山が見えてくる。関ケ原の戦いのおり、吉川、毛利の軍勢が

こもった山である。 しばらく山麓を歩いて行く。

関ケ原前夜、徳川連合軍が行軍したコースかもしれない。太閤秀吉の軍師、竹中半兵衛の子息で

徳川方に付いた竹中重門の屋敷跡があった。門の中は幼稚園のようだ。

このあたりで、東海道本線の上下線は大きく離れており(確か推理小説のトリックにもなっていた)

その下り線を横切って切って進み、田のあぜ道を通り伊吹神社に着く。

正面の桃配山に、家康の本陣跡ののぼりを見つけた。先ほどの南宮山から、桃配山は独立し

た山でなく、毛利軍の本陣がある南宮山の麓にすぎない。自分の背中に毛利軍を背負っていたわけで、

やはり戦いの前に家康と毛利は密約ができていた説がうなづける。

再び東海道線を横切り、腹が減っては戦ができぬと、丸山の手前で自然歩道を一時外れ、

吉岡重勝、織田有楽、金森長近、生駒一政らめ陣営跡(特に史跡はない)を通り、

紡績工場の脇を抜け関ケ原の駅に出た。小さい駅で、開いている食堂を探すのに苦労する。

駅でここの宿泊施設に電話をするがどこも連休で休業。

丸山から、石田三成の本陣の笹尾山を目指す。福島正則、黒田長政、細川忠興らの東軍先鋒と

宇喜田秀家、島左近らの西軍主力の激戦地である。最初、このあたりで西軍の旗色がよかった。

関ケ原の盆地の対面に松尾山が見える。ここに陣をとった小早川秀秋の軍勢が関ケ原の勝敗を

決することになる。

いまの関ケ原は平和、家族連れが苺狩りを楽しんでいた。いちご畑から笹尾山に登る。

山といっても小高い丘である。山には数組め観光客がいるだけだ。ガイドのテープが山に虚しく響く。

笹尾山を降り小道を行くと、合戦の歓声が耳聞こえた。と思ったら

観光施設の関ケ原ウオーランドのスピーカの音。

ここから車道を歩き,午後4時やっと関ケ原ビジターセンターに着いた。もう閉館の時刻だったが、

職員の方がせっかくだからと、お茶を入れてくれ、世間話をする。

再び、山中を目指して歩き始める痛い足をひきずるようにして山道を越えた。山中は東軍の

小早川勢を一手に引受け壮絶な討ち死にをした盲目の武将大谷刑部の陣があった場所である。

更に住宅街の中を歩いて不破ノ閑に至る。長かった関ケ原の1日は終わった。

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東海自然歩道は、「明治の森高尾国定公園」から大阪の
「箕面国定公園」を結ぶ、全長1347kmの長距離自然歩道です。

この道を、1日行程を単位に、紹介します。
6年にわたり完全踏破した記録です。

当時の記録(文章)ファイルからそのまま載せていきます写真より文章が主になります。


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木曾川を渡り、三河に入った東海自然歩道は、濃尾平野の外周を歩みながら

関が原を目指す。平野の穏やかな歩きが続くが、揖斐川を越えたあたりから、

道は厳しくなり、伊吹山地の麓をたどっていくと、正面に、関が原の戦で毛利軍が

こもった南宮山が見えてくる。関が原の合戦場の真っ只中を自然歩道は通っていく。 

ここで東海道線と離れ、自然歩道は南宮山の後ろに回るように南下する。

六合-涼雲寺1994.5.4

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六合⇒涼雲寺 3時間45分 ほとんど舗装道路の歩きだが車は少ない

六合→願成寺   1H55  粕川に沿って車道を下る

願成寺→涼雲寺  1H50  広い農道を延々歩く。茶畑とお寺が多い


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森本屋旅館には同じく東海自然歩道を歩く人達が泊っていた。

踏破の決心を再確認して、今にも泣きそうな空の下、出発。

池田山のコースは、数年前に遭難騒ぎがあって、変更されており、

粕川に沿って車道を下って行く。

粕川を渡ると山麓の道が続く。お茶の畑ほ茶摘の盛りで、

夫婦が自動機械であっというまにつんでいた。

このコースは茶畑のほかに寺が沢山ある。道は立派な舗装道路だがバイパスになっているのか、

走る車は少ない。休憩所はやたらと立派で、それが各所に設置されてる。

雨の中、涼雲寺に着いた。境内で旅館で作ってもらった弁当にする。

今日の行程はここで終わり、名鉄の池野駅まで歩くことにするが雨はますます強くなってくる。

坑瀬川の支流を渡り駅に向かうが、もう美濃赤坂が近い。関ケ原の合戦で、西下してきた

徳川家康が最初に対陣したとこるである。

石田光成家臣の島左近が徳川勢と小競り合いをおこしたのは、この辺か。

明日は関ケ原か、風雲急を告げるように、雨が強くなった。
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東海自然歩道は、「明治の森高尾国定公園」から大阪の
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木曾川を渡り、三河に入った東海自然歩道は、濃尾平野の外周を歩みながら

関が原を目指す。平野の穏やかな歩きが続くが、揖斐川を越えたあたりから、

道は厳しくなり、伊吹山地の麓をたどっていくと、正面に、関が原の戦で毛利軍が

こもった南宮山が見えてくる。関が原の合戦場の真っ只中を自然歩道は通っていく。 

ここで東海道線と離れ、自然歩道は南宮山の後ろに回るように南下する。

津汲-六合1994.5.3

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津汲⇒六合 6時間35分 鍋倉山登山がメイン

津汲→鍋倉山----4H15----- 広い車道を日坂村へ。村から鍋倉山登山

鍋倉山→谷山----1H10----- 鍋倉山から下っていくと谷山の廃村

谷山→六合------1H10----- 細い農道をとぼとぼ歩いていくと春日村へ

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昨日と逆に、津汲から日坂村の方へ登っていく。ずっと広い車道の歩き。

(車の人は、なんでこの道をトボトボ歩いているのだろうと不思議だろう)

下村に入ると、神社の大きな銀杏の木があり、道はここで川を渡り、鍋倉山への登りになる。

この村も田植えの真っ盛り。農家の人が忙しそうだ。

鍋倉山は本格的な登山道。あえぎながら一歩一歩登っていく。

頂上からは同様に曲がりくねった急坂を下る。

谷山は昔水害があり、今は無人の廃村ということだったが夏場は住む人がいるのか、

五月連休で来ているのか、人が住んでいる。

谷山から、細い農道を春日村めざしてあるいていくと、

軽トラックの農家の人がよかったら乗れという。辞退して、春日村までの道を聞く。

日暮れ時、くたくたになって、森本屋旅館に着いた。
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東海自然歩道は、「明治の森高尾国定公園」から大阪の
「箕面国定公園」を結ぶ、全長1347kmの長距離自然歩道です。

この道を、1日行程を単位に、紹介します。
6年にわたり完全踏破した記録です。

当時の記録(文章)ファイルからそのまま載せていきます写真より文章が主になります。

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木曾川を渡り、三河に入った東海自然歩道は、濃尾平野の外周を歩みながら

関が原を目指す。平野の穏やかな歩きが続くが、揖斐川を越えたあたりから、

道は厳しくなり、伊吹山地の麓をたどっていくと、正面に、関が原の戦で毛利軍が

こもった南宮山が見えてくる。関が原の合戦場の真っ只中を自然歩道は通っていく。 

ここで東海道線と離れ、自然歩道は南宮山の後ろに回るように南下する。


横蔵寺-津汲【1994.5.2】コース逆

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津汲⇒横蔵寺  3時間40分  のどかな里山から、峠を越えて横蔵寺へ

津汲→洞泉禅寺-----1H------- 渓谷の車道を緩やかに登っていくと小さな集落

洞泉禅寺→横蔵寺---2H40----- 多くの砂防ダムの山間を登る。急坂を越えると峠

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小津渓谷を洞泉寺に向かい登っていく。     

バスの故障で予定が1時間ほど遅れた。久瀬村役場の前から車道を歩きはじめる。

右側に渓谷を見ながら、緩やかに高度をあげていく。

小さな集落があり、田植えの真っ最中。それで村の中は高齢者だけ。

川を見たり日向ぽっこをしている。この先の道の様子を丁寧に説明をしてくれるがよく聞き取れない。

集落の小さな橋で川を渡ると、林道は段々細くなってくる。

砂防ダムのエ事が各所でおこなわれている。土砂崩れを防止するためには仕方が

ないのだろうが、小川のせせらぎが全面コンクリー卜で無残。

林道は登山道に変わり、谷合いの急坂になる。下辻越の峠で休憩。

ここからは横蔵寺に向かって下っていく。

山合いの道がすこし開けると車道に出、横蔵寺に着いた。

バスを待つ間に、隣の食堂に入る。おばあちゃんが−人で切り盛りしている。

(後日、NHKテレビの「鶴瓶の家族に乾杯」という番組で、鶴瓶さんがこの食堂をたずね、

このおばあちゃんの元気な様子を再び見ることができた。)

おばあちゃんに、バスは隣の駐車場に入るから、それまでゆっくり待つように言われる。

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