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早いもので年が明けてもう2週間、明日で松の内も明けてしまう。 最近では年から年中、店も開いているのだし、あまり年末年始の風情を味わう感じでもない。 時代の流れという見方も出来ようが、自分が年をとったせいでもあるかもしれない。 子どもの頃はクリスマスから正月まで、 指折り数えてもなかなかたどり着かないほど日々は濃厚であった。 餅つき器でではあったが家族で餅つきをしお供え餅も作ったし、 おせち料理を作る傍らのつまみ食いも楽しかった。 今では忙しさにかまけて日々が流れてゆき、 子どもたちに年末年始の季節感を味あわせてやれているのかと反省もしなければならない有様である。 さて、私事だがこの年末年始はさんざんであった。 暮れも押し迫った23日、なんだか右耳に違和感を感じた。 内圧が下がって鼓膜が体内に引っ張られている感じだ。痛みというか炎症感もある。 飛行機に乗ったときだとか鼻を強くかんだときだとか、時々こういうこともあるものだから このときもそんな状態のひどいものだろうと思って水を飲んだりくしゃみをしてみたりしたが直らない。 それどころか炎症感が強くなってきたのでとりあえず何もせずに様子をみることにした。 もちろん、ネットでそれらしい耳の疾患について検索はしてみたが、 「耳の内圧が下がる」というような症状で悩んだり通院したりしている人が案外いることはわかった。 その夜は耳が痛かったの何のって、2時頃寝たのだが4時頃痛みで目が覚め、 痛くて痛くてうなるしかなかったが、うなっても一向に痛みは和らがず寝ることも出来ない。 さんざん悩んだあげく痛み止めを飲むことにした。 どうして悩んだかというと、僕は基本的には薬は飲まない事にしているから薬は持っていない。 風邪薬も痛み止めも、そういうものは家にないし購入しないのだ。 が、富山の薬売りのような置き薬ならある!ということに思い当たった。 これは営業に来られて、「バンドエイドくらいしか使いませんから」と断ったのだが、 「それでもいいですから」と頼まれて人助けのつもりで置いているものだ。 「人助け」とは随分だが、何かの時は使えるという保険的な意味合いはあるにしろ、 基本的には使わないのだから狭い我が家のなかで薬箱の一角を提供しているというのは こちらの需要というよりも営業氏の熱意に応える意味合いが強かったのである。 しかも、年に一度だか2年に一度だか、薬箱の点検に来て使ったものの集金をされるのだが、 何度きても支払いはゼロ。使用期限の近くなった薬を取り替えてくれるだけであったから、 「いや〜申し訳ないですね、わざわざ来ていただいたのに」という感じであった。 そんなわけで富山の薬売りのような置き薬に晴れて出番が回ってきて、いつしか眠りに落ち、 つかの間の休息をとることが出来た。が目覚めても痛みと違和感は収まっていない。 前日にネットで検索したときは耳の内圧を下げるための物理的な処置を受けている人もいたので、 そういう処置も必要かと思い休日診療(そう、24日も休日だったのだ)をやっている耳鼻科を捜した。 結局地元の医大付属病院しかなかったので電話で予約し、夕方からの診察を受けた。 「あ、中耳炎ですね。子どもの頃以来じゃないですか?左も見てみましょう。 あ、こっちもヤバイですね。」 と、若い先生はほがらかに、あっというまに診断を下し、診察室にいたのは1分間くらいではなかったかと感じられた。「いえ、僕は子どもの頃に中耳炎になってないです。」などと言いたかったが、 それでは大人げないので余計なことは言わずに診察室を後にした。 休日なので抗生剤1日分と痛み止めを頓服で3回分、処方してもらった。 どうして中耳炎なんかに、と考えたが、どうやら大掃除のせいらしいということに思い当たった。 といっても巷で年末に行われる大掃除ではない。 部屋を大幅に模様替えしてほとんど部屋中をひっくり返したのだ。 大量の埃やハウスダスト、湿っぽいカビの胞子など舞い散ったのではないだろうか、無意識のうちに 何度も何度も鼻をかんでいたのだと思う。同時に12月に入って突然冷え込んだ時期があり、 忙しい上に忘年会が続いたりして体力も落ちていたのだろう。そういうことしか思いつかない。 以来今日まで、全く聞こえない右耳をかかえつつ年末年始の行事をこなし、子どもたちとも遊び、 なんとかほぼ回復というところまで来た。まだ完調ではない。 これはよくなったから言うわけではなく、痛みのさなかに考えたのだが、たまにこういう事になるのも 悪いことではない。日頃健康に暮らしていると健康のありがたみというものを忘れてしまう。 それだけでなく、「人の痛み」をおもんぱかる機会を与えてくれる。 僕などは一時的に耳が聞こえなくなっただけだが、ずっと聞こえないままでいる人もいる。 耳だけではない、目が不自由だったり、なんとなくだるかったり、偏頭痛が治まらなかったり、 あるいは身体機能に異常があったり、いろんなことに苦しんでいる人が世の中にはゴマンといる。 そういうことは頭ではわかっていても日頃は意識からは遠ざかっているのだ。 それが自分に痛みが降りかかることで他人の痛みを思うことが出来る。 まあ、そういうわけだからいろんな意味で病気には感謝しないといけない。 それともう一つ、今回病院に行ったことで考えさせられた事がある。 それは救急外来の壁に貼られていた一枚の掲示物をみてのことだ。 その告知によると、その病院では休日や時間外に来院した人から「時間外特別費用徴収」を行うというのだ。 つまり、簡単にいうと「重篤な患者の診療に集中するために、時間外はなるべく近隣の医者に行ってほしい。 重篤でないのに当院に来た場合は余分に金を払ってほしい」ということだと思う。 確かに、誰も彼もが時間外や休日の大学病院に押し寄せたら、 その病院は本来の機能を果たし得なくなりかねない。しかも、近年の患者側の傾向として、 「何かあったら」が先行しすぎて、やたらに大きな病院、専門病院を求めるということもありそうである。 だから医療機関相互での役割分担や、そういう方向での患者側へのインセンティブが必要であることもわからなくはない。 しかし、「特別費用徴収」はいかがなものか。そもそも、保険点数では時間内の診察料に加え、 時間外加算、深夜加算、休日加算などが設定されている。それに加えて「特別徴収」というのは 患者側からすると二重の負担になる。こんなことが保険制度上認められるのであろうか。 しかも、この病院の場合、その額は「時間外加算の所定点数規定の額を自費で」ということで 1回8400円(!)である。僕のような庶民はこの額を見ただけで尻込みしてしまう。 折しも、救急車でたらい回しにされて妊婦さんが死んだとかおばあさんが死んだとか、 こっそり危険な薬を使って薬害を引き起こして役人は責任をとらないだとか、 はたまた保険証を取り上げたり生活保護を打ち切っておじいさんが死んだりと、 国民の命や生活が危機にさらされている。 身近で頼れると思っていた大学病院までがお金で脅しをかけてくるのでは国民はどこを頼ればいいのだろう。 この日の会計では、僕は8400円の費用徴収は受けなかった。 告知には「いつから始めます」とは書かれていなかったから、病院側もアドバルーンを上げてみて、 関係各所からの反応を伺いつつ導入を判断する、ということなのかもしれない。 だとしたら、願わくば導入は断念してほしいと思う。医療機関の役割分担だとか患者側へのアナウンスやインセンティブだとか、そういうことは国の医療体制という大きな視点での解決が必要であって、 その負担を患者個人に負わせることで解決するのは本道ではないだろう。 もちろん、大学病院としてもそれは重々承知で、 これ以上待っていられないからと苦肉の策なのかもしれないが。 うん、新年早々、重い話になっちまったな。
でも現実だから仕方ないよ。 今年も明るく楽しく、問題提起もしていこうと思う。 |

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