会長うたかた記

日々の子育てを楽しく、日々の生活を快適に

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先日は読者の方より宿題をいただいた。
昨今の虐待問題について思うことがあれば聞きたいということだ。

次々と起こる様々な事象に対し、時としてどのように考えればいいのかわからなくなる。
いや、わからなくなるというより自信がなくなるのかもしれない。
他の人はどのように考えているのだろう?
自分の考えとは違うかもしれないが是非聞いてみたい。
そんな感覚なのだろうか、それは僕もわかる気がする。
折に触れいろいろと考えてはいるが、他の人の見解も聞いたうえで自分の立ち位置を再確認したいような気がするのだ。

イメージ 1

という訳で虐待の問題だ。
様々なケースがあるだろうが、主として親または近親者からの有形・無形の暴力ないしネグレクトを念頭に置こう。
この問題に関しては3つの観点から考察してはどうかと考えている。

まず第一には、なんといっても虐待の主体の問題だ。
虐待をしたくなる、虐待を止められない、キレる、自分に対し歯止めが利かない、あるいは子どもより他のもの(たとえば異性)に気をひかれ、子どもに愛情が向かないということもあるかもしれない。
このような心のありようは主として「判断力」がうまく働いていないのだと思う。

「判断力」にも様々なレベルがありうるが、根源的には動物的な「感」のようなものといったらいいだろうか。
自分のとるべき行動を瞬時にたくさんの選択肢から選択し、しかもその行動の限度までわきまえ、それを体の隅々にまで伝える脳の働きだ。
理性的な事理善悪の判断や自制心も、元をたどればここに行きつくような、そんな本能が人間には備わっているはずなのだ。

では、なぜその「判断力」がうまく働かないのかというと、これも様々な要素があるものの、大きなファクターとして「食」の問題があるというのが僕の考えだ。
人間が、「動物としての人間」としてとるべき食をとっているうちは人間の本能を活性化していられるが、
そのような食から離れれば離れるほど、人間としての本能の機能が鈍化していく。
これまで何度も書いてきたことだが、食べたものが細胞となり、細胞が肉体を作り意識を作る。
意識が行動を統率し、人のあり方を決定する。
極端な言い方をすれば、行動の根源には食がある。

ただし「動物としての人間」としてとるべき食に関しては、僕と現代栄養学の立場では解釈が異なるかもしれない。
それでも、たとえば給食改革でおなじみの大塚貢先生が「血液をサラサラにし、脳の血管を柔らかくする食事」などといわれて「イワシの甘露煮」を尊ぶ一方、コンビニ弁当や菓子パン、偏った肉食を排撃される時、「ああ、言いたいことは同じだな」と、僕はとてもうれしくなるのだ。
大塚先生の給食改革は、もちろん授業改革や心を育てる花壇作りとも相乗効果になっているのだろうが、
非行の激減、上田市(旧真田町地区)の犯罪の激減という、統計上目で確認できる素晴らしい効果をあげている。

話を元に戻そう。
ある人をその人たらしめている要素というのは様々あると思うが(たとえば暮らしている環境や就いている職業や交友関係や読んでいる本の種類や)、そんな諸要素のなかで「食」は人の「器」を作るという気味で最も大きなファクターであると考えている。

そして、虐待に関しては特にそうだが、補足的な要素としてその人の育ってきた環境や置かれた境遇も
かなりの要素を占めているかもしれない。たとえば幼少期に愛情不足だったり思春期に間違った愛情を過度に与えられたり。

いずれにしても「食」を正していくということは、主体のあり方を規定するということで、もっと重視されていいのではないかと思う。

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第二の観点として、現時点において主体の置かれた環境はどうかということだ。
一時期、親による幼児虐待の原因として育児ノイローゼが取りざたされたことがあった。
これも一つの例だが、その人が子育てをしていく上で、いいサポートを受けられる環境がどれだけあったか、ということは十分に考慮されないといけない。

いいサポートがどんなサポートかはケースバイケースだと思うのだ。
親仲間とのおしゃべりかもしれないし、実家の母による手伝いやアドバイスかもしれないし、
一時的にでも子どもから解放されてリフレッシュできる時間かもしれない。

そして、そういう環境の外縁に、本当は地域による見守りというのがあるといいのだ。
なにもお節介に生活に介入することまでは必要ないのだが、子どもと親を暖かく見守り、
何かのときはちょっとした力を貸してくれる。
日頃はあいさつを交わす程度だが、小さな子どもが一人で出歩いていたらキャッチしてくれたり、
それとなく遊び場の不審者に気を配ってくれたり。
今回の大阪のケースで断片的な事実でものを言うのは危険かもしれないが、たとえば親が不在らしいのに子どもの泣き声がしているような場合に、近所で声を掛け合って何らかの対応をとるということも、地域のあり方としては「あり」だと思うのだ。

確かに地域のしがらみというのはいい面と悪い面があると思うが、
個人の意思の契機を尊重したうえでの地域共同体の再構築は、僕は必要なのではないかと思っている。

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第三に、先の「環境」とも関係するのであるが、受動的な「環境」を超えて能動的な「制度」として、
親や子どもを守り、あるいはサポートする行政的なシステムは十分に機能しているか、ということである。
最近は行政も柔軟になってきているとはいえ、まだまだ「お役所仕事」とそしられるような対応も多いし、
制度も硬直化して現状に対応できないことも多いのではないかと危惧される。
個人の意思やプライバシーなどに配慮して、逆に対応がとりづらくなっていることもあるかもしれない。
いずれにしても、報道される多くの虐待事件において、児童相談所や学校や警察が事実を把握しながら、
悲惨な結果を回避すべく十分な行動をとっていなかったと見ざるを得ないのである。

虐待の犠牲になる子どもが乳幼児であれ高校生であれ、子どもは自分から救いを求める術を、僕たちが思っている以上に持っていない。そんな子ども達のいのちの最後の砦は、多くの場合結局は行政にならざるを得ない。そういうものとして制度を作っていく必要があるし、そういうものとして制度を運営していく必要があると思う。そのためにも第一の観点とも関連するが、たずさわる人の良心や暖かい心や勇気ある行動が必要となってくる。


とまあ、考えていることはあるが、文字にするのは難しいもので、十分ご期待に沿えるものになったかはわからない。
ともあれ、これを契機にたくさんの人が考えてくれ、あるいは議論してくれ、悲惨な事件を少しでも減らすのに寄与したいというのが僕の願いである。






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