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そろそろお盆休みの会社が多いと見えて道路も空いている。 子どもたちも今日から学童がお休み。 うちも少しばかり夏休みらしくなっている。 小学校の頃、いかに夏休みの40日が長かったか。 毎日毎日が本当に楽しかった。 本来なら子どもたちにもそんな思いを味あわせてあげたいが、 なかなか状況がそれを許さない。 それでも学童ですごす夏休みも長女はとても楽しいらしい。 僕はといえばお盆休みを取りたい人に休みを譲り、 せっかくの子ども達の休みとすれ違いとなってしまう。 さあ、今日はまた暑い夏が帰って来た。 予告通り、アロハの話を少しばかりしてみようかと思う。 興味のない人にとっては単なる派手な柄シャツに過ぎないこの手のシャツにも歴史がある。 最初期のアロハシャツは町のテーラーの作るリゾートウェアであったらしく、 古いものでは1930年代頃のものが残っている。 よく「海を渡った日系人たちが着物をほどいて作ったのがルーツだ」などといわれる。 当らずとも遠からずではあっても的を射てはいないようだ。 確かにそうやって出来上がったらしいシャツも残ってはいるし、物を大切にする昔の人たちだ。 しかし最初期のものが和柄ばかりであるわけではない。 むしろ日本との関係は、早くからのテーラーやメーカーに日系人が多かったということや、 その縁もあってか膨大な量のシャツの生地が京都からハワイに送り込まれている。 レーヨンありシルクあり、和柄あり、トロピカル柄あり…。 アロハシャツの隆盛を支えた一つの立役者が日本の繊維産業(とりわけ京都の染織産業)であったといえる。 もちろん、着物の需要の減少に伴うアロハ地の注文の増加は京都にとっても願ったりであったのかもしれない。 アロハシャツの最盛期は1950年代といわれている。 アメリカ本土との定期航路設置に見られるように、アメリカも戦争の傷から立ちあがって庶民もレジャーに お金を使えるようになってきた。土産物としての需要と、夏のカジュアルウェアとして本土での流行もあり、 質量ともに充実した供給が行われた時期であったようだ。 今、ウィンテージなどといわれコレクターがついているようなシャツのほとんどが、この時期のものである。 僕も出来ることならこの時代の本物をコレクションしたいのだが、すでに良いものは有名コレクターの手に おさまっているだろうし、相場がついている以上、おいそれと手を出すことは難しい状況だ。 しかもコンディションやサイズの問題もあるから、着て楽しむにはあまり適切ではないのだ。 ちょうど、あるメーカーが毎年、手を変え品を変え何十柄もこの時代のアロハシャツを復刻生産している。 それも、似たものを作るレベルではなく、当時のレーヨンの組成や染色技術、色、形、ボタンなどの細部まで、 いわば1950年代当時の新品を現代によみがえらせているのである。 僕は繊維に限らず、焼き物にしろ木工にしろ漆にしろ、かつての日本人が到達した手業が大量消費時代にそぐわなくなり、 技術が忘れられていっていることを残念に思うし、仮に細々と伝統工芸品として作られているにしても、 生活から離れたところでしか成り立ちえない技術・生産という点に疑問を抱きつつも、今となってはどうしようもない現実を受け入れざるを得ないのである。 その点で、このアロハシャツの復刻は、大量生産品ではあってもそれなりの意味があると思っている。 まあ、そんな大義名分は置いたとしても、数ある柄から悩む楽しみは格別なのである。 というわけで、まだ序の口なアロハ談義ながら次回また暇なときに続きを書くこととしよう。 川越保育をよくする会←ホームページはこちら にほんブログ村←こちらもどうぞ
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