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あわただしかった昨日は一通のメールより始まった。 山口の叔父が死去したというものであり、来るべきときが突然訪れたのだった。 急遽対応を検討し、子どもたちには保育園や学童に行ってもらい、シフトのやりくりや雑用を行いつつ 旅支度をする。 こんなことでもなければ夏休みの最後、子どもたちとどこかに行きたいと思っていた矢先だったので、 ちょうどよい機会でもあり、みんなで行くことにする。 費用の問題や荷物の量を考えると選択肢は車以外にない。 近頃では日ごろの整備もまったく足りていないのだが、オイルを規定量の最大値まで継ぎ足してよしとする。 バタバタと準備をし、休むまもなく夜の10時頃出発。 あまり時間がないので関越で練馬まで行き、環八で用賀まで走って東名に乗る。 タイムリミットが翌日正午と決まっているのでほとんど休憩も取れない。 途中、3時間か4時間くらいは家人に代わってもらい、あとはひたすら走り続けた。 それにしても東名はもう限界だな。 大型トレーラーやバスが、連結器がないだけで列車のように繋がっている。 右車線か左車線かでスピードが異なるだけで、どちらに乗るかの選択肢しかない。 ちょっと間が開くとすぐに大型車が割り込んでくる状況の中、テール・ツー・ノーズの場面も多く、 ひとたび事故が起これば玉突きとなるのがよくわかる。 名古屋の前くらいまではバックパネルを拝みながらの緊張した時間が続いた。 東名、名神、中国、山陽とひた走って何とか到着。 お坊さんの読経が始まっていたがギリギリ滑り込んで最後のお別れをする。 何を言っても仕方がない。自分の寿命は自分が決めるのだ。 今年になってから2度ほど叔父を見舞い、少しは話しをしてきたが、 病気や自分の体とどう向き合い、どのような生き方を選択して行くのか決めるのは自分なのだ。 もちろん、周りのヘルプがどれくらい当てになるかも重要な要素に違いはないが、 結局は自分なのだ。 叔父についても僕自身、残念に思うことはいろいろあるが、まあ仕方がないと思った。 ほとんどの場合、病気そのものというよりも、その周辺のところで命を落とす。 叔父の場合も食べないから衰弱し、肺炎でやられたようだった。 願わくば、だが、時間的にも経済的にもゆとりがあって、このときが来るまでに一緒のときを過ごすことが できたら、とは一番思うことであるが、それももう、今更言っても仕方のないことである。 幸い、というか、子どものいなかった叔父であるが、ご友人や僕たちを含め縁のあるものが多く集まって にぎやかに送ることができた。すくなくともそういう生き方を、彼はしてきたということだろう。 続きはまた川越で。 川越保育をよくする会←ホームページはこちら にほんブログ村←こちらもどうぞ
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