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大阪市の橋下市長が教育委員会に対し、 義務教育でも目標学力レベルに達しない場合に 元の学年に「留年」させることを検討するよう、 要請したという。 現行法でも校長判断で留年は可能だそうだが、 現実には例外的な場合(長期病欠など)を除いて 小中学生が留年させられることはない。 それを教育評論家の尾木直樹さん(尾木ママ)が、 小中学生の留年を柔軟に認めるよう、 読売新聞のインタビューで提言したらしい。 今回の橋下氏の要請も、この尾木ママの提言を受けてのものらしい。 僕はこの記事を読んでいないので、 尾木ママの真意は現時点ではわからない。 が、一般論として違和感を感じるのは事実だ。 義務教育の9年間というのは、さまざまな見方はできるだろうが、 基本的な趣旨としては人が生きていくうえで 必要な教育的素養を身に付けることにあるといえるだろう。 しかしその内容は、ほぼ10年ごとに改定される学習指導要領によって、 大きく異なるものでありうる。それは、その時代、その社会が教育に要請するものに 大きく依存するものであるともいえるし、逆に子どもたちのあり様から 規定されるものもあるかもしれない。 だから、子どもたちが身に付けるに越したことはないかもしれないが、 絶対的な基準として子どもたちに押し付けるほどの普遍性があるとも思えない。 少なくとも「留年」制度を活性化させるのだとしたら、 そのバックアップのための仕組みをよほど周到に作っていく必要があるといえるだろう。 いや、むしろ、そういう仕組みづくりのほうに、 「留年」制度活性化の妙味があるといえるかもしれない。 どういうことかというと、わからない子どもたちに手を変え品を変え、 その子に合わせて理解を促していくようなクラス作りをしていかなければ、 今のままで「留年」を認めていくと、大量の「落ちこぼれ」が発生しかねない。 教員にも、相当の準備や工夫、忍耐が求められよう。 昨今の上意下達、書類報告主義、管理主義の教育現場で、 教員による、そういう旺盛な教育活動が展開されるとは、 とても思えない。 実は、教育現場における教育改革の必要は、 すでに待ったなしの状況にあると感じている。 「留年」云々以前の問題として、 どちらにしてもこれはやらなければならない。 それと別個に、義務教育課程で身に付けさせるべき本当に必要なこととは何か、 もう一度考えていく必要があるのではないか。 例えば小学生に「英語」の授業が導入されたが、 はたして必要か。 いくら国際化社会といっても、一生、英語など話さないで暮らす人も相当いるわけだし、 必要な英語力を身に付けるのに、中学校からで遅すぎるということは絶対にない。 むしろ、まずは日本語で自己表現できること、コミュニケーションできること、 日本人としてのアイデンティティを確立することのほうが、 英語を学ぶ観点からも後々メリットになるといえるのではないか。 いくらネイティブっぽく発音が出来たとしても、 語るべき内容を持たないのでは英語でコミュニケーションをとることは出来ない。 算数にしろ理科にしろ社会にしろ、 知識を授けて覚えさせることももちろん必要だろうが、 それ以上に自分の頭で考える訓練が必要ではないか。 そういう思考方法や理解を促すような授業のもち方を大胆に取り入れ、 学ぶ楽しさ、未知のものの習得の仕方、考える筋道を9年間で身に付けていれば、 それから先、自分の興味関心あるいは職業上の必要性に沿いながら自ら学ぶことが、 出来るようになるのではないかと思う。 義務教育課程(特に小学校)で学ぶべき知識という観点でいえば、 読み書きそろばんの現代版というか、 これから先、生きていくうえで最低限必要な思考過程を具現化したような知識が中心になるのではないか。 計算の仕組みとか、日本語の文章の成り立ちとか、地球は丸いとか。 つまり知識の習得の過程を学ぶために知識を身に付けるというか。 さらに、昨今の問題でいえば、1時限座っていられない子どもたちをどうするか、 それはもう、「留年」どころではない緊急課題だろう。 僕はそういう発想でいるから、 「留年ってなんだろう?」 と、素朴に思っている。 もちろん、尾木ママも現状を憂慮しての提言であり、 たぶん熱い思いがあっての発言であろうから、 何かの折に調べてみようとは思う。 何はともあれ、価値観の大転換が必要だ。 お勉強の出来不出来が人の価値を決めるわけでもないし、 それだけが価値基準であってはいけない。 そしてまた、スポーツの出来不出来が、 それに変わる価値基準であってはいけない。 子どもたちそれぞれが、自分の得意なこと好きなことを見つけ、 それについてきちんと評価される。 お勉強同様、子どもたちが見つけた得意分野を応援できるような仕組みを作る。 結果として、その分野でもその子はナンバーワンにはなれないかもしれないが、 生きていくうえでの拠りどころを一つでも得ることが出来ればいい。 ナンバーワンだけが褒められるのもおかしなことだ。 教育問題については、 これまでまとまった文章も読んでいないし勉強不足であるため、 なかなかズバッと提言が出来ないのはもどかしいが、 何でもかんでも専門家になることはできない。 それでも一市民として、一石を投じる心構えで行きたいと思っている。 |
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運動会にしろ、何にしろ、順位を明確にしなくなった背景は…。それで突然留年制度はないですよね。高校生だって、大学生だって、留年した自分を受け入れるのに時間がかかるのに、それをもっと低学年に課すというのか。15歳の小学生を指導するだけの度量が小学校教諭にあるのか。あっけにとられてしまいますね。
2012/2/26(日) 午前 0:31 [ 未来へ続け輝く森 ]
「義務教育で留年」という言葉のインパクトで真意が分かりにくくなっていますよね。
某番組で橋本市長、尾木ママ、お二人の発言のその後を見ました。
橋本市長は「ただ進級させないのではなく、理解を深めるために下の学年の授業に参加できるような仕組み作り」・・・と改めて発言してたようです。
もし留年があるなら飛び級もあっていいのでは、とか留年の判断基準をどうするのかとか、学力的に発達支援が必要な児童にどう対処するのかなどなど、疑問がつきません。
ただ、実際留年が導入されるかは別として、義務教育が抱える問題や、義務教育のあり方を考え直すきっかけになると良いとは思います。
2012/2/26(日) 午前 4:40 [ momi ]
輝く森さん、いつもありがとうございます。
いろいろ意見はあるかと思いますが、やはり、留年した(あるいは下の学年と授業を受けることとなった?)子どもの心情を考えるとね・・・。思春期になる前に挫折の経験ですよ。厳しいですね。
僕ならもう、学校に行かなくなるかもしれませんね。
2012/2/26(日) 午後 11:42 [ よくする会長 ]
momiさん、こんにちは。
おっしゃるとおり、議論のきっかけとしては大いに評価できますね。
ただ、タレント性の強い人(マスコミへの露出度が高い人)に引っ張られずに、国民がきちんと議論が出来るか、ですね。国民の民度が試されると思います。
感受性の強い年齢の子どもたちに関わることですから、大人の責任として、きっちり議論していかないとね。
また何か情報がありましたらぜひ教えてください!
2012/2/26(日) 午後 11:46 [ よくする会長 ]
尾木ママといえば・・・
先日、インドの義務教育の学校を尾木ママが訪問するという
番組を見ました。
5歳から義務教育のインド。
オランダは4歳からと日本の義務教育が世界の中では
遅いほうだとか。
インドは5歳で掛け算と割り算を同時に習ったり、
毎朝、朝礼のような集会を開き、子供達が気になったニュースや
身の回りの出来事を自分で調べて分析し、
それに対する自分の考えを人前でスピーチさせるなど。
この人前演説が全校内に放送され、聴衆を意識した自己表現を
小さいころから磨いていくのだとか。
午前中におやつタイムがあったり、
ヨガで呼吸法を習い、
遊びながら脳を鍛えられると授業中にチェスをやったり。
そして40分授業が9時間あるとは・・・
日本との違い、世界との違いを感じたのでしたっ
2012/2/28(火) 午後 0:33 [ えすかるご ]
う〜ん、いろいろですね。
早期教育ひとつとっても、日本でもいろんな考え方があって、
どれが正しいとは、一概には言えないのでしょうね。
肝心なことは、子どもの発達の視点からの科学的な検証と、
「労働力」としてではなく「エリート」としてではなく、
一人の人間として育てていくにはどうするのがいいのか、
その時代、その時代の大人がきちんと考えていくことでしょうね。
2012/2/28(火) 午後 11:49 [ よくする会長 ]