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昨夜はブログを更新してから、 さらに「書庫」の整理をした。 「書庫」というのは簡単に言うとカテゴリー分けだ。 書いた記事は自動的に「最新の記事」という書庫に入ることになっている。 そのままにしておくと、過去に書いた記事から今日までの記事が全部、 地層のように堆積してしまうイメージだ。 それを自分でカテゴラズした「書庫」に移していく。 項目ごとに分けた引き出しに記事をしまっていくイメージかな。 むかし作ったカテゴリーだからちょっとどうかなということろもあるのだけど (例えば「学校や学童」という分け方は活動の主軸が保育園にあり、学校や学童に関する記述が 少なかった頃だからこれでよかった。しかし今は、学校と学童を分けるか、あるいは学校・学童生活と 学保の会の活動に分けるかしないと、というくらい、学保の会に関する記述が多くなっている) まあ、それはおいおいやっていくとして、 とりあえず仕分けしないとどうしようもない。 当分やっていなかったので、昨夜は2010年いっぱいまでを何とかやり遂げた。 2011年から今日までは、またコツコツと時間を見つけてやることになる。 今夜はその、学保の会(川越学童保育の会)の役員会だった。 総会議案と予算・決算が議題だったが、時間切れで途中で終ってしまったので、 またあさって、続きをやることになった(トホホ・・・)。 僕は以前より、このブログでも運営委員会でも、会費値下げや事業の見直しを提案しているので、 数字にはめっぽう弱い僕ではあるが、今日は少し、お金のことを話題にしてみようと思う。 役員会でのやり取りはともかくとして、会の会計に関しては毎年総会資料で公表しているのだから、 これについて解説して私見を述べてもバチはあたるまい。 皆さんは毎月払っている2000円の会費がどのように使われているかご存知だろうか。 わかりやすくするために、ごくごく単純化して説明するので、多少の過誤はご容赦願いたい。 だいたい半分の1000円が「保育支援費」という形で、ほぼ指導員さんのために使われる。 残りのそのまた半分の500円が「事務費」といって、事務所の維持や専従職員の給与等に使われる。 そして残りの500円が「保育代替費」(早朝保育の手当てなど)、「事業費」として、保護者を中心とする 会の活動に使われる。 「保育支援費」は指導員さんに使われるといっても、例えば指導員さんのスキルが高まることにより、 保育の質が向上し、それは子どもたちに還元されるのだから、指導員さんだけに利得が生じるのではない。 また「事務費」も、膨大な事務を専従職員が担うことにより保護者の直接の仕事量が軽減され、 また同時に運動の質も保たれるという形で運動の下支えになっている。 だからいずれも会費から支出することには大いに大義があるわけだ。 けれども、いざ会費を値下げするということになると、どこに手を付けなければならないか、明らかだろう。 手数料や紙の節約などによる圧縮には限界がある。 例えば「保育支援費」の中の「研修費」。 これは指導員さんたちに研修を受けてもらい、その時間給を保障するものだ。 1人年間約7万円。会費ベースでいうと、2000円のうち400円だ。 これって、大きくないか。 川越の学童の黎明期、まだ指導員さんたちの待遇が極端に悪く、 定着率も悪かった頃なら、それくらい必要だったと思うのだ。 給料が安いのに仕事外で研修を受けてきてくれとは、なかなかいえないし、 入職する人の質が安定しないから、研修を積んでいい指導員になってもらう要請が高かった。 しかし今は、待遇が悪いといっても、極端に悪いわけではない。 もっと悪い待遇で働いている保護者はいくらでもいる。 運動の成果で研修は市のほうでも行なうようになり、 (年間10回くらいあるらしい、どういう出席の仕方をしているかは詳しく知らないが) 定着率も高くなってきたから、研修の積み重ねで保育の質も上がってきている。 だとすれば、昔と同じやり方をいつまでも続ける必要はないのではないか。 例えば、入職して何年かは集中して研修を受けてもらうとか、 以後は市の研修では学べない、それでも大切なものを得るために、何時間かのみに絞るとか。 時代がよくて、保護者の所得もうなぎのぼりの時期なら今のままでもいいのだが、 景気が冷え込み、仕事が減ったり収入が減ったりが当たり前の世の中だ。 そこにきて保育料値上げ、公共料金の値上げだ。 ちょっと保育料の値上げ分を、今度は指導員さんたちと分かち合うわけには行かないのか。 そういう目で見ていくと、まだまだ考えなければならないところはたくさんある。 僕は、聖域を設けずに議論していかななければならないと思う。 もちろん、学保の会のいいところは生かしつつ、時代の要請にこたえられるように。 改革というのは「痛み」を伴うゆえ、なかなか進まない。 特に、一緒に活動をしている仲間に対してシビアな提案をすることにもなるのだから、 難しいことはわかっている。 けれども、たとえ憎まれてもそれをやっていかなければ、 僕が日頃言っていることややっていることが嘘になってしまう。 だからやっていく。 えらそうなことをいって国民の負託を受けていながら、 そういうことが出来ず、結局はとりやすいところからとるべく数を頼んでいる恥ずかしい大人が 世の中にはたくさんいる。 しかし、あの人たちはニセモノだと思う。 |
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