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1月12日は川越市子ども子育て会議(正確には川越市社会福祉審議会)の公募委員の応募期限だった。 委員は任期が2年。 川越市次世代育成支援対策地域協議会のときは「保育園入園児童保護者代表」という枠で、 川越保育をよくする会からの推薦という形で委員を務めてきた。 しかし、子ども子育て会議にはそういう枠がない。 それで、次世代地域協議会の審議の中で「保護者代表の市民が入っていないのはおかしいのではないか?」 という問題提起をしてきて、結果、全体の人数の関係から 「保護者代表」という枠を設けてもらうことはできなかったのだが、 二人の枠のある「一般公募」を「高校生以下の子どもを持つ市民」と制限することになったのだった。 それで2年前はその公募に応募して委員に任命され、この3月で任期が切れる。 忙しい毎日の中、手帳のスケジュールに「この日までにこれをして」と書きこみながら、 ギリギリ、1月12日当日の朝に応募を終えた。さあ、選ばれるかどうか。 それから昨日は久々に埼玉合研の実行委員会に参加してきた。 否、正確に言うと、「後半部分に参加するつもりだったがものすごい渋滞で間に合わず、 終了した直後に到着した」という状態である。 でも、それはそれでよかったのだ。 眼目は実行委員会そのものというよりも、10年前の合研の時に中心にいたある人物に会うことであった。 昨日の実行委員会で会いましょうと段取りをしておいたのだった。 29日の「埼玉保育・子育てのつどい」では僕が一講座設ける提案を、昨年の秋に行っていた。 というのも、今度のつどいはプレ合研の位置づけのはずだが、まったくそういう体裁になっておらず、 規模も内容も例年と変わらないような予定になっていた。 そこで老婆心から「10年前の経験を現在の実行委員に引き継ぎ、同じ気持ちで合研に向かえるような座談会を」 と思い立って手を挙げたのではあった。 その後、いろいろあって(忙しいということもあり、また役員間でのゴタゴタもあり) 全く準備が進んでいなかったものの、やるといった以上は規模はともかく実のあるものにしたい。 それで、10年前頑張った人に声をかけているという次第である。 昨日会った人は、つどい当日は出られないということだが、事前に話を聞かせてくれることになった。 まさに10年ぶりに話をした。 10年前あれだけの規模の運動をする中で、その人ともいろんな行き違いがあった。 会議の中で喧々諤々、なんども議論を戦わせたし、それ以上に、 後半のものすごい忙しい時期のすれ違いは致命的であった。 お互い、言い分はあるだろうがそれも十分に話せぬまま、 合研が終わるとともにお互いになしのつぶてとなっていた。 合研の時の話もしたが、それぞれ、10年間、どんな思いでどんな活動をしてきたかも話した。 10年前のわだかまりが氷解したとはいわないが、 やはり保育とか教育とか福祉の分野で思いを持って活動を続けているということで、 なんというか、お互いを尊敬しあったというか、そんな気持だった。 それも、その人は家族の介護を続けながら、僕は仕事と子育てに奔走しながら、である。 「10年前のようにはできないけど、できることはやっていきましょう。」 そういって別れた。
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