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昨日は長女が熱っぽいと学童から連絡があって、少し早めにお迎えに行った。 と、校庭の、学童保育室までの紅葉がことのほか美しい。 「今年の紅葉はきれいになるのかな」 瞬時にそんな予感を感じさせるに十分で、久々に家族で紅葉狩りでいければいいなあと思った。 ここのところ、忙しいにお金がないでそういう機会を持てていないということもあり、 ここ何年か、夏から冬までの移ろいがぼんやりしていて、 紅葉もなんとなく葉が茶けて散り落ちているような、あまり感心しない風情だったのである。 それにしても、大木古木が残されているのも学校ならではで、 僕も小学校の頃、とても大きな銀杏の木の下で、竹ぼうきで掃除をしたり 銀杏を拾ったりした思い出がおぼろげながら残っている。 この小学校の二本の銀杏も、子ども達の心になにかを伝えてくれているのだろうか。 話は全く変わるが、NHK朝の連続テレビ小説は「ゲゲゲの女房」から「てっぱん」に代わっている。 「ゲゲゲの女房」の舞台の一つが島根、「てっぱん」の舞台の一つが広島ということで、 どうしても言葉(方言)に関心がいってしまう。 どちらも僕の生まれ故郷山口のお隣の県であり、かなり似ている点もあるからである。 特に広島はイントネーションや語尾なども含め、全国的な視点から見るとかなり近いと思う。 ドラマの中での方言はどうしてもわざとらしくなってしまう。 それは当然、本当に方言そのものを会話とすると、発音や単語そのものも違うことがあり、 他の地方の人には理解できない場面も出てくるから、 適度に標準語?と織り交ぜながら雰囲気を出すというのが制作側のねらいどころであろう。 だから、その地方に住んでいる者には片腹痛いものになるのが宿命であるともいえる。 で、「てっぱん」の広島弁(尾道弁)である。 お隣の県とはいえ住んだことがあるわけでなし、厳密なところはわからない。 が、雰囲気という意味では相当に迫っているのではないかと、ずっと思っている。 特にヒロインあかりのお父さん(錠)である。 あちらの地方では男が自分のことを「俺は」というのはまれで、 小さな子どもですら自分のことを「ワシは」と言っている(最近はどうなんだろう?)。 錠が「ワシャぁのお・・・」と切り出すところなど、そのものである 最近はテレビなどの影響もあってか、どこの地方でも方言が薄くなっているのではないか。 たまに山口に帰っても通行人が「・・・でサー」と、以前は使わなかった、 東京の言葉の真似みたいな言葉を織り交ぜて使っている。 言葉は生き物だから、日本が狭くなるに従って言葉が変化するのもまた当然といえば当然である。 しかし、そこに郷愁を感じる者も少なくはないだろうし、 なにもすべてが東京にならって統一されなくても、という思いもあるのではないか。 ドラマの方言の方言度(リアル度)が増しているのだとしたら、 製作者(方言指導者)のほうでも従来とは異なる基準なり、思いなりがあるのだろうか。 それにしても「てっぱん」、ドタバタ劇のようでありながら切ないドラマである。 川越保育をよくする会←ホームページはこちら(リニューアルしました) にほんブログ村←こちらもどうぞ |

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