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震災からどれくらい経ったのか・・・依然として混乱が続き、 あるいは混乱に慣れてしまったかのような感覚もある。 まず、計画停電が始まって、最初はかなり新鮮な印象だった。 夜の街、信号機が止まって警察官のホイッスルの音が鳴り響く。 街頭も消えてしまっているから街がやけに暗く、 車のヘッドライトだけでは心もとなく感じてしまう。 企業の建物の中はさながら「お化け屋敷」で、 灯りなしで歩くことはおよそ困難な状況となる。 が、ほとんどもう慣れてしまって、それほどの不自由も感じない。 ガソリンスタンド渋滞もおなじみとなった。 列の最後尾を見つけて並んでハザードランプを点ける。 エンジンを切って本を読みながら、前が動くのをひたすら待つ。 ただこちらは時間の浪費でもあり、また仕事の関係上死活問題であり、 一日も早い正常化を渇望している。 ともかく・・・余りに便利に、あまりに明るくなりすぎた現代社会にあって、 もう少し不便でもう少しほの暗い世界であってもいいのでは、と本気に思っている。 夜のバイトのほうは本当に大変で、スーパーの買い占めの影響で注文が相次ぎ、 毎日、莫大な量の食品をさばいている。 いつもなら20時ころからせいぜい12時ころには終わるような曜日であっても、 19時に始めて翌朝の8時ころまで作業をしないと終わらない。 僕はヒマな日は出勤しないことにしていたのだが、 あの日以来、毎日駆り出され、それでも朝6時からは朝の仕事があるから2時や3時で切り上げ、 ということにしているが、まあ、帰宅してもう布団で寝るなどほとんど不可能。 まず、風呂桶の中で1時間くらいうとうとして、残りの30分くらいを布団で、という悲惨な日々が続いている。 おとついは3時ころから5時半まで風呂桶に浸かって寝ていたらしく、 家人に「仕事に遅れるのではないか」と起こされたのだ。 もちろん、この日は遅刻したが。 遅刻だけでなく、体が冷えて仕方がなかった。 こんな境遇で仕事していると、なにか、災害復興に協力しているような気がしてくるのだが、 もちろんそれは単なる勘違いで、単に災害とは直接は無縁の首都圏の買い物客の、 買い占めというエゴにつき合っているだけのことだ。 しかも、一段落すればガクッと仕事量が減り、出勤するはずの日も自宅待機となるに違いないのだ。 つまり、トータルの実入りは変わらないのに、今が無駄に忙しい、という事態になるに違いないのだ。 今夜もまた、もうじき呼び出しの電話がかかってくるはずだ。 それはそうと、先日、出勤前のくつろぎのひととき、 所沢のユキさんから電話がかかってきた。 何事かと思ったら、保育園給食の件だった。 所沢では市役所が「保育園給食の材料の供給が不安定なので給食を休止し、お弁当にする」と 突然言い出したそうなのだ。 もちろんユキさんたちは大反対し、「メニュー通り出なくても工夫できる」と、 とりあえずは園対応を勝ち取ったそうだ。 「川越はどんな様子?」ってことで、こちらは変わりなし。 もっとも小学校は弁当になったけど。 いや、何ともお粗末。 カロリー計算が整ってないと保育園給食にならないの? 買い占めの影響で夕方にはすっからかんのスーパーの店頭、みたことあるの? 仕事終わって親が買い物行くころにはめぼしいものはなくなってるんだよ。 それで毎日弁当作るのってどうなのかな? 僕は塩むすびと具のないみそ汁でも充分だと思う。 こんな状況がいつまでも続く訳じゃないから、その間で子どもたちが栄養失調になったりしないよ。 お役人って、本当に保育のことわかってないよな。 というわけで続きはまた時間のあるときに。 川越保育をよくする会←ホームページはこちら(リニューアルしました) にほんブログ村←こちらもどうぞ |
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2011年03月21日
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