|
こうしてみるとずいぶんとサボったものである。 最も重要なのは先々週の金曜日に開催された第4回川越市子ども・子育て会議の報告。 なにぶん、毎日忙しいのと、会議の内容があまりにも濃かったので、 あっさりと報告というわけにもいかなかったものである。 もっとも、僕の報告を指折り数えて持っているというほどの人はいないだろうし、 内容的にも火急であるほどの物はないので、 いずれきちんと報告して問題点を明らかにしておけば足りるものと思う。 まあ、なにしろ今一番の優先事項は確定申告だ。 今夜はよくする会の事務局会議だった。 今年度最後の定例会(保護者会長・担当者会議)を来週に控え、 その内容についての詰めの作業を行った。 よくする会の行事は年間通じてもせいぜい10個、 そのうち定例会は5回しかないので毎回真剣勝負だ。 何をテーマに何を行うか、 行った結果として参加者の皆さんに何を持って帰ってもらうのか、 やるからにはいいものにしたいと、毎回頭をひねっている。 今日も充実した事務局会議を行ったから、 当日もきっといい会になるのではないかと期待している。 そんなわけで、簡単ながら今日の報告としておこう。 |
よくする会の行事や活動
[ リスト | 詳細 ]
|
先週に引き続きまた寒波がやってきて今日の天気を大変心配していた。 もちろん、今日がよくする会の文化行事当日だったからだ。 幸い、日ごろの僕の行いがいいせいか、雪は降らずに済んだ。 が、雪を潜り抜けたような冷たい風の吹く日ではあった。 さて、その文化行事である。 オペレッタ劇団ともしびの「金剛山のトラたいじ」の公演。 オムニバス形式でいくつかのお話を組み合わせて演じられるのであるが、 今日は「トケビにかったパウイ」と「金剛山のトラたいじ」の二話であった。 もともとは体育館のような平場で公演することを想定されて作られているそうだ。 つまり、演者のかぶりつきの位置に、舞台を取り囲むように観客がいる、 天井が高くて空間も十分に使える、という想定だ。 よくする会の文化行事は毎年南文化会館で行うことを予定している。 土日だと、こういうちょうどよい大きさの会場を押さえるのも大変なのだ。 それで、一年前からもう予約して確保しているのである。 今日は会館を観客席と一体にすべく、 劇団の皆さんはホール後方の入り口から楽器を打ち鳴らしながらの入場となった。 楽器というのは朝鮮半島の古楽器だ。 日本でいうところの鉦や銅鑼、太鼓の類や、ステージには箏のような楽器も置かれている。 その楽器の音がまたデカい。 それもそのはずで、本来的には野外で、つまり村祭りのようなところで使用されることが想定されている。 で、物語が始まってすぐの「シャーン!」という金属音で、 びっくりして泣いてしなった小さな子が何人もいた。 「だいじょーぶ?」「だいじょうぶ」 さっそく役者さんと会場のかけあいが始まった。 オペレッタというのは、僕も詳しくは知らないが、 ごくごく簡単に言うとミュージカルのような音楽劇だ。 セリフの全部ではないが、歌に載せられて語られる。 その歌を彩るのも劇中の効果音もこれらの古楽器なので、 これを使わないことには始まらない。 子どもたちの声や保護者の皆さんの頷きに支えられて小気味よく物語が進んでいく。 一話目の「トケビにかったパウイ」は働き者の少年パウイが主人公。 日頃は畑仕事などで遊ぶ間もないパウイだが、 村の相撲大会で優勝した商品に仔牛をもらう。 とっぷり暮れたその帰り道、仔牛に目を付けた大きなトケビ(妖怪)に襲われるが、 頓智で切り抜け仔牛を持ち帰る、といった話だ。 このお話の真骨頂はパウイが見上げるたび、トケビがどんどん大きくなるところ。 大きな目をしたトケビが上へ上へと伸びていく。 ここでも会場の子どもたちの鳴き声が聞こえた。 それだけ迫力があるのだ。 それでも、後で聞くといつもの高さの半分くらいらしい。 そう、体育館の天井と舞台の天井とではずいぶんと差がある。 パウイがどうやって危機を乗り越えたかというと、 パウイが見上げるとトケビが余計に大きくなり、 足を見るとトケビが縮んでいくことに気付いたのだ。 つまり、怖いと思えば大きくなるし、 怖がらなければ小さくなると気づいて縮ましてしまったのだ。 前回鑑賞した時は、ちょうどマスコミが安倍政権の脅しで報道自粛ムードだったので、 僕は「怖いと思うから余計に大きくなるので、負けずに立ち向かっていこう」と思ったのだった。 その気持ちは今日まで変わらない。 あれから夏になって、シールズなどを中心に国民の大きな運動が盛り上がった。 僕たちは最終的な勝利は手にしていないが、 政権に相当の恐怖と打撃を与え、なお今後に希望をつなげている。 二話目の「金剛山のトラたいじ」、これは人間を襲う金剛山のトラに 父親を食われてしまった猟師の青年が父親の仇を打ちに金剛山へ行く話。 母親に泣きつかれ、何年もの鉄砲修行、そして金剛山についてからも、 茶店のおばあさんに上手くそそのかされて何年も鉄砲修行する。 その辺のくだりがユーモアたっぷり人情たっぷりに描かれる。 そして、雨の日も風の日も修行する青年の様子、 メリハリの効いた動きが見ものである。 役者さんは、青年という歳からは少し過ぎているように見えるが、 本当に意を決して鋭意修行する青年であるかに見える。 茶店のおばあさんの課した難題をクリアして青年は山に入る。 たくさんのトラを退治してようやく仇である大虎と対面、対決する。 さしもの青年も一度は大虎に飲まれてしまうが、おなかの中で村の代官の娘と出会う。 手を取りあってトラの腹を裂き、ついには仇を打って娘とともに村に帰る。 オモニ(お母さん)と青年の再会シーンもこの物語のハイライトだ。 この“人間の情”というものに民族による差異や優劣などあるだろうか。 本当に、スケールの大きな演目で、子どもであれ大人であれ、 引き込まれない者はいないであろうと思う。 劇が終わるの同時に民族舞踊が始まった。 これがまた素晴らしい、いや、素晴らしい。 楽器を打ち鳴らしてリズムを作り、 踊りやら皿回しやら、それこそタイムスリップして いにしえの朝鮮半島のどこかの街角にでも立ったかのようだ。 特に、帽子のてっぺんに長いリボンがついていて、 それをヒラヒラ回す芸は日本にはないもので、 異国情緒あふれるものだ。 シャーン!シャーン!という楽器の音と、 独特のステップ、そして尾を引きながら回るリボンを、 この写真から想像していただけるとうれしいが。 終演後はホールの外で送り出し。 人形に触ったり役者さんと写真を撮ったり、 参加者の皆さんも大喜びだった。 実際、ご協力いただいたアンケートからも、 あるいは家路につく皆さんの表情からも、 今日の公演に対する満足度が非常に高いことが感じ取れた。 今日、僕が一番心に留まったのは、 会場の皆さんの動きである。 僕は会場の一番後ろにいて写真を撮っていたので表情はわからない。 しかし、怖いもの(トケビとかトラとか)を見て子どもが泣き叫ぶ、 それをお父さんやお母さんが必死になだめて、ホールの最後部まで連れてきてなんとか思いとどまっている、 あるいは一度ホールから出でも、また頃を見てホールに入ってきて、 またしばらくして泣かれてホールの後ろに移動する。 そんな親子が何組かあったのだが、 そのお父さんやお母さんの表情に僕は感動してしまった。 子どもにとことん付き合う姿勢でもあり、また、 なんとか物語をきちんとみせてやりたい(みてほしい?)、 そんな動きから、また一つの親心を感じてしまった。 それと、怖いものを見て泣いていたことについても、 これはとてもいいことではないかな?と思ったりもした。 僕が子どもの頃は怖いものであふれていた。 古い家では夜のお便所が怖かったし、 街にも真っ暗な路地があった。 何か悪いことをすれば親に「山からお化けが来る」と脅された。 もちろん、地方によっては“なまはげ”だとか妖怪伝説が語られたこともあっただろう。 明るくて清潔になった現代生活では、 そういう“怖いもの”に出会う機会が少ないのではないか? そんなことも考えたりした。 そんなわけで、今日はたいへんいい一日であった。 |
|
今日はよくする会の学習会であった。 今年は保育や教育に関して発言をされておられる松居和さんに講演をお願いした。 県の教育委員長もされていたらしいし、政府の委員会や会議などでも発言されているそうなので、 その界では有名な方なのだろう。 今日の講演の内容を要約することなどはおよそ困難だ。 それほどお話が多岐にわたっていたし、 その話し方や持っていき方も完全に松居さんオリジナルな方法なので再現困難なのだ。 関心のある方はYouTubeでもいくつも講演の動画がアップされているらしいし、 ご著書もおありなので、そちらを当たっていたくことでご容赦願おうかなと思う。 まあ、結論の多くのことについては賛同するところではあるが、 そこに至る筋道や考え方や(あるいは表現方法かもしれないが)が 僕の方法とはだいぶん異なるので、その点では僕的にはかなり微妙ではあった。 が、まあ、なんにしても、父親の育児参加については特にしっかり語っていただき、 講演終了後の参加者の発言で、お父さん二人からとてもいいお話を聞けたので やった甲斐はあったのかなと安どしている次第である。 昨日、“両親学級”について少し触れたところではあるが、 なかなか、保護者が子育てについて、座学として学ぶ機会というのはそう、多くはないと感じている。 特に、保育園に子どもを預けているということは、基本的には両親ともが働いているということだろうから、 なかなか講演会など聴きに行く時間もそれないだろうし、 ましてや休日に子どもを置いて、とはいかないだろう。 それでも、やはり保護者にも学んでほしいのだ。 それで毎年1回、学習会という機会を設けている。 最近は定例会でもお父さんの姿が目立つようになったし、 今日もかなりの数のお父さんが参加されていた。 それだけ“イクメン化”が進行しているのだろうから喜ばしいことだ。 かつては「子育ては女の仕事、男は金を稼いでくるのが仕事」という風潮が強かったが、 (そして今日の講演でもそれを若干肯定するような表現もあったが) やはり自分の子どもなのだから父親も相応にかかわった方がいいのではないか、 というのが僕の考えだ。 お母さんが専業主婦ならまだしも、共稼ぎであればなおさら、 家事にしろ子育てにしろ、夫婦で助け合った方がトータルで見ればうまくいくのではないか。 そして、仕事に関してはさまざま勉強してスキルを磨いているお父さん方も、 こと子育てに関してははじめは初心者なのだから、勉強してみるのもいいのではないかと思う。 子育てに関する本も、まあ、立場も方法論も千差万別だが、 いろいろ読んでみて、自分の子育てのヒントにできることはもらっていけばいいと思う。 あと、いろんな人と話すことも大切かな。 僕は保育運動などに関わったお陰でいろんな人と、 保育や子育てについて話す機会に恵まれた。 そういう中で自分の考え方を検証したりバージョンアップすることもできた。 よくする会の定例会や学習会は、 会員の皆さんは“お役目”として出てくる人も多いのだが、 仮にそうであったととしても「出てきてよかったな」と思って帰ってもらうことを目標にしている。 これもまた、保育や子育てについて「考える機会」として、 皆さんにとっても“バージョンアップ”のチャンスとなればと願っている。 |
|
昨夜、今年度のよくする会の対市交渉が無事終わった。 「無事」といって、僕たちの会の場合、無事に終わらないということはほとんどありえない。 ただ、会にとって大きな年中行事であるから、「今年もやり終えた」という感慨と、 「今年も開催できてよかったな」という安堵感が大きいのだ。 というのも、この交渉が“力を背景に”何かを獲得するという性格のものではなく、 むしろ僕たちの要求を通じて「川越市として大切にすべきもの」を所管課と確認しあい、 実現のためにどうすれば溝が埋まっていくかを共に考える場となっているからである。 そういう場を、今年も保育課と確認する場を共有できたという喜びだ。 しかも、僕が市役所に行って窓口で課長と話をするのとは違う。 保育園の利用者である一般の保護者や、そこで働く職員も場を同じくするのである。 確かに、「いきなり難しい話で何がなんだかわからない」という人もいるかもしれない。 でも、川越市の保育制度が所与のものとして存在する固定普遍のものではなく、 こうして話し合いで変わっていく柔軟なものなのだ、ということを感じてくれた人もいるのではないか。 これも一つの市民参加である。 余談ながら、そんな大切な場ではありつつも、 僕は遅刻して参加した。 まあ、これはいたし方のないことで、 早上がりを申し出ていてもその日の状況でどうしようもないこともあるのだ。 でも事務局会議でもいろいろと話し合っておいたので、 重要なことはきちんと誰かが主張してくれたのではないかと思う。 というわけで昨夜の概略をお伝えしておこうと思う。 よくする会の今年の要請項目の1番は公立保育園の制度としての維持と老朽化した園舎の建て替え、 ならびに駐車場整備や施設の修繕などを求めるものであった。 これについては大筋では共通認識に立った上で、園舎の建て替えは今後作る「川越市公共施設マネジメント」 に沿って、ということだった。 公立保育園の維持は、待機児童対策の意味でも保育の質の観点でも重要ということだったし、 今後に関しても例えば障害児保育(統合保育)など、法人立園ではなかなかできないことを実施するという 「役割分担」もありうるということである。 保育課はそういう認識でも、例えば川越市全体で見れば、 今後は人口が減っていく、子どもの数も減っていく、という認識(推計データ)を元に事業を考える。 そのときにどこまで公立保育園維持を主張できるのかという疑問もあり、 そういうことも出し合いながらやり取りをした。 また、統合保育は公立だけの事業とするのではなく、 保護者が選択できるよう、法人立園に対しても加配のための援助をすべきという主張もした。 そういうことも踏まえての回答と考えれば、 方向性としては双方で大きな隔たりはないと思う。 要請項目の2番は法人立保育園も含め保育の質を確保すること、 そのために市独自でガイドラインを作り、指導態勢づくりを求めるものである。 ここも問題意識はしっかり共有できているように思う。 川越市はここのところ待機児童解消を主目的に法人立保育園の設置に力を入れてきた。 が、確かに様々問題があるようで、今後は「保育の質」を高めることに力を入れていくということだ。 具体的には、やはりガイドラインのようなものを作り、それに沿って監査や指導をしていくということだ。 僕たちが心配しているのは、政府が体よく「子育て支援」といい「女性活躍推進」といい、 いかにも聞こえはいいが、その実「労働力創出」にのみ気が行っているのではないかということだ。 今後足りなくなるとされている労働力を、潜在的な労働力市場である家庭の主婦層に狙いを定めて 掘り起こしていこうということではないかということだ。 アメリカでの記者会見でロイターの質問に、安倍首相がついつい本音を出してしまったことも思い出される。 そこで働く女性の人権や尊厳を確保できる態勢を整備し、 あるいは預けられる立場の子どもたちにとっての保育の質を確保するのでなければ、 本当の意味で「女性活躍」「子育て支援」ということにはならない。 つい先日も菅官房長官が企業内保育所の整備を経済界に要請していた。 預ける立場の親には職場に近くて便利な面もあるが、 元々子どもを預かるようにはできていない企業施設に急ごしらえで保育室を作り、 認可保育所のように子どものための「基準」もなければ、事業主も保育に関してはズブの素人、 というようなことが横行するのだとすると、やはりもろ手を上げては賛同できない。 実際問題として、企業内保育所にまで保育課が手を突っ込めるのかは疑問だが、 少なくとも市内の認可園や小規模保育、認定こども園に関しては、 「保育の質」という観点から保育課が指導なり援助なり できるようにしておこなければならないと思う。 要請項目の3番は、ひかり・あけぼの児童園の建て替え整備に関し、 計画途中での市民への情報開示と意見の募集を求めるもの。 多くの市民の英知を入れてよりよい施設にしていくことを指向している。 保育課としては利用者である保護者や専門家の意見を十分に聴きながらやっているということだが、 すでに現時点で保護者の就労保障機能を備えていないことが明らかになっている。 つまり、障害児をもつ保護者は、これまでは送迎や訓練の立ち合い、あるいは別室での待機の必要があり、 働きに出ることが難しいケースも多かった。 しかし、働かざるを得ない人もいれば働きたいという人もいる。 特に川越市の場合は過去にこの問題で訴訟沙汰があり、敗訴が確定しているので 就労保障を無理矢理に公立保育園で預かることで実現してきた経緯がある。 しかし、医療措置の必要な子まで通常の保育園で預かることがいいことか否か、やはり疑問があるし、 例えば障害児保育(統合保育)を進めるにも、しっかりした態勢を作り受け入れるのでなければ、 子どもたちみんなが不幸になってしまう。 やはり就労保障を考えるのであれば、スタッフも設備も整った施設を検討すべきではないかと思うのである。 さあ、長くなったので今日はこの辺で。 |
|
昨夜は昼頃には奇跡的な秋晴れとなって 無事「公立保育園で行こう!2015」イベントを開催することができた。 直近の予報では昨日が「曇り」、今日が「快晴」だったところ、 まったくその逆になってしまった訳だ。 やっぱり僕の日頃の行いがいいせいだと思う。 天気がいいだけで、イベントが100倍くらい楽しくなる。 というか、天候が悪くなると100倍くらい辛いものとなる。 秋空の下、すがすがしく楽しい気分だと、 通りかかった人も「ちょっと見ていこうかな?」となりやすいし、 署名にも応じてくれやすくなるように思う。 今年はちょっとメインステージが物足りなかったかな〜と思う。 僕が全編路上に移動して時間を空けたので、その部分を埋めなければならなかったのだが、 そしてそういう計画になっていたはずだが、 ふたを開けてみると無駄なインターバルが生じてしまったようだ。 ここはできれば保護者・保育者の様々なパフォーマンスを入れたかったところだ。 来年はそういう方向をもっと強く打ち出して参加者を募ろうと思う。 (あ、僕が会長ということはあり得ないから、今年の反省としてだしておこうと思う) 毎年やっている行事ではあるが、 保護者は毎年「係」が入れ替わるから、 なかなか「こういうイベントだ」ということが浸透しない。 今年も終了後のアンケートで 「上の子を預けて参加したが連れてくればよかった」 という感想があった。 そう、子どもも一緒に楽しめるイベントなのだ。 そういうこともなかなか伝わらなくてね。 あらゆる機会に宣伝はしてるのだけど。 できれば 「私たちも何かやってみようか」 となって、パフォーマンスの参加が増えれば楽しいと思う。 弾き語りなんかやってるお父さんもいると思うんだけどね。 ステージで出し物が次から次に繰り出される、 周辺ではパネル展示があったり、子どもの遊びコーナーがあったり、 1時間半は退屈することなく楽しめる、 そういうイベントに育てていきたいと思っている。 とまあ、のっけから反省だが、 基本部分は大成功といえるだろう。 参加する保護者も、同じように川越の公立園に通っていても、 自分の園以外の「保育」と接する機会はない。 でも、こうして肩を並べて署名をとったり、 「リズム」の輪の中に自分の子どもが入っていって自然に踊るとなると、 「おなじ保育園の仲間なんだな」 と意識するでもなく感じることができるのではないか。 なによりも、感想のなかで 「楽しかった」「これからも続けてほしい」 という声があふれているのだから、 保護者参加型のイベントとしては、まずは成功といっていいと思う。 終わった後、ずっとみていた市民の方から声をかけられた。 「青森の荒馬踊りはよかったな。俺も東北出身だから。」 「子どもたちはかわいいよ。」 しばし話をした。 「荒馬踊り」はじめ、全国どこにでも豊穣を願い、祝うような踊りがあるだろう。 保育園ではそれを「人に見せるため」ではなく、保育の一環として行っている。 その過程で“手綱”を布で編み込んだり、馬を製作したり、 体を自在に動かしたり集団で協調してうまく1曲踊り通したり、 あるいは稲作について学んだりと、たくさんの学びがあるのだ。 なかなか、このイベントの踊りを見てもらうだけではそこまでのことは伝わらないだろうが、 理解のきっかけにはできると思っている。 夜は毎年恒例、事務局で打ち上げというか懇親会を開催。 こういう場で事務局のみんなにも、イベントをやる意義だとか、 それが川越の保育や民主主義とどうつながっているかとか、 いろんなことを話していかないといけない。 もちろん、そういう小難しい話ばかりでなく、 「ワハハハハ」というレベルのお下劣な話題が大半ではある。 でも、この事務局から出発して川越全般に向かって発信しているのだ。 結束を固めることには大いなる意義がある。 |




