|
きのう今日とこの近辺では桜満開の週末であった。 残念ながらどんよりとしたうす曇り、 お花見気分も今一つという方も多かったのではないか。 やはり空が青い方が、つまり太陽光が直接に届いた方が桜の色が美しい。 これは夜になっても同じことがいえるから不思議だ。 ともあれ、今年もめぐってきた桜の季節に乾杯! さて、先日に引き続いて保育園問題第2弾で保育士の待遇について少し書いてみようと思う。 政府が最近、保育士給与を2%だか4%だか上げることを考えているようだ。 それ自体は悪いことではないが、新3本の矢とやらが発表されて半年も経ってやっと、 しかも「たったこれだけ?」のレベルではないか。 4%というのは月給25万円の人で1万円ということなので、まあ、そのレベルの改善ということだ。 民間の他の分野の平均給与から月5万円くらい少ないなどと言われていることからすると “雀の涙”感は否めない。 そもそも、保育問題に関する政府の姿勢に根本的な問題がありはしないか。 例えば、保育士の給与の官民格差の問題は昔から存在した。 しかし以前は、民間の保育園でも「賞与はともかく月給だけでもなんとか公務員並に」と目指す気概が それなにり存在したように感じていた。(もちろん、そうはいかなかったのだが) ところがある時期から、多分、小泉行政改革で保育園の民間委託や民営化が進行するなかで、 だと思うが、そういうムードはなくなってしまったように感じる。 保育園の運営費の大半は人件費だ。 「金がかかるから民営化する」ということはすなわち、「保育士には市役所の保育課や市民課や 商工振興課の職員と同じだけ給料を支払う必要はない」という価値判断を前提とする。 そういうムードは保育という仕事の価値をおとしめる方向に働く。 加えて保育園運営に株式会社の参入が加速してくると、保育士の待遇はより低下していくことになる。 保育園運営費(という補助金)の中でなんらかの方法で会社に利益を残さなければならないとすると、 保育士の待遇を削ることは必須だ。賃金額をさげるだけでなく、非正規化したり、 少ない職員をグループ保育園の間でたらい回しにして人数のつじつまを合わせたり、 そういう実態も方々で明らかとなっている。 保育士になった人は夢を持って勉強して資格を取ったのだと思うが、 今は保育士という仕事は、“割に合わない”厳しい仕事になってしまっているのだ。 このように、保育士の劣悪な待遇は、政府の施策によって作りだされてきた側面が大きいことを、 ここで声を大にして指摘しておきたいと思う。 こういう事が許される背景には社会における保育という仕事に対する認識不足いうか、 「子守程度」という誤った認識がいまだに流布している事も影響しているのではないかと僕は考えている。 「職業に貴賎はない」と言いつつ、人はとかく順列をつけるものだ。 例えば学校の先生と保育士を比較したとき、知らず知らずに保育士を低く見る人は少なくないのではないか。 けれども、どちらも専門職でそれなりの知識を身につけて資格を取得している。 どちらも同じく子どもを育てる仕事であり、むしろ保育士は対象年齢が低く、 言葉が通じない相手とコミュニケーションを取っていかなければならない。 どちらがどうということではなく、尊敬されてしかるべき職業ということだ。 最近はまた特に難しくなっていると思う。 前回も触れたが、統合保育や障害児の受け入れ、 グレーゾーンと呼ばれる(今もそう呼ばれているのだろうか?)子への対応、食物アレルギー、服薬の希望、 そうでなくても少子化の影響か、自分の子に過度に関心のある親も増えているように思う。そういう場合、 細かいことでも気にしすぎたり、園や保育士へのクレームにつながりやすい。 そしてもちろん、保育園にだってモンスターペアレントはいるし、 親とのコミュニケーションもいろんな意味で難しくなっている (つまり、親にもコミュニケーションの得意でない人がいるし、物理的に早朝から夕方遅くまでの勤務で なかなか顔を合わせて話ができないというケースも増えてると思う)。 それから保育時間も長くなってシフト勤務も増えているだろうし、 保育園が地域の子育て支援センターの役割も担うようになっている。 そうでありながら、近隣住民からのクレームや嫌がらせが増加傾向にあるのも事実だ。 そんなわけだから、保育士はとてもではないが「子守程度」の仕事なのではないのである。 それだけに、やり甲斐のある仕事であるとも言える。 僕たちが合研合研といって熱をあげている夏の集会であるが(全国保育団体合同研究集会のこと)、 全国からたくさんの保育士や保育関係者が集まり、講演を聴いたり分科会で実践交流したりする。 例えば日頃の保育で突き当たった悩みや困難、克服の試みなどを発表して意見交換して共有する。 そこで学んだことを自分の園に帰ってきて実践してみる。 魔法のように良くなる事はないにしても、少しでも子どもの様子が変わった、 給食を食べてくれるようになった、保護者とコミュニケーションがうまくいくようになった、 そんなことがあれば、それが「やり甲斐」になっていく。 保育士という資格に経験やスキルが蓄積していく。 結論として、保育士の待遇改善に関して政府に求められていることは、1万円程度月給をあげることではない。 保育士という職業を保育士がプライドを持ってり続けることができるような職業にしていくことであり、 それには当然ながらそれ相応の収入や待遇が伴わなければならない。 そして、「子守り程度」という社会の認識がいまだにあるのだとしたら、 それを払拭するための何らかの施策が必要であるとも思う。 とにかく、保育の量だけ増やす今の政策は安かろう悪かろうの保育をもたらす。 それは何よりも子どものためにならないし、親のためにもならないし、 そこで働く保育士のためにもならないのである。 |
保育や給食に関すること
[ リスト | 詳細 ]
|
街頭署名イベントがいよいよ明日(厳密には今日)に迫った。 心配された天気だが、なんとか開催できそうな予報だ。 この日に向けて、公演を借りたり近隣にごあいさつに行ったり、 警察に道路許可を取ったりと準備を進めてきたが、 当日開催できるということが何よりの報いとなる。 物的な準備と並行してホームページの改訂も進めてきた。 今年度になってから、運動の基本方針である「公立保育園で行こう!」「古谷保育園建て替え問題」 の二つのコーナーを増設し、「子どもたちの大好きな給食」のコーナーを構想してきた。 前者二つは6月28日の宣伝日を目標に設置、実現。 給食についてもなんとか街頭署名イベントまでに、と準備してきた。 こちらは給食担当の事務局員との共同作業で、 お互い忙しいのでなかなか進まず、また、打ち合わせも結果的には不足していた中で、 まあ、なんとか公開できるレベルにまでこぎつけた次第だ。 もちろん、今後もっと充実させていくつもりではあるが、 とりあえずは公開することに意義を見出している。 何事にも目標としての「締め切り」というものが必要で、 それがなければ「いつかそのうち」という実現不確定なものになってしまいがちだ。 今回、二つのイベントを締め切りとしたのもそういう意味がある。 とりわけ、外(一般市民)にむけて宣伝する日だから、 日頃は保育園の中ですらあまり意識されない僕たちの存在が、 公衆の面前に現れることになる。 配布するチラシにもホームページのURLを記載しているから、 ひょうとしたらホームページにアクセスしてくれる人がいるかもしれない。 その時に、チラシや街頭アナウンスの内容に上乗せした情報を提供できればいうことはない。 そういう意味で、明日を前にひと仕事終えた気分である。 さあ、夜も更けたので寝るとするか。 |
|
今日は春のような陽気だった。 保育園では卒園式の準備が進んでいる。 玄関から2階の5歳児クラスまでの廊下、階段、そして奥のホールまで、 春らしい飾りや子どもたちの作った製作物など飾られている。 卒園式の当日にはホールも華々しく飾られることだろう。 しかもこれらの装飾は、華々しくはあるが、 同時に厳かである。 それは卒園式、入園式といった人生でも節目にあたる式典にまつわるものであるという、 こちらの気持ちの持ち方も影響しているのかもしれないが、 やはり式典を準備する先生方の気持ちが投影されたものではないかと思う。 こういう形で飾りつけされると、子どもたちも気持ちが華やぐだろうし、 何よりも卒園する5歳児クラスの子どもたちは誇らしいだろう。 自分の製作物が飾られ、一人一人ちゃんと名前が付けられている。 もう、そういうことが理解できる歳になっている。 うちの園の卒園式は今週末の土曜日だ。 家人が休みが取れたので、今年は僕は仕事優先ということにしている。 子どもの卒園式くらい休んでも、とも思わないわけではないが、 なにしろ物入りな時期である。 お金を稼ぐことで子どもたちの育ちを支えることも大切だ。 卒園式の様子はまた、四女が話をしてくれるだろう。 最近はビデオの収録をプロに頼んでDVDを買うというスタイルが すっかり定着した感がある。 次女の時、つまり6年前は結構もめた覚えがある。 家庭用のビデオカメラがいよいよ普及してきて、 運動会といい卒園式といい、“子どもいる所にビデオカメラ持ったお父さんあり” の状況を呈していた。 全体の中で何人かが撮っている、というくらいのうちならさほど問題視されなかったのだろうが、 みんながみんなということになると、式典なのだか撮影会なのだかわからないような様相になる。 それで、皆さん自分の子どもを少しでもよく撮りたいから場所の取り合いみたいにもなり、 せっかくの式典が…という状況も危惧された。 そんな背景もあって、その時はビデオ撮影はプロに頼むことにして、 「保護者は式典に参加することに集中しましょう」ということになった。 ただ、ビデオを撮ったり編集したりを趣味にしているお父さんがいて、 「どうしても自分で撮りたい」という。 それですったもんだした挙句、 「自分で撮る人はDVDを買ってはいけない。DVDを頼まない人は他の人にコピーしてもらってはいけない」 というようなルールで落ち着いたと記憶している。 もちろん、軽く禍根が残った。 その当時、他の園や自治体ではどうなのだろうと、何人かの保育者に訊いてみた。 やはり、園側には「卒園式は園の大切な式典。子どもたちを厳かに祝福したい」という気持ちがある一方、 「わが子の成長の記録を残したい」「式に参加できない親族にも見せてあげたい」 という保護者の思いも理解できるしで、はざまで戸惑っている様子がうかがえた。 撮影エリアを定めて行っている園、保護者と話し合いをして撮影は園で行うことにした園、 様々苦慮してやっているようだった。 僕はその年はDVDを頼まなかった。 そこまでビデオに思い入れがあるわけでもないし、 何より、ビデオがなくても「豊かな語りの世界」があるだろうと思ったからだ。 参加できなかったおじいちゃん、おばあちゃんにも子どもが語って聞かせればいい。 そして今年もまた頼まなかった。 僕は保護者活動はよくする会の活動で精いっぱいで、 自分の園の保護者会やクラスの集まりなど何も参加できていないから、 クラスの皆さんが話し合って決めたことならそれに従おうと思っていた。 撮影はプロに頼むらしいがDVDの購入は任意というのでそれに甘えた。 たかがDVD一枚とはいえ、プロに頼んで頭割りとなると結構な金額になる。 うちみたいに子どもが多いと、少ない予算をどのように有効に使うか、 シビアな選択をせざるを得ない。 しかも、「記録記録」といっても、僕だって子どもたちの記録をすべて墓場まで持っていけるわけではない。 そして、普通に子どもたちより自分が先にあの世に行くと想定すると、 自分が生きている間は、過去の子どもたちの思い出より、 現在進行形の子どもたちの人生と付き合っていくことに忙しいはずだ。 まあ、そうそう昔のDVDをみて懐かしんでいる暇はないだろう。 僕は写真を撮るのが好きだから、 時々、昔撮った写真を見てみる。 そうすると、その頃の子どもたちのかわいかった様子を、 おぼろげながらでも思い出すことができる。 それくらいがちょうどいいと思っている。 |
|
今日はひな祭り。 保育園でも子どもたちが蛤の貝殻でお雛様を作ってきた。 今朝、四女を送って保育園にいったら、 階段の踊り場に素敵に飾られていた。 乾いた日々の中で、こういう光景は親にとっても一つの潤いである。 そして、子どもたちにとっては、この製作一つとっても どれだけ大きな意味があるか、多くの人に知ってもらいたいとも思っている。 というのも、一つには保育と託児とを履き違え、 保育の重要性を理解しない社会状況がある。 そうすると、保育の基準を下げても保育園(という名の託児所)をたくさん作って、 ジャンジャン子どもを預かればいいとか、 駅ビルの中に(悪くすれば高架下に)託児所を作れば通勤に便利で親は助かる、 みたいな話が出てくる。 話が出てくるだけではなく、「民営化してコストを下げよう」という意見が強くなる。 この発想も、根底には保育や幼児教育への無理解がある。 そしてもう一つは、保育園に子どもを預けている保護者の中から 「文字や計算を教えてほしい」という要望が不断に出てくる。 教育産業の攻勢や宣伝などで親が不安になるのも仕方がないとは思うが、 そういう心配は要らないのだということを知ってほしい。 このお雛様は子どもたちにとって、 保育園生活最後の大きな製作となったはずだ。 もちろん、だからといって担任の先生がとりわけ難しい課題に 取り組んだということもないだろうと思う。 けれども、子どもたちが保育園に入園して、 自然にこれだけのものが作れるようになるわけではない。 日々の遊びや生活の積み重ね、保育目標に従った活動の積み重ねを続けて、 ここまで成長してきている。 このお雛様の場合、“自由に画用紙に絵を描く”“粘土で好きなものを作る”という課題と違って、 目標となる形が提示されて、それに向けて製作をするタイプだ。 出来上がりの形をそれぞれ想定しながら、細かいところでは多少の想像力発揮の余地もあるにしろ、 想定どおりの形になるように作業を進めていく。 細かい作業だ。はさみも糊も、これまでの製作以上に慎重に扱わなければならない。 貝の曲面にあわせてきれいに紙や布を貼っていく。 緋色の絨毯には多少の針仕事もあるようだ。 顔の表情だって、ペンをきちんとコントロールしなければ、 思っているようにはならない。 始める前の構想力、途中の作業のスキル、出来上がったあとの達成感。 製作の途中ではお友達と教えあったり、道具の貸し借りをしたり、 わからないところを先生に訊いたりといった共同作業もあるだろう。 そして、このような製作や行事を通じて日本の四季折々の習俗を知り、 これらを楽しみ、楽しみにするという習慣も自然と身についていくのではないか。 「日本を愛する心」などと大上段に構えて道徳教育しなくても、 子どもの頃から素肌感覚としてふるさとや日本を愛する心が身につくはずだ。 就学前の段階でこれだけのものが作れるようになっているということは、 基本的には小学校に上がって教科の学習をしていくための基礎的な力がついているということだ。 そのための集中力や落ち着きも身についていなければ作品は完成しない。 だから、わざわざ文字を教えるとか英語を教えるとかで、 子どもたちの貴重な成長のための時間を奪うことは、 僕はやめた方がいいと思っている。 同様に就学前の“幼児教育”を教育課程に組み入れていくような考え方にも 到底賛成はできない。 ただ、保護者も保育園での活動の意義について気づかないから声を出してしまって、 場合によっては「市民の声」に弱腰な今の行政の風潮で、 おかしな形で保育現場に圧力がかかるのではつまらない。 あるいは、そういう声を都合よく利用して、 教育の形を変えてしまおうという流れもないことはない。 (これについてはまた継続して論じていこうと思っている) 要するに、この小さなお雛様の中にとてもたくさんのことが詰まっているということを、 一人でも多くに人に知ってもらいたいなと思っている。 そうそう、先日お伝えした「川越市子ども子育て会議」の公募委員 (正確には川越市社会福祉審議会児童専門分科会の公募委員) への応募の件だが、つい先日、福祉推進課から選出の通知が届いた。 僕のようなうるさい人間でも排除せずにちゃんとメンバーに入れて 子どもたちの未来を切り開いていこうというのだから、 川越市もなかなかのものなのだ。 最近また、子どもたちが犠牲になるような悲しい事件がいろいろと起こっているところでもある。 保育園児はいなくなってしまうが、保育園には10年以上いたし、 今は小学生と中学生の現役の親である。とてもひとごとではない。 ほかの委員さんたちともしっかりコミュニケーションをとって、 川越市の保育・子育て施策を少しでもいいものにしていきたいと思っている。 |
|
先日の文化行事の日、 オペレッタ劇団ともしびの「おもしろどんどん」公演についてブログで報告したが、 翌日曜にさっそく、劇団の方からメール。 ブログ記事を劇団のホームページの掲示板でシェアしたいというお申し出。 もちろん快諾した。 このブログもコツコツと書いてはいるが、 それほど訪問者が多いわけではない。 少なくてもちゃんと読んでくれる人が大切なのだが、 一生懸命書いている以上、一人でも多くの人に読んでいただき、 「そうだそうだ」 と、共感の輪が広がることを願っている。 今日は節分であったから、季節はいよいよ春へと向かう。 四女は保育園で年長組なので、今日は手分けをして鬼となって下のクラスを訪問したようだ。 昨日、先生からのお便りで、下のクラスをどうやって怖がらすか、 グループごとに話し合いをしたと書いてあった。 つまり、小さいクラスにはあまり恐ろしいことはできないし、 かといって年中組くらいだと、ちょっとやそっとじゃ、 ということではないだろうか。 みんな、ずいぶんと話し合いが上手になったと書いてあった。 うちでも今日は豆まきをしたはずだ。 僕は遅くまで仕事だったから参加できなかったが、 一応、今のところは恥も外聞もなく豆まきができている。 最近はそういうことをやるお宅が少なくなったからか、 (というか、付近のお宅もお子さんが大きくなってしまっていたり) うちがやっていると、物珍しそうに窓から見物される。 それでちょっと恥ずかしいのではあるが、 案外、皆さん懐かしさ半分、うらやましさ半分ということなのかもしれない。 うちも子どもが小さいから大きな声で 「鬼は〜外!」 とできているが、 子どもたちがみな成人して家を出ていった後、 老夫婦だけでやるというのもしり込みしてしまいそうだ。 それから、本当なら今日は、 四女の小学校入学の説明会があった。 もう四人目だから目新しく聞くこともないし、 そんな暇があったら1円でも稼がないといけないから当然欠席した。 で、どうしても避けて通れないのが学用品販売だ。 今日は業者が来て販売をするので、 必要な人は買ってください、というわけだ。 それで昨日の朝のうちに保育園で同じクラスのママに頼んでおいた。 そういうつもりで申込書に○をつけてお金も準備して保育園に行ったのだ。 誰でもいいから同じ学校に行く人に頼もうと思っていたら、 首尾よく、「行ってあげるよ」と声をかけてもらった。 前々から家人もそのママに声をかけておいたようだ。 そのあと、ほかのママと立ち話になった。 「学用品販売は皆さんどうしているのでしょう?」 という話題だ。 鍵盤ハーモニカなど、どうみても量販店で買った方が安いようだが、 ほかの子と違うようだとわが子がいやな思いをするかもしれないし、 と、ちょっと切ない親心に触れてしまった。 「いや〜、あんなものは無理に買わなくていいんですよ」 と、調子に乗って教えてあげた。 一応、学校でも「指定」というのはノートとか一部のものに限られていて、 家庭で調達できるものや上の子のお古がある人はそれでもいいことになっている。 しかも、今は100円ショップとかで買えるものも多いから、 クラスの子どもたちもいろんなものを使っていて、 特に学校が推薦したものでなければ恥ずかしいということもないのだ。 長女の時は鍵盤ハーモニカはヤフオクで中古を安く落札して、 吹き口だけ新しいものを購入した。 あと、今後も、お裁縫セットだの彫刻刀セットだの、習字道具だの、 いろいろと封筒が回ってくるけど、 うちではかわいい模様のバッグだけ学校出入りの業者で注文して、 中身はお古や安く調達したもので済ませていると教えてあげた。 それで十分なのだ。 こちらも貧乏なのに、出入りの業者だけにたくさん儲けさせることもない。 確かに、僕が小学校の頃なら、違うものを使っていると恥ずかしかったが、 子どもたちにきいても全くそういうことはないようだ。 しかも、使うのはほんの一瞬だから、 それほど高いクオリティが求められるわけでもない。 クーピーなんか、どこで買っても同じだし。 そんなこんなで、毎日いろいろある。 たくましく生きないとね、貧乏人は。 あ、そうそう、このページの写真は 四女の年長組で作ってきた鬼の面だ。 保育園も予算がないから粘土を買うことができなくて、 紙の何とかで作ったと、担任の先生が言っていた。 いやあ、立派なものですよ。 子どもたちも、よくも思い思いにこんなお面が作れるなと、 感心しながら眺めてきたのだ。 |





