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ここ数日、くたばっていた。 喉が痛くなり熱が出てだるくてしょうがない。 とはいえ仕事も休めないので無理をして出勤し、 あとは可能な限りで寝ていた。 帰宅してちょっと一休みと思って体を横たえると そのまま深い眠りにはまり込む。 嫌な汗が出て気持ち悪くて目を覚ますが、 まあ、とにかく寝ていた。 今日は何とか持ち直してきて喉はまだ枯れているが、 とりあえずは普通に生活をしていられる。 今週末によくする会の委員会を控え宿題が山積、だったので、 本当は寝たいところを我慢して山ほど文書を作った。 いや、山ほど、というのは大げさすぎか。 そんな、文書を作った程度ならわざわざ眠い目をこすって ブログを書き進めるほどの価値もないのだが、 今日は二つほど嬉しい便りがあったので更に無理をしている。 一つ目は麦っ子保育園の保護者の方からメールをいただいたこと。 なんでも、園側から市に提出した「あっせん依頼」に対し、事業主である大倉の側が 応じる構えを見せたというのだ。 ふじみ野市では建築などで当事者間に紛争が生じた場合に市が間に入る制度があるのだ。 もちろん、強制力があるものではないだろうから、あっせんに応じたからといって すぐさまこちら側の要求が微塵たりとも受け入れられるという保証はない。 しかし、これまで業者に説明をまかせっきりにして自らは全く姿を現さなかった大倉が 保育園側と交渉のテーブルに着くというのだから大きな前進といえるだろう。 さらにもう一つ、ふじみ野市議会の全市議が市長あてにこの件で「要望書」を提出したというのだ。 たかだかちっぽけな保育園のために、会派を超えて全市議が一致して、 というのは極めて珍しいのではないだろうか。 ましてや建築などには様々な人の利害や利権がからみ、なかなか 正面切った意見が言えないという議員さんも多いはずだ。 にもかかわらず、ということは、それだけ状況がひどい、ということがいえるだろうし、 もしかしたらふじみ野市の誰にもメリットのない建築計画である、 ということなのかもしれないし、 斜にかまえずに考えれば、それだけの人を動かすだけの運動を、園や保護者たちが やってきたということでもある。 こちらも当然、「要望書」を出したにすぎないし、 市長とてやみくもに建築許可を下ろさないなどということができる訳もないから、 法的な意味での強制力があるわけではないが、 少なくとも全議員が「要望書」を出すような建築計画として、 市の条例の中での取り扱いをすることになるのではないか。 (ふじみ野市の条例で、細かいところは失念してしまったが、事業主や設計者は 住民と良好な関係を保つ努力義務だとか、環境への配慮義務だとかが課されている。 このような配慮がなされていないから「要望書」が出された、ともいえるのではないか) そんなわけで、すぐさま実効性のある何かがなされた訳ではないにしても、 運動としては確実に前進して成果を得ているというべきである。 嬉しい便りの二つ目は、四女のクラスのお母さんからのものである。 私信につき詳しい言及は避けるが、川越市の給食について思っていることなど綴ってあり、 このブログも見てくれているそうだ。 僕はそのお母さんとは面識がないのである。 折しも、今年度は給食改革がよくする会の活動の柱になっていて、 ちょうど文書を考えたり学習会を計画したり、いろいろやっていたところだったのだ。 そんなこと、そのお母さんが知る由もないだろうから本当に偶然なのだが、 その手紙だけでも大きな力を貰ったような気がしている。 今後、まだまだ長いお付き合いになるだろうから (なにしろまだ「うさぎ組」だ) 情報交換したり、活動に知恵や力を拝借したり、ということもあるかもしれない。 それはこれからのお楽しみということであるが、 少なくとも現時点ですら、これまで地道に活動してきた結果として、 このような出会いにつながったということもできるのだ。 過去の関連記事 川越保育をよくする会←ホームページはこちら(リニューアルしました) にほんブログ村←こちらもどうぞ |
保育や給食に関すること
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いつのまにか水田に水が張られ田植えの準備が始まっている。 尤も、今日から台風が来るとかで作業は逡巡気味だ。 昨日より梅雨入りということで今日も雨が降っている。 昨夜はほぼ徹夜の作業だったので正味2時間ほど仮眠。 それからひと仕事して帰ってきたところだ。 何しろ慌ただしい。 ただし、自分が自分であり続けるための最低限の活動は不可欠であって、 夜中のバイトに関しては状況により加減している。 昨夜は麦っ子保育園に出かけた。 先日、ここの保護者の皆さん(正確には園長も一緒だが)にお会いしたことに触れたが、 実はこの保育園で日照問題が勃発している。 麦っ子保育園とは、ふじみ野市にある小さな認可園だ。 裸足・薄着保育、和食中心のとてもこだわった給食、どろんこ、園舎の木の肌触り、 そして何よりも保育者のいっぱいの愛情を特色としている。 その保育園のすぐ南側の隣接する土地にマンションの建築が計画されている。 このマンションができればほとんど一日中、園舎と園庭が日陰になることになる。 つまり冬でもほとんど暖房をつけなですんでいる保育室はおひさまの恩恵にあずかれなくなり、 冬の園庭は一日中、じめじめと薄暗いかもしれない。 園にとっては保育理念の実現に大きな障害となりかねない事態であるばかりでなく、 子どもたちにとっては大きな環境の変化となる。 さらに念の入ったことに、建物に付随した立体式駐車場が、 本当に園舎すれすれに(図面上で30センチの距離という)建てられる計画だ。 騒音、排気ガス、さらに地震の際の車両落下や建物崩落の危険等、 おちおち園庭に避難もできないことになりそうだ。 事業主(大倉)は建築計画説明者に業者を立て、自らの口で何らの説明もすることなく、 建築計画の変更には一切応じない姿勢を崩していないらしい。 つまり建築基準法等に違反している訳ではないから建物を建てる権利があるという訳である。 保護者の皆さんはとてもアクティブに行動されていて、 インターネットで周辺の情報にあたっていて保育をよくする会のホームページに行きあたったそうだ。 それで連絡を取り合って、先日お会いした次第なのだ。 昨夜はその流れで、説明業者による説明会があり、 「一緒に参加して聞いてくれないか」とお話しをいただいたのだ。 僕としても多くのことができるわけではないが、これまでの運動の経験から 多少の知恵やアイデアは出すことができる。 べったりと行動を共にすることはできなくても、 つかず離れずで的を絞った行動はできるかもしれない。 それにしても「縁」というのは不思議なものだ。 この麦っ子保育園、元は「麦の家」という家庭保育室だった。 僕の長女と次女も、公立保育園に入れなくって暫くこの保育室に通っていた。 家人の職場に近いということと、保育理念に共感してのことであった。 だからこの活動は、一人の保護者として、あるいは一介の市民活動家として、 ということのほかに、僕にとっては麦の家保護者OBとしての活動という濃密な意味がある。 企業には企業の理念があり、彼らのマンション建築にも彼らなりの正義がある。 それはそれで認めよう。 しかしこの人間社会では、法律に違反しなければ何をしてもよいという訳ではない。 僕たちは僕たちの正義を堂々と主張しよう。 マンションが建てば困ること、子ども達の生活に大きな支障が出ること、 たった定員60名とはいえ、これからこの保育園で生活を送る多くの子ども達の共通の問題、 ふじみ野市の市民を健全に育てるという一大事業に、ぼっこりとへこみができてしまった問題。 今、子ども達を目の前にした大人たちが立ち上がらなければ、 企業のいう正義の前に屈していたとしたら今後心の片隅に引きずってしまうであろう問題。 僕たちの主張には大義がある。 昨日の説明会での保護者や保育士の皆さんの発言を聞いていて、 確実に同じ気持ちを共有できたし、それぞれの得意分野や経験をうまく生かして活動されている姿勢に とても心強いものを感じた。 そんな次第で、この問題についても折に触れて論じていきたいと思う。 このブログを読んでくださっている皆さんにも、 何らかのご支援をいただけるとありがたい。 心の中で応援して下さるだけでも大歓迎だ。 川越保育をよくする会←ホームページはこちら(リニューアルしました) にほんブログ村←こちらもどうぞ |
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今日の毎日新聞の一面に保育「新システム」の問題、象徴的には幼稚園と保育園を一つにして 「こども」園とする問題について記事が載っていた。 この手の記事はどういう角度から問題を切り取るか、どういう立場で問題を見るかによって、 全く記事の内容が異なってしまう。このことは報道(というか表現)に内在するものゆえ、 ここでは問わないことにしよう。 だが、事実と異なる、あるいは著しく誤解を招くような記述は、全国紙として問題ではないかと思う。 記事の最後にこういう記述がある。 「幼稚園と保育所は縦割りによる二重行政の象徴。」 はたしてそうか。これでは仕分けされ合理化されるのが当然みたいではないか。 幼稚園は、親が子どもを家でみることが出来る場合においても、子どもに教育を授けたいから、 あくまでも「+α」として、教育機関として、文部科学省の管轄下に運営されている。 基本3歳児以上であり、午前中のみの通園である。 保育園は、親がいなかったり働いていたり病気だったりで「保育に欠ける」(児童福祉法24条)場合に、 子どもの福祉を図る立場から、子どもの生活の場として厚生労働省の管轄の下に運営されている。 乳児から5歳児まで、丸一日、長い子は12時間以上も保育園で過ごす。 それぞれ沿革も異なれば目的も異なれば要求される施設・人員も異なれば運営実態も全く異なるのである。 未就学の子どもが通っているというだけでいっしょくたにして「二重行政」と論断するのは無責任である。 「政府原案には幼稚園と保育所双方の関係者の激しい反発が予想され」(同新聞記事)るのは当然であり、 毎日新聞の記者にはもっとプライドを持った仕事をお願いしたいと思う。 さて、その「新システム」について、先週の金曜日の委員会ではちょっとした学習会を持った。 わずか1時間と問題に対しては不十分な時間だったかもしれないが、分かりやすく、問題点をかいつまんで、 疲れてる親にも入っていくようにと、講師の逆井さんには無理な注文を出しての学習会だった。 今日はその学習会から、さらに簡単になってしまうが少し述べてみたいと思う。 話がややこしくなるので、ここでは「幼保一元化」の問題には触れないでおこう。 これはこれで特有の問題があるが、「新システム」の問題の本質がそこにあるわけではない。 まず現行の保育制度、これは児童福祉法により「保育に欠ける」子については市町村に保育の実施責任がある。 国は保育所についての最低基準(子ども一人当たりに必要な面積とか、子ども何人に対して保育士が何名必要とか)を定め、市町村はこれを下回らないように独自に保育の基準を定め、その基準に適合する保育所に「認可」を与える。この保育所が公立である場合もあれば私立(法人立)である場合もある。 そして基準に適合して保育がなされているか、定期的にチェックもするし、保護者や保育者の要望に応じて保育水準や保育メニューを向上・拡大してきている自治体も多い。 保護者は市町村に対して保育の申し込みをし、保育料を納める。いわゆる「待機児童」というのは本来、この保育の実施責任のある市町村の保育サービスを、受けたいのに受けられずに入園を待っている子どものことをいう。保育料は応能負担(収入を基準に保育料を算定)である。 これに対して「新システム」は、介護保険制度や障害者自立支援制度をモデルとして作られており、市町村による公的な責任を著しく軽減する代わりに、民間によるサービス提供、提供主体(園側)と利用者(保護者)との間の契約関係による保育の実施を予定している。 市町村は「保育の実施責任」ではなく、「要保育度認定」をする責任を負う程度である。例えば「あなたは1日6時間まで」「あなたは1日8時間まで」というように。そしてその等級に応じて、その時間までは保育料について補助が出る(病院の支払いのように、何割負担という形で自分が負担する部分と、市町村が補助をする残りの部分が生じる)。その時間を超える部分については全額自己負担(10割)である。現在、病院にかかりたくても、あるいは介護を受けたくても、出費を節約して我慢している人が増えているといわれるが、保育の現場でも同様なことが生じうる。なにしろ、利用すればするほど出費が増える仕組みになっているのだから(応益、定率負担)。 保護者は、あたかも行きたい病院を自分で探すように、行きたい保育園を自分で探し、自分で契約しなければならない。これは、「選ぶ自由」があるように思えるが、現実には断られる回数が増え(何しろ待機児童が多数いる現実からすると保育園が足らないのだから)、また子どもの状態(例えばアレルギーがあるかないか、手がかからないか)、自分の経済状態(+αのメニューを負担できるかどうか)、何時間預けることが出来るか(園側にとっては長く預けてお金を落としてくれる人のほうがありがたい)、園に対してクレームを言わないか(面倒くさい親に係わっているような人的・経済的余力はない)、などによって選別される危険が増える。 「新システム」になって待機児がいなくなるというのは二重の意味があって、そのうちの一つは「市町村に保育の実施責任がなくなるから待機児をカウントする必要がなくなる」ということである。 これらは園の側からすると、保護者を選ぶ責任を負わされ、なおかつ料金徴収、効率よく利益を上げる経営など、これまで係わらずに済んだ仕事が増え、その分保育に専念できなくなることでもある。 子どもの側からするとどうなるか。 まず、1日のうちで保育者がコロコロ変わる可能性がある。登園する園児の登園時間や滞在時間、降園時間がまちまちになるから、園側からするとスタッフは最小限の常勤雇用と、あとは必要な時間だけの短時間のパート職員多数で回していくことになるだろう。 子どもにとっては1日のリズムがつかみづらい。これまでは基本9時5時で1日が規則正しく組み立てられていた。ところが、親の職業によって預けられる時間や時間帯が違う。お友達が来る時間、帰る時間がそれぞれ違う。保育者もコロコロ変わる。子どもどうしのコミュニケーション、保育者との信頼関係も、これまでのようなものとは全く質が違ってくるだろう。 当然、園の側も統一した行事が組みづらい。1日の保育も、1日の流れの中での組み立て(例えば午前中はお散歩に行き、午後は制作をする)などがやりづらくなる。常に子どもや保育者の出入りがあるのだから。 基準を「規制緩和」し、企業の参入なども促して多様な保育メニュー、適正な競争などにより、 待機児がゼロになって好きな保育メニューを選べるような、そんな言われ方もされているようであるが、 とんでもない。これまで保育者・保護者が国や自治体にも働きかけながら築きあげてきた子どものための砦を 足し算引き算の浅はかな考えから突き崩そうとするものであり、およそ受け入れる余地はない。 「幼保一元化」とも絡んで幼稚園関係者も保育園関係者も反対しているのは、それぞれが「子どもの最善の利益」のために努力して積み重ねてきたことを、ほとんど理解せずにくっつけようとしているからであり、決してそれぞれの世俗的な既得権擁護からのものではない(もちろん、経営者だって大変な努力をして来ているのであり、守りたいものはあるだろう)。 少なくとも国民的な議論を経るのでなければ、これほど大きな制度改革は容認されるものではないと思う。 学習会終了後は参加者から積極的に質問や感想などの発言があり、多くの参加者は「聴いて良かった」と 思ってくれたのではないかと思う。なかなか、普段の忙しい生活の中ではこんな身近なことでさえ 自分のこととして知り、考える余裕が持てない。 疲れた体で委員会に参加し、板の間畳敷きの上でじっと聞いているのは大変だろうが、 やっぱりみんなで考えていきたいというのが僕たちの思いだ。 さあ、これからもっともっと知らせていかなければならないし、「新システム」導入をストップさせるため、 出来ることはやっていきたい。 思いのほか忙しい秋になってしまっている。 過去の関連記事 川越保育をよくする会←ホームページはこちら(リニューアルしました) にほんブログ村←こちらもどうぞ |
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よりによって雨。 本当は今日は保育園の運動会だった。 二人の子ども達の晴れ姿を楽しみにしていたのでちょっと残念だ。 延期になった運動会は来週、週明けの火曜日。 まさか雨が降るとは思わなかったから、というか 連休明けの火曜はとても忙しいから休みをとっていない。 したがって、残念ながら今年の運動会には参加できないということになる。 この延期問題、去年も話題にしたような気がするが、 怨みがましく今年も話題にしよう。 うちの保育園では数年前まで、雨天の場合は近くの中学校の体育館で行っていた。 それが園長の交代とあわせて?雨天の場合は週明け平日開催と、突如決まってしまったのだった。 それは決定過程の手続きの問題(保護者側にはなんの相談も提案もなく)、開催期日の問題(平日開催) もろもろ合わせて当時、結構もめたのだった。 体育館開催のデメリットというのは、一つは中学校側の日程の問題、 そのほか当日、雨の中での荷物の運搬の問題、 なれない場所でのけがの危険や埃っぽい場所でぜんそく発作の誘発、 トイレが子ども向きでないなど施設的な制約、などがあると、今では整理できる。 あと、実際に僕の長女が1歳児クラスの時、体育館開催を経験したが、 雨天の板張りの体育館はとても冷えて、とても辛かった思い出がある。 まあ、それよりも何よりも、うちの保育園は川越の公立保育園の中でも恵まれた環境にあって、 園庭がとても広いので、この慣れた園庭でお日さまの下、のびのびと運動会を開催したいというのが 保育者としての希望であろう。それは保護者としても十分に首肯しうる。 他方で、平日休みの保護者よりも土曜休みの保護者のほうが圧倒的に多いのも事実で、 平日(とくに週明け)だと休みづらいという人も結構いる。 もちろん、最近は土日が必ず勤務で、むしろ平日のほうが休みやすいという人も増えてきたのも事実だ。 単純に多数決で決めていい問題ではないと思うが、延期の日時を週明けの平日とするのか、 それとも週を延ばして翌週、あるいは翌々週とするのか、という選択肢は依然残されていると思う。 基本は子ども達のための運動会。 子ども達にとってどんな環境で運動会をするのがいいのか、が一番大切だ。 だが、やっぱり子どもたちだってお父さんやお母さんに活躍する姿を見せたいし、 保護者だって子ども達のがんばる姿を見たいというのも当たり前の話だ。 もう既定事実になってしまった感もあるが、この件に関して議論が進展することを願っている。 そうそう、先週書き忘れたけど、学童の運動会、もし雨だったら、 今年は体育館が借りてあった。 小学校の体育館ではなくて(こちらは学校開放などもあって必ずという訳にはいかない) 多分、保護者の誰かの縁で、近くの企業の体育館を貸してもらっていたようだ。 やっぱり、こういう過程における努力、大人たちの気持ちや働きがとても嬉しいと、 僕は感じるのだ。 川越保育をよくする会←ホームページはこちら(リニューアルしました) にほんブログ村←こちらもどうぞ
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昨日、一通のメール便が届いて一冊の小冊子が入っていた。 以前、僕が役員をしていた団体の創立35周年記念の冊子であった。 僕も頼まれて一文を寄せたつもりであったが、どこを探しても見当たらない。 まあ、大体の様子は見当がつくが、今日一応の問い合わせをしてみた。 ほぼ想像通りの次第で抜け落ちたようで怒る気にもなれないが、 やはり読み手に伝える気持ちで書いただけに残念は残念だ。 ことに、僕は2006年の埼玉合研準備に関して書いていたので、 浅井春夫先生の文章と一緒に読んでほしかったなあと、浅井先生の文章を読みながら思ったのである。 浅井先生もほぼ合研準備に絞って一文を寄せられていた。 浅井先生は同研究集会の開催地実行委員長として、僕は集会運営委員長として、 二人三脚であの集会を準備した。夏になるといつも思い出すのだ。 一年あまりの準備は本当に大変だったが、ことに最後の1カ月は極端に睡眠時間も少なかったから、 眠くならないようにと決意して1日1食、それも玄米ご飯とみそ汁程度にしたのだった。 10日くらいで10キロ近く落ちたかなあ。それくらいストイックに活動して、 掲げた目標をすべて達成して埼玉で5000人、全国で1万人の有料参加者を迎えたのだった。 (いわゆる埼玉合研サプライズ) 3日目の最後、閉会集会では浅井先生を含め、ステージの上でみんな涙をこらえきれなかったな。 あれほどの規模の運動をやることは一生のうちでもそうそうはないだろうし、 自分自身も大きく成長できたと思う。埼玉の保育運動という観点でみた場合も計り知れない財産を得たと思う。 そんなことをあらためて思い返しながら文章を書いたのだったし、 浅井先生の文章を読みながら、昨日はまた思いを新たにすることが出来たのだ。 あの文章は…せいぜいニュースにでも載せられて配られるんだろうな。 今日はお米がなくなったので大橋自然食に行って来た。 おじさんは不在でおばさんと話したのだが、 「料理教室はまだやらないんですか?」と尋ねられた。 僕は僕で始めたいとは思っているんだが、他方、お客さんの中に料理を勉強したいという人もいるらしい。 もちろん、お客さんで料理教室を持っている人もいるにはいるんだろうが、 自然食といってもいろいろ流派があるし、僕だったら気心が知れているというのもあるかもしれない。 いろいろ話しているうちに、公民館で月に一度くらいから始めてみてもいいかなあ、なんて 思い始めた。毎週だと第1回までに相当準備をしないといけないし、生徒さんを集めるのも容易じゃない。 月に一度くらいから緩やかに始めて、生徒さんにも月に一度だから何とか都合付けてもらって、 みたいな感じならハードルが多少低いかもしれない。 リマでは本当にたくさんのことを学ぶことができ、伝えたいことはたくさんあるのだ。 お米を炊くこと一つをとっても学ぶべきことはたくさんある。 そういうことを含め正統派のマクロビオティックを基本からきちんと伝えていくことはとても大切だと思う。 スキルもさることながら考え方、ものの見方がとても大事で、スキルはよりよくそれを達成するための手段である。 そんなわけで、もしかしたら秋口くらいから開催できるようにちょっと動いてみるかもしれない。 それと、会員の方からメールをいただき、給食研究会のほうにも参加してみたいということだった。 やった!これでこの方を含め、一般会員からの応募が4名である。僕を含め事務局からの参加もいれると 結構いい感じの数になりそうだ。 実はこの間も第1回を開催しようと考えていたのだが、僕も事務局メンバーもバタバタと忙しくしていて 提起しきれていなかった。唯一、公民館をインターネットから予約できるように登録してきただけで止まっている。 こちらもおそらく、参加できる時だけの参加という人もいるだろうが、 とにかく始めてみて皆さんの声を聴きながら方向性を出していくほかないだろうと思う。 僕も相当勉強しないとな。 というわけで、昨日今日と自分が大切に思っていることの根幹に触れるようなことが続いて起こって、 また気持ちを新たにしているところである。 川越保育をよくする会←ホームページはこちら にほんブログ村←こちらもどうぞ
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