会長うたかた記

日々の子育てを楽しく、日々の生活を快適に

保育や給食に関すること

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命の重さ、大人の常識

昨日(月曜)子ネコが死んだ。
といってもうちで飼っているネコではない。
飼おうと思っていたネコである。

土曜日に子どもたちともども桑原さんの家に行ったおり、
桑原さんに保護されているネコと出会った。
なんでも庭先で鳴いていたそうで、ひどく痩せて両目が目やにでつぶれている。
誰がどう飼うかはともかく、病院に連れて行こうということになった。
即入院。風邪を引き衰弱し、数日間何も食べてないらしいという。
退院までに誰が飼うか決めるとして、長女がどうしても飼いたいというので
その心づもりでいたのである。
夕方、桑原さんから急変して死亡の連絡があり、学童に長女を迎えに行って病院に駆けつけた。

その小さな痩せた亡骸はあまりにも哀しい。みんなで庭に埋めてやった。
生命は連続性あるもの。土に帰り、その土がまた新たな生命をはぐくむ。
子どもたちには大きな試練となったが、その小さな命のメッセージは受けとめてくれただろう。
せめてそう思うしか方法がない。

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明けて日曜日は埼玉保問協の総会。
年度総括や新年度方針案の審議などは、まあ、通り一遍のものだろう。
しかし加盟団体からいろいろな報告がなされ、問題提起がなされた。
ISA(赤ちゃんの急死を考える会)からは全国各地の保育事故の報告。
上尾の公立保育園保護者会連合会からは2年前の園児死亡事故についての発言。
そして、総会終了後の懇親会ではふじみ野のプール事故についても話題になった。

それらの事故に共通していえることは、
当事者(ひろい意味での加害者側)が真剣に事故に向き合っているとは思えない点。
まずは徹底して責任逃れ。上尾の事故にしても、市の調査報告は一応なされたが、
当の保育士達の中での真摯な総括はなされていない。
それがまた保護者たちの不信や反感を買い、保育士達との溝は深まるばかりである。

その侑人君のお母さんがかつて「侑人は教訓にされるために死んだんじゃない」と
発言されたと記憶している。
その通り。保育中の死亡事故など絶対に起こってはならない。
けれども、その起こってはならないことが起こってしまった今、
その事実に真摯に向かい合わずしてどうするのだろう。
保育士達も意気消沈し、精神的に追い込まれもしただろう。
それはわかる。でも、しなければならないことはしなければならない。
今それをしなければ、永遠にこの問題を克服できないだろうと思う。

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ふじみ野のプール事故では二人の市職員が有罪判決を受けた。
それに対して、組合を中心に減刑嘆願署名が出されたという。
言語道断である。仲間を思いやる気持ちはわかる。
でも、その前にすることはないか。
市の責任者として、なすべきことをなしていれば事故は防げたのである。
これは間接的にはどうあれ、民間委託した市のせいでも、予算を削った市のせいでもない。
「誰が事故を防げたか」。そこが最大の、そして中心的な論点である。
市民の幸福に奉仕すべき自治体労働者として、まずはそれを受けとめるべきである。
その徹底的な反省があった後にはじめて、仲間への思いやりもリアリティを帯びる。
こんな大人の常識も通用しない公務員達に市政の運営を任せて大丈夫なのか。
「大人が子どもを守らなければ誰が守るのか。」

僕は去年、長女が小学校に上がって以来、
6月にプールがはじまるのに合わせてお便り帳に書いている。
「プールの排水溝の確認をお願いします。」
それはわが子かわいさでやっていることではない。
大人として、子どもたちにしてやれることをしているのである。
それは些細なことかもしれないが、そうやって見守っていくしかないではないか。
今年の担任はとても真剣に答えを書いてくれた。
多分、僕がそんなことを書かなくてもきちんと点検してくれているには違いないが、
(あるいは僕がそんなことを書いてもきちんと点検してくれないかもしれないが、)
僕はあえてこれを書くことにしたのである。これからも。

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ネコの命と子どもの命と、一緒くたに論じているようで不愉快に感じられた方もあるかもしれない。
だとしたらお詫びしよう。

ただ、僕が言いたいのはそういうことではない。
命に向き合う姿勢というのは、多くの場合昆虫や動物と接する中からはぐくまれるものではないか。
そして小さな死に涙する感受性を育てたいと思う。
それは最低限のベースラインであって、大人の常識を獲得するにはまだまだ学ぶべきがたくさんある。
だとしても、この最低限のベースラインを欠いたとしたら、
その上に何を積み上げてもあまりにも不安定である。

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別れと出会いの季節に

昨日でガソリンの暫定税率が廃止となり、
今日から価格が下がるのかどうかが注目されていた。
行きつけのスタンドの前を通りかかると、なんと1リッター125円!
20円も下がっている。だが、さほどの行列や混乱は見受けられない。
このブログを書きながらラジオを聞いていると一部のスタンドでは混乱があったようだが。

実は僕も買い控えをしていた一人である。
それはそうだろう。満タンで千円くらい違ってくる。
仮に一月後にまた値上げされるとしても、
少しでも恩恵にあずかりたいというのが人情だろう。
買い控えをして下がったら満タンにして値上がり前にまた満タンにする。
ささやかな庶民の知恵であって、メガネをかけた誰かさんが危惧?しているように
安くなったからといってジャンジャン使うものではない。

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さて、今日は保育園の入園式・進級式であった。
うちも晴れてアキブーブーがミノと同じ保育園に転園できたので、
入園式・進級式に参加してきた。
式といっても堅苦しいものではない。時間にして30分くらいか。
職員や担任の紹介と歌程度のもので、保護者の参加は全く任意である。
それでも進級した子どもたちの晴れがましい笑顔や歌声、
わが子を初めて入園させた新米パパ・ママ達の嬉しそうな顔を見ていると、
やっぱりこういう行事は必要なのだと実感する。

そう、2年前だったかな、突然市内の公立園全園で入園式がなくなったことがあった。
園長会の申し合わせでそうなったらしいが、本当の理由は定かではない。
保護者から要望があったとか辞令交付の日と重なったからとか・・・。
まあ、何でもいいけど折々の行事は大切にしていきましょうよ。
そうでなくても世の中が緩んできて何でもありになってきている。
気候も地球温暖化で四季の境が曖昧になってきている。
子どもたちに季節感とか四季折々の節目の感覚とか、
そういうものが失われる方向に物事を決めるのは止めましょう。

式のあとは各クラスに分かれて、担任から説明を聞いたり保護者会の役員を決めたりした。
僕は3人目でもあるし、聞かなくてもそんなに困ることはないが、
それでも聞けば安心する。というか、説明を聞きながら担任の人柄とかやる気とかに触れて
その場がいくばくかの共通感覚に達し、自分がその構成部分になっている感覚に
自分の居場所を見つけるというというか。
初めて子どもを入園させた人たちはどうだろう。まだまだ居場所感は持てなかっただろうか。
このクラスがどんなクラスになるか、それはこれからの大人一人一人の関わりにかかっている。
僕も何かの役割は担えるだろう。

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家に帰ろうとしてミノと同じクラスのヒデくんに声を掛けられた。
かくれんぼの途中らしく、人気のないところに一人でいたということらしい。
「おうちに帰るの?どうしてミノのおうちは小さいの?どうして2階がないの?
僕のおうちは2階があるよ。」

子どもは残酷である。
が、僕は悪びれることもなく「そういう家に住んでる人もいるんだよ」と答えた。
格差社会が進行してきて、親の収入の格差がそのまま子どもの幸福感の格差につながってきている。
確かに僕の場合も、貧乏だから住める家に制約があるということに違いはない。
しかし、「家自体が小さい」ということ以外に、住環境については不満はない。

僕の場合、いわゆる「持ち家信仰」というものは無い。
借家で結構。というかいつ、どこで暮らすか、何をして暮らすか、一つに決める必要はない。
もしかしたら明日にも、縁あって他の土地に引っ越すかもしれない。
それはそれでいいじゃないか。人生を楽しもうと思う。

それから、分譲住宅地というのか、四角い土地にお隣さんとくっついて暮らすというのが
どうも性に合わない。今の家を決めたのも「無駄な土地が多い」という理想を
土地に関してはクリアしていたからだ。これだけ無駄な土地があれば家が小さいのは我慢できる。
車のガラクタを置いたり子どもたちと遊んだりするには無駄な土地がありがたい。
夏はビニールプールに水を張ると近所の子どももやってくる。
猫の額ほどではあるがサツマイモやカボチャを育て、収穫の楽しみも味わえる。
もちろん、休みの日は子どもたちが好き勝手に遊んでいる。
ダンボールで家を作ったり穴を掘って水を入れてどろんこにしたり。
除草剤など毒も撒かないので、虫や鳥やヘビやカエルたちも安心してやってくる。

あと、家はできるだけ平屋がいいと思っている。
たまに都心に出て高層ビルやマンションなどの建築物を見ていると「人間の技術はすごいなあ」
とは思うけど、自分で住むのはちょっと遠慮しておこう。
人間、地べたがいいよ。多分そういうふうに体もできているはずだよ。
2階の物干し台も素敵だけどね。

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金が無くては与えられないこと、金が無くても与えられること、
与えられるけど与えないこと、まあ、今許される環境の中でどういう選択をするかだね。

というわけで僕は好きこのんでこの家に住んでいるのだよ・・・。
ヒデくんともこういう話ができるときがくるだろうか。



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給食セミナー その2

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セミナー1日目のシンポジウム、僕なりに関連づけを試みようと思ったのだが、やはり難しい。それこそが現代日本における「食」をめぐる問題の難しさを表しているともいえようか。

まず中西氏(横浜市立大)の報告は「規制緩和」が食の分野に及んできていることにより、その選択が個人の責任(個人のニーズの裏返しでもあるが)に委ねられ、同時に「食卓の格差」とでも呼ぶべき現実が生じてきていること、さらに「ニーズ」に名を借りた各家族間の競争が子育ての分野で生み出されていることについての問題提起であったと思う。

次に西日本新聞社の佐藤氏。新聞記者らしく実態に鋭く切り込んで目に見える形で見せるというスタイルだ。大学生達の食生活の実態調査は1週間にわたって三度の食事を写真に納めたものの集積だ。驚きだが、まあ、こんなものかもしれないとも思う。ペットボトルの清涼飲料水にどれほど砂糖(糖質)が含まれているか?水俣病が社会問題化した当時、同じように魚を食べながら水俣病にならなかったのはどんな人たちか?などなど、会場も巻き込んでの進行で、現代人の置かれた食にまつわる実態を、一端であるとはいえ赤裸々に暴き出してくれた。

保育園栄養士の兼田氏は実際に子どもたちと120%関わっている現場からの提言。彼女の園では子どもたちが給食室に出入りして、また彼女も保育室に出入りして、かなり濃密に子どもたちと関わってるようである。川越の実情からはうらやましい限りだが・・・まだまだ出来ることがある、「子どもたちの育ち」を支えるために何ができるか、そのために給食室をもっともっと活用していきたいというアグレッシブな提言であった。

京都教育大の加用氏はある意味専門外の自分が「給食人」という雑誌を作る事に関わるに至った経緯の紹介とともに、司会進行も受け持たれていた。お話を聞いている間は「給食人」買って帰らなきゃな、と思いつつ、実際は他の本買ってしまって・・・。

そんなわけで1日目はなんとなく未消化な感じがしたのであった。

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2日目は基礎講座や分科会、特別講座に特別分科会と、盛りだくさんのメニューが用意されていて、正直いくつか迷ったのだが、結局食育基本法考える特別講座を選んだ。

こちらは1日目のシンポジウムに較べると、後で考えるとコンセプトは明快だった。まず中京女子大の新村氏による食育基本法批判と「食育」に関する歴史的考察、次に保育園栄養士を長らくやってこられた北方氏は、「食育基本法」の有無にかかわらず行われてきた保育の分野における給食に関する実践・運動を振り返っての提案、さらに玄海風の子保育園の若い調理師さん・保育士さんは、食を大切にする保育園ならではの独創的な取り組みについての実践報告と、園の様子を写真で紹介された。
すなわち、国家が大上段に構えて「食育基本法」を制定する以前から、脈々と給食に関しては取り組みが続けられてきたのであり、その流れの中で私たちが本当にやりたい「食育」と、国家主義的な「食育基本法」とはかなりの溝があり、そうはいいつつも「食育基本法」を実のあるものにするためには何が必要なのかみんなで考えてみようじゃないか、そんなコンセプトであったのだろうと思う。

参加者からもたくさんの発言や歌?の披露があったりで、講座としてはまずまずの成功であったと思う。
もうすこし具体的に書かないと内容についてはわからないだろうと思いつつも、あまり書いても読む方も疲れるだろうし、またの機会にしたいと思う。

全プログラム終了後、大半の参加者は三々五々家路についたが、残っている参加者で閉会式が行われた。この場で今年の実行委員会から来年の実行委員会への引き継ぎセレモニーが行われ、僕も埼玉からの参加者として引き継ぎを受けてきた。そう、来年は埼玉で給食セミナーだ。この給食セミナーにむけた取り組みを紹介する中で、また食の話などしていくこととしよう。

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久々にブログを更新するとなると何故か構えてしまう。
なぜ久々なのか言い訳したくなる。
「いや〜何かと忙しくて・・・」などばかばかしいからやめとこう。

先々週、2月2日と3日、全国保育所給食セミナーに参加してきた。
初参加であり、佐賀は武雄温泉での開催であったからずいぶんと思い切った話だ。

まず参ったのは羽田空港のセキュリティーチェック。
このご時世だから仕方がないが、やたら厳しくなっている。
もちろん、ホンモノのプロならあんなチェックなんともないだろうが、
こちらシロウトはたまった物ではない。
やましいところは何もないのに反応するんだな、センサーが。

「ここらへんに何かありますね」とジャケットのポケットあたりにハエタタキみたいな物を
当てられ、ゴソゴソ探り出すと「のど飴」である。(うん、無理してたんだよ夜更かしして・・・。)
「アルミの包装が鳴るんですよね・・・一応中見せて頂きますよ・・・。」
「あ、ここにも何かありますね。ネックレスですか?」
自分でも忘れていたが、マフラーの下にセンヌキを装着してたのだ。こりゃ鳴るわな。
センヌキといってもネックレスであり、でもホンモノのセンヌキだから結構な鉄の量なのだ。
ほかにも水筒の中のコーヒー見られたり、裁縫セットのハサミ見られたり・・・。
まあ、なんとか無事通過。

朝は始発電車だったから、機内ではウトウト。タイミングよく隣のコーヒーサービスで目が覚め、
まどろみながらコーヒーを飲んでる間に佐賀に着いた。「佐賀有明空港」というんだな。
バスで佐賀駅、そこから武雄温泉までは特急ですぐだ。
それにしても驚いたのは、JRからことごとく各駅停車が削られていてダイアは特急中心。
地元の人は基本的には車で移動するから電車は長距離を速く結ぼうという割り切りか。

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セミナー一日目は歓迎オープニング行事からスタート。
「こども面浮立(ふりゅう)」という、伝統芸能をアレンジした子どもたちの踊りに続いて
「柄埼太鼓」という勇壮な太鼓。幕が上がると裸の男達が太鼓と格闘している。
実は当日の参加者の9割以上が女性。「ドギマギしないのだろうか」と余計な心配をしてみる。
それから基調シンポジウム「子どもの食は大丈夫か」。4人のシンポジストの話はそれぞれとても素晴らしい。
ただ、内容も方向性もそれぞれであり、「どうやってまとめるのだろう?」と楽しみにしていたら
まとまらないうちに終わってしまった。

・・・まあいいや。そのほか、この日の収穫はにんじんジュース。
ロビーでビニール袋いっぱいのにんじんを片っ端からジューサーにかけて振る舞っている。
まさににんじん100%、添加物なしのにんじんジュースであるが、これが甘い。半端じゃなく甘い。
どうやら有機肥料を用いて土作りからこだわっているグループのにんじんだそうで、
「本当のにんじんって、こんな物だ!巷に出回っているものはニセモノだ!」
と主張しているようだった。

一日目終了後、雨の中をホテルへ向かう。
この町、温泉町なのに思いの外さびれている。というと地元の人には怒られそうだが、
これは決して悪いことばかりではない。さびれていないところというのは、
ともするとのっぺらぼうの街になってしまう。勝ち組のチェーン店が軒を連ね、
どこへ行ってもショーウインドウの中身は同じ。
そんな街が日本中にあふれている昨今でもある。
これからは地方の時代というのだから、その地方の行き方をみんなで考えたらいいだろう。
みんながみんな、中央を向くことはないのだ。
また、どこでもが繁栄してビルが立ち並ぶというのもどうだろう。
あまりお金に操られずに、住民が暮らしやすい町を育てていくということはできないだろうか。

さて、ホテルに着いてから荷ほどきし、再び雨の中あるいて温泉街に向かう。
ホテルのサービスで温泉の入浴券をもらったからでもあるが、元来、僕は温泉が大好き。
それも最近乱立している日帰り温入浴施設ではなく、地元の人が大事にしてきた古い温泉がいい。
この武雄にもそういういい温泉が残っているようである。
雨の中地図を見ながらトボトボ歩いていると目の前に朱塗りの楼門が闇に浮かび上がる。
なにか昔読んだSF小説みたいに、街角を曲がったら空間と時間の軸がスリップして、
突然知らない異境に紛れ込んだような感覚を覚える。
これはすごいな。昔、今ほど交通機関や情報が発達していなかった頃にここを訪れた人たちは、
やっぱり桃源郷か竜宮城かに迷い込んだような気持ちになっただろうな。
そんな時代の感覚を味わいたくて、僕はときどき知らない町の知らない街角を歩き回るのであるが。
今回は研修目的ということもあってあまり余計な期待をしていなかったが、
思いの外心揺さぶる体験をさせてもらった。

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少し熱めの湯につかりながら、今日の一日、明日の計画など思いをめぐらす。
聞くともなく「・・バイ。・・バイ。」と飛び交う九州弁を聞き旅情にひたる。
旅はいいなあ・・・。

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ここに来るまで飲食店もほとんど無かったし、ここで何か食べておこうと、入浴後、楼閣の足元にある
食堂に入る。
旅に出ればその土地の味覚を味わいたいというのが人情だが、僕の場合は食べられるものに制限もあり・・。
関東近辺では見かけない「丸天うどん」を注文。
店のご亭主が「出前の注文が入っているけどあなたの注文を先に作ってあげましょう」
という意味の事を九州弁で言ってうどんを作ってくれた。
う〜ん、ウマイよ。丸天うどん。さつまあげの大きい版みたいなのが甘めの汁に浮かんでいる。
体もあたたまり十分満足して店を出る。
待合いタクシーの運ちゃんが「乗っていくんだろ?」と期待しているようだったが、
写真を撮りたいからタクシーには乗らない。
街を見ながらホテルまでの散歩を楽しんだ。

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続きはまた今度。

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転職の行方

日曜日の読売新聞に「人物語」という連載コラムがある。
先日は「保育士目指す数理物理学者」というタイトルで宇都宮大学を定年で退官し、
保育園で用務員をしながら来年の保育士試験合格を目指している
浅野功義(なるよし)さんという方の物語が綴られていた。

浅野さんは幼少の頃、両親が農業で忙しく、周囲に同年代の子どももいなかったことから
一人で木工細工の船や飛行機を作るような子供だったそうだ。学校へ上がっても友達を作らず、
高校ではラジオ作りに没頭、物理学に興味を持ったことから大学進学、研究の道へという人生をたどる。
大学では朝から晩まで研究室にこもり、自宅に帰っても書斎にこもるという生活から離婚も経験。
人と関わるのは時間が惜しくて嫌だったそうだ。

ここまで読むと「こういう幼年期を過ごすとこうなりがちなのよね」という声が聞こえてきそうだ。
しかし、こういう人は死ぬまでこういう人格であるのが多くの事例ではないか。
ところが浅野さんは違った。同僚の教育学部教授に誘われ幼児教育の研究会に参加したことがきっかけ。
もっともそのころから複雑な現象の解析に、奇抜な発想でとらえ直すとうまくいく、というような
体験をし、「創造性とは何か」というテーマに指向が向き始めていたらしいが、
子どもたちの常識にとらわれない自由な発想、創造する心の働きの虜になってしまったというわけだ。
「ああ、この人もハマっちゃったんだな」と、ある人の顔が思い浮かんだ。

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今年の11月11日、「埼玉保育のつどい」が開催されたが、この午後の分科会は保護者でも
一企画持つことになった。主としては保護者向けに楽しく学べる企画を。
いろいろと考えたが、木村利行さんという人に「遊びの学校」みたいな事をやってもらおう、
ということになった。木村さんも大変忙しい人だが、都合をつけて講師を引き受けてくれた。

木村さんも元はといえば自動車の整備士。やはり人より機械が好きでそういう職業を選んだ。
ところが、ひょんな事から保育園の子どもたちに興味を持ち、一念発起して保育士資格を取得。
保育の世界に飛び込んで研究や実践を重ね、保育施設の設立・運営をしたりしながら、
今は「東関東子育てサポートセンター」を設立して乳幼児にとどまらない、幅広い子育て支援を
業として行っている。まさに一匹狼のようなたくましい人だ。

「つどい」当日、そのような紹介をしたら木村さんが、「一匹狼という話が出ましたが・・・僕は
やろうと思ったことをやってきただけで・・・今自分が出来ることをやろうと思ってやってきた」
というような話をしてくれた。つまり、行政の施策とか周囲の支援とか、そういうものが整うのを
待つのではなく、「今、これが必要だ。これだったら出来るのではないか」そういうことを模索しながら自分の道を開拓し、結果として人がついてきた、そんな感じだったのではないか。
今ほど「幼児教育」という言葉が一般的でない時代で、ましてや「保育士(保母)は女の仕事」
と相場が決まっていた時代に、子育てしながら家族を食わせながら、自分なりの保育・子育ての道を
確立するというのは並大抵の事ではなかっただろう。そんな荒波を越えてきた木村さんに不可能はないのではないか、そう思わせるほど頼りがいがあり、「どんな子でもド〜ンと来い、どんな親でもド〜ンと来い!」そういう頼もしさがある。

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「保育のつどい」では、事前に年齢制限を設けたわけでもなく、定員を設けたわけでもなく、
当日にならないと何人来るかわからない、当日にならないと何歳の子どもがくるか、
親がどれだけ来るかわからない、という、講師にとっては非常に嫌な設定であった。
蓋を開けてみると50人を越える大人と子どもが参加、保育士だけ、親だけの参加もあり、
1歳くらいから小学生まで、本当にさまざまな参加者。木村さんはすべて受け入れてくれた。
ほとんどの参加者が満足して帰ってくれたのではないかと思う。

木村さんの方法はやっぱり機械屋的だ。例えば子どもの動きを見て「ああ、ここが弱いな、
無理できないな」とつかんだら、無理をしないで弱いところを強くする、それを遊びの中で行う。
親への説明も「子どもはこうすればこうなる。でもああすればああなる。だからこうしたほうがいい」と、至って論理的。論理的だが難しくない。それは「子どもの動き」に基礎をおいた説明だからだ。
もちろん、体の動きも心の動きも。

「子育て」ということを考えると、親どうしが仲間になってみんなで子育てしたり、
あるいは地域が一体となってみんなで子どもを見守る、というような
子育て文化とでもいうべきものが根本的には必要だと思うが、
他方で木村さんのような人が身近にいて、子育てについていろんなアドバイスをしてくれる、
というようなこともやはり今は必要な時代ではないかと思う。
それは、社会があまりにも複雑になってしまったっせいかもしれないし、
核家族化で子育ての知恵が伝わってないからかもしれないし、原因はいろいろ考えられると思うが、
原因を云々するよりも現実問題として、親にも子どもにもヘルプが必要な時代なのだ。
それは行政による「子育て支援」とか、今後の保育園のあり方とか、そういうテーマとも
大いに関係があるし、保育士が専門職として、こういうことが出来る存在として身近にいてほしい
ということであるかもしれない。

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冒頭の元大学教授浅野さん、僕はとても期待している。保育一筋で来た人とはまた違った、
彼の専門分野からの保育の世界へのフィードバックが必ずやあるだろう。
そればかりではなく、職業に関する階層意識とでもいうべきものに一石を投じる一人にもなるだろう。
何が言いたいかというと、世間には「保育士より学校の先生の方がエライ。学校の先生より
大学教授の方がもっとエライ」みたいな意識があることを僕は感じている。もちろん、
その職業に就くための難しさみたいな物差しはあるのかもしれないが、職業としてみた場合、
やはり「職業に貴賤はない」ということを前提として、保育士も大学教授も、
同じように専門職として尊敬される、ということであってほしい。大学教授が保育士になるというのは、まさにそれを実践することではないか。

どんな職業に就いている人も、それぞれが社会に必要な役割を果たしている。
それをお互いに認めあえるような社会にしていきたい。そんな社会であったら、
学校という制度ももう少し違ったものになるだろうが。

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