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日は予定通り自由の森学園の学園祭に行った。 森へ行く学バス、狭山から、また狭山へは各1便しかないので、 これを利用すると本当に丸一日滞在することとなる。 親もなかなか体力がいる。 今日は一日目だったこともあってか、 2年前に行った時(この日は二日目だったと思う)に比べて人手が少ないように感じた。 また、長女によると衛生基準が厳格になって(多分、運用のレベルだろう)、 食べ物を扱う出展が少なくなったそうだ。 とはいえ、それでもたくさんの食べ物屋があり、 たくさんの展示があり、プラネタリウムやおばけ屋敷や、 小物を売る店も数々、それにバンド演奏や演劇や相撲やサンバや、と、 楽しむには事欠かなかった。 今年入学して初めての学園祭を向かえた次女はかなり苦戦したようだ。 クラスで手づくりの小物やアクセサリーを売る店を開いたのだが、 思うようには売れなかったようだ。 その悔しさやイライラもあって帰宅途中、ちょっと険悪な雰囲気になったので、 帰宅後にいろいろと話をした。 つまり、物を売るということは、プロでもそうたやすいことではない。 “文化祭の模擬店”というレベルで、お付き合いで買ってくれたりはあるにしても、 やはり学園内でも同種のものを売る店との競合もある。 売るには売るなりの工夫が必要だ。 僕なりに感じたことを話した。 例えば隣のクラス。 同じ1年生でカフェを出展していた。 業種が違うので一概に比較はできないが、 まず店内の雰囲気づくりという点で圧倒的な差があると感じた。 同じく“教室”というハコを使って、 そのハコを教室のままにしておくのか、それともまったく別世界を創りだすのか。 ちなみにこのお店は時間によって担任の先生のギターの弾き語りをやっていた。 僕は朝から重い荷物を持って歩き回っていたので、 「ギターの弾き語り始まりま〜す!」 という呼び込みに、渡りに船とばかりに入店した。 フォークソングやポップスを、 ガットギターの優しいストロークで弾き語る。 穏やかで素敵な時間が流れていた。 それから、商品の展示。 ただ並べればいいというものではない。 ディスプレイなり売り口上なり、 いうなれば商品の“プレゼン”が必要だ。 その商品がどんなに価値があるか、 その商品を買うとどんなにいいことがあるか、 買い手に示すことができなければ財布のひもは緩まない。 特に、“よく飛ぶ竹トンボ”なども商っているのだから、 これなどは飛ばして見せて子どもたちを引き付けるにはもってこいだ。 そうしてお店に呼び込むにはどうしたらいいか、 工夫の余地はまだまだあるのではないか。 明日は開店から閉店まで、6時間あり8時間なりあるのだろう。 もしお客が来なければその間は手が空くわけだ。 そういう時間を使って不断にお店をよくする工夫をしてはどうか、 明日は今日より人出も多いはずだし、 できるだけのことをして逆転を狙ったらどうかと話した。 学園祭での売り上げが多かろうが少なかろうが、 子どもたちに具体的な不利益があるわけではない。 それでも、“悔しい”という気持ちはとても大切だし、 それをばねに向上していくことや、 「やり遂げた」という達成感も味わってほしい。 明日の健闘を願っている。 カフェでひと時を過ごし、 先生の歌がラストの1曲というところで、 後ろ髪を引かれる思いで店を出た。 長女の参加するサンバのデモンストレーションが始まる時間となったからだ。 自由の森には演奏の上手い子もたくさんいるし、 伝統芸能や中国舞踊など、相当なレベルで活動している部もある。 それでもやはりサンバの華やかさは格別だなと思う。 何といっても強烈なリズムと派手な衣装、 移動を伴う大きなアクションは見る者を強く惹きつける。 中学生・高校生を主体としてここまでの作品に仕上げているのはやはりすごいことだなと思う。 自由の森に関わる誰でもが誇りとしてよいものだと改めて感じた。 |
学校や学童
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今週も忙しく活動していた。 帰宅が遅いのでなかなかブログまではたどり着けないが、 覚書の意味もこめてしるしておこうと思う。 週はじめの月曜はよくする会の事務局会議を開催。 先週、今年の市に対する要望に対して回答が届いたので、 いよいよ対市交渉の準備を主たる議題とする。 それから9月末に行なった街頭署名とイベントの反省、 それに、まだまだ続いていく学習会や文化行事についても進捗の確認など。 もちろん事務局体勢の補強についても話す。 さて、今日のメインの話題だ。 ここのところ、妹の子育て相談にのる機会が多い。 このたびは妹の次男(つまり僕にとっては甥っ子だが)についてだ。 うちの次女と同い年で、いま都内のとある公立中学に通っている。 ちょっとのんびりした子なので本人は自覚がないのかもしれないが、 体調の不調や問題行動があるらしい。 いろいろ聞いてみると、やはり学校生活にかなりのストレスがあるのではないかと思う。 忘れ物をするとマイナス1点、提出物を提出しないとマイナス1点、 一日遅れるごとにまたマイナス1点…。 なにかの長やボランティアをすると内申書の点数がよくなるので、 生徒たちがこぞって立候補するような環境だそうだ。 もちろん、全部を聞いたわけではないからいいところもたくさんあるのだろう。 しかし、学校の姿勢として「管理されたいい子」を育てようとしているように思えてならない。 もっといえば、“悪しき競争社会”への適用力を身につけさせようというか。 これくらいの子どもというのはまだ学校と友達関係が社会のすべてだから、 なかなか他の比較して「ここがいい」「ここが悪い」ということにはならない。 仮にそう思っても、誰もがその環境に耐えたり、現状を変えようと動けるわけではない。 ただ、おかれた環境がすべてだから、とにかくそこに適用しようとする。 結果として心や体に無理が生じる。 甥っ子も、別に学校が嫌いというわけではなさそうだ。 成績も、特に悪いものがあるわけでもない。 先日は、本当にやりたい長があったので立候補したら、 「お前は忘れ物が多いから」 とはずされたそうだ。 忘れ物については、担任の先生も気にかけてノートを作ったりしてくれてるようだが、 こういうところが弱い子というのは一定程度いる。 それが、「生活習慣における課題」くらいで済むのならまだしも、 成績評価や学校生活における可能性に影響が出るとしたらやはり苦しいだろう。 もちろん、当人はその苦しさや苦しさの原因については気づいていないのだが。 だれもが安心して通えるところでなければならない公立中学がこのようなものだとしたら、 やはりまだまだ教育改革(学校改革か?)をしてかなければならないなと思う。 しかし、目の前の問題を解決するには、そう悠長なことをいってはいられない。 貴重な中学時代だ。 それで、12月の自由の森の編入試験も視野に入れて検討をしている。 まずは明日の学園祭に来て雰囲気を確かめたり、生徒たちの制作物をみてもらう。 また、順次学校説明会や授業見学もあるのでそういうものにも参加して本人の意思を確認する。 そう、逃げるのではない。 大切な時期に、人間性開花のための条件を保障したいと思っているのだ。 問題は学費はじめお金のことだが、 聞いてみると、今現在、塾代に3〜4万くらいかかっているらしい。 「金持ちだな」 と思うが、上の子どもたちは塾など通ってなかったから、 妹なりにいろいろと考えて、勉強が遅れると状況がもっと悪くなるかも、 などと思って何とか捻出しているようだ。 まあ、塾をやめるだけで自森の費用の半分以上はまかなえそうだ。 後は授業料の減免制度とか、東京都の支援制度とか、何か使えるものがないか探す。 あとはとにかく家族で節約することだ。 くだらないところにお金をかけるのをやめて、 本当に価値あるものにお金を集中させる。 いつぞやも書いたが、僕もそうやってなんとか踏ん張っているのだ。 うちの自森生たちはこの間、明日からの学園祭に向けていろいろと準備して来た。 なにか、模擬店で売るものを一生懸命作っていた。 係にも入って運営にも関与しているようだ。 今日は森の中から飯能の街にむけて“買出しバス”が一便出たそうだ。 クラスで2名ずつ、そのバスに乗って準備の品物を買いに行ける。 それはもう生き生きしている。 明日は天気もよさそうだし、とても楽しみだ。 |
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先日の安保法案強行採決の件、予定されていたことなので今さら言うことはない。 ただ、各メディアの世論調査が意外と穏当というか、国民はもう少し怒ってもいいのではないかと思う。 毎日新聞で「安保成立評価せず」57%、「強行問題だ」65%。 どこの新聞も大差ないようなので国民全般の今の気分なのだろう。 しかし事は立憲主義の根幹にかかわる問題であり、また民主主義の手続きの問題だ。 つまり、民主主義では手続(プロセス)も大変重要である。 仮に集団的自衛権工程の立場からも「結果よければすべてよし」とはいかないはずだ。 とはいえ、期待していい兆候もある。 SEALDsなど今回の運動の中心にいた団体・個人が、次の参院選をにらんでの活動を開始していることだ。 どうしても大きな運動が終わった後は人がまるで排水口の栓を抜いたように引いてしまい、 「宴のあとのさびしさ」となってしまうのを何度も見てきた。 見てきたというより僕自身体感もしてきた。 今回のデモの参加者に一般市民が多く見られたというが、 職業生活や日常生活、学業と政治(中央も地方も)、選挙が、 ごく自然にとなりあわせに存在すればいいなと思っている。 もちろん、特に地方自治においては「政治参加」が活発になると尚いい。 この国をほしいままにしている側、昔の言葉でいえば「資本の側」は、 自分たちの利益を守り、さらに拡大するために、常に政治をとりこみ運動の切り崩しを図るだろう。 しかし「民主主義」に希望を抱く側として、彼らとの綱引きの手を緩めずに続けていくつもりだ。 政権交代できる野党や存在価値のある野党を育てていくのもこうした市民の役割だろうと思う。 昨日から自由の森中学三年生の長女のクラスの泊りがけの懇親会に参加してきた。 毎年7月の夏休み直前ごろに行っているものだが、 今年は修学旅行もあったり忙しかったのでこの時期になったものだ。 僕は例によって仕事が終わって駆けつけ、翌朝、仕事に間に合うように失礼するパターンだったので、 丸々一緒に楽しむというわけにはいかなかった。 が、一晩の「猶予」は大きい。 バーベキュー、花火と子どもたちと楽しみ、夜中は保護者でお酒を飲みながら会話し、と とても内容の濃い時間を過ごしてきた。 尤も、自由の森は親の出番も多いので、中には結構頻繁に顔を合わせている人もいるはずだ。 それでもこの泊りがけのイベントをこのクラスの多くの人が楽しみにしている。 毎度企画してくれ、労を折ってくれる幹事さんには感謝だ。 今回強く感じたのは子どもたちのたくましい成長ぶりだ。 この時期ならではの「伸びしろ」の大きさゆえともいえるだろう。 しかし、その「伸びしろ」をどのように有効に使うことができたかがむしろ重要だ。 例えば入学時、小学校でなじめずに悩みながら入学してきた子もたくさんいた。 その子たちがそのまま地元の中学や進学校タイプの私立中学に進んでいたとしたら、 今のように生き生きとしていたであろうか。 今回参加した子どもたちに関しては少なくとも、 人間としての開花にむけて着々と歩んでいるように見えた。 保護者の皆さんとの話では、高校に進学してからのことがたくさん話題に上った。 もう、はやくもあと半年で高校進学という時期まで来ている。 上のお子さんを高校に進学させた経験のある人がいろいろと話をしてくれ、 それをつまみにまたいろいろと話した。 高校になると、外からたくさんの入学生を迎え、クラスも生徒数も多くなる。 中学三年間同じクラスだったが、仲のいい子はクラスを離される傾向にあるようだ。 また、教員も中学と高校で入れ替えがあったりと、 等質的だった三年間からちょっとしたギャップを乗り越えなければならないようだ。 それでも子どもたちは様々な課外活動を通じて他のクラスの子とも高校生とも交流している。 たくましく乗り越えていってくれるだろうと期待しているし、 さりげなく後押ししてやるのが僕たち親の務めだだろうかと思っている。 これから自由の森では文化祭などの行事が目白押しだ。 僕もなんとか参加するようにして、折に触れてレポートしていこうと思う。 |
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天気予報というようなものはあてになるようでならない。 ちょっと前の予報では今日は晴れて暑くなるようなことを言っておいて、 数日前になると手の平を返したように曇りと雨だという。 そして今日、朝から霧雨が断続するというような天気だった。 雨でも浅草サンバカーニバルは開催される。 暑い暑いブラジルのことを想うとちょっと残念だが、 そんな天気を吹き飛ばすかのような強烈なリズムと笑顔だ。 各チーム、思い思いにテーマを決めて工夫を凝らした衣装、そしてダンス。 これが一つの楽しみといえるだろう。 次から次へと流れてくるチームのダンスを見ているとこちらも陽気な気分になってくる。 ほんと、老若男女、それぞれに参加することを楽しんでいる表情が素晴らしい。 今年の自由の森サンバ音楽隊のテーマは「涙」。 実は僕も今年のダンスを見るのは今日が初めてだった。 川口たたらまつりに行けなかったから。 自由の森のサンバは日本語の歌詞の音楽を選んでいるのがいいなと思う。 もちろん、本場ブラジルはポルトガル語、そしてダンスが主役なら歌詞はどうでもいいようにも思われる。 去年は池袋でリズムだけで歌詞がないチームもあった。 でも僕は日本人だから日本語の歌詞だと感情移入しやすいとはいえる。 振付だってやはりストーリーがあるのだ。 衣装や仮装も音楽も相まって一つの世界が作られている。 今年は悪天候だから人手が少ないかなと思ったらどうしてどうして。 加えて傘をさしている人もいたものだから、 鑑賞するコンディションとしてはいいものではなかった。 人垣の隙間から見ていて前の人が傘を後ろにかしげようものなら、 いきなり目の前が傘の柄一色になってしまう。 小さな子ならなおさらだろうが、幸いうちのチビ二人は、 方々で親切な人が前に入れてくれたり、自前の踏み台に乗っけてくれたりしたおかげで ある程度は見ることができた。 まあ、しかし、チームを追いかけながら見るというのも至難の業で、 もしサンバの鑑賞メインなら一か所に陣取って、 過ぎゆく各チームを最初から最後まで観るのが一番楽しいと思う。 だいたい、カーニバルが始まる頃にはもうあらかた人垣が形成されているから、 追いかけながらではその出来上がった人垣の後ろから見るしかできない感じになってしまう。 僕にとっての今年のトピックスは、 長女が中学1年でサンバを始めて、一応三年間、やり通したということにある。 三年前、同じように始めた仲間も全員が残るわけではない。 それぞれ興味関心が違ってきたりしてやめていく子もいる。 それもそれでいいが、夏休みのほぼ全日を練習に費やすという活動を、 三年間、粘り強くやりとおしたということもやはり価値あることだと思う。 やろうと思えばあと三年間、 高校生としてやることができる。 学年が上がれば役割も責任もまた違ってくるだろうし、 やるならやってみたら面白いだろうと思っている。 三年見ていると、他にも見覚えのある子が何人も出てくる。 それぞれの成長、それぞれの青春を遠巻きながら見守っている気分だ。 今年の結果はS1クラス9チーム中8位。 クラスに首の皮一枚でつながった格好だ。 もし9位になるとS2クラスの1位と入れ替えとなる。 まあね…。 見ていても去年の方が出来がよかった感じはしたからね。 踊り云々という以前に衣装や山車などの作りこみが全然違った。 ダンスのことはわからないが、やっぱり参加した生徒のモチベーションとか力の合わせ具合とか、 そういうものが衣装にもダンスにも表れるのではないだろうか。 各チーム、この日の晴れ舞台に向けて一生懸命やってくるから、 チョットしたことで点数の差になってしまうものかもしれない。 もちろん結果がゴールではないけれど、 優勝を目的にやっている以上は毎年一つでもステップアップしたいところだ。 何はともあれ、今日はよかった。 |
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昨日の冬模様からは一定程度回復して今日は曇り。 あいかわらず寒かったが何も降らなかったのは幸いだった。 今日は次女の自由の森中学校の入学式。 飯能の山奥なのでこの辺りよりさらに気温は低いと仮定し、 もうスーツなどはやめにしてジーンズにセーター、冬物のアーミーコートで出かけた。 自由の森の場合、それでも全く浮かないところが素晴らしい。 本題に入る前に一言説明しておこうと思うが、 今日は今年度より委員となった社会福祉審議会児童福祉専門分科会 (の中の「川越市子ども・子育て会議」) の第1回目の会議だった。 さすがに、わが子の入学式まで蹴って会議に参加というわけにもいかないし、 家人も今日は休めないので残念だが会議への出席は断念した。 まあ、第1回目だから形式的なことがほとんどだったとは思うが、 本当は最初から出たいところだった。 地域協議会(川越市自生第育成支援対策地域協議会)のほうは10年間無欠席だったのだ。 最初から関与して一部始終、自分の感覚で把握しておきたかった。 で、自由の森の方は午前中が入学式、午後が保護者会だ。 今日もまたいい入学式だった。 こういう式典って、本当に学校のカラーが現れると思う。 自由の森は子どもたちが実行委員会を作って式典を準備する。 受付からして、保護者の受け付けは教員が、新入生の受け付けは生徒が対処し、 そろいのTシャツにペイントを施した案内係が案内や誘導をしてくれる。 一度クラスに入って時間を待って体育館に移動。 体育館の入り口にはアーチと花道が作られ、花道は両側がランプで飾られる。 新入生入場となるとファッションショーよろしく、 新入生が花道を歩いてくるのだ。 BGMは生徒たちの生演奏。 司会はかわいらしい女子生徒2名だ。 リボンだか動物の耳だかのカチューシャをつけている。 来賓などという面倒くさい人もいないから退屈な挨拶もない。 挨拶といえば、先日も小学校の卒業式についてボヤいたところだが、 今日は全く違った。 挨拶らしい挨拶は中野校長の話のみ。 これは新入生に面と向かい、新入生に語り掛けるものだった。 「学ぶこととは」等々…。 まさに体当たりの感覚で、保護者へむけたおべんちゃらなどは一切ない。 保護者に対しては、また全体保護者会という場で、 高校の新井校長、中学の中野校長からそれぞれ話があったわけだ。 この人たちの話を聞いていると、 本当にこの人たちは僕にとっては仲間だな、というと語弊があるかもしれないが、 同じ方向を見ている人だなとつくづく感じてうれしくなる。 校長の話が終わったら在校生による歓迎の言葉があり、「ぶちあげ太鼓」があり、 在校生による合唱があり(「青空」と「トゥモロー」?) 新入生も含めた全体合唱があり(「翼をください」と「ケサラ」) 新入生が在校生の歌(なんだっけな?知ってる歌だけど)に送られて退場した。 そんなわけで、川越にいると僕は「一風変わった人」のように思われている節があるが、 自由の森にいると全くそんな感覚はなく、 「それぞれ個性を持ったたくさんの人の中の、個性を持った一人の人間」 でいられる感じがするのだ。 「貧乏人が私学などに行くとさぞかし肩身の狭い思いをするのではないか」 と思われるかもしれないが、自由の森に限ってはまったく逆だ。 いろんなところから、いろんな環境で育ったいろんな人が集まっている。 私学だからということもあるかもしれないが、 比較的、親も学校運営に携わる場面が多く、 雑多な人がお互いを尊重しあいながら一つのものを作り上げるムードがある。 そこでは家が貧乏であることも、特にクローズアップされるようなことではない。 それぞれが持ち合わせているそれぞれの背景の一つに過ぎないから、 そんなことに拘泥せずに済む。 横並び意識の強い公立校の方がむしろ窮屈な局面は多いのではないか、と僕は思っている。 ともかく、長女はのびのびと二年間を過ごし三年生になった。 次女の自由の森ライフは今日始まった。 |





