会長うたかた記

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子ども達の心根

今朝は地元の子ども会のハタフリ当番が回ってきてしばし通学路に立ってきた。
寒くなってきて、ただでさえ元気のない子どもたちが益々ふさぎがちに歩いている。
あいさつをしてもほとんどの子があいさつを返さない。
それどころか、そっぽを向いて目を合わさないようにしている子もいる。

そんななか一団の子どもたちが走ってきて無理やり横断歩道を渡ってしまい、
1年生の女の子が一人、赤信号になって取り残されてしまった。
「この班の班長さんは誰だ?」
体の大きな男の子がバツの悪そうに笑みを返す。
「チビッ子のお世話頼むぞ」
こういう子どもらしいところをみるとホッと一安心する。
やっぱり子どもなんだと。

それと同時に、先日の金沢先生のお話しの中の「心根(こころね)」ということを思い出した。
これは、簡単に言うとこういうことだ。
今の子どもたちはとても言葉が発達していて、たとえば3歳児でも大人のような、わかったような口を聞く。
そういうやり取りに慣れていると、親はついつい子どもがすべてを理解しているような気になって応対するが、
所詮、3歳児は3歳児なのだ、心の根っこはまだあどけない3歳なのだ。
だからそのつもりでやり取りしないと、
「あんた、いつもよくわかってるのに、何で今日は言うこと聞かないの!」
みたいに追い立ててしまうことになりかねないということだ。
3歳児の限度でしかわかってないのだから、親の思うとりにならなくても当たり前なのだ、と。

まあ、こういうことはうちの中でもしょっちゅう起こっていることだ。
うちの3歳児もとてもおしゃべりが達者だし、上の二人もいろんなことが出来るようになってきた。
だからついつい「出来て当たり前」を要求してしまうが、
小学2年は小学2年、小学4年は小学4年だ。
そういうところを割り引いて接していかないと、子ども達には重たすぎるものになってしまう。

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で、ハタフリが終わったらハタフリセットを次の当番の家に持参することになっている。
そこで次のお宅に行ったところ、ちょうどご主人がパジャマで出てきたので、あいさつして手渡した。
ご近所とはいえ、こちらはよそ者なのでこのご主人とも話したことがなかったのだが、
先方から車について話しかけてきた。
そう、うちの庭に放置している趣味の車を見て、僕のことを車好きではないかと思っていたらしいのだ。

このご主人も年周りは僕と同年代なのだろう、やはり車やバイクが好きらしく、
話が興じた挙句にパジャマのままガレージの鍵を開けて修理途上の車を見せてくれた。
最近の若い人は車なんかには関心がないらしく(それどころか物欲もないんだって?)、
しかも時代はエコを要求するご時世だから、自動車メーカーもファミリーカーやエコカー以外、
作らなくなってきている。ガソリンだって、いつ底をつくのかわからない。
ガソリンやオイルの匂いがしてエンジンのダイレクト感が伝わってくるような車に執着しているのも、
僕なんかの世代が最後列かもしれないと話をした。

彼も春ごろまでには車を仕上げたいということらしいし、
僕も、整備途上で車検切れになっている趣味の車を、春ごろまでに整備し直して
動かせればいいなと思っている。

このお宅にもうちの子ども達と同学年の女の子がいるのだが、
子ども会やなんかは奥さんのほうが熱心だからご主人と話をする機会がなかったのだが、
思わぬところで知り合いが出来た感じでちょっと嬉しかった。
(余計な御世話だがパジャマは寒かったのではないだろうか)

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夜は学童保育の会の担当役員会。川越実践交流会についての役員会だ。
先日の実行委員会で参加した委員の皆さんにも意見をいただいたことについて、
役員でもう一度話をして最終決定した。

意見をいただいたのは主に午後からの分科会のうち、3つ。
保護者会活動について、制度問題に関して、そして親子で制作・遊ぶ分科会。
どれも毎年やっていることの繰り返しだが、より充実させ、一人でも多く参加者を集め、考えてもらうため、
何度も案を練っているのである。
役員会はこれで4回目であるが、毎回毎回、みなさんよく集まって議論してくれると思う。
今夜も結局、会場の最終期限まで議論した。
今日で一応、内容的には最終決定とし、今後チラシを作って宣伝していく。

実践交流会についてはまたあらためて宣伝を兼ねて紹介するとしよう。
きっといいものになる。






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政府が来年度、待機児対策に200億円を投じるそうだ。
認可外保育所に補助金を出すことで3万5千人分の保育サービスと1万人の雇用創出を見込んでいるという。

実は、昨夜そんなことを話題にしていたのでちょっとびっくりした。
昨夜はいつも委員会に参加して積極的に発言してくれるお父さん(仮にAさんとしよう)と飲んだのだ。
仲間の保育士のカッチャンと3人で飲んだ。
Aさんとはいつも立ち話程度なので、お互い、何をしているのか、どんなことを考えているのか、
そんなことも改めて話題にしながら、ほとんど保育や子育て、夫婦の役割分担が主なテーマだった。

そんななかでAさんが、「新システム」で保育の質が下がるのはわかるのだが、
待機児解消は多くの国民の願いであり、これに反対すると国民を敵に回すことになりはしないか、
幼保一元化(幼保一体化)は既存の建物や人を使って待機児を解消できるから合理的なのではないか、
というような問題提起をした。

僕も、幼保一元化そのものが悪いといっているのではない。
が、もともと相互にあまりにも違いすぎる制度なので、よほどきちんとした制度設計をしないと
うまくいくわけはないと思っている。
それよりも、「新システム」において眼目とされているのは幼保一体化ではなく、
あくまでも現行の保育所設置基準を下げることにある。
保育所設置基準のハードルを下げることで、保育所経営に新規参入が見込まれ、
なおかつ公費負担を減らすことで保育施設の経営面での自助努力(と保護者負担の増加)を促すことである。

「幼保一元化」は「二重行政」の典型例としてやり玉に挙げるのが容易だし、
同時に幼稚園と保育所では保育所の設置基準のほうがはるかにハードルが高いのだから、
一体化するためには保育所のハードルを幼稚園のそれにまで下げるという理屈をこねやすいのである。
だから、あえて「幼保一体化」が「新システム」の目玉のように言われることがあるとしても、
ここにとらわれ過ぎると物事の本質を見失ってしまいかねないと、僕は思っている。

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で、Aさんに説明したのは、現行制度の下でも、家庭保育室や認可外施設をうまく活用することで、
待機児対策自体はある程度可能なのだということだ。幼稚園だって、すでに「預かり保育」を始めている。
認可外施設にも補助を出すことで経営を安定させ、同時に一定程度、保育の質を確保するなら、
そういうやり方もなくはないだろうということである。
これは考え方としてはすでに東京や横浜で試みられていることであり(認証保育所)、
認可保育所と認証保育所で二重の基準を設けることについては批判もあるところだ。

しかし、現実問題として認可外施設にもたくさんの子どもたちが通っているのであり、
このことを正面から考えることを、これ以上先延ばしにしてよいのか、ということは常々感じていることだ。
つまり認可外施設もピンからキリまでではあるものの、統計的に事故(それも死亡事故などの重大事故)
が多いのも事実なのだ。それは認可保育所のような厳しい設置基準がないことと無関係ではありえない。
加えて経営者の姿勢により、保育の質よりも収益確保に天秤が傾きすぎていれば、
子どもに十分な手をかけることが出来ないということにならざるを得ないのである。

また、今回の川越市の保育料値上げに際しても少し議論になったが、
同じ川越に住む子どもでありながら、認可保育所に通う子と認可外施設に通う子とで税金の恩恵にあずかれる
額があまりにも違うということがある。もちろん、これには沿革があり、基本的には「保育に欠ける」要件を
満たす子に福祉施策として保育を与えるのが認可保育所制度であり、「保育に欠け」ようが欠けまいが、親の希望で子を預けられる認可外施設とではスタートが違うのである。
とはいえ、「保育に欠ける」のに認可保育所に入れずに待機児となり、認可外施設に入っている子が
圧倒的に多いだろうことを考えると、そういう形式論を振り回していてもはじまらないということになる。

検討すべき論点は多いが、ただバラまけばいいというものではない。
「どういう保育を提供すべきか」というビジョンをもって、少しでもそれに近付ける方向で認可外施設への
援助も考えるのでないと、保育事故を起こすようなレベルの低い保育を押し広げただけで
「ハイ、待機児ゼロになりました」
ということになりかねない。

当然、ちょっとやそっと基準を設けたのでは保育の質など、そう簡単に上がるものでもない。
同時にやらなければならないのは、「保育施設に求められるのはどういうことか」というような
問題提起を利用者にむけて旺盛に発信し、利用者の選択をテコとして各施設のレベルアップを図ることである。
どんなに困っていても、子どもが危険にさらされたり幸せでない時間を過ごすことになるのでは、
ほとんどの親はそんな施設に子どもを預けたりしないのだ。
しかし、利用者である親にそのような選択眼が最初から備わっているものではないし、
なかなかそういう選択基準が目に届くところに提示されるわけでもない。

とにかく、考えることもやるべきこともいっぱいである。




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子どもは小さな芸術家

1週間ぶりの休日。といっても夜はまた仕事だ。
朝は少しゆっくりできたが、秋物冬物を少しずつ入れ替えたり洗濯をしたり、
それに伴って片づけをしたり、アイロンをかけたり、のんびりと休むような暇はない。
無論、よくする会の関係でも宿題がたまりにたまっているのだが、
生活に必要な準備もしていかなければ日常生活が回っていかない。
ホントに、保育運動も楽じゃない。

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そうやって忙しく動き回っている間、子ども達もお手伝いをしてもくれたのだが、
天気がよかったので家の周りで遊んでいた。

一休みしていると長女が
「パパ、ちょっと来て」
と呼びに来た。
「目をつぶって」と手を引かれるままに進んでいくと、
豪華な料理が準備されていた。
子ども達三人で作ったのだ。

親の僕が言うのも手前味噌で嫌な感じだが、
この手先の器用さ、色彩感覚、造形能力には毎度びっくりさせられる。
このまま料理人にでもお菓子職人にでもなれそうではないか。
多分、うちの子ばかりではなく、子ども達にはそれぞれすごい能力が眠っている。
それをどのように育てていけるか、だ。
いやむしろ、どのように潰さないか、といったほうがいいかもしれない。

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よくする会でも毎年、対市要請項目のまとめの時期になると
「保育園でも文字や数字を教えてほしい」
というような要望が出て、いろいろと議論して
“保育園で大切にしなければならないこと”という話をする。

昨日の金沢さんの話にもあったが、土台がしっかりできていれば、
基本的には教養は後からいくらでも補うことができる。
今大切にすべきこと、保育園でやっていることが間違っていないことを、
僕は回りの保護者たちにも胸を張って主張することが出来るのだ。






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夕方、ラジオを聞いていたら宮台真司氏が「新システム」についてコメントしていた。
「幼保一元化は大賛成で、同じ教育施策なのだから一元化して無駄を省くのは国民が望んでいること…」。
この発言は去年か一昨年も彼の口から聞いた覚えがある。
これについては「ちょっと待てよ」と言いたいところもある。
(「反対」ということではなく、議論を整理したらそれほど考えていることは変わらないかもしれないが、
影響力が大きいだけに慎重に発言してほしいな、といったところである。)

が、今日ここで述べたいのはそんなことではない。
彼の主張「制度だけ変えても・・・要するに人」旨の発言に大いに共鳴したのである。
去年か一昨年に聞いたときはもっと違った切り口だったと思うし、「それは違うんじゃないか」
と思ったのを覚えているのだが、彼も今流にいえば「イクメン」であって、彼自身、
「子育てから多くのことを学ばせてもらっている」と発言している。

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で、ラジオだからどんどん話が流れていくし、彼は社会学者だから言い回しが独特なので、
正確にここで再現するのはおよそ困難なのだが、大まかに言うと次のような発言だった。

(政府の?)(教育の?)目的は「幸せな人づくり」、だとすれば幼児教育の場もそうなっていないといけない。
数字や文字を教えることも結構だが、そんなものはいくらでも後から補える。
大切なのはいかに多感な時期にたくさんの経験をさせるかだ。例えば昼間は何でもなくても、
夕暮れになると不安や恐怖を感じるだろう。そういう感覚が人を育てるのだ。
制度だけ変えても、そこがなってなければ人は育たない…。

幼児期にはしっかり感性を育てなさい、そういうことが出来る幼児教育こそが必要、
そういう趣旨の発言であり、僕からするとまさに「わが意を得たり」なのであった。

今、政府が考えている「新システム」は、結局はお金をかけずに託児(保育ではない)の器だけ広げ、
内容は事業者任せにする無責任な計画であって、決して宮台氏が考えているような制度にはならないのだ。
こういう発言をしてくれる人がもっともっと出て来てくれるとありがたいと思う。

余談ながら、僕も方々で同じような発言をしているのだが、この発言力の差は何だろう、と思う。
まあそれでも、この川越の一地域においては多少なりとも子ども達の未来を明るくするものであって欲しいが。

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それから今日は、子育て支援に関して人と会っていろいろと話してきた。
僕やよくする会の日頃の活動についてもそうだが、その人の思いや今、やりたいと思っていることなど
ざっくばらんに話をしたのだ。
そのなかで「コミュニティ・カフェ(レストラン)をやりたい!」という話が出た。


・・・夜も更けてきたので続きはまた明日。





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秋の贈り物

久々に秋晴れの気持ちよい日だった。
今日は夜まで仕事がないので気持ち的にはゆっくりできたが、
実際にはメールでいろいろな人に連絡したり、少し片づけものをしたりしているうちに
あっという間に夕暮だ。
時は金なりというが、時間がないと心のゆとりまでなくなってしまうのが怖い。
もう自由時間が残り少ないと思うととても寂しい気持ちだ。

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今日の午後はちょっとしたアクシデントがあった。
子どもたちが自転車で遊んでいるうちに、四女(2歳)の足を自転車のスポークと支柱の間に
挟んでしまったのだ。
察するところ、長女が無理やり二人乗りをして、自分の前に椅子もないのに四女を載せていたのだと思う。

自転車が倒れ、完全に足首がはまりきっていて、痛くて泣いている。
どうにもこうにも取れないので、しかたなく前輪とブレーキを全部取り外して足を抜いた。
かなり足をねじっているほか、おでこに傷があるから多少ぶつけたのかもしれない。

けがをするのは構わないと思うが、長女は何を学んだだろうか。
日頃、つくづく感じるのは、小さな事故から学ぶ機会が減っているのでは、ということと、
怪我や病気、死というものが、日常生活から遠ざかっているのではないかということだ。
つい最近も子どもたちに話したことがある。それは次のようなことだ。

僕が子供の頃は、怪我とか死とかにもっとリアリティがあった。
川遊びをしていて友達がガラス瓶の破片を踏んで血だらけになったり、
学校のガラスもいまほどよいものではなかったから、比較的頻繁に流血騒ぎがあった。
交通事故で血だらけの人を見る機会も多かったし、
自分も妹を自転車の後ろに載せて、やはり足をはさみこんで病院に行く羽目になったのを覚えている。

また、あるときはこういうことがあった。
商店街の入り口でラビットスクーターのおじさんと自転車のおじさんがぶつかった。
どういう風になったのか、自転車のおじさんの足がスクーターの前輪のスポークあたりに挟まれてしまった。
おじさんの黒い革靴にスクーターの金具が刺さって靴から血が流れている。
足を外そうと思ってタイヤを前に押したり後ろに引いたりするのだが、どうやってもおじさんが
「痛い、痛い」といってにっちもさっちもいかないのだった。

それからあるときは、橋の欄干と道路のガードレールの切れ目から、おばさんが自転車で転落してしまった。
高さはせいぜい2〜3メートルといったところだろうか、それでもどこからか出血していて痛々しく、
そのうち救急車が来てなんとか担架で運んで行ったのだった。

妹と通った通学路では、しばしば猫が車にひかれていた。
今はすぐに保健所が来て始末するか、あるいはペッシャンコになるまで轢きつぶされるか、というところだが、
当時は死骸が道路わきに何日も放置されていた。
日に日に、ウジが解体を進めて骨の骨格にしていくのを、毎日見るともなく見ていたのだった。

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そういう事柄は、「世の中の恐いこと」として心のどこかに蓄積されて行ったし、
何をどうすればどうなるのか、ということを知らず知らずのうちに教えてくれたような気がする。

今は当時から比べると安全な社会になったのか、それとも子どもを危険から遠ざけ過ぎているのか、
理由はよくわからないが、あまりむごい現場に居合わせることが少なくなったことは確かだ。
それは多分いいことなんだろうが、怪我や死と隣り合わせのリアリティというのは、
子ども達にとって何かの形で必要なのではないかと考えてみたりもする。

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それから今日は、クラブ(お酒のほうではなくモータースポーツのほうだ)の会長から柿が送られてきた。
何年も前にたまたま遊びに行っている時、自宅に柿がなっていたのを貰って帰ったことがあって、
子どもたちが喜んだという話をしたら、毎年、催促もしないのに送ってくれるようになったのだ。

いつだったか、イベントに同行した際に車内で話しているうち、子育てにとても理解があるのに驚いた。
この会長、かなり変わり物で強面で、「ダートラ・ヤクザ」などともあだ名されていた人である。
子どもがいないし日頃の活動から全くうかがえないことで、ものすごく意外性があった訳だが、
「大人(集団)が子ども(集団)をしっかり支えるのはあたりまえだ」という強い主張を感じた。
それ以来、僕は「大人が子どもを育てるのは当然だ」ということは社会の合意でなければならないと
考えるようになった。

もうクラブ員も高齢化し、景気悪化もあってモータースポーツも下火になり、主催イベントもぐっと減って、
年に何度も会うことがなくなったような次第であるが、会うたび話すたび、新しい刺激を与えてくれる人でもあり、
僕にとっては大切な人の一人である。

秋の味覚の贈り物はそれにとどまらない重い果実であった。





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