会長うたかた記

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飽和

今日は小学校の先生二人から電話があった。
週の初めから休んでいるので様子はどうかということだ。
とともに、二女(1年生)の担任の先生は、できれば課題のプリントを出したいが、
ということだった。すでに、休みの初日、課題のドリルブックが届き、連絡帳に
「学年末なのでよろしく」と書いてあったのだ。今回も「学年末なので」ということだったが、
病気で休んでいる時まで勉強しなけらばならないものかな、と正直疑問にも思っている。

尤も、当人はドリルをとうに終えてしまい、気分のいい時はお絵かきなどしているから、
やってできないことはないだろう。ただ、その「気分のいい時」というのは夕方の一時に過ぎず、
あとは唸りながら寝ているのだ。熱もあるし、なにしろほっぺたが痛いらしい。
最近の小学生は大変だなと、かさねがさね思わされる次第である。

ちなみに、僕が小学校の頃は授業中、全く集中せず、
机やノートに落書きしたり、教科書の角にパラパラを書いて遊んでいたものである。

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子どもたちが大きくなってきて、女の子ばかりといえど食べる量も増えてきている。
何を買うにも、もう一袋、というモードになってきた。
それとともに体も大きくなってきているし、持ち物も何かと増えてきて狭い我が家が余計に狭くなっている。
先日はついに二段ベッドを購入し、寝るスペースの圧縮を図るを余儀なくされてしまった。

といってもベッドを設置するスペースも必要なので僕の作業スペースの一部を明け渡し、
この一週間というもの、時間を見つけてはコツコツと片づけをしているのだ。
なるべく、不要なものを見つけて捨てるか、普段使わないものは部屋から追い出して倉庫にしまうか、
どちらにしても大変な労力がかかっている。

狭い家というのは、家族のきずなとか子どもの教育的観点(広い意味で)から奨励する考えもある。
僕も基本的にはそのような考えに賛成だ。
だがこの先、下の二人も大きくなってくると、なかなかそうもいっていられない日が来るだろう。
人生は常に試練である。




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もう2月も終わり、3月になろうとしている。
暦通り、今日も暖かい一日だった。
今日は小学校が開校記念日でお休み。学童では一日保育をやっているのだが、
平日の休みもなかなか貴重だろう、ということで、とりあえず休みを取っておいた。

といって、毎日忙しく、特に計画など練るでもなく、
何もしないで今日に至ったのであった。
子どもたちにどこに行きたいか聞いたところ、「水族館」というので
しながわ水族館に行くことに。
ただし、少し仕事があったので出発はかなり遅くなった。

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実は、自分が子どものころに比べて、子どもたちの、電車に乗ったりバスに乗ったりする能力が
劣っているのではないかと、常々考えていて、本来、今日はそういう経験を積むために何かできないかと
考えていたのであった。

それで、駅についたらまず西武新宿までの切符を買わせてみた。
壁面の路線図(料金表)で、大人料金が450円であることまではわかった。
そこで、料金表中の注意書き「子ども料金は大人料金の半額 5円は10円に切り上げ」を教えてやった。
四苦八苦しながら、なんとか230円にたどり着き、それを2枚買わせる。

次にホームで、発車時刻表を見ながらどの電車に乗ればいいのか聞いた。
これは現在時刻を確認するところから始めないといけないが、たくさんヒントを出してようやく答えが出た。

電車に乗ったら長女が
「どこで降りるの?」
と訊くので、どこまで切符を買ったか、聞いてみた。
すると切符を見ながら「切符には書いてない」という。
そうだ。出発駅と有効金額しか券面には記載されていないのだ。
そこで切符を買った時のことを思い出させようとしたがなかなか出てこないので、
車内の路線図を示して思い出させた。

今度は「どこから乗ったのか?」と訊く。
また、切符を買ったときにどうだったか、思いだすように伝えたが、
思い返して切符を眺めて納得し、メモ帳を取り出してメモを始めた。
どこからどこまで乗るのか、興味を示し始めたらしい。
よしよし。手帳の付録の路線図を貸してやり、今日の目的地(京浜東北線大井町駅)を示してやった。

最初は何のことかわからなかったようだが、電車が止まるごとに駅を確認したり、何かをメモしたりしていた。
いろいろしながら新宿でJRに乗り換え、さらに品川で乗り換えるところまで考え及んだ。

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いかにこれまで、子どもたちを甘やかせてきたかということだ。何もさせなかったかということだ。
僕が子どもの頃は、一人でバスに乗って祖母の家に行ったり、
鉄道の時刻表で架空の旅行をしてみたりしたものである。
うちの子どもたちは、基本的には車で出かけることが多いし、
電車で出かける時も切符を買って与えるのみであった。
これでは何も学べない。

もちろん、車で出かけるにしても、地図で行き先を示したり、後で写真やパンフレットを整理しながら
自分の移動距離・移動範囲を追体験させるなどの努力はしてきたのだが、
なかなか本当の意味で関心を持たなかったというか、もしかしたらようやく、
それが理解できる年齢になってきたのかもしれない。
まあ、そうそう出かけることもできないのだが、今後、出かける機会には何らかの形で
主体性を持ちうるような働きかけを行っていこうと、改めて思っている。

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結局、このようなトレーニングにしても、
あるいは日々のお手伝いにしても、本当の意味で生きる力をつけることに他ならないと思う。
つまり、いくら教室で計算ができても、券売機の前で答えが出せなければほとんど意味がない。
親が病気で倒れたときは自分で料理をして何か食べるくらいできなければ、いくら勉強ができても
本当の仕事はできない。

子どもたちが親離れしていくまで、まだまだあるようで、実はそんなに残された時間はないのではないか。
ついこの前まで小さかったのに、もう小学校も折り返しである。
残された時間で何を伝えていけるか、現実的に問われている。



余録だが、出発が遅くなった分、帰りはラッシュアワーの山手線に乗り合わせる羽目になった。
乗客の皆さんにはご迷惑だったかもしれないが、この意味でも今日は有意義な平日休みであった。



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晩夏の休日

昨夜はすべての家事を終えた後、枝豆をゆでたりポテトを揚げたりたりして子どもたちと酒盛りをし、
ゆっくりと時間を過ごしてくつろいだ。
朝も当然のことながら仕事を休んでいたのでのんびりと起きることができた。
心配していた赤ん坊の夜泣きにも苛まされず、ぐっすりと寝たのである。
ぐうたらほど素晴らしいことはない。

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午前中から午後にかけては洗濯やご飯や掃除やに追われてそれなりに忙しく、
それでも子どもたちもよく手伝ってくれたのでなんとか早めにそれなりに片付いた。
そこで水上公園に出かけることにした。

この季節、着るものに結構気を使う。
今年に関してはかなり秋の訪れが早く感じられるが、それでも晴れると日中は暑い。
それに対応させると開襟であるハワイアンシャツ(アロハシャツ)が好適なのだが、
色目と柄を選ばないととんでもないことになる。

ちなみに夏というとTシャツが定番となるが、目の詰まったコットンのTシャツより
開襟(襟元が開いている)で通気性の良いレーヨンのハワイアンシャツの方がよほど日本の気候に向いている。
しかもTシャツは元をただせば下着であって、襟のあるハワイアンのほうが格上ともいえる。
そんなわけで外出の折はハワイアンを好んで用いているのであるが、どういう訳かこの近辺では
アロハというとチンピラのイメージがあるようで、僕もよくそんな類と間違えられるのである。

まあ、それはさておき、今日はダークブラウンの着古したハワイアンをチョイスした。

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まだ夏の面影のある公園は人影少なく、ツクツクボウシが鳴いていた。
夏の名残りと秋の準備が混在する風景を眺めながら、森山直太郎の『夏の終わり』も似合わないな、
スタイルカウンシルの『ロングホットサマー』も合わないな、とあれこれ思いを巡らせていた。
なかなか難しい季節なのだ。

子どもたちは大はしゃぎで走り回っている。
赤ん坊はクローバーの上に放しておいた。
今年は(というかこの数カ月は)次世代プランがらみで公園のあり方についてもずいぶんと考えてきたので、
そんなことなんかも知らず知らずに思い浮かぶ。この水上公園はたぶん県の関係の施設なんだな。
まあ悪くない公園だ。これに加えて、もう少し雑木林的な公園があって、そこがかなり自由に遊べるといいのだ。
木登りができて穴掘りも出来て、坂の上から枯れ葉の上を滑り下りることができて、
秘密基地をつくることができて、そしてあとは子どもにとっては遊ぶための時間かな。

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しばらくすると携帯電話が鳴り、家に帰ってきたら誰もいないと家人からお叱りの声である。
赤ん坊に母乳をやらないと乳腺炎になりそうだというので仕方なく帰ることにした。

といっても子どもは急に止まらないので、惰性でしばらく時を過ごした。



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お盆の夜は

今日は久々に父の夢を見た。
特にお盆という意識で父のことを考えることもなければ、
お盆らしいお盆を迎えるような格式ある家柄でもない。
それでも故人の夢を見たりするのは、やはりお盆ゆえであろうか。

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父といえば、一番最近、父のことを思い浮かべたのは8月7日であった。
あの地域協議会推進部会のあと、委員で暑気払いをやった時のことだ。
最初は5人で飲んでいたのだが、女性二人が帰宅し、おなじみの3人が残った。
仮にAさんとPさんとしておこう。
僕たちは「子育ての中で親ができること」みたいなテーマに話が及んでいた。

Pさんがある学者の話を紹介しながら言った。
「親は朝顔にとっての支柱のようなものだ。決して土や太陽になろうとしてはいけない。
親が何かをしてやれると思ったら、それはうぬぼれだ。」そんな主張だったと思う。
成長していく上での手がかり足がかり、いざという時の支え、親はその程度でしかないということ。
僕も、親にとって何が難しいかというと、「いかに与えないか」ということだと常々思っている。
とかく社会が豊かになり、子どもの数も少なくなって親が子どもに構う余裕がある。
過干渉や過大な期待をもって子どもに接することが多くなっているように思う。
Pさんの主張と力点は違うのだが、彼の主張はおおむね納得できるものである。

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話は進んで、「子どもが飛躍しようとするときに親はいない(眼中にない)」という話になった。
例えば将来の進路を決めるときや、自分にとってかけがえのない趣味と出会う時だ。
そこでは親は憧れなどになることは決してなく、親ではないほかの大人や、芸術や、なにかほかの
キラキラしたものに憧れて子どもは飛躍するというのだ。
多少、感傷的な傾きもあるが、まあ、おおむねそんなもんかと思う。
子が親から自立するときは、むしろ親がつまらないものに見えたりするものかもしれない。

ただ、自戒の意味も込めてかPさんの、親に厳しいというか謙抑的というかの主張に対して、
僕は少しばかり異論をはさんだのだった。
基本線においてPさんの主張に賛同できるが、実際に親が子どもに与える影響というのは案外計り知れないのではないか。
少なくとも僕に関して言えば、父の存在なくして今の自分はないだろうと。
自分が今、例えばよくする会の会長を引き受け、あるいは地域協議会の委員として全体の利益の観点から
発言を続けていること、これは父の姿が知らず知らずのうちに僕に影響を与えているのだと思う。
父は一般的な意味において、子どもや妻の支柱となれるような人ではなかった。
しかし同時に、自分の家族だけがおいしいものを食べ、幸せにしていればいいという考えの人でもなかった。

そんな父から、正面切って「親とは」とか「子どもとは」とか話を聞いたことはない。
あるいは自分が何を大切に生きているとか、そんなことも正面切っては話したことはなかった。
しかし、いざ自分が親になってみて、そんな父の姿を折にふれて思い返すとともに、
自分が自分の子どもたちに対し、伝えたいことを伝えていくとはどういうことだろうか、と考えてみるのだ。
答えの出るような問いでもないし、仮に答えがあったとしてそのとおりに関係が作れるわけでもないだろうが。

話の流れの中ではAさんが「親が太陽になったり土になったりしてもいいんだよ」と言った。
その言葉もまた印象的であった。

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さあ、今年のお盆は父の写真でも飾って、迎え火と送り火くらい焚いてみようかな。
そんな心境になる一日なのであった。




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今日も地道に

ここ数日、このブログに書き込みがいくつかあって大変うれしく思っている。
一つはこの川越のローカルな話題。
もう一つは昨夜の子ども手当の話題。
どちらもブログをやっていてこそのコミュニケーション。

世の中、百人いれば百通りの意見があっておかしくない。
一つの話題をめぐって意見が交わせるって素晴らしいと思う。
この小さな会の運営もそうだし、国政の運営だって同じだと思うが、
いろんな議論が水面下でも表の会議でもあって、さらに外野の批判や内輪の賛同や、
はたまた根も葉もないうわさや妨害や、いろんな経緯を経て意思決定が下されていく。
その意味では子ども手当だって国民の広範な議論があっていいのだ。
実施するにしろしないにしろ、議論することでより良いものになる可能性もある。
このブログでのやり取りも、そんな国民の議論の中の最末席を汚すくらいの役割は果たせよう。

書き込みへの返信はこれから一応しておこうと思うが、
まだまだ投票日までひと月ある。
子ども手当に関してもいろんな切り口でいろんな提案ができるので、
また日を改めて書こうと思っている。国の制度設計に関する重要な論題だと思っている。

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今日は高階第2で給食に関する打ち合わせを行い、
そのあと小学校で2人の個人面談が相次いであった。
皆さんにお知らせするほどの、これといった話題があったわけではない。
ただ、保育園と小学校とあいついで3人の担任の先生と話してつくづく実感することなのだが、
子どもたちは親である僕と過ごすよりも、ある意味先生と過ごす時間の方がはるかに多いのだ。
それだけに、親が気付かないこと、親には見せない顔をしっかり見ていてくれ、それはありがたいと思う。

そういうことも含め、子どもを育てていくということ、あるいは子どもを見守っていくということに関し、
親と先生とが一緒にできればいいし、地域協議会の話題の流れでいけば、
地域もそこに加わって何かできればいいのだが、
親も、なかなか「親集団」として一つにはなりきれない難しい時代なので悩みひとしおである。

いずれにしても、なにか革命的に前進したりするということはほとんどないのだから、
一つ一つ積み重ねていくほかないだろうと思う。



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