会長うたかた記

日々の子育てを楽しく、日々の生活を快適に

文化・伝統工芸

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

今日は初夏らしいいい日だった。
この1週間は選挙ウィークで、候補者にとっても選挙週刊だったが、
選ぶ側としても選挙ウィーク、僕としてはまあ、今の僕にできるだけのことはした。
結果についてはまたあらためて。

実は、今年のよくする会の文化行事をきっかけに、
劇団の制作の方といい縁ができて、
今日はオペレッタ劇団ともしびの「金剛山のトラたいじ他」を観てきた。
もう31年も演じてきて今年度で終演ということだ。
いい機会なので家族みんなで出かけた。

開場の少し前に着き、外で待っていると楽器の音が流れてくる。
「沖縄の音楽みたい」と家人がいった。
「中国の音楽みたい」と長女がいった。
う〜ん、当たらずとも遠からず。
今日は朝鮮半島の古い民話をもとに、
朝鮮半島の古楽器を使っての演目なのだ。

沖縄の音楽、つまり琉球の音楽も大陸の影響を色濃くとどめている。
半島の音楽もまた、陸続きなだけ日本の雅楽など以上に大陸の影響が濃いだろうから、
今のJポップに慣れた耳からすると同じテリトリーの音楽に聞こえてもおかしくない。

イメージ 1

今日の演目は4つ。
「山と川」「じしんのわけ」「トケビにかったパウイのお話」そして「金剛山のトラたいじ」。
最初の3つは素朴で小さなお話、特に「山と川」「じしんのわけ」は大地創造神話というか、
世界各国に同じようなお話がありそうなものだ。

「トケビ」とはお化けのことで、少年パウイが知恵を使ってトケビを打ち負かすお話。
貧しい勤労少年パウイが村祭りの日に相撲大会で大人を打ち負かして優勝し、仔牛を褒美にもらう。
その帰り道、真っ暗な夜道でトケビに遭遇し、相撲勝負をもちかけられる。
大きくてとても勝ち目のないトケビに対して、パウイは
「怖いと思って顔を見上げたらトケビがもっと大きくなる、
トケビの足をみて怖がらなければトケビが小さくなる」ことに気づいて、
トケビの足を見続けて限りなく小さくしてトケビに勝ち、仔牛を守り抜くのだ。

村祭りのにぎわいや、相撲大会の様子など、
かつての日本の様子を見ているようで、
そこで繰り広げられる人間の営みに違いがあるのかな、と、
僕は昨今の日本と韓国の状況を大変残念に思い起こした。

と同時に、この演目を演じている人もそうだろうし、
また今日観に来ている人や、これまでこの劇を観たたくさんの人や、
そんな人間の本質に気づいている人はたくさんいるだろうから、
そこに依拠していかないとな、と思わされた。
ひどいことの方がセンセーショナルに報じられるが、
大半の人はもっとまっとうな感覚を持っているはずなのだ。

それから、パウイが気づいた「怖いと思ったら余計に怖い〜」は、
今の僕たちが最も心に留めなければならないことだ。
政権批判などして恫喝を加えられて委縮しているマスコミの皆さん、
怖いと思ったら相手はもっと大きくなりますよ、とパウイが教えてくれているようだ。

イメージ 2

「金剛山のトラたいじ」これはもう、大変な大作だ。
話としては虎に食われた父親のかたきをうって虎退治する猟師の青年の話だ。
「まんが 日本昔ばなし」で出てきてもおかしくないような話だ。
(あ、わかるかな?あの「坊や〜」のテーマソングで始まるテレビアニメ)

僕は「オペレッタ」という形式が正確にはどういうものを指すのだか知らないのだが、
その語感から感じられるイメージは、この演目でまさにぴったり来た感じだった。
前に観た「おもしろどんどん」にしろ、最初の三作品にしろ、
わりと短くてシンプルなのでそこまで感じなのかったのかもしれないが、
この作品は公演時間が長く、その分構成も複雑なうえ、
セリフや情景描写にふんだんに音楽が取り入れられている。

その役者の歌声、音楽の緩急、間合い、呼応、これらが
演技や場面転換と複雑な織をなしてどんどんと舞台に引きこまれる。
そして演じられるテーマとしての人間愛に、いつしか胸を熱くさせられる。
それはもう、見事なものだ。

31年間、公演しながら工夫を重ねバージョンアップしてここまできたそうだが、
本当にそれだけのことはある。
長い劇なのに子どもを飽きさせない工夫も随所に盛り込まれ、
会場の笑いもまた絶えない。

それと、劇と劇の間に古楽器の紹介があったり、
最後には朝鮮半島の民族衣装を着ての楽器演奏・踊りもあり、
これがまたすごいのだ。
もしかしたら、川越近辺でも、例えば高麗神社の祭礼とか、
あるいはお祭りの時の朝鮮使節団の行進の時とかに
こういう舞踊が紹介されたりしてるのかもしれないが、
僕は初めてみたので大変驚いた。
帽子の先に長〜いリボンがついていて、それが踊りに合わせて
体の周りをグルグル回転したりするやつだ。

まあ、とにかく、百聞は一見に如かずだ。
機会があればぜひこの公演をご覧いただきたいと思う。

イメージ 3

うちの子どもたち小学1年生から中学3年生まで、そして大人までも、
みんなを満足させられる劇というのはなかなかないのではないか。
理解の深度というのはそれぞれあるだろうが、
大人にとっても見ごたえが大きい。

「アナ雪」など、それはそれでいいし、
そういうものなら中学生にもなればお友達と観に行くことはできるが、
「金剛山のトラたいじ」となると、なかなか子どもが自発的に、
というきっかけはないだろう。
そういう意味でも家族みんなで観ることができて本当に良かったと思う。

この舞台からすぐに、日本と韓国の外交関係とか従軍慰安婦の問題とか、
そういう難しい話題を展開するつもりはないが、
少なくとも「人間の生きざま」みたいなことは中学生の二人には話していけるだろう。
それは今後、生活の中でポツポツと、機会が訪れるごとに展開することになるはずだ。


中学生二人にお金がかかるので働いて稼がなければならないのももちろんだが、
やはり、今でないと共感できないこともたくさんあるだろう。
少しずつ、意識してそういう機会も作っていこう。











時野 閏ホームページ「歌いたい歌がある」
扉を開いて←姉妹ブログ(喫茶店)
「時」のうたかた ←姉妹ブログ(音楽関係)

川越では昨日今日と川越まつりが開催された。
よそ者の僕にはどれくらい古いお祭りでどんないわれがあって、
川越の人がどれくらいこのお祭りを大切にしているのか、なかなか知る機会はない。

が、僕の故郷も古い町であって、古くからのお祭りがたくさんある。
だから“お祭りのある町”というのはいいものだなと身に染みている。
ただし、お祭りが古ければ古いほど、その町が古ければ古いほど、
そのお祭りを催すための“しきたり”というかローカルルールが厳しかったりする。
であるがゆえに外から来たものは本当の意味では入りづらい。
それは合理的とか不合理だというのを超越していて、
例えば「相撲の土俵には女性は上がれない」というようなものに似ている。

ともかく、昨日も今日も仕事があったので、夜の7時ころから、
次女以下三人の子どもをつれてお祭りに出かけた。

イメージ 1

昨日から、長女のお友達が二人ほど泊りがけで遊びに来ている。
昨日は学校が終わってから川越祭りの見物、
そして今日は朝から、山車を曳くのに参加させてもらうことになっていた。
これは一緒に保育運動をやっている、古くからこの町に住む保育士のKさんのご厚意によるものだ。
どこの町内でもが、そうやすやすとよそ者を受け入れてくれるわけでもなかろう。

朝、その町内に三人を連れていき、夜から僕も合流することになっていた。
ところが夕方すぎてさすがに疲れたのか、三人ともリタイアしてしまったので、
結果的には次女以下総勢4人で“ひきっかわせ”に参加した。
まあね、天気もよかったし、昨夜は夜中まで起きていたようだったから
中学生たちはエネルギーが切れたのかもしれない。

参加して初めて分かったのだが、
昔から祭りに参加して山車を曳いているのと、
ぽっと列に入るのでは楽しみ方のレベルがまるで違う。
山車のすぐ近くで方向転換をしたり舞台を回したりしている人は別として、
曳いている人は力の抜き加減なども心得ている。
山車は止まっている時間が長いから、適度に列を離れてお酒を飲んだり、
ということも自由自在だ。
多少そういうことをしないと、初参加では気が張って体も堪えるかもしれないが、
周りが知らない人だらけではそれもしづらいかもしれない。

とはいえ、丸二日間、準備の時間を入れればもっと長い時間、
このお祭りに関わっている町内の皆さんも疲れないわけはなかろう。
そうではあろうが、それを含めてお祭りを楽しんでいるということでもあるのだろう。
若い人たちは思い思いに衣装に工夫を凝らし、
例えばそろいの着物の下には柄物の着物をあつらえたり、
自前の舞い装束をあつらえたりということもしているようだった。
提灯にも自分の名前が入っていたりする。

そういうのも、地元で同じ祭りに参加し、
同じ山車を曳く仲間だからこそ内輪で盛り上がれるということもあるのだろう。
老若男女、それぞれにお祭りを大切にし、楽しんでいる様子が見て取れた。
それはそうだろう、産まれた時からお祭りが存在し、
外から傍観する者ではなく、お祭りを作る側として参加することが運命づけられていたのだから。

さて、長女たちは参加してどういう感慨を持ったのか。
そのうちまた話題にしてみようとは思っているが。

イメージ 2

それにしても川越まつりはわからないことだらけだ。
なぜ山車と山車がすれ違う時にわざわざ舞台を回して面を合わせ踊りあうのか。
山車と山車だけでなく、会所などを通り過ぎるときも同様だ。

囃子連として参加して道端の舞台で踊っているお囃子と、
山車の上で踊っているお囃子は同じものなのか違うものなのか。
そもそも、踊りも何かストーリーがあるようだが、どういうものなのか。

山車と山車が面を合わせて踊り合っている時に、
提灯を持った若者たちがワーッと騒ぐのはどういう意味があるのか。

そういう疑問も、参加してみれば多少は解消するかと思ったが、
少なくとも夜の2時間かそこら参加しただけでは何もわからなかった。

まあ、そういうことは何かパンフレットか何かに書いてあって
訳もなく解決する疑問かもしれないが、
これまで何年も外から眺めるだけの川越まつりとは全然違ったものになったのは確かだ。
子どもたちも(特に下の二人だが)、昨日とは全然違うはしゃぎ方をしていた。

イメージ 3

疲れたので寝るとするか。
中学生のお友達二人は今日もうちに泊まっている。
明日、そろって三人で登校するということになっている。

お友達二人は川越まつりも初めてだったようだし、
うちのような、狭くいところに人がたくさん住んでいる潜水艦のような家も初めてだっただろう。
週末の異文化体験はどうだっただろうか。
どちらにしても、刺激的であったことは確かだろうが。




過去の関連記事
お友達が来るので…







時野 閏ホームページ「歌いたい歌がある」
扉を開いて←姉妹ブログ(喫茶店)
「時」のうたかた ←姉妹ブログ(音楽関係)

いよいよ今年も明日を残すのみ。
相変わらずの毎日だが、昨日よりガクッと仕事が減ってきている。
世の中、28日が御用納めで、御用が納まれば下々も、というわけなのだろう。

僕はといえば、この一月、というより議会が終ったくらいからだが、
仕事以外の時間を工面して倉庫の片付けに奔走している。
季節はずれのものや車のスペアパーツや、いろんなものをとりあえずしまいこむ為に倉庫を借りていたが、
身の回りのいろんなことをスクラップ&ビルド(まだ生きてる言葉かな?)するために、
12月いっぱいで返すことにしたのだ。
月々の賃料がなくなればかなり助かるし、
不要なものをなるべく身の回りから処分してしまおうという考えだ。

仕事の負担が軽かったおかげで、今日ですべて引き払って、予定通り返還できるようにはなった。
ただ、すべて要不要を判断して取捨選択したわけではなく、
大部分、とりあえず運んできただけなのでこれからが大変だが、
とりあえず断固としてリストラを進めていく。

イメージ 1
(二子山古墳 前方部より)

先日、仕事で行田にある“さきたま古墳群”付近を通りかかった。
ちょうどお昼過ぎだったので、“さきたま古墳群公園”に車を止め、
お弁当を食べてから少し歩いてみた。
ここに来るの、15年ぶりくらいかもしれない。

ここらあたりには古墳がたくさん残っているし、
この“さきたま”というのが埼玉県の名の由来だと聞いたことがある。
真偽のほどを確かめたわけではないけれども、
それなりに由緒正しき場所柄のようだ。

それというのも、古墳というのはまさに何らかの国家的統一が図られていた証におもわれ、
しかもその地の最高権力者に近い者が埋葬されたに違いないから、
今でいうところの埼玉県あたりの中では、当時としてはそれなりに意味のある場所だったのだと思うのだ。
近畿地方にある巨大な古墳とは比べるべくもないけれども、
ここにある二子山古墳が、関東近辺の現存する前方後円墳では最大であるそうだ。

考えてみれば僕はこの古墳というものに小学校時代に魅せられ、
図書館で古墳の本を借りてきて萩あたりの古墳を訪ねたような訪ねなかったような記憶がある。
どうして古墳なんかに魅せられたかというと、
やはり前方後円墳のなんとも不思議な形状なのだろうと思う。
社会の教科書や副教材の写真で見た大きな前方後円墳。
これが円墳や方墳だけだったらそれほど魅せられることもなかったかもしれない。

こんな不思議なものが、古代のある時期、日本中に築造されたのだ。
これは、葬送の様式がある程度統一され、その当時の人々の祈りの共通感覚に合致し、
しかも労働力を使ってこんな巨大な築造物を作れるだけの権力者がいたということだ。
そしてその権力者のもとで統治がなされ、その権力者たちが全国的規模で、
何らかの形で結ばれていたということではないかと思う。
そうでなければこの形の墓を作る必然性というものが考えられない。
それほど不思議な形だと思うのである。

イメージ 2
(稲荷山古墳頂上部より前方部を臨む)

家に帰ってきてからウィキペディアをチラリとのぞいてみると、
前方後円墳の由来については諸説あるようである。
が、僕が古墳の上に立って思ったことは、やはりこの方形の部分で祭礼を執り行ったのだろうということだ。
ここの稲荷山古墳という前方後円墳は階段と遊歩道が設けられており、
方形の端っこから円形の頂上まで上がることが出来るようになっている。
そして円形の頂上には、埋葬の痕跡が保存的に展示されている。
基本的には円形の部分が死者の永眠する場所なのだ。

そうすると、墓という目的のみなら円墳で事足り、方形の部分は必要ないことになる。
にもかかわらず円墳と同じくらいの容積の方形部を築造したというのは、
やはりそれなりの理由のあってのことであり、だとすると祭礼を行ったと考えるのが素直ではある。
とまあ、真実の解明は考古学者に任せるとして、
古墳のてっぺんで古代人の生活に思いをはせるのは自由だ。

しかし、つくづく思うのだ。
現代のように科学技術が発達していると、古代人というのは幼稚で単純で、
迷信深くて何も知らなくて、というように思いがちだが、
決してそんなことはなかっただろうと。
組織化された支配被支配関係があり、土木技術もあり、当時なりの科学もあり、
人々の毎日の暮らしがあり、喜びがあり、悲しみがあり・・・。
現代とは環境も空気も食べるものも何もかも違うから「感覚」というものが全く異なったものだっただろうけど、
意外と人のあり方というのは現代と違わなかったのではないだろうか。

ただ、自然に対する畏怖や畏敬の念というのは今とは全く異なり、
よもや自然を征服できるなどとはおくびにも思わなかったであろう。
そこが現代人との決定的な違いであるように思う。

もちろん、現代人だって自然を征服できると思っていないという意見もあるだろう。
しかし、いつかはほとんどのことを科学で解明でき、いろんな不都合を知識や技術で解決できると、
そう思っている節はあらゆる場面で感じるのだ。
なにがどうとは、ここではいわないこととするが、
そういうエゴというか、人間最優先主義というか、
そんなものは大自然の前では通用しないのだということを、
僕たちは学ばなければならないように思う。

イメージ 3

その日はそういう、悠久の時に思いを馳せた一日だったが、
夜は学保の会(川越学童保育の会)の役員有志の忘年会があった。
僕は仕事が終ってから駆けつけたのでもう一次会が終ろうかという時間で、
会長がすっかり出来上がっており、いきなり戯言を聞かされる羽目になった。

「鶏がダメだって言うからせっかく海鮮鍋にしたのに、早く来ないからなくなっちゃいましたよ。」
いやいいですよ、この際そんなことどうでも・・・。
というか、あんたが食べたんでしょう。
で、椎茸など頼みながらビールを飲んだ。

今日の眼目は海鮮鍋など食べることではない。
毎日神経をすり減らして保育料値上げ問題に取り組んでる最中から
「終ったらみんなで一杯やりたいですね」
と励ましあっていたということももちろんあるが、
指導員さん方とももっと話がしたいと、僕は考えていたのだ。
役員会などで顔を合わせる機会は多いが、
なかなかゆっくりと話をする機会はないのだ。

だが、実際に保育環境にしろ指導員さんの待遇にしろ、
指導員さんとの関係で決まることは思いのほか多いし、
諸問題解決のために話し合うべきことは多いと思っている。
そして、そのような話し合いというのはもう少し硬い場で行うのは当然であるとしても、
人間同士の付き合いや信頼関係がなければ、本当の意味での話し合いは難しいのだとも思う。

そんなわけで、限られた時間ではあったが、学童のことや学童以外のことや、
いろいろ話ができて有意義な忘年会だった。
保育料問題に端を発し、このブログを読んでくれている指導員さんも意外にいることがわかり、
その意味ではちょっと面映い気もするが、
何しろ書いているときはそんなことは眼中になく、歯に衣着せず書いているのだ。


まずい・・・。会長もときどき読んでいるのだ。
だけど会長は長い文章読むのがイヤだから、3行のうち2行くらいしか読んでないのだ。
この段のはじめのほうはきっと読み飛ばすだろう・・・。












川越祭りの夜

昨日今日と、ここ川越では「川越まつり」が催された。
といっても僕のようなよそ者には地元のお祭りとはおよそいい難く、
見知らぬ観光地で催されるお祭りと何ら変わりはない。
古くから川越に住んでいる地元っ子のお祭りである。
古い街、古い祭りにあってはこれは致し方のないことである。

もっとも最近は、街の中心部から若者が減っているためか、
地元民がどんどんサラリーマン化しているためか、
祭りの担い手が減ってきているという悩みはあるようで、
よそ者でも参加の方法はあるようだが、
今のところ僕にとっては観光地のお祭りであり続けている。

イメージ 1

僕のほうは昨日も今日も仕事で、昨日などはちょっと夜にのぞいてみようかとも思っていたのだが、
あいにく雨が降っていたのでその計画は取りやめた。
自分ひとりなら雨の中の夜祭りも風情があっていいが、
子どもを四人もつれてというのは、翌日が仕事ということを考えると躊躇してしまう。

で、日曜の夜だと、次の日が学校もあり保育園もあり、では辛いかなと思い、
今年はなかったものと思ってやり過ごそうと思っていた。

ところが仕事の帰り道、横断歩道を渡る、祭りに向かうと思しき親子連れなどを眺めていると
ちょっと出かけてみてもいいかなと思い返して家路に付いた。
家で少しそういう話をすると、やはり子ども達も行きたかったらしく、
どうにもこうにも行かなければ収まりがつかないような状態になってしまい、
夕食後に少しだけ出かけることにした。

三女と四女はもしかしたら初めてかもしれない。
駅の改札を出て雑踏の中を手をつないで進んでいく。
最初はただただ人が多いだけで、そして夜店がたくさん出ているだけで何のことかわからなかっただろうが、
やがて会所前にたどり着くとお囃子が流れ、変な顔をした人が舞を舞っている。
「変な顔」とはもちろんお面なのだが、笑っていてもどこかおどろおどろしい風情に、
三女も四女も顔をこわばらせている。

舞を舞いながらも、時々、お父さんの肩に乗せられて泣きながら握手をさせられた子ども達に、
変な顔のおじさんが柿を手渡し始めた。
すかさず、長女も次女も前に進み出て、なんとか手を伸ばして握手して柿を手に入れた。
それでも三女と四女は断固としてそれ以上近づこうとしなかった。

そうこうしているうちに山車がやってきて、
会所前まで来るとクルッと向きが変わり、山車のおカメと会所の変な顔が出合い頭で踊りあっている。
付近の若い衆がワ―とかいいながら提灯を高く掲げて入り乱れている。
「曳っかわせ」という儀式らしく、僕等には何のことかわからないが、
このお祭りの中で育まれてきた習慣らしいのだ。
山車と山車がすれ違う時にもやはり同じように正面を突き合わせて踊りあうのだ。

山車も基本構造は変わらないのかもしれないが、きらびやかなのがあったり、
木彫りの渋いのがあったり、それぞれ、その町内が大切に祭りを育ててきたことがうかがわれる。
山車はたくさん出るので、前が「曳っかわせ」で止まっていたりするとすぐにつっかえて
当分動かなくなったりして、みているだけの知らない者にはまどろっこしく感じたりもする。
が、その「間」も含めての祭りなのだろう。

それにしても二日間、山車を引く人間もお囃子を奏でる人間も舞を舞う人間も、
交代しながらとはいえ大変なエネルギー消費だろう。
今夜は最後の最後だし、鉦の音も笛の音もところどころもつれているように聞こえた。

イメージ 2

ここからは余談だけど、
そろそろ仕事を変えようかな、なんて思っている。
これまでも仕事ジプシーのように中途半端な仕事を中途半端に掛け持ちして中途半端にやって来たけど、
今のパターンは実入りの割に密度が濃すぎて、朝から晩まで、一週間休みなく働いている感じだ。
このままでは何も生産的な事が出来ずに自分を消費するだけである。

どこかで踏ん切りをつけないとな、とは思いながら来たが、
いろいろあって、かなり割り切って考えるようにした。
夜のバイトもひと月前くらいでけりをつけたし、
仕事だけじゃなく、自分の人生のあれこれをリストラクチャしないといけないなと思っているのだ。

尤もこの年になると転職も容易じゃないけど、
今の待遇が悪すぎるという点からするとまだまだ展望はある、かな。







リンク
川越保育をよくする会

にほんブログ村←こちらもどうぞ

「てっぱん」の方言度

昨日は長女が熱っぽいと学童から連絡があって、少し早めにお迎えに行った。
と、校庭の、学童保育室までの紅葉がことのほか美しい。
「今年の紅葉はきれいになるのかな」
瞬時にそんな予感を感じさせるに十分で、久々に家族で紅葉狩りでいければいいなあと思った。

ここのところ、忙しいにお金がないでそういう機会を持てていないということもあり、
ここ何年か、夏から冬までの移ろいがぼんやりしていて、
紅葉もなんとなく葉が茶けて散り落ちているような、あまり感心しない風情だったのである。

それにしても、大木古木が残されているのも学校ならではで、
僕も小学校の頃、とても大きな銀杏の木の下で、竹ぼうきで掃除をしたり
銀杏を拾ったりした思い出がおぼろげながら残っている。
この小学校の二本の銀杏も、子ども達の心になにかを伝えてくれているのだろうか。

イメージ 1

話は全く変わるが、NHK朝の連続テレビ小説は「ゲゲゲの女房」から「てっぱん」に代わっている。
「ゲゲゲの女房」の舞台の一つが島根、「てっぱん」の舞台の一つが広島ということで、
どうしても言葉(方言)に関心がいってしまう。
どちらも僕の生まれ故郷山口のお隣の県であり、かなり似ている点もあるからである。
特に広島はイントネーションや語尾なども含め、全国的な視点から見るとかなり近いと思う。

ドラマの中での方言はどうしてもわざとらしくなってしまう。
それは当然、本当に方言そのものを会話とすると、発音や単語そのものも違うことがあり、
他の地方の人には理解できない場面も出てくるから、
適度に標準語?と織り交ぜながら雰囲気を出すというのが制作側のねらいどころであろう。
だから、その地方に住んでいる者には片腹痛いものになるのが宿命であるともいえる。

で、「てっぱん」の広島弁(尾道弁)である。
お隣の県とはいえ住んだことがあるわけでなし、厳密なところはわからない。
が、雰囲気という意味では相当に迫っているのではないかと、ずっと思っている。
特にヒロインあかりのお父さん(錠)である。
あちらの地方では男が自分のことを「俺は」というのはまれで、
小さな子どもですら自分のことを「ワシは」と言っている(最近はどうなんだろう?)。
錠が「ワシャぁのお・・・」と切り出すところなど、そのものである

最近はテレビなどの影響もあってか、どこの地方でも方言が薄くなっているのではないか。
たまに山口に帰っても通行人が「・・・でサー」と、以前は使わなかった、
東京の言葉の真似みたいな言葉を織り交ぜて使っている。
言葉は生き物だから、日本が狭くなるに従って言葉が変化するのもまた当然といえば当然である。
しかし、そこに郷愁を感じる者も少なくはないだろうし、
なにもすべてが東京にならって統一されなくても、という思いもあるのではないか。

ドラマの方言の方言度(リアル度)が増しているのだとしたら、
製作者(方言指導者)のほうでも従来とは異なる基準なり、思いなりがあるのだろうか。

それにしても「てっぱん」、ドタバタ劇のようでありながら切ないドラマである。





川越保育をよくする会←ホームページはこちら(リニューアルしました)

にほんブログ村←こちらもどうぞ

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.
よくする会長
よくする会長
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

友だち(1)
  • mau*o*_we*ding
友だち一覧
検索 検索

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事